幕間 貴女は悪役令嬢。けれど本当の悪役は──間違うことなく〝オレ〟だろう。
ほどほどに長めです。
ep.65の真相編?というか、アルバート視線になります。胸クソというヤツかと。
なんせ書いてて島田もびっくりしましたからね。
「お、おま……マジかよアルバート……」ってなりました。
(なんで本書きすると、登場キャラはこんな好き勝手に動いていくんでしょう……。本当謎)
そんなわけで。苦手だな、っと思ったら読まぬようにしましょう。
いつもの合言葉は、【自衛大事!!】です。
ではでは、よろしくどうぞ〜
分かっていた。主人の中で自分は、気にかける存在ですらないと。ただの従順な下僕、便利な道具としか思っていないことを。
だからだろうか? いつからかこう、思うようになっていた。
この女を自分と同じところまで堕としてしまいたいと──……。
そう、アルバートは思うようになっていたのだ。
アルバートには、自分が汚れているという自覚があった。
何故なら、彼の生家は表向き、代々マジェット公爵家なら仕える使用人一家ではあるが…… 裏ではマジェット公爵家のために汚い仕事を引き受ける役目を負っていたからである。
どこの世界にだって、清廉潔白な貴族なんていない。少なくとも、表向きは健全に見えるマジェット公爵家だって……裏では独自の情報網を有し、何十人もの諜報員達に表沙汰にはできないようなことをさせている。
…………当然のように、アルバートもそうだった。幼い頃からその手を汚してきた。
ある程度の年齢になって、諜報員としての技量を有するようになった頃から、公爵令嬢の専属侍従を務めるようになった──ケイトリンが王太子の婚約者となったため、護衛が必要になったという理由もある──が。彼女が王家に嫁いだ後は再度、マジェット公爵家の諜報員として働くようになる予定だった。
つまり、ケイトリンの側に入れるのは初めから期限付きだったのだ。
それに……アルバートは汚れ切っている自分では、未来の国母となられるケイトリンの側には長くいれるはずがないと分かっていたし。いつからか抱くようになった──いつからか歪んでしまった──恋情と呼ぶには汚過ぎるこの想いは叶わない──……叶えてはいけないと、そう自制していたのに。
そんな中で起きてしまった、事件。
或いは、転機。
あの日、学園の入学式で。彼女は近い未来、自分が婚約者に殺されることを知った。殺された記憶を思い出した。それが運命を変えた。
死を恐れたケイトリンが選んだのは……自分の身代わりを立てて、自分は違う場所に逃げてしまうこと。
それも都合が良いことに、逃亡のためにアルバートを利用することにしてくれたのだ。
…………それがどんな悪手であるかも知らずに。
……好機だと思った。ケイトリンを、誰の手も届かない場所に連れ去ってしまえると。誰の助けも得られぬ内に、自分の思い通りにできてしまえると。
高貴なその身を、汚泥が広がる底辺まで引きずり堕として。自分が触れても問題なくなるまで穢してしまう……元の世界に戻れなくなる、絶好の機会だと思ってしまったのだ。
そう、思ってしまったら……我慢なんて、できるはずがなくて。途中で誰かにバレて止められるかもしれないと思いながらも……アルバートは動き出さずにはいられなかったのだ。
けれど、異界の竜からの思わぬ手助けもあったおかげで……。
アルバートの策は……成功した。彼女をレメイン王国から、マジェット公爵家から、その立場から連れ出すことに成功して、しまったのだった。
一度でも成功してしまえば、止まることなんてできるはずがない。もっともっとと、望んでしまうのが人間というもの。
…………だから彼は自分のために。自分の欲望を叶えるために。
──ケイトリンを、地獄に堕とした。
◇◇◇◇
蒸し暑い空気に包まれた砂漠の夜。貧困の激しいムスクヴァ共和国では目立つ、絢爛豪華な宮殿のような屋敷にて。
応接間──この国では応接室ではなく……小規模な広間にカーペットを敷き、その上に座り応接するのが主流だ──に置かれた豪華なカウチにゆったりと寝そべった男が、呆れたように呟く。
「にしてもホント……ひっどい男だよなぁ、お前さんはよぉ」
