《最後の竜》の復讐劇( Ⅲ )
隠し通路から王宮を脱出した王太子コルネリウス一向は……隠し通路の出口──貴族街にある時計台地下室に、辿り着いていた。
「…………皆、無事か」
コルネリウスの問いかけに、皆は薄暗い面持ちで頷く。
空を見上げればあちらこちらから上がる黒煙。更にはさっきよりもはっきりと聞こえる悲鳴と破壊音。
今はまだ王宮では、爆発による被害はなさそうだが……それも時間の問題だろう。
王都全域が襲撃を受けている──……それは火を見るよりも明らかな事実であった。
「…………竜。……つまり、この襲撃の犯人は……亜人、なのか」
この襲撃の犯人らしき、あの美しい人の姿をした竜達を思い返す。
まさか公爵令嬢と公爵家侍従、二人と入れ替わっているだなんて……思いもしなかった。
…………いや。確かに、少し前にケイトリンに対して多少の違和感を覚えたことはあったが……。それでも竜と入れ替わっていただなんて、想像できるはずがない。
それに……こんなにも大胆なことをしでかすとは。思いもしなかった。
…………復讐、だなんて。
「とにかく……王都を脱出しよう。このままここにいては、危険だ」
色々と話したいことがあった。だが、今は逃げることを優先すべきだ。
このレメイン王国の王都は、他国からの侵略に備えて……三つの防壁が建てられており、その防壁を越えるには東西南北それぞれの方角に設置された門を潜らなくてはならない仕組みになっている。
王宮を囲う第三の防壁から出られるのは北の門のみ。貴族街と商業区域を隔てる第二の防壁は東門と西門。王都から脱するには、王都全域を囲う第一の防壁にある南門と北門のどちらかを使うしかない。
敵から攻め込まれるのを守るための仕組みが、脱出を困難にしているのは明らかだったが……コルネリウス達にはどうしようもない。隠し通路を使ったことで第三の防壁を既に越えていたことが唯一の救いかもしれない。
とにもかくにも──……この場に留まることだけは絶対に避けねばならなかったため、コルネリウスは早速、行動を開始した。
「ひとまず、第ニ防壁に向かいましょう。問題は東門と西門、どちらに向かうかですが……」
「…………黒煙は、どちらが多く上がっている?」
「ちょっと待っててくれ」
そう言ったファングが警戒しながら、地下室から地上に繋がる扉の方へ向かう。時計台は見張り台としての役割もあるため、上に上がれれば王都全体の様子を確認できるだろう。
実際に数分後──外の様子を確認してきた戻ってきたファングが、王都の状況を報告してくる。
「気持ち、北西側の方が黒煙が多めだった」
「北西……となれば、南東。東門の後に南門か……」
「…………東門を潜ることは賛成しますが、第一防壁では南門ではなく北門から王都を脱することを進言させていただきます」
「!? ど、どうしてですか!? タンザ様!?」
フィオナが驚いたようにタンザに問いかけるが、その気持ちはコルネリウス達も同じだった。
しかし、その提案を出した本人は確かな自信があるように答える。
「北西側での爆発が多いということは、そちら側に住んでいる王都の住人達も反対側に逃げていることでしょう。つまり今、王都の南東側に人が集まっているはずなので……脱出に時間がかかってしまう可能性が高いです」
「……つまり、速やかな脱出のために人混みを避けるってことか? でも、人が少ないところを移動すると、逆にオレ達が目立つことにならないか?」
「ファングの懸念も最もですよ。けれど、王都全域を攻撃したということは奴らの標的は我々だけでなく人間全てだと思われます。ならば人をある程度集めてから……一気に始末した方が効率的だと思いませんか?」
「…………成る程。そういった危険もあるということか……」
要するに……タンザは、この爆発が人を一箇所に集めるための陽動である可能性を、考えたのだろう。
「それに人が多過ぎれば逸れてしまう可能性もありますし、人の流れが詰まってしまうと互いに圧迫されて窒息死してしまう恐れもあるそうです」
「……そんなことが?」
「えぇ。……とはいえ、あくまでもこの危険は起こり得る可能性があるというだけで、実際に起こると断言することはできません。よって、どの方角の門を使うか──……その判断は我らが主人、コルネリウス様にお任せします」
皆の視線がコルネリウスに集まる。
人混みに紛れて目立たぬように、時間をかけて脱出するか。
目立ってしまうけれど速やかに脱出することを優先するか。
危険と利益、不利益を考慮し……コルネリウスは考える。選択を、する。
「…………東門の後、北門に向かう」
王太子が選んだのは……北門。
ピンポイントでの襲撃を受ける恐れはあれど、迅速に王都から脱出することを選んだ。
「ファングの懸念も分かるが……それ以上に南門に向かう不利益の方が多いと判断した。……反対意見はあるか?」
