《最後の竜》の復讐劇( Ⅳ )
コルネリウスの姿に外見を偽ったタンザは、第二防壁を超えて……第一防壁に辿り着いていた。
だが、その光景を見た瞬間──彼の顔は否応なしに引き攣ってしまう。
「こ、れ、は……」
南門には民達が、王都の住人達が集まっている。
彼らは泣き叫びながら、王都の外へ出ようと……藻搔いていた。
(一体、何が……)
タンザはジッと、門を見つめる。
左右に開く扉は確かに外側に向かって開いている。その先には王都の外。内側から続く道が続いており……何も変わったところはない。
なのに、人々は外に出ることはできていない。〝何か〟に阻まれている。
「……殿下? 殿下ではございませんか!?」
立ち尽くす彼に気付き、桃色の髪を靡かせた美丈夫が駆け寄ってきた。
そこにいたのは学園で特別授業の講師を勤めてくれたこともある……筆頭王宮魔法使いのフランツ・ハイマーだったのだ。彼は側に来るや否や軽く目を見開き、驚きの声を漏らす。
「…………!? 貴方、は……」
彼はどの実力者だ。遠くからでは分からなかっただろうが、近づけば彼が王太子ではなくその側近であると分かってしまったのだろう。
しかし、ここで正体をバラされてしまっては困る。タンザは軽く首を横に振って、目で黙ってくれるよう訴えかけた。
「…………」
どうやらその訴えは上手く伝わったらしい。フランツは何か事情があるのだろう……と言わんばかりの顔をしてから、小さく頷く。
タンザはそれにホッとしながら、現状を彼から聞き出すことにした。
「報告を。一体、何が起きている?」
「分かりません……。急な爆発が王都を襲い……人々はここ、南門を目指しました。しかし……門は確かに開いているのに、王都の外に出ることが叶わないのです」
「出れない、だと?」
「はい。まるで見えない壁……そう、結界があるかのようで……。状況からして、王都を襲撃して犯人が何か細工をしたとしか思えません」
状況から考えるに、その予想はかなり的を射ていると思う。実際にタンザもその可能性が高いだろうと考えた。
相手は人間ではない。亜人──竜だ。王都から人間達を逃さないように閉じ込めるぐらい、容易いはず。
「……殿下の魔法であれば、可能性はあったかもしれないのですが」
ぽつりと、周りに聞こえないぐらいに小さな声でフランツが呟く。
王族の魔法は格別だ。同じ魔法でも倍以上の効果を、力を有している。
「…………つまり……ハイマー卿の魔法でも、その結界を壊すことは出来なかったということか……」
この場で最も優れた魔法使いがそう言うということは、王族でなければこの状況を打破できないということでもある。
それもそうだろう。王都は今、世界から隔離されているのだから。《界》を司る竜の力を用いて、空間に断絶を生じさせているのだから……人間風情がその空間の断絶をどうにかすることなど、できるはずがない。
「……いや、だからと言ってここで手をこまねいている訳にはいかない。ひとまず、同じ魔法を一点に集中してぶつけ、突破を試み──……」
「まぁ。そのようなつまらないことを試みるよりも……わたくしと一緒に、楽しい時間を過ごしませんこと?」
「「!?」」
タンザとフランツは聞こえてきた甘ったるい声に、慌てて振り向いた。
王都の中心の方からゆったりとした歩みで現れたのは……酷く扇状的な、肌が透けて見えるほどに薄いレースのドレスを纏った美女。
弧を描く濃紫色の髪。瞳孔がハート型の、人外を示す濃桃色の瞳。女はこの場に似合わぬ夜の香りを纏いながら、近づいてくる。
それよりも更に目を引くのは……その左右のこめかみから生えた羊のような巻き角と、悪魔を思わせる羽根と逆ハートの先端が特徴的な尻尾。
「お、前は……陛下の愛妾……!?」
タンザは驚きながら叫ぶ。
間違いない。姿は異形に変われど……そこにいたのは、その美しさと性の手練手管を用いて、下級貴族の愛人から国王の愛妾まで上り詰めた女だった。
けれど、タンザの記憶にある彼女とは明らかに様子が違う。勿論、外見が違うのは当然の話であるが……タンザが感じているのは雰囲気の、方の変化だった。
彼が彼女と顔を合わせたのはたった一回だけであったが……それでも充分、目の前にいる女は、ただ男に愛されるしか能のない馬鹿な女であったと思わせられるような教養を受けていない人間特有の振る舞いをしていたのに。
なのに今ここにいる女はどうだろうか──……?