艶々とした金髪と紅玉の瞳を有し。エキゾチックな褐色の肌に腰布を巻いただけという、だいぶ色気溢れる格好をした男──ムスクヴァ共和国一の大商会の頭目を務めているジュナ・ラーヴァは……愛する女を罠に嵌めたアルバートに向かって、〝この碌デナシめ〟と言わんばかりの視線を向けている。
だが、そんな視線を向けられている本人はどこ吹く風といった面持ちで……それどころかにっこりと綺麗に笑って、その言葉に返事を返した。
「おや。貴方がそれを言いますか? わたしの策にのって彼女の〝初めて〟を貪った癖に」
「いやいや。いやいやいや! お前さんが先に進めてきたんだろうよ。……なんだっけ? 自分が一番初めに手垢を付けるのは許されないだったか? 受け入れられないだったか? ……まぁどっちでもいーが、とにかく! あのお嬢ちゃんの初めてを奪うのは自分じゃなくて、他人じゃなきゃあ駄目。でも、知らねぇ奴に汚されるよりは知ってる俺様の方がマシ──……だとか。そ〜んなことを言ったのはどこの誰でしたっけねぇ?? アルバートくぅん?」
そう……アルバートは汚れ切った自分が綺麗な彼女に触れるために、策を巡らせた。彼女を苦しませることになると知りながら、地獄に堕とした。
かつての伝手──ケイトリンが共和国産の宝石装飾品を欲しがった時にジュナの商会と縁を持つことになった──を辿って、辿り着いたムスクヴァ共和国。この国はレメイン王国と違って生活水準が低く、文化も祖国とは致命的なぐらいに違う。
ゆえに、優雅な暮らしを送っていたケイトリンが、ここでの暮らしに根を上げるのは時間の問題だった。…………まぁ、そうなるようにアルバートがワザと気を回さない──とはいえ、この国の平民の暮らしよりは良い生活をケイトリンはしていた──部分もあったのだが。
とにもかくにも。ケイトリンが自分に見切りをつけることを。こんな不遇な暮らしを教養する下僕をケイトリンは捨てるであろうことを。アルバートは予測していた。
その予想は的中して、彼女は何も言わずに家から出て行った──。
…………この国ではそれがどんなに危険なことも知らずに。
ムスクヴァ共和国では、女性はそう簡単に外を出歩かない。出歩くとしても女性一人なんて以ての外だ。
何故なら、この国の男尊女卑の傾向が強く……女性は立場が弱いため、犯罪に巻き込まれ易いからだ。
それに、この国では〝人間の〟奴隷売買が行われている。女性は特に性奴隷として高く売れるため、狙われる。それをこの国の女性達は嫌と言うほど理解しているから、滅多に外には出ないし、一人で出歩こうともしない。
だが、ケイトリンはそれを知らなかった。それもワザと教えなかった。
それに、珍しい白い肌を晒してたった一人で出歩いていたのだ。彼女はとても目立っていたし、あんまりにも無防備なものだから。破落戸どもから目を付けられるのは必然であった。
きっと、アルバートがジュナに頼んで手配してもらった手下達が陰から守ってくれていなかったら……彼女はジュナに出会う前に人攫いに遭って、奴隷商に売られていただろう。
でも、そうはならなかった。アルバートが手を回し、目の前にいる男とケイトリンが接触するように仕向けたから……。彼女はアルバートの策に踊らされ、見事に地獄に堕ちてくれた。
目の前にいる男に犯され、この男の管轄下にある娼館に売られ、娼婦として沢山の男に抱かれて。アルバートが触れることを躊躇わなくなるぐらいに汚れ切ってくれた。
これも全て……彼の協力があったおかげ。それは間違いない。
だからアルバートは心からの感謝を込めて……ジュナに深々と頭を下げた。
「えぇ。でも、そのおかげで……ケイトリンに触れられるようになりました。だから……貴方には感謝してます、頭目」
「…………」
一人の女を自分と同じところまで引きずり堕とすために。愛した女を娼館に堕とした男は……本気で、彼の策に手を貸したジュナに感謝している。
それが商人としての観察眼で分かってしまったジュナは苦い物を食べてしまったような顔をすると……大きな溜息を零しながら、サイドテーブルの上に乗っていた麦酒が入ったグラスを手に取った。
「…………。ハッ……異国の美人を抱けんならって、お前の策に乗って据え膳食っちまった俺様が言うのもなんだが……。ホント、あの嬢ちゃんは可哀想だよ。こんな、屈折し切ったイカれ屑野郎に惚れられちまってさ」
