《最後の竜》の復讐劇( Ⅴ )
進めば進むほど、変わり果てた王都の様子に息を呑んだ。
上がる黒煙に焼け焦げた臭い。遠くで聞こえる悲鳴。
崩れ落ちた建物に、それに押し潰されてしまったらしい住民の……。
「っ……!」
「見るな、フィオナ」
彼女の手を引くコルネリウスが、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
本当は、この現実から目を逸らしてはいけないのだと思う。けれど、まだ若いフィオナは目を逸さずにはいられなかった。受け入れ切れなかったのだ。
──誰かが誰かに殺されるのを見るなんて……。こんな非現実的なことが起こるなんて、彼女の生きてきた人生では経験し得ないことだったのだから。
「大、丈夫?」
隣にいたハリオが、心配そうな声音で問いかけてきた。
そういう彼も顔色が悪い。手が微かに震えている。
それもそうだろう。ハリオは高位貴族だ。魔法に優れていたってその身分の高さから、ずっと周りの大人達から大切にされて、守られて育ってきていた。つまり、彼だってこんな経験をしたことがない。
覚悟を決めているコルネリウスと、冷静に行動しているファング。この状況下では、二人が引っ張ってくれることは助かるし、心強いことだけれど……フィオナの心境に最も近い立ち位置にいるのは、間違いなく彼だろう。
きっとフィオナが抱いている不安を告げれば、ハリオも共感してくれるはず。
けれど彼女は……苦しそうな顔で、頷くだけだった。
「う、ん……大丈夫、よ……」
本当は、泣き出したくて仕方なかった。本音を打ち明けたかった。辛いのだと。今直ぐに全てを放って逃げ出したいのだと言ってしまいたかった。
でも、泣けない。そんなことをしてしまったら、逃げるのに支障が出てしまうし。
本音なんて、言えない。言えるはずがない。だって、何かを言ったところでどうしようもないからだ。
(きっと私達は……逃げられない)
あの、憎悪に染まった瞳を、見てしまったから。
殺意に満ちた声を、聞いてしまったから。
本能的に理解してしまっていた。
自分がここで弱音を吐こうが何をしようが、もう自分達は詰んでいるのだと。
全てが無意味だと分かっていても。まだ、コルネリウスとファングは争っているのだから……敢えて、士気を落とすようなことをする必要はないし。
それに、本音を言ったところで。コルネリウスが共感してくれるとは限らない。「大丈夫だ、問題ない。わたしがついている」なんて無責任な言葉で慰められてしまうだけな気がする。
だって今の彼は……フィオナの言葉をきちんと聞いてくれていないのだから。フィオナをきちんと見てくれていないのだから。
だから、彼に何を言っても無駄だろうと……フィオナは口を閉ざしてしまった。諦めてしまった。
「着いたぞ!」
目的地への到着を告げたファングの声に、いつの間にか下がっていた視線を持ち上げた。
やっと北門に辿り着いたらしい。フィオナの手を引くコルネリウスの歩みが少しだけ早まる。
だが……近づいて。周辺の様子が、おかしいことに、気づく。
「なんで、なんで! なんで!」
「おかしいだろっ!? なんで出れないんだよぉっ!」
「うわぁぁぁぁんっ!」
きっと南門よりは少ないのだろうけれど……それでも少なくない人数の人々が、開け放たれた門の前で泣き叫んでいる。
「ちょっと待っててくれ。様子を見てくる!」
少し離れたところにフィオナ達を待たせ……ファングが先行し、人混みの中に突っ込んでいった。
それから数十分後。顔面蒼白になった彼が、信じられないと言わんばかりの表情をしながら戻ってくる。
「何が起きていたんだ、ファング」
「………………ない」
「? ファング?」
「…………出られない……。王都から……出られなくなってる……」
「「「!?!?」」」
フィオナ達は言葉を失くす。
