記憶喪失の対価、最後の竜の〝真〟の力が目覚める。
3日連続更新の2日目。
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目覚めたジェットが一番最初に感じたのは……嫌な胸騒ぎであった。
「…………?」
なんだか分からないが、嫌な予感がした。言葉に表し難い、気持ち悪さを感じた。
焦燥が込み上げる。早く外に出るべきだと、本能が急かす。
休眠期明けの身体には少しだけ酷であったが……それでもなんとか、重い棺桶の蓋をジェットは押し開ける。
「……!」
密閉していた蓋が外れたためか、強い匂いが鼻についた。
それは、焼け焦げた肉の臭いだった。噎せ返るような甘い、血の匂いだった。
…………こんなこと、初めてだった。こんなにも、沢山の血の匂いがするのは、隠れ里に〝何か〟が起きてしまったのだと言っているようなものだ。
ジェットは鈍った身体に鞭を打って、緩慢な動きながらも棺桶から這いずり出る。時間をかけて立ち上がり、壁に手をついて地上へと上がっていく。
扉を開けて、廊下に出る。壁伝いに進み、リビングに足を踏み入れる。
そして、そこにいるモノ達を見て……嫌な胸騒ぎはこれだったのかと、思わずにはいられなかった。
「……ジェット様!」
奥から現れた彼に気づいた羊獣人の老婆が、声をあげた。
老婆の周りには怯えて泣いている幼い子供達と、疲弊と恐怖に震える非戦闘員らしい女性達。
……非常時には、非戦闘員はこの屋敷に集まることになっている。それは、この屋敷がこの隠れ里の中で一番安全な場所であるからだ。逆を返せば……彼女達がここにいるということは。隠れ里は今、危機的な状況に追い込まれてしまっているということ。
「…………状況は」
「人間どもが……! 人間どもが襲撃してきたのです……!」
「す、少し前までは爆発音がしてたんですけど、五分くらい前から静かになって……! でも、恐くて外に出れなくて……!」
「……分かった。わたしが、出る。すまないが、保冷庫に保存している、モノを」
「! 畏まりました!」
羊獣人の老婆が、台所の奥にある保冷庫に向かってくれた。今の状況下で子供達に聞かせるにはあまりよくないかと思って〝血液〟とは言わなかったが、何を求めているかを悟ってくれたらしい。
緩慢な動きでジェットも後を追い、受け取った瓶──血液を子供達の目がないところで一気に飲む。
「…………ふぅ」
それだけで、彼の身体に力が戻った。まだ万全ではないが、充分に動ける程度には回復した。
ジェットは手を軽く身体を動かしてからリビングに戻り、怯える彼女達に声をかける。
「わたしが外の様子を確認してくるまで、君達は屋敷の中に。大丈夫だ、ここは安全だからな。不安に思うことはない」
「はい」
「お気をつけて、ジェット様」
「ありがとう。行ってくる」
ジェットは外の気配に気を配りながら、ドアノブに手をかけた。深呼吸をしてから、一気に外に出る。
敵の気配はない。破壊された家々と、爆ぜる炎が目に入る。真っ黒な煙が空に上がっているからか、焦げ臭い匂いが鼻についた。
だが……そんなことは、どうでもいい。
「…………ぇ……?」
ジェットは目に飛び込んできたその姿に……その場から動けなくなってしまう。
「アイ、ヴィー……?」
恐る恐る、近づく。
炭化した身体には、手足がなかった。美しかった顔は、煤に汚れ。その瞳は光を失い、濁っている。陽に当たるとステンドグラスのように煌めいていたその羽根は、見るも無惨に焦げ落ちていて。
「あ、ぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」
その場に崩れ落ちる。
休眠期明けの鈍い頭では、上手く思考が働かない。
受け入れられない。受け入れたくない。
これは夢だと、何度も自分に言い聞かせた。
しかしその度に。死した妻の姿が。嫌でも現実を見せつけてくる。
途中で話しかけられた気もしたが、なんと返したのかも分からないほどに動揺していた。
けれど……ふわりと、アイヴィーの身体にかけられた白い布に、ハッとする。
〝何をするんだ!〟と顔を上げたからそこには……こんな状況でありながら獰猛に笑う、竜。
そんな場違いな笑みに、頭に血が昇る。ジェットは歯を剥き出しにして、アルフォンスへと噛みつく。
「何故っ……! 笑って!!」
「……おっと。すみません、笑っていましたか?」
「ふざけてるのか!!」
「ふざけてなんかいませんよ。ただ、憎悪が過ぎると……笑ってしまうだけなんです、俺の場合はね?」
「…………っ!?」
──ぞわりっ……!