ジュナは自分が屑であることを自覚している。酒、女、煙草が大好きな……どんな商品──人身売買や武器、麻薬など──だろうと金になるなら、なんだって取り扱う人でなし商人である。
しかしそれでも。この男よりはマシなんじゃないかと思わずにはいられない。
自分の手で好いた女を他人に犯させて、娼館に売って。心身共に弱り切ったところを救い出す。そして、自分に依存させる……。なんてイかれた自作自演をするような奴なのか。
──同じ底辺の人間でも。どっかが壊れているコイツよりは……自分の方が遥かにマシだろうなと、ジュナは思わずにはいられなかった。
「ふふふっ。そろそろお暇しますね、頭目」
「おぉ、帰れ。帰れ。お前と話してっと気分がクソ悪くなる」
「えぇ、そうします。きっとケイトリンが一人ぼっちで、不安がっているでしょうから」
「んなこたぁ俺様は聞いてねぇの! 無駄口叩いてる暇あんならとっとと帰んな!」
どうやら自分との会話で疲れてしまったらしい。
犬猫を追っ払うかのように手をシッシッと振られ……とっとと失せろ。直ぐに失せろと帰りを促されてしまった。
アルバートは彼に一礼をしてから……ジュナの屋敷を後にする。
外に出るや否や、熱せられた空気が頬を撫でた。雲一つない空には満天の星が輝き、灯りの乏しい地上を月明かりが煌々と照らしている。
遠くから悲鳴が聞こえた。それに、聞くに耐えない怒声と罵声、更には打撃音。
きっといつものように強者が弱者を嬲っているのだろう。この国は知性ある人間達が暮らす国だというのにその本質は、弱肉強食。強者が優遇され、弱者は冷遇される……弱い者が悪いという風習の、獣達が暮らすような野蛮な国だった。
でも、だからこそ──アルバートはこの国を、心地良く思う。
力が全てということは、力さえあればどうにでもできる。〝なんだって叶えることができる〟ということなのだから──……。
家に帰ってきたアルバートは、薄暗い玄関口で服についた砂埃を払ってから、台所に向かう。
この国では裕福層しか持てない保冷庫──寒暖差が激しいこの国では、食べ物が直ぐ悪くなってしまうため、気温を一定に保つ家具には需要がある。しかし、高級品であるため、金持ちしか持つことができない──の蓋を開けて中を見たら、昼食にと用意していた食事には一切手がついていなかった。
だが、ある意味想定していたことなのでアルバートは特に気することもなく。蓋を閉めて、静まり返った室内を進む。
廊下の突き当たりの部屋。彼は外に繋がる扉から最も離れた位置にある部屋の前に立った。
三回ノック。返事はない。勝手に扉を開けて、部屋の中に入っていく。
カーテンを閉め切り、重苦しい闇に包まれた室内を慣れた様子で歩き、サイドテーブルの上に置かれた洋燈に灯りを点ける。
「う、ぅ……」
光が顔に当たって眩しかったのか、ベッドの上の塊──横たわったケイトリンが呻き声をあげた。
アルバートはジッとその様子を見つめていたが……暫くしてからその肩を掴んで、声をかける。
「起きてください、ケイトリン様」
「…………う、ぁ、……」
強めに揺すっても目覚めない。それどころかどんどん険しい顔になっていく。どうやら悪夢を見ているらしい。
アルバートは少し考えて……ワザと乱暴な言葉を使って、彼女を起こす。
「…………起きろ、ケイトッ!!」
「ヒッ!?」
荒い声で、怒鳴るようにケイトリンを起こしたら、彼女は勢いよく飛び起きた。虚な瞳が、濁って瞳が辺りを見渡す。目の前にいる男に気づいて彼女は、ハッと息を呑む。
そして、慌てた様子で深々と……ベッドの上で土下座を、する。
娼館に堕ちる前だったら絶対にしないだろう行動を、彼女は行ったのだった。
「申し訳ありません、お客様っ……! お客様を出迎えず寝過ごすなどっ……!」
「…………ケイトリン様」
「お許しください、お願いですっ……どうか、どうかっ……! 殴らないでっ……!」
「…………ケイトリン様っ!! 起きてください、ケイトリン様っ!!」
アルバートは彼女の両肩を掴んで、自分の方を向かせた。
そして、心の底から貴女を心配しているのだと言わんばかりの表情で焦点の合わない橙色の瞳を見つめ続ける。
