イベント・避暑地での襲撃( Ⅱ )
「…………アル、バート」
思わぬ人物による襲撃に、コルネリウス達は固まっていた。
今だに握られたままの刃先。頬を伝う涙。血と涙がポタポタと、海に落ちていく。
アルバートは苦しそうな顔をしながら、小さく呻く。
「は、や、く……拘束、し、てくだ、さ……」
本人からの申し出にハッと我に返った。
「…………ふぅ、ふぅふぅ……《闇の使徒よ》」
砂浜に倒れたままの、今だに苦しそうなハリオが今度こそ、闇魔法で作り出した鎖で刺客を拘束した。
彼は鎖から逃れようと暴れるが、それは本人の意思ではないらしい。心底安堵したような顔で、涙を溢している。
「アルバート……お前は、何故このようなことを……」
「…………」
アルバートは何度も口を開閉して、やがて諦めたように目を伏せる。察するに、その問いかけに答えたくても答えられないようであった。
それを見たコドがこそりっと、殿下に耳打ちをする。
「…………殿下。どうやら余計なことを話さぬよう、制限をかけられているようです。まずは魔道具を外してやるのが先決かと」
「…………分かった」
コドの商会では魔道具を主に取り扱っている。ゆえに、アルバートの首に嵌められた魔道具の効果も誰よりも知っているのだろう。
彼の進言に頷いたコルネリウスは、心配そうな顔をするフィオナの肩を抱きながら、皆に指示を出す。
「ひとまず、コテージに戻ろう。詳しい話はそれからだ」
その提案に反対する者は、誰一人としてその場にはいなかった。
──ガチャリ……。
海辺のコテージに戻って直ぐ、コルネリウスはアルバートの首に嵌められた《隷属の首輪》を外した。
重たい音を立てて床に落ちる魔道具。それを見たアルバートは憤怒の色に顔を染めると、大きな声で怨み辛みを叫び出した。
「あ、ぁ、ぁぁぁぁぁ! 何故! 何故! 何故!! 何故なんですかっ、お嬢様! あんなにも尽くしていたというのに! なんで! このような仕打ちを! するんだっ!!」
「アルバート……」
「ふざけるな! ふざけんなよ、クソがぁぁぁ……!」
ドンドンと床を拳で叩きつけて。アルバートはかつての主人への呪いの言葉を吐き連ねる。
あまりにも普段の彼とは様子と違うその姿に、コルネリウス達は息を呑む。
それほどのことを、彼の主人──ケイトリンがしでかしたのだろう。《隷属の首輪》を嵌められている時点で、察する他ない。
はっきり言って今のアルバートに声をかけるのは躊躇われる。しかし、このままでは話が進まないと……コルネリウスは意を決して、彼に話しかけた。
「……アルバート。落ち着くのだ、アルバート」
「…………ぁ……殿下……」
「再度お前に問う。嘘偽りなく答えよ」
「……はい」
ほんの少しだけ迷ったように視線を彷徨わせながらも、直ぐにケイトリンの仕打ちを思い出したのだろう。真剣な顔で頷く。
コルネリウスは既に分かりきったことを敢えて、改めて彼に問いかけた。
「何故、フィオナを狙った。殺そうとした」
「…………」
「誰が、命じたんだ。答えろ」
本当は誰もが、その答えを知っていた。気づいていた。
アルバートが仕える主人はただ一人しかいないのだから。
だが、その口から語られるということが肝要。本当は数十秒であったというよに、数十分にも数時間にも感じる重苦しい沈黙の後──アルバートは憎悪に満ちた声で、此度の黒幕を打ち明けた。
「…………わたしに、フィオナ嬢の襲撃を御命じになられたのは……ケイトリンお嬢様、です」
『!!』
〝やはり、そうだったのか〟という気持ちになった。
あの女ならばそれぐらいするだろうな、という納得と……まさかここまでするのかという失望が、コルネリウスの胸中に満ちる。
「…………最初に、お止め、したんです。アリバイ工作のためにお嬢様が王都に残り、王都よりも警備の緩いメーユで襲撃を行ったとしても。疑われるのはどう考えてもお嬢様でしょう?」
確かに、この状況でフィオナ襲撃の犯人として疑われるのは間違いなくケイトリンであろう。
だって……言い方は悪いが。身分の低いフィオナを亡き者にして喜ぶ人間なんて、この世には殆どいないからだ。ケイトリン以外の者が犯人だとしたら、彼女を消すよりも取り入る方が労力が少ない。貴族令嬢として、未来の国母として。高度な教育を受けてきたケイトリンよりも遥かに御し易いと思われるはず。
