リベンジデート
* Sideイスズ
横並びで手を繋ぎ挨拶をするキャスト達の前に、ずしりと厚みのあるカーテンがゆっくりと降りてくる。
私は周囲の人達と同じく立ち上がり、精一杯の勢いで拍手を贈った。
正直なところ、例のお茶会による遠回りがすぎて、舞台会場の座席に無事に座ったあたりで妙な達成感がわき上がってしまい、肝心の劇には期待値がちっとも振られてなかった。
ところが、冒頭に客席の後ろからハイターと仲間達が登場し、すぐ横の通路を通って舞台に上がる演出に引き込まれてから最後の最後まで前のめりで夢中になり、ハイターの舞台の売りである伝統的な休憩を挟まないスピーディーな幕引きに、見事に嵌まった理想的な観客の出来上がりというわけだ。
「あー、面白かった」
会場が明るくなり始め、そんな感想と共に座り直してから、しまったと慌てる。
そうして、とっさに振り向き、焦りがバレバレとなってしまった失態に気づく。
「そんなに面白かったですか?」
そう言って含み笑いを見せてくるのは、同伴しているソレイユさん。
同伴というか、私は連れてきてもらった立場であり、あえて言うなら、今日は久しぶりのデートであり、なんだったら、初めての本格的なおでかけだ。
つまりは、お茶会で延期になった観劇デートのやり直しの真っ最中。
なのに、隣にいる彼が気になって舞台に全然集中できない、だとか、チラチラと視線が重なってしまう、だとかの甘いあるあるを軽く吹き飛ばし、なんだったら、存在を忘れたかのように全力で観劇してしまってた。
「ええっと……」
「父も喜びます」
呆れるでも、気分を害した様子もなく、ソレイユさんは手を差し出して立たせてくれる。
さすがは騎士様。
ついでに、この後のお父様との挨拶を思い出させてくれたので、申し訳なさと緊張感で落ち着かなくなる。
「イスズさん、こちらです」
と、混み合っている流れを、手を引いてスイスイ泳いでいくソレイユさん。
今更、ちょっと、心の準備時間をくださいとも言えず、なんとか体裁を整えねばと頑張る横目に物販コーナーの列が見えた。
開演前もかなり並んでたから諦めたんだけど、帰りになっても混んでいる上に、チラホラとソールドアウトの赤文字札が目に飛び込んでくる。
せめて、パンフレットくらいは欲しかったなぁと思いつつ通りすぎれば、関係者以外立入禁止のドアをくぐることになった。
途中、顔見知りらしい人がソレイユさんに声をかけてきたので、私はペコリと頭を下げて邪魔にならないよう少し離れる。
とりあえず、この隙に、挨拶とお土産の段取りをしっかり確認しておこう。
あ、でも、お土産よりお礼を先にするべき?
それとも、延期になった謝罪が先?
さすがに、この辺はナナコさんにも相談できなかった。
っていうか、なんだか気恥ずかしくて黙ってた。
「はい、イスズさん」
「ん?」
ソレイユさんに呼ばれたから顔を上げると、何かを渡された。
何か、というか、パンフレットといくつかのブロマイドが手元にある。
「え、なんで!?」
「関係者の特権です。まあ、いつもはやらないですけどね」
「ええー、そんな……」
悪いですと思いながらも、もらったグッズはしっかりチェックしてしまう。
ナナコさんにと話してた男装の騎士様のブロマイドだけが二枚あった。
「これって……」
「開演前に頼んでおいたのですが、的中でしたね。彼女の役、とても評判がいいので、きっと次回作も出番がありますよ。もっとも、他の劇団からの引き抜きも出てきそうですから、父の脚本次第でしょうけど」
そう評するソレイユさんは、完全に劇団関係者にしか見えない。
スタイリストとしても頼りになるのに、演劇界にも詳しくて、しかも、本職は騎士様だというのだから、幻の生物並みに貴重な存在ではないだろうか。
こんな人が唯一の特別枠に私を選んでくれている。
未だに信じられなくなるし、失礼ながらも気の迷いでは、とか思ってしまうし、ソレイユさんの目を通して別人に映っているのでは、とも疑ってしまう。
「ようこそ、当劇場へ。そして、はじめまして、素敵なお嬢さん」
開け放たれた控え室。
そこで、お洒落髭のナイスミドルに挨拶をされて、カクカクと立ち止まる。
続けて「先生が女の子に会いに行くって浮かれてたから、ついてきちゃった」と明るい女性に声をかけられて完全に固まってしまった。
「衣装脱いできちゃったから、わからないかな?」
反応できない私が勘違いさせたみたいなので、慌てて首を振って、もらったばかりのブロマイドをお見せする。
「あ、私のだ。ファンになってくれた?」
そう本人に聞かれたら、全力で首を縦に振らせてもらう他ない。
なんとびっくり、あの麗しの男装騎士様役のお姉様が目の前に存在してるらしく、オカルト現象を前にしてるくらい興奮ぎみの自分にも驚いてしまう。
「サインしようか?」
「あ、あ、ナナコさんへでお願いします!」
こんな状態で恩返しを忘れずにお願いできたなんて、自分を最高に褒めてあげたい。
あ、でも、ペンがない! と気づいたタイミングで横から万年筆が現れた。
「ナナコさんは私達の恩人なんです」
そんなことを説明するソレイユさんは、綺麗で格好いい女優さんを物ともしないで万年筆を渡している。
「どうも。もしかして、君って噂の神?」
「……まあ、そうですね。呼ばれても困る呼び名ですけど」
「なるほど。目元が先生に似てるかな」
そんな謎の会話をしながら、ナナコさんへとサインされたブロマイドは軽く振られて、ソレイユさんへと渡される。
「お嬢さんの名前は?」
二枚目にもサラサラとサインをしてくれているので、私にも書いてもらえるっぽい。
「えっと、イスズ……」
コーセイですと家名を名乗ろうとした瞬間に、女優さんから「イスズちゃんね」と軽く返された。
慣れない「ちゃん」づけに、すっと差し出されたブロマイドと長い指。
受け取って顔を上げれば、ツルツルぴかぴかのお姉様。
瞬間、庶民なオタクは沸騰した。
口を開けば、ナナコさんが天然でこんなことをほざく女はいないと言いきっていた「はわわ」というセリフしか飛び出さなそうで、急いでブロマイドで口を塞ぐ。
なのに、「ふふっ、可愛いね」と、駄目押しとばかりに攻められて、オロオロと視線を彷徨わせた果てに、複雑さ極まれりなソレイユさんと目が合い、途端に申し訳ない反省モードに入る。
けれども、残念ながら、もうこんな状態にはならないとは決意しきれない。
むしろ、オカルト現象を前にすれば、それなりの頻度でやらかしそうな自信しかないのだから。