ジェットの背筋が凍った。今までにないほどの、恐怖を感じた。
「惜しいヒトを失くされましたね。お前の、大切な家族だ」
アイヴィーは、ジェットの妻のヒトリだった。
いや……彼女は永い刻を経ても現在まで生き残っていた、最後の妻だった。
「悔しいですよね。憎いですよね。大切な居場所を壊した人間どもが。大切なヒト達を殺した人間どもが」
何故、何故。何故と。疑問が尽きない。
なんで、こんなことになってしまったんだと──……。
でも、ただ一つ。確実なのは。
「…………復讐、したくありません?」
その誘惑が甘美であることだけ──……。
「復讐すれば、人間どもにやり返すことができますよ。ジェット」
獰猛に嗤いながら告げる竜からの提案に……吸血鬼は傾かずにはいられなかった。
◇◇◇◇
意識が戻ったら、なんかよく分からない白い空間にいた。
主人曰く。自分はこの世界の女神(?)に操られてしまい、それを解いた副作用で記憶が一部飛んでしまったんだとか。
そんな馬鹿なと思わなくもなかったが、実際に記憶がないのだから疑いようもない。
記憶が抜け落ちてしまった間に何が起きたのか……。詳細は分からないが、隠れ里の惨状が人間の所為だと聞かされればやる事は決まっている。
アルフォンスは泣き叫ぶジェットに近づき……いつの間にか亜空間にしまってあった──少し前にアリスから有事の際に使うと良いですよと渡されていた──白い布を取り出して、アイヴィーの身体にかけてやる。
物理的に妻の遺体が隠されたからだろうか? 意識をアイヴィーに向け続けていたジェットの視線が上がる。彼は歯を剥き出しにした般若のような顔で、アルフォンスを睨みつけた。
「何故っ……! 笑って!!」
そう言われてアルフォンスは目を丸くした。
どうやら無意識に笑ってしまっていたらしい。
しかし、それも仕方ないことなのだ。
「……おっと。すみません、笑っていましたか?」
「ふざけてるのか!!」
「ふざけてなんかいませんよ。ただ、憎悪が過ぎると……笑ってしまうだけなんです、俺の場合はね?」
「…………っ!?」
もう、笑うしかないのだ。
憎しみも、怨みも、悔しさも。全部が全部、強まり過ぎた。高まり過ぎた。
アルフォンスの場合は、あまりにも人間への敵意が強いモノだから……一周回って、笑ってしまうようになっただけ。決して、ジェットのことを笑っている訳ではないのだと、言い訳しておく。…………一応。
「惜しいヒトを失くされましたね。お前の、大切な家族だ」
アルフォンスは告げる。
妻を失くして絶望の淵にいる吸血鬼の心の隙間を、突くように。
「悔しいですよね。憎いですよね。大切な居場所を壊した人間どもが。大切なヒト達を殺した人間どもが」
アルフォンスもまた、家族を殺されてきた。
魔道具の素材に加工されて死して尚、その尊厳を貶められている。
「…………復讐、したくありません?」
…………そっと、囁く。
「復讐すれば、人間どもにやり返すことができますよ。ジェット」
竜ではあるが、まるで悪魔のような囁きを。
「…………」
ジェットの血色の瞳に金色の光が瞬く。
記憶は失くなってしまったが、その代わりとばかりに。アルフォンスには〝ある力〟が目覚めていた。いや、元々あった力の使い方が分かるようになったと言うべきだろうか──?
どうやら竜には亜人達を従わせる力が備わっていたらしい。竜種は温厚であるため、他種族を従わせるようなことをしてこなかったからか……竜にそんな力があることなど、忘れられていたのだろう。
でも、アルフォンスはその力の使い方が分かる。魔力を放ちながら、魔力を宿しながら、命じれば。亜人達は従わざるを得ない。
──……まるで、亜人達を奴隷に堕として従わせる人間どものような力だ。
……とはいえ、アルフォンスは全然この力を使うことに躊躇いはない。敵と同じようなことをしようが、敵と同じところまで堕ちようが、復讐が果たせるならば構わない。
「俺も貴方のように大事な家族を人間どもに殺されてます。この国の王太子が使ってる魔道具は間違いなく俺の親です。なんで、俺は復讐をするために動いてます。人間どもをぶっ殺してやりたい。ぶっ殺せなくても、地獄を見せてやりたい」
バチバチと、その瞳の光が激しく点滅する。
その表情が、復讐という甘美な誘惑に傾き始めていると物語っている。
「復讐はいけないことだとか、そんなことしても亡くなったヒトは喜ばないだとか。そんな綺麗事は一切言うつもりはありません。だって、復讐は自分のためにすることだ。俺は抑えきれない怨みを晴らすために。俺の気分を良くするために、復讐することを選んだ」
「自分の……ために……」
「…………奴らが、赦せないでしょう? やられっぱなしだなんて、悔しいでしょう? 憎らしい、でしょう? だからお前も。人間どもに復讐したいって言うならば……俺の計画に一枚、噛ませてやりますよ。…………どうしますか? ジェット」
──バチンッ!!