「………ぁ」
やがて、彼女の瞳の焦点が合う。
目の前にいた男がアルバートだとやっと認識できたようで、彼女は愕然と言葉を失う。
そんな彼女に彼は、安堵したような笑みを浮かべてみせる。
「お目覚めになりました、ケイトリン様」
「…………わたく、し……」
「どうやら寝惚けていらしたようですね。わたしは客ではありませんし、ここはあの場所でもありません。貴女様とわたしが暮らす家です、ケイトリン様」
「…………」
ケイトリンが呆然としながら、顔を持ち上げる。辺りを見渡してやっと、自分があの娼館にいるのではなく……アルバートが用意した家にいるのだと思い出したらしく、詰めていた息を吐く。
「…………そう、だ……った……わたくしは、もう……」
「えぇ。わたしが、貴女を救い出しました。この家に連れ帰らせていただきました」
「……わたくし……は、もう…………」
「……まだ休養が必要のようですね。それもそうですよね。本来ならばケイトリン様が経験するはずもないことを経験してしまったのです。その心の傷はとても深いことでしょう。ですから、どうか。どうかゆっくりと……その、心の傷をお癒しください」
「アル、バート……」
「けれど、分かっています。ケイトリン様がこの家から出て行かれたのは……この家がお嫌だったからなんですよね。だから、貴女様は〝外〟に出て行かれて──」
「ヒッ……!! 嫌っ、イヤァッ!!」
ケイトリンが〝外〟という言葉を聞いた瞬間──一気に錯乱し始めた。ガクガクと震えながら嫌だ、嫌だと叫び続ける。
……自身の意思で外に出てしまったがばかりに、あんな目に遭ったからか……どうやら、〝外に出ること〟が心的外傷になっているようだ。
……アルバートは自身の失態を反省する〝演技〟をしながら、謝罪の言葉を口にする。
「……失礼、しました。大丈夫です、ケイトリン様が望まぬのならば連れ出したりなどしませんから。申し訳ありません、余計なことを言いましたね。今は療養に専念しましょう。いつまでもわたしが、支えますから」
「…………いやぁ……いやなのぉ……」
「大丈夫。わたしは貴女だけの、味方。貴女を絶対に守りますから。だからどうか……心配しないで。ケイトリン様」
「いやぁぁぁ……! もう、いやぁぁぁ!」
泣き叫ぶケイトリンを、アルバートは抱き締める。強く強く抱き締める。
あの娼館から救い出して早くも一週間が経つ。けれど、日に日に彼女は不安定になっていく。壊れていく。
それは……その心は今だに、あの場所──娼館に囚われているからなのかもしれない。或いは、救われてしまったからこそ、恐怖を押さえ込むことができなくなってしまったのかもしれない。心に負った傷の痛みを、誤魔化せなくなったのかもしれない。
だが、今の状態の方が、アルバートにとって都合が良かった。
だって、不安定な方がやり易いのだ。意識がはっきりしていない方が、歪ませ易いのだ。もっと簡単に言ってしまえば……洗脳や催眠がかかり易い。
正気を取り戻す前に、歪ませ切ってしまわないと。
自分に依存するように。信じられるのは自分だけなのだと錯覚するように。ワザと恐怖を煽って、宥めて、辛いことを思い返させて、抱き締めて、不安を抱かせて、安心させて……彼女の世界を、アルバートだけにしてしまうのだ。この家しか安全な場所は存在しないと、思い込ませてしまうのだ。
そうすればケイトリンはもう二度と……どこに行けなくなる。
──ずっとずっと、アルバートの腕の中。
「ケイトリン様。わたしはここにいます。貴女の、側に」
ケイトリンは確かに、悪役令嬢だったのだろう。
人を見下して、自分より立場が下な者達を消耗品扱いしていた。傲慢で強欲な、女だった。
けれど本当の悪役は彼女じゃない。ケイトリン・マジェットは、真の悪役なんかじゃない。
この物語の、本当の悪役は──……。
悪役令嬢を手に入れるために恐ろしい竜すら利用してみせた欲深き男──アルバート。
彼こそが、この物語の本当の悪役。
(……愛してる、ケイトリン)
愛した女を手に入れるために、愛した女を壊した男は彼女にその顔を見られていないことをいいことに。
それはそれは邪悪な笑みを。壊れた竜達に負けず劣らずな、醜悪な笑みを浮かべていた……。