「…………いえ。殿下のお心のままに」
本来ならば王族として、逃げ惑う民達を助けてやらねばならないのだろう。動揺する彼らの前に姿を見せ、声をかけ、落ち着かせてやらねばならないのだろう。
だが、コルネリウスは王太子だ。将来、この国を導く存在だ。
国王もこの状況下では王都を脱出しているだろうが……最悪の想定、というものをしておかなければならない。ゆえに、コルネリウスは生き延びる必要があった。
もしも国が墜ちようとも、王族が生き残っていれば。民を率いることができるのだから。旗本として、国を立て直すことができるのだから。
そのためにも、彼はなんとしても生き残らなくてはいけなかった。例え、ここにいる側近達を犠牲にしようとも……。
だからどんな手段を使おうとも……コルネリウスは生き残らなくては、ならない。
そんな王太子の覚悟を、感じ取ったのだろう。タンザは小さく息を吐いて、顔を上げた。
「では、殿下。大変失礼ながら、上着の方を交換しても?」
「…………タンザ?」
「陽動のために、わたしは殿下のフリをして……南門に向かいます」
「「「「!?」」」」
彼の言葉に、コルネリウス達は息を呑む。
言葉の意味を問いかける前に、本人がその真意を明かす。
「あの、イかれた竜が貴方様を狙わないとは限りませんから。少しでもできる対策をしておいた方がいいでしょう? それに……殿下が民達の前に姿を現せば、民達と心強いでしょうし。王太子が共に行動していると思えば、民達の心も王家から離れていくことはないでしょう。きっと、王家が民達を見捨てた──だなんて。逆恨みするようなこともなくなるかと」
コルネリウス達を少しでも安全に流すために……タンザは王太子のフリをして、囮になるつもりのようだった。
そして……この危機を脱した後の問題事──民達が王家に怨みを向けることがないように──が起きないようにと……コルネリウスの未来のことも考えて、身代わりをするのだと。タンザは告げる。
「…………タンザ」
だが、それはとても危険な選択だった。
先ほど彼本人が言ったように、南門は人が集まっているはずだ。南門を襲撃すれば一気に人間を始末できてしまうため、敵が攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。つまり、タンザは最も危険な死地に……赴くことなくになる。
それを分からない彼ではないはずなのに。タンザは穏やかに笑いながら上着を脱いで、コルネリウスに差し出す。
「……大丈夫です。そう易々と死ぬつもりはありません。案外、襲撃を受けるない可能性もありますし。受ける前に王都を抜け出すことができるかもしれませんから」
「だがっ……」
「殿下。貴方は生きなくてはならないのです。貴方様さえ生き延びてくれれば、この国は滅びません」
「っ……」
王太子達は沈痛な面持ちで黙り込む。しかし、反論することはできなかった。彼の言葉は正しかったからだ。
「…………すまない」
コルネリウスも上着を脱いだ。震える手でタンザに差し出し……反対に彼の上着を受け取って、身に纏う。
「《水よ。水よ。水よ。清水の守り手よ。我が呼び声に答えよ。揺らめく霧雨で、我が姿を偽り給え》」
タンザが魔法を発動させると、霧雨が彼を包み込み……コルネリウスの姿となる。とはいえ、これは水の反射を用いて違う姿に見せているだけであるため、もし直接顔に触られでもしたら容姿が違うことは容易くバレてしまうだろう。だが、これでも陽動を務めるには充分。
「ファング、ハリオ。お二人の護衛、よろしくお願いしますね」
「……あぁ」
「……うん」
「フィオナ様もお気をつけてお逃げください」
「…………はい」
ファング、ハリオ、フィオナは悲しげな顔をしながらも、頷く。頷く他、ない。
「殿下。コルネリウス様」
「タンザ……」
「……さよなら。どうか生き抜いてください」
タンザはコルネリウスに深々と頭を下げて、それ以上は何も言わずに背を向けて時計台から出て行った。
呆気ない別れだった。だが、その場に残された誰もが分かっていた。
これ以上言葉を交わすと……動けなくなってしまうから。死ぬかもしれない恐れから、身代わりを務めあげられなくなるかもしまうから。
だからタンザはこんなにも呆気なく、別れたのだと──。
「……行くぞ。タンザの貢献を、無駄にはしてはいけない」
コルネリウスの、痛みを堪えるような声に、三人は静かに頷き……一行も時計台を後にする。
だが、彼らは知らなかった。
……タンザの犠牲は、意味がなかった──無駄であったということを。
例え、第二の防壁を越えることができても……王都から出ることはできないということも──。
本当の絶望はこれからなのだと……。
何も、知らなかった。




