役目を終えた堕天使と淫魔は呆気なくあっさりと、舞台から降りる。
いつもの《箱庭》──応接室。
そこで記憶を失った間に自分が何をしていたのかをアリスから教えてもらったアルフォンスは……心底、呆れ顔になっていた。
それもそうだろう。女神に操られていた自分はとんでもない遠回りをしていたのだから、これには呆れもする。
自分でやった方が早いというのに他人に任せるとか。どういうつもりでそんなことをしたのか? 分からな過ぎて、頭が痛い。
「んー……アリスが思うに。多分、あの女神はアルフォンス様の手を汚させないために、人間どもを雇ったのだと思うのです」
「……わたしの手を汚させないため?」
「一応、犯罪なので?」
「…………」
アルフォンスの顔がなんとも言えないモノになる。
……だって、今更過ぎる話だからだ。
今のところ、積極的に人殺しなんかはしたことがないが……人間の国にあった研究機関に襲撃をかけて、亜人達を無理やり奪ったりしているので、アルフォンス自身は既に罪を犯している。その際に間接的に死んでる奴もいるはずだ。
だから、罪を犯さないようになんて配慮されたところで。本当に、今更である。
「それで〜? アルはどーするの〜?」
アルフォンス達が座っていた席から少し離れたソファにうつ伏せで横たわっていたカルディアが問いかける。
これからどうするつもりなのか? どう行動する気なのか? それが知りたいのだろう。
アルフォンスは顎に手を添えて考え込む。迅速に、復讐を果たすために。
「……そう、ですね。回りくどいことなんてやってられませんし。わたし自ら向こう側に付くことにします」
「…………おっとぉ?」
「という訳でカルディア様。日中、貴女のお側を離れる許可をいただけますか?」
──にっこり。
アルフォンスは笑う。それはもう鮮やかに、何も悪いことなど考えてないと告げるかのように。
でも、カルディアには分かる。その腹の底ではきっと〝とんでもないこと〟を考えているだろうと。そしてそれは、とても面白そうなことだと。
「面白くしてくれる自信、あるの?」
「はい」
「ならいーよ。楽しませて、アル」
「えぇ。お任せください、カルディア様」
綺麗な微笑みなのに……どこか不気味さの漂う空気で笑い合う竜達を黙って見守っていた堕天使は、チラリと淫魔の方を見る。
二人は確かめるように、頷き合っていた。
◇◇◇◇
主人の《箱庭》で与えられた自室にノックの音が響く。明日の準備をしていたアルフォンスが入室の許可を出すと、珍しいヒトが顔を出す。
そこにいたのは金髪の青年──エイスだった。いつもはアリスと二人で行動しているというのに、珍しく一人だ。
アルフォンスは首を傾げながら、「どうしました?」と問いかけた。
「お暇のご挨拶に参りました」
「…………え?」
「我々はここまでです、アルフォンス様」
間抜けにもぽかんっと口を開けて固まるアルフォンスに、エイスは説明する。
先ほど……記憶を失くした間のことや出来事などを教えた時点で、この世界におけるアリスとエイスの務めは全て終わったのだと。
もうこれ以上ここにいても意味がないから、去るのだと。
「何もすることがないのに、いつまでも居座り続ける訳にもいかないでしょう? ですから俺とアリスはここでお暇をいただくことにしたんですよ」
「…………そう、なんですか」
「えぇ。無責任かと思われてしまうかもしれませんが、これはアリスが決めたことです。俺らがここで降りること──それがきっと、最良の選択なのだと思いますよ」
「…………」
そう言われたら、引き留めにくい。
なんせアリスは過去も現在も、未来も。森羅万象を識る《全知》の力を持つ堕天使だ。そんな彼女がここで自分達はこの世界から去るべきだと言ったということは、本当にそれが最良であるということなのだろう。
アルフォンスは小さく息を吐くと、別れの言葉を口にした。
「…………分かりました。今までありがとうございました、エイス」
「いえ。俺としても楽しませていただきましたよ。機会がありましたら、またお会いできればと思います」
「…………」
アルフォンスはそれに応えない。
この復讐の果てがどんな結末に辿り着くのかが、分からないからだ。
この復讐に全てをかけてしまって、燃え尽きてしまうかもしれない。……人間どもが思いもよらない手段を用いて、アルフォンスを道連れにする可能性も捨て切れない。
だからこそ、アルフォンスは不確かな約束など、交わさない。
それをエイスも言葉失くとも察したのだろう。彼は深々と頭を下げて……。
「貴方が復讐の道を……無事に歩み切れるよう。異なる世界からずっと、祈っております」
アルフォンスが無事に復讐を果たせるよう、祈りの言葉を口にした。
◇◇◇◇
「とゆー訳で! アリス達はここらで撤退させてもらうのですよ!」
