報告と約束と牽制
※ Sideソレイユ
「お帰り」
送ってくれた馬車に礼を告げて見送り、イスズさん達に続いて研究所の裏口に回ると、大方の予想通り、所長が待って出迎えてくれる。
出迎えてと言っても、鍵を持っているにも関わらず、外で本を読んで時間を潰していたみたいだ。
ここが職場でありながらも、イスズさんの住処だからの配慮だろうか。
元優秀な騎士隊長であり、現所長としての立場でさりげない気遣いのできる、誰よりもイスズさんに信頼されている大人。
そんな人に改めて挨拶をと思ったら、兄に当たるクレオス隊長と向き合うのとは別の緊張感に支配されていく。
「王子様が見つかったみたいだな」
しかし、こちらが落ち着く前に、所長はこんなことを言ってきた。
いきなりの絶妙な表現にギョッとして、イスズさんはどうだろうかと目を向けてみたら、ずいぶんと難しいげな顔をしている。
「……まあ、そういうことです」
「よかったな」
穏やかな所長に、イスズさんは小さく頷いている。
「え、それだけ?」
逆に戸惑いのコメントしたのはナナコさん。
まあ、色々な想定していた自分も似たような感想を持ったのだけど、さすがに声には出せなかった。
「他に何を言えと? イズクラの奴らみたいに反対する気はないぞ」
「だとしても、イスズを頼むとか、守ってあげてくれとか、あるもんじゃないんですか」
「王子様が並んだからって、騎士の役割は変わらんだろう」
「……それって、所長がイスズにした騎士の誓いのことを言ってます?」
「そうだ。一生の誓いだからな」
「うわー、いくら保護者にしても、重すぎじゃないですか」
ね、ソレイユさん、とナナコさんが苦笑しながら同意を求めてくるけど、こちらは少しも笑えない。
騎士の誓いは、基本として一度だけ。
正式に任命された時に国と王に忠誠を誓う。
しかし、全体の一割程度が二度目の誓いをすることがある。
世間で知られている告白や求婚の時の誓いは、様式を真似ているだけの、単なる男の宣誓だ。
騎士の誓いと認められるのは、尊敬する上司の腹心となる申し出をする場合や、仕える王族か重役の貴族に専属を願い出る時に限られている。
そして、これらの誓いは、時に国や王を裏切ったとしても、最後まで忠誠を尽くした騎士の名誉と讃えられるほど重きを置かれるものだ。
ビートル・ビームスが現役でなかろうと、わざわざ騎士の誓いと称しているなら、本気のやつに決まってる。
しかし、世慣れたナナコさんだけでなく、誓われたイスズさんですら、その重さを知らないらしい。
まだまだ駆け出しの身では釣り合わなさすぎると意識が遠くなりかけるが、所長が無言で笑いかけてくるので、同じように微笑み返しておく。
誰になんと言われようと、イスズさんが手を取ってくれたのだから、いまの自分は無敵に近い。
「あ、ジェットが追いついてきたみたい」
またもや、ナナコさんの発言で話題が切り替わり、負けるつもりはないと言えども地味にありがたかった。
間もなく馬の蹄の音が近づいてくると、裏門からジェットが涼しい顔で現れた。
「やっぱり、所長、来てたんですね。僕は馬の世話をしてくるので、イスズさん、帰る前に休ませてもらってもいいですか? 今日、僕、頑張ったと思うんですよね」
「はいはい。所長とナナコさんもどうぞ。ソレイユさんも……」
と、イスズさんの視線が移動してきて、少々考える。
「いえ。今日は、そろそろ失礼します。色々あって、落ち着きそうもないですし」
さらりと返してみたけど、本音は素直に飛びつきたいお誘いだ。
しかし、男の話をつけるタイミングを見失うわけにはいかないので、その前に約束をとりつけておこう。
「それでですね、代わりにというわけじゃないんですけど、明日は早番で夕方には上がれるので、夕食を誘いに来てもいいですか?」
イスズさんは思ってもみなかったとばかりに、目を丸くする。
「騎士はシフトが不定期なので、なかなか休みが合わないかもしれませんが、工夫すれば、なんとかなると思うんです。もちろん、イスズさんの都合が悪ければ、遠慮なく言ってください」
他に加えるポイントがないか捻り出そうしていると、返事じゃない言葉が返される。
「それって、大変じゃないですか?」
「大変じゃない……」
です、と言いきりかけて、イスズさんの目に映る自分を見て考え直す。
格好つけるよりも、下手な距離をつくる方が嫌だなと思ったから。
「わけでもないですが、イスズさんと会えるのは嬉しいので大丈夫だと思います」
正直に打ち明けると、ほんのり赤くなって、はにかむように笑ってくれた。
「私も、合わせられるところは合わせてみますね。それじゃ、ソレイユさん、また明日」
「はい。はい、イスズさん。また明日」
別れの挨拶をしているというのに幸せを味わうばかりとは、なんて素晴らしい関係かと緩みきってしまう。
一人になり、そんな顔面を引き締めて厩舎に向かえば、ジェットは馬に水を飲ませてくれていた。
「やっぱり、いい馬ですね」
ジェットの方から声をかけてくれる。
こちらを見向きはしないけれど。
「乗りにくかったりしなかった?」
「前に、氷砂糖をあげたのを覚えてくれたみたいで、乗りやすかったです」
「……ジェット君。私は、イスズさんとお付き合いさせてもらうことになった」
「知ってますよ。おめでとうございます」
やっとこちらを振り向いたジェットは爽やかな笑顔。
それを見て、ここは再び勝負どころだろうと感じて背筋が伸びる。
「改めて、祝いの言葉以外に私に言いたいことがあるならどうぞ」
「そうですね……僕、これからしばらく、研究所と少し距離を置こうかなと思ってるんです」
返された言葉に驚いた。
そうして、必要のないはずの罪悪感を、ほんの少しだけ抱く。
「一応、三年くらいかなと踏んでるですけどね」
「……三年、とは?」
具体的な数字に聞き返せば、途端に、隠されていた無邪気で知的な本心が登場する。
「三年後。僕は、いまのイスズさんに並べるくらいに育ちます。距離を置く分、あれこれ鍛えるつもりでいるから、その頃なら意識してもらうのに遜色なくなってると思うんですよね」
さらりと言われたけれども、内容は聞き捨てならない不穏なものだ。
「それは、つまり、諦める気はないと?」
「当然でしょ。なんで、横入りしてきた黒騎士様なんかに遠慮したり、諦めなきゃいけないわけ? だいたい、元々僕は長期戦を狙ってたんだから、その間の虫よけくらいは見逃しますよ」
堂々とした恋敵宣言と虫よけ扱いに、くらりと目眩がする。
しかし、ジェットらしいと腑に落ちてもしまった。
「もちろん、隙があるなら、きっちり狙っていくので気をつけてくださいね」
そう宣言する天使の笑顔の背中には、黒い翼が見えた気がして頬が引きつる。
「僕からの話は以上です。では、お気をつけてお帰りくださませ、黒騎士様」
馬の手綱を差し出されて、その手をじっと見つめる。
一般市民の自分は、ジェットの年ぐらいで入学した騎士の養成校に通うまで、まともに乗馬なんてしたことがなかったなと思い返しながら。
「どうしたんですか? 早く受けとってくださいよ、黒騎士様」
「ソレイユ」
「はい?」
「そこまで宣言するなら、そう呼んでほしい」
「はあっ!?」
予想外の申し出に驚く、可愛らしくも手強いライバルに、負けるつもりはサラサラないと無言の内に笑い返して手綱を受け取った。