だが、ケイトリンには動機がある。それはコルネリウスが婚約者でおる自分よりもフィオナに心を傾けていることだ。コルネリウスの行動次第で、ケイトリンは王太子の婚約者ではなくなるかもしれないのだ。そんなの、自尊心の高い公爵令嬢が受け入れるはずがない。
……純粋に。身分のないフィオナに王太子の心を奪われるのが、女として許せなかっただけなのかもしれない。
どんな理由であれ。現状、彼女を消して喜ぶのは……王太子の婚約者であるケイトリンぐらいしか、思いつく相手は存在しなかった。
「それに……殿下方とご一緒に行動しているフィオナ嬢を襲撃したら。下手をしたら殿下にも怪我を負わせてしまうかもしれません。そうなれば更に罪が重くなります。ですから、そんな危険を犯すのはよろしくないと。罪を犯すべきではないと。そう、お止めしたのですが」
「…………その首輪が、答えか」
「……はい。お嬢様はわたしに、フィオナ嬢の殺害を命じ──……失敗したら情報を漏らさぬために、自害するよう、命じられました」
『っ……!』
それを聞いて言葉を失くした。まさか、望まぬ襲撃を命じるだけでなく……失敗したら自害することすら命じるとは。そのケイトリンの心なさに恐ろしさすら感じる。
アルバートは歯を噛み締める。それから何を決めたように小さく頷くと、意を決した様子で顔を上げた。
「…………殿下。信じていただけないのも、失礼も承知ですが。どうか今直ぐ王都にご帰還してくださいませんか」
「……何故だ」
「お嬢様はわたしを刺客として放つのみならず……裏の社会に生きる者達にも襲撃を依頼しました。──標的は二人。フィオナ嬢と、エピフィルムです」
「!? 待て! 何故、ここであの舞姫が!?」
思わぬ人物の名につい大袈裟に反応してしまう。
皆──特にフィオナ──のなんとも言えない視線がコルネリウスを貫くが、当の本人は気づく様子もなかった。
「……エピフィルムがメーユに暮らしているという噂が流れていまして。それも相まって、お嬢様はこの地でまとめて邪魔者を排除することをお決めになられたようです」
「彼女が……」
「……なので、メーユには現在、かなりの数の裏社会の人間が潜り込んでいるかと。今後もこの地に滞在するとなれば四六時中、フィオナ嬢は命を狙われる状況下に置かれることになります。…………それに……もう一つ、問題が」
「? なんです?」
タンザが舞姫のことで若干意識が逸れている王太子の代わりに問いかける。
アルバートは視線を彷徨わせてから、恐る恐るといった様子でその事実を口にした。
「…………お嬢様はこの地での襲撃が失敗した場合に備えて──王都にて次の策を準備していらっしゃいます」
『!?!?』
刺客を雇っただけでは飽き足らず、そのような準備までしているのかと動揺が隠せない。
「……わたしも捕まることを想定していたのか。先も言ったよう情報漏洩を見据え、詳細は教えていただけませんでしたが。それでも、碌でもない策であるのは明白です。ですからそうなる前に──お嬢様を捕らねば。その罪を明らかにせねば、今度こそ……」
彼は最後の言葉を流したが、間違いなく。今度は今回以上に命の危険に晒されることになると、言いたかったのだろうと察せられた。
刺客を放った時点でも充分凶悪だというのに、失敗を想定して王都でも次の陰謀を巡らせているとならばその凶悪性はどれほど高まっていることか。
──今度こそ、フィオナは殺されてしまうかもしれない。それにコルネリウス達が巻き添えを喰らう可能性も低くはない。
「…………アルバートの言葉に従うなら、確かに王都に帰還した方が良さそうだな。でも、万が一オレらが当初の予定よりも遥かに早く帰還したってなったら……マジェット嬢に警戒を抱かせないか?」
しかしそこで、ファングが懸念の声をあげる。
彼の言うことにも一理ある。夏季休暇いっぱい、コルネリウス達はメーユで過ごすことになっている。婚約者として、コルネリウスの予定をケイトリンと把握していることだろう。
なのに急に予定を変えたとなれば、怪しまれるのは必然だ。
「……でしたら、内密に帰還すればいいのですよ」
「……コド?」
「僕がここに残り、アリバイ工作をしましょう」
皆がどうすべきかと考え込む中──コドが名案を思いついたとばかりに、そう言い出した。
ハリオが驚いた顔で彼を見る。
「……どう、するつもり?」
「避暑地であるメーユには当然ながら我が商会も支店を出しています。そして……案外、メーユでの〝火遊び〟のために《幻惑の魔道具》をお求めになるお客様も多いのですよ」