明らかに、洗練された、品性を伺わせる。小賢しい、女の顔をしている。
そんなタンザの心の声を察したのか……女──淫魔のサルビアはクスクスと彼を嘲笑う。そして、答え合わせをするかのように……わざわざ丁寧に教えてやった。
──その愚かさを、自覚できるように。
「うふふ。驚いていらして? それはそうでしょうね。以前、貴方とお会いした時は……愚かなフリをしておりましたもの。だって、その方が情報収集が容易いでしょう?」
「!?!?」
「房中術も立派な諜報の手段だと、貴方は教わりませんでしたの? お・馬・鹿・さ・ん」
「っ……!! 貴様ぁ……! わたしを馬鹿にするつもりかっ……!」
タンザの顔が赤く染まる。怒りに歪む。
諜報員が房中術を用いるのはよくある手だ。サルビアの言っていることは、正しい。
だが、彼女が正論を言ったことよりも……優秀な自身の知能を馬鹿にされたことの方が。己が知性を嘲られたことの方が、タンザは遥かに許し難かった。怒りを抱かずにはいられなかった。
しかし……これを馬鹿にせずにいられるだろうか?
こうも容易く言葉で煽られて。こうも容易く周りを見る余裕がなくなるのだから……これを愚かと言わずしてなんと言うべきだろう?
サルビアは愚か者を、嘲らずにはいられない。
「ふ、ふふっ……」
淫魔の笑い声に、先に違和感を覚えたのはフランツの方だった。
「……っ!? 殿下!」
「!? ………なっ!?」
腕を引かれたタンザは、周りを見て言葉を失う。
誰も彼もが恍惚とした表情でサルビアを見つめていた。中にはビクビクと震えて、如何にもな反応を見せている者もいる。
「こうも容易く、わたくしの言に踊らされて。周りの異常に気づかないのですもの。……まぁ、多少意識がわたくしの魅了で、多少はこちらに集中するように小細工はさせていただいておりましたけれど。それでもやはり、お馬鹿さんと言わずにはいられませんわ」
「お前っ、何をっ!?」
「おほほほっ、おほほほほほっ。自身の知識に誇りを持っていらっしゃるのでしょう? わたくしに聞かないで、自分で考えなさいな」
──ぶわりっ……!!
サルビアの身体から、甘ったるい匂いが溢れ出す。それは、淫魔が放つ濃密な色香だった。
「あぁぁぁぁぁんっ!」
「ふぐぅぅぅぅうっ!」
「あははは、あへへへへへへ!」
「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
淫魔の色香を嗅いでしまった人々が、嬌声をあげる。凡ゆる液体を垂れ流しにしながら、アハアハと異常な笑い声をあげる。
そして彼らは唐突に、互いに互いを貪り始めた。
──同性・異性関係なしに。はしたなく、貪り合う。
「な、なっ……」
その悍ましさに、タンザは後ずさった。
外であるということも構わずに。慎ましさも何もなく、獣のように睦み合う人々の姿に……異常な光景に、恐怖を覚える。
「わたくしは淫魔。淫蕩と性を貪る魔のモノ」
──ピクリッ。
サルビアの声に反応するように、一部の男女がゆったりとタンザとフランツの方を向いた。
濁った瞳はタンザ達はただの獲物として映っていない。
逃げ出したいのに。門は倒れず。周りは異常な人々に囲まれ、王都に繋がる道は淫魔に不塞がれてしまっている。どこにも逃げ場が、ない。
「そんなわたくしが貴方がたに与えるべき死は……やはりふ・く・じょ・う・し──が相応しいと思いませんこと?」
「ヒッ!!」
華奢な平民の女だというのに、異様なほどに強い力で腕を掴まれた。
慌てて魔法で蹴散らそうとするが、ガツンッと頭を殴るように。甘い匂いがタンザを包み込んで、身体の自由を奪う。動けなくなってしまう。
(いや、だ……嫌だ嫌だ、イヤ、だっ……! 彼らのようにっ……なりたくない!!)
タンザは宰相の息子として、賢きことこそが誇りと育てられた。つまり、彼らのように……理性を失い、獣に堕とされることが何よりも恐ろしい。
ゆえに、助けを求めてフランツの方を見たのだが。見なければよかったと、直ぐに後悔することになる。
「ひ、ひひっ」
フランツは頬を真っ赤にしながら笑っていた。
涎を垂れ流しにして。濁った瞳で、タンザを見つめていた。
(あ、ぁ、あぁぁぁぁぁっ……! そんな……! そんなっ……! 誰か、助け──)
淫魔に理性を奪われた獣は、立ち尽くすタンザに手を伸ばして──……。
「さぁ、淫蕩の宴を始めましょう。死ぬまで、気持ち良い夢に溺れなさいな」
その言葉を最後に、タンザの意識は目に痛いほどの桃色に染められあげた──……。




