妖精が炎に燃え堕ちる。
後少しで、ジェットが目覚めるだろうという頃──。
その日、亜人達の隠れ里は……人間どもの侵入を、許してしまった。
──ドンッッッッ!!
「!?!?」
大地が揺れるほどの、衝撃音と振動が走った。
リビングでほつれた服を繕っていたアイヴィーは、何事かと椅子から立ち上がる。
程なくして、ボロボロになった豹獣人の青年がノックもなしに屋敷に飛び込んできた。彼は血に染まった右腕を庇いながら、アイヴィーに報告した。
「アイヴィー様! 大変です! マナトが……マナトの野郎が! 人間どもを隠れ里に手引きしました!」
「!? なんですって!?」
マナトは、少し前に行方不明になった隠れ里の代表──アイヴィーの夫であるジェットの末の仔だ。
猫獣人であるからか、昔から好奇心が強く。いつも突拍子もないことをしでかしてきた。
だが、人間どもを引き入れるなんて……まさかそんな愚行を起こすなんて、流石に思ってもいなかった。
「アイツ……きっと! 人間どもに寝返ったんだ!!」
「そ、そんな……! まさか──……」
「それにっ……異様に強い人間が二人、いるんです! 何故かそいつらの前では動きが鈍ってしまってっ……もう、何ニンも捕まって!」
「っ!!」
殺すのではなく捕えた──。
つまり、人間どもがわざわざこの隠れ里への襲撃を仕掛けたのは他でもなく、〝奴隷を調達するため〟なのだろう。
人間どもが使う魔道具の素材は亜人だ。亜人は奴隷として労働力としても酷使されている。
そんな奴隷らをついこの間、人間どもの手から助けてくれた竜がいた。そのため、今、人間どもの手元には奴隷はいない。
ゆえに……人間どもが亜人達がこの場所にいると知ったならば。襲撃をかけて、捕まえようとするのも納得の理由であった。
「っ……」
アイヴィーは顔を歪める。彼女は隠れ里の代表代理として、決断をしなくてはいけなかった。
──残酷な、決断を。
「……伝令! 戦えるモノは皆、人間どもへ攻撃を! 時間を稼いでください! 戦えないモノはこの屋敷に逃げるように! わたしは、逃げ遅れた仔供達を助けに回ります!」
「っ……! 承知しました!」
入ってきた時と同じように、豹獣人が屋敷を飛び出して行った。
アイヴィーもその背中の羽根を羽ばたかせて、魔法で姿を隠蔽しながら外に出る。
「っ…………!」
そして、言葉を失くした。
あちらこちらから上がる黒い煙。数度に渡る爆発音と止まぬ振動。遠くから聞こえる、怒声と悲鳴と……。
小さな仔供の、泣き声。
「…………!」
その声に我に返ったアイヴィーは、声がする方へと一気に飛んだ。
怯え、泣き叫ぶ仔らを探して、見つけては抱き上げて、隠れ里一の強度を誇る結界が張られた屋敷へと連れ戻る。伝令に従って自力で逃げてきた非戦闘員に託して、また仔を探す。
当然ながら、怪我をして動けなくなっている大人の住民達もいた。だが……優先すべきは仔供達であったため、涙を堪えて見捨てた。
アイヴィーがそうするのも仕方なかった。妖精というのは、〝幼子の守り手〟と呼ばれるほどに子供好きなのだ。自分の子であるとかないとか関係なしに、幼い子を優先してしまう性質がある。
それに……元々、従順な奴隷ではないからと。ただ隠れ里出身だというだけで。愚かな叛逆者には情け無用と、魔道具の素材として直ぐに殺されてしまう可能性があるのだ。
幼い仔達は何も悪くないのに。何も知らないのに。まだほんの少ししか生きていないのに。
隠れ里で生まれた亜人だからという理由でたった少ししか生きていない命を終わらせられるはずがない。優先せずにいられるはずがない。ゆえに、アイヴィーは仔達の命を守ることを優先した。
けれど、