ぽつりぽつりと語る彼の報告をまとめると。どうやら門自体は開いているのに、そこから先に進むことができなくなっているようだ。門の内側から覗く王都の外の景色は何も異常がない。なのに、出ることだけができない。
まるで……王都全域が、閉じられているかのように……。
「…………まさか、結界?? 王都の人々を、逃がさないために……閉じ込めた??」
ハリオの呟きに、皆がハッと息を呑んだ。
まさかそんなはずは、という思いと。……あり得てしまうかもしれない、という気持ち。
確かなのは、あの竜が人間が思うよりも遥かに恐ろしい存在であるかもしれないということのみ。
「そ、んな……まさか……だって! 亜人だぞ!? アイツらは今まで! 人間に逆らうことなど──……」
コルネリウスは叫ぶ。彼の言葉にも一理あった。
亜人達は今まで、弱者だった。人間達の奴隷。立場が上だった人間に歯向かうなんて考えることもなく、ただただ人間達に搾取されるだけの家畜だった。
そんな彼らが、こうして反撃に出ていること。人間種の頂点に立つ王族は、それを他の人よりも受け入れ難いのだろう。
けれど、現実は──……この通りだ。
「なんだ。もう追いかけっこは終わりか?」
「「「「!!」」」」
聞こえてきた声に、身体が硬直する。
恐る恐る、後ろを。振り返る。
(…………ぁ……)
そこにいたのはとても美しい……人間の美貌を遥かに飛び抜けて、人外達。
彼らはにっこりと、獰猛に笑って。牙を向く。
「追いかけっこがお終いって言うなら……お前達の最後を、始めるとしようか?」
ついに……運命の時が、訪れた──。
◇◇◇◇
至る所から黒煙が上がる王都。
アルフォンスにエスコートされて王宮の正面口から堂々と外に出たカルディアは……人間どもの悲鳴に、ケラケラと笑っていた。
「あはははっ! いいね! みっともなく逃げ惑ってる! あはははははっ!」
彼女は《界》を司る竜だ。ゆえに、アルフォンスが眷属として授かった能力を応用して、この王都を世界から隔離している──空間の断裂を起こして、この王都を閉じている──ことに気づいていた。もっと簡単に言えば、人間どもが王都から出られないようにしているのだ。
これぞまさに袋の鼠。ここにいる王都の人間どもは……どこにも、逃げられない。
「さてさて……王太子どもはどちらの方に行くと思う?」
アルフォンスがゆるりと口元を緩ませながら、問いかけてきた。
隠し通路を通って王宮から逃げ出した王太子達が向かうのは、爆発が起きて人気のなくなった北側か。それとも逃げた人々が集まっている南側か。
そんなの考えるまでもないだろう。
「そりゃあ当然、北じゃない? 人が集まってるのは南だもの。人が多い方が襲撃されるって考えるのが普通でしょ? なのに、私達の裏を掻いて敢えて南! ……とか。アイツらが選ぶとは思えないし?」
「それはそうだ」
クスクス、クスクス。竜達は嗤う。
人間どもは集団を好むモノだが……流石にこの状況では人が多い方が狙われる可能性が高いと考えるだろう。だって、人が集まっていれば集まっているほど一気に殺すことができるのだから。
だから王太子達は……人気の少ない北側を目指すはず。
「という訳で……北側に向かうつもりだが。万が一、奴らが南側に向かった時のことを考えて。一応、正気のように見えてきちんと狂乱している淫魔を送り込んでみた」
「おぉ〜? なんか南側に逃げた奴らが、凄いことになっちゃいそう」
「実際になってるんじゃないか? 淫魔の精気は快楽で生じるからな。効率よく貪り喰らうために……淫蕩の宴でも開いて。その精気を、最後の一滴まで搾り取っていることだろうよ」
「あっははは! それはそれで、人間どもは幸せかもね? だって最後に気持ち良い思いをして死ねるんだもん。この王都で最も幸せな死に方じゃないかな?」
強い快楽を介して、淫魔は精気を搾り取る。確かに、気持ち良い思いをして死ねるのは幸せかもしれない。けれど、何事も過ぎたるは毒となる。
淫魔によって殺される人間達は本当に幸せなのか……?
「さぁ? どうでもいいな。死んでくれさえすれば」
けれどアルフォンスは人間どもがどんなことになろうが、どんな風に思おうが……死んでくれさえすればどうでもよかった。どんな死に方だろうが、死にさえすれば構わなかった。
「とにかく……南門の方は淫魔に任せるとして。俺達は北門に向かうぞ」
「はいは〜い」
カルディアは軽い足取りで、ステップを踏むように歩き出す。その後をアルフォンスが追う。
進んで、進んで。時々遭遇する人間を殺して。
崩れ落ちた建物を乗り越えて、飛び越えて。隠れていた人間を見つけ出して、殺す。
「ふんふ〜ん♪」
カルディアは鼻歌を歌いながら、心底楽しそうにまた人間を殺した。
相反して……アルフォンスは淡々と、作業のように人間どもを殺していった。
怒りを忘れた訳ではない。憎悪を忘れた訳じゃない。
けれど、それをこんな有象無象にぶつけてはつまらないじゃないか。どうせなら人間種全体の致命傷となる人物に、ぶつけるべきだ。
(…………あぁ)
そうこうしている内に、北門の近くにまで来た。
それなりに距離があるため、向こうはまだ竜二匹に気づいていないようだが。もう奴らは逃げられない。
(……あぁ!)
アルフォンスは嗤う。獰猛に、凶悪に。
持ち上げた口角から鋭い牙を覗かせて。細まった瞳孔が、獲物を捉える。
ゆったりと歩きながら……アルフォンスは彼らに声をかけた。
「なんだ。もう追いかけっこは終わりか?」
「「「「!!」」」」
振り向いた人間どもは、心底怯えたような顔をしていた。
きっと、今の自分達の顔はとても恐ろしいモノなのだろう。
だがそれも、仕方ない。ついにこの時がきたのかと思うと興奮が抑えられないのだから。
「追いかけっこがお終いって言うなら……お前達の最後を、始めるとしようか?」
そう言うや否や、アルフォンスは一気に距離を詰める。
標的は──……当然、セオリー通りに。弱い奴から狙っていく。
「!? 危、ない!」
勿論、隣にいる奴がそれに気づくのも想定済み。というか最初は、この二人のどちらかを狩れればいいと思っていたから……ある意味、狙い通り。
慌ててフィオナの前に立ち、防御の魔法を張ろうとしたハリオに肉薄する。
「甘いなぁ?」
至近距離でニヤリと笑いながら、アルフォンスは発動しかけた防御魔法ごと、彼を殴り飛ばす。
「ひぎぃっ!?!?」
「きゃあっ!?」
「「ハリオ!!」」
小柄な体格だったのが影響したのだろうか? 思ったよりも遥か遠くに、飛んでいった。
ハリオの身体は第三の防壁に叩きつけられる。彼の身体を中心にバキンッと防壁にヒビが入ったのだから、その威力は語らずも、だ。
「っ……!」
ぶしゃりと、彼の口から血が溢れ、そのままズルリッと地面に落ちた。
それに気づいた……民衆達が、悲鳴をあげる。恐ろしいことが起きたのだと、この場から逃げようとする。
「えぇ〜! 逃げるなんて勿体無いよ! 一緒に観客しよ?」
だが、それはカルディアによって防がれた。防がれてしまった。《界》の力でその場の空間が更に閉じられて、北門の前から誰も逃げ出すことができなくなる。
しかし、内側からは出れないが……外からは別だ。だって、近いからという理由でまだ北門にくる人間はいるだろうし。獲物は増えれば増えるほど都合が良い。
それに──……。
「ほら、楽しいタノシイ復讐劇だよ?」
人間どもの運命が決まる瞬間を見届けた彼らは……どんな絶望を抱くのか?
「皆で仲良く観劇しようね!」
カルディアは好奇心全開の笑みを浮かべながら、阿鼻叫喚する人間達に楽しげにそう語りかけた。