《幻惑の魔道具》はその名の通り、その身につけることで姿を隠したり、本来の容姿とは全く違う姿に見せたりする魔道具だ。
一部の者はこの魔道具を使い、本来の身分を隠して。夏の火遊びに興じているらしい。
「それを使って皆様の幻惑を生み出し、夏季休暇をここで過ごしているフリができるかと」
つまり、《幻惑の魔道具》でコルネリウス達がメーユに滞在していると見せかけて。本物の彼らはケイトリンにバレぬように王都へ帰還するという作戦だ。
しかしそれは、コドをこの危険なメーユに囮として残すということになる。コルネリウスは心配そうな顔で、彼を見た。
「危険だぞ」
「えぇ、そうですね。けれど、参謀のタンザ様。護衛のファング様。魔法に優れたハリオ様。……誰一人として殿下のお側を離れるべきじゃないでしょう?」
身分的にも、ここで捨て駒となるのは……コドが適任だ。
それを誰よりも、当人が自覚している。
「大丈夫ですよ。自衛のための魔道具も待ちますし。標的はあくまでもフィオナですから。なんとかなります──というか、します」
有無を言わさぬコドの様子に、その決意が固いことを感じ取った。
それほど、ケイトリンが準備しているという次の策を危険視しているということなのだろう。
……コルネリウスは渋々、頷く。
「……分かった。ならば、ここはコドに託す」
「はい」
「……だが、無理はするな。優先するのは自分の命だ。危険だと思ったら直ぐに逃げろ。分かったな? これは命令だ」
王太子の命令にコドは目を丸くするが、自分を心から案じてくれたがゆえの言葉に柔く微笑む。
彼は胸に手を当てる。そして、自身が仕える主人に深々と頭を下げた。
「承知いたしました、コルネリウス王太子殿下。必ずや、貴方様の命令を遂行いたします」
「あぁ。任せたぞ、コド。…………それで、だ。アルバートに関してだが」
「…………はい。魔道具を付けられていたとはいえ、皆様を襲撃したのは他ならぬわたし自身です。どうか、厳格な処罰を」
コルネリウスに向かって、アルバートは頭を垂れる。晒された首は、如何様な処分でも粛々と受けると、言外に告げていた。
そんな彼に向かって、王太子は命じる。
「アルバート。お前も我々と共に王都に帰還してもらう。そして、ケイトリンの罪の証拠集めをしてくれ」
「!? 何をおっしゃるんですか、殿下!?」
アルバートは顔面蒼白になりながら叫ぶ。
心底信じられないと言わんばかりに、彼はそれを断ろうとした。
「わたしは貴方様方に危害を加えようとしたモノですよ!? そんなわたしに協力させようだなんてっ……危険過ぎます! できません!」
「ふっ……自分でそういう時点で充分信頼できよう。それに、お前だって……あの女へに憤りを抱いているのだろう? 簡単に切り捨てるような主人が、許せぬだろう?」
「っ……! それ、は……」
否定はできないだろう。
アルバートは魔道具が外れて直ぐに、ケイトリンへの罵倒を連ねていたのだから。
尽くしてきた主人に〝役に立たぬのならば死ね〟と言われれば、愛想も尽きて当然だ。
「流石にこれ以上の悪行を、許す訳にはいかない。そのためにはケイトリンの罪を証明するための物的な証拠が必要だ。しかし、我々が動けば目立ってしまう。自らケイトリンに〝お前を疑っている〟と言うようなものだ。ゆえに、我々の代わりに動ける者──更には向こう側の内情に詳しい人間の方が、適任だろう?」
「…………確かに、殿下のおっしゃることにも一理あります。全てとは言わなくとも長年仕えてきましたから。お嬢様の行動を想定して、証拠集めする人材としてわたしほど相応しい者はいないでしょう」
「ならば──……やってくれるな?」
「…………畏まりました。殿下のお望み、叶えてみせます」
「頼んだ。コド」
「はい。アルバートがマジェット嬢側に戻りやすいよう、フィオナの幻惑は出さないようにして、殿下達の幻惑も彼女を失くして失意のドン底にいる──……というように」
「ふっ、流石だな。では……皆の者、ケイトリンの罪を暴くために動くぞ」
『はい!!』
こうして……主人に切り捨てられたアルバートは、コルネリウス達の間諜となった。
王太子達はこの一件で本格的に、許されざる悪行に手を出したケイトリンを断罪するために動き出す。
──それこそが、最後の竜が仕組んだ罠だと知らずに。
この時のコルネリウス達は……自分達の未来が暗雲に満ちているだなんて。一切、知る由もないのだった。