「ふぅーん、そっか〜。お疲れ〜」
そうアリスから告げられたカルディアは、先ほどと同じソファに寝転んだ体勢のままサラッと返事を返した。
それを見たアリスはほんの少しだけ不服そうに、彼女の側で膝を抱えてしゃがみ込む。
「むむむっ、理由とか聞かないです?」
「あっははは、聞かないよ〜。だって、お前は《全知》持ちでしょ? そのお前が手を引くって決めたってことは、そうした方が良いからだって。馬鹿だって分かるもん」
「うぅん、まさに正論! その通り過ぎて否定もできないのです!」
「で。それが分かった上で、こっちを聞いてあげる。……なぁんか。面白い情報、隠してるでしょ? 私の興味を引きそうな情報をね」
カルディアは口角を持ち上げて笑う。瞳を爛々とさせて、獲物を狩る獣のような目でアリスを見つめる。
だがそれを、カルディアが切り出してくれるのをアリスの方も待っていたのだ。
この〝情報〟を彼女の耳に入れたくて。ずっとずっと、この機会を待っていた。
アリスもニンマリと笑って、それに頷いた。
「では、お耳を拝借……」
堕天使は竜にスススッと近づき、その耳に小さな声で耳打ちをする。
二人しかいないのだから──エイスにはアルフォンスの方へ挨拶をしてくるよう、アリスがお願いした──、別にひそひそと話をする必要はないのだが……こういう特大ネタを提供する時は内緒話だと相場が決まっている。格式美である。
……まぁ、格式美のことは置いといて。
情報を聞くカルディアの目が、どんどんガラガラとしていった。キラキラではなく、ギラギラだ。
まだ〝それ〟が〝起こる〟のは先の話だというのに。
最高の置き土産を聞き出したカルディアは我慢し切れないと言わんばかりに、興奮を隠し切れない様子であった。
「えー! 本当に? 何それ最高に面白いんだけど! 本当にヤバいね!?」
「わぉ! カルディア様の語彙力がお亡くなりになるぐらい興奮されてるのです! ……まぁ、そういう訳でして。どうされます? カルディア様もご参加なさいます?」
「え〜するする〜! 絶対する〜! 当たり前じゃぁん! 逆に参加しないとか……私的にあり得ないって!」
「だと思ったのです。じゃあ、アリスを貴女の眷属にしてください。そうすれば眷属としての繋がりを使って、その時がきたら貴女様をお呼びすることができるのですよ」
「…………。あ〜……成る程。それが目的かぁ? まぁ、い〜よ〜。別に眷属が増えたところで困らないしねぇ〜」
ソファから起き上がったカルディアの纏う空気が変わる。
さっきの軽いノリとは打って変わって。厳かに。粛々と。彼女は宣言する。
『《渡界の界竜》カルディアが宣言す。《**世界》の堕天使アリスを、我が眷属と見做すことを』
その声が響いた瞬間、二人の間に主従関係という名の繋がりが生まれた。
自身の中に界竜の力が流れ込んだことを確認したアリスはゆったりと立ち上がり、美しい一礼を主人に向けた。
「…………改めて、我が主人カルディア様にご挨拶申し上げるのです。《全知》を有する堕天使アリス。この時より貴女様の眷属としてお仕えすることを申し上げるのです」
「うん、うん。許すよ〜。改めてよろしくぅ、アリス」
「はい! よろしくお願いするのです!」
これで正式に、界竜の眷属に堕天使が加わった。
実のところ……カルディアの初眷属はアルフォンスだったりするため、アリスが二人目の眷属になったりする。異界の竜と堕天使。二人しかいないのに充分濃い面子だ。下手をしたら兄貴分の竜達よりも特殊かもしれない。
とにもかくにも。これで本当に、アリス達がこの世界でやるべきことは終わったのだろう。
丁度いいタイミングで、エイスもこの部屋へと戻ってきた。彼はいつものように堕天使の隣に来ると、カルディアにも別れの挨拶をする。
「カルディア様。アリスからお聞きしたかと思いますが……ここらでお暇させていただきます」
「はいはい、君もお疲れ」
「はい」
「これで完全に、アリス達の出番は終わりなのですよ」
「そう。じゃあ、帰還用の《門》を開いてあげるよっと」
眷属として界竜の力の一部を使えるようになったからといって、流石に世界間を渡ることはできない。
なので、カルディアが代わりに《門》を開いてやる。
「ありがとうございます、カルディア様。では、またお会いしましょう、です! その時になったらご連絡するのですよ!」
「お世話になりました。失礼いたします」
「はいはい、またね〜。ばいば〜い」
別れだというのに呆気に取られるぐらいあっさりと。アリス達は元の世界に帰り、カルディアもそれを見送った。
まぁ、また会うのは確定した未来なのだから……これぐらい軽い別れになるのも、ある意味当然だったのかもしれない。
何はともあれ。
こうして──……堕天使と淫魔は無事にその務めを果たし終え、復讐劇の舞台から降りたのであった。