一際強く、光が瞬いた。それから、ジェットの瞳の光が消え去る。
「…………した、い」
ぽつりと、響いた声。
吸血鬼の顔に憎悪が滲み始める。抑え切れない憎悪に、その顔が醜悪に歪む。
「復讐……して、やりたい! わたしの大事なモノを奪っていく人間どもに! 許さない赦さないユルサナイ! わたし達から奪っていくというのなら! わたしもまた、奴らから奪ってやる!!」
叫び声はどこまでも遠く、響いた。きっと彼の宣言を、聞いているモノもいただろう。苦しみながら、耳にしたモノがいるだろう。
アルフォンスは嗤う。思い通りに動いてる、都合の良い吸血鬼を嘲笑うように。
「……分かりました。共に、復讐しましょう。ジェット」
「…………あぁ」
「他にも、ジェットと同じ気持ちのモノを少なくないと思うので。一応、有志を募っておいてください」
「分かった」
「では。本日はここまでにして、詳しい話は後日ということで。……大切なヒトとの、最後の別れです。後悔のないように」
「…………ありがとう。失礼する」
…………ジェットはアイヴィーを大切に抱えて、ゆらりと立ち上がる。緩慢な動きで振り返り、屋敷の中へと消えていった。
彼を見送ったアルフォンスは、今までのやり取りを見ていたカルディアの方へと、振り返る。
「…………お待たせしました。カルディア様」
「…………あはっ。面白いねぇ、アル。いつの間に洗脳なんてできるよーになったの?」
「いえ。洗脳ほどの強制力はありませんよ。ただ、従ってくれるというだけです」
そう、アレは洗脳ではなく従えるだけの能力だ。
しかし、上位種である竜が相手であるため……強制力はさほどなくても、下位種である亜人は完全服従並みに従うようになる。更に、洗脳のように本人の意思を無理やり抑えつける訳ではないため、変な異常──例えば、性格や思想が急に変わったりする──が出ないので、周りから疑われることはない。竜に従うのは、あくまで本人の意思によるモノだと思われるだ。
それを聞いたカルディアは心底面白そうに、納得したよう様子で頷いた。
「成る程ねぇ〜。女神が言ってた導くモノってのはこーゆーことだったのか〜……」
「……カルディア様?」
「ふふっ。なんでもないよぉ?」
「…………?」
カルディアの意味深な笑みにアルフォンスは首を傾げる。
だが、彼女はそれ以上口に出そうとはしない。ということはその程度のことなのだろうと、アルフォンスは気にするのを止める。
そんな時、右側の通りからよく見知った二人が歩いて来た。満面笑顔のアリスと、そんな彼女を見て幸せそうな顔をするエイスだ。
「お待たせしました〜! こちらの〝用事〟も終わりですよ!」
ニコニコと笑うアリスの言葉に、アルフォンスは「用事……?」と首を傾げる。
それを見てカルディアが「あ、そうだった」と思い出したように答えた。
「なんかやる事があるからって隠れ里に来る時に二人だけ、離れたところに《門》を繋げたんだった」
「えぇ! こちらの用事は無事に終わったのです! 竜様は記憶が失くなってしまったので大変だと思うですけど……大丈夫ですよ! 計画に支障はありませんから! 後でアリスが色々と説明しますね?」
「頼みます」
「はいです! ではでは〜……ここでやるべき事は全て終わったので、帰るとしましょう! 界竜様、よろしくお願いしますです!」
「いーよー」
カルディアが《門》を開くと、一行は後ろを振り返らずにその場を後にする。
──パチパチと爆ぜる火花。
それは隠れ里を破壊されたがゆえに生じた音ではあったが……アルフォンス達にとっては、戦いの火蓋が切られる音も同然。
翌日──事態が一気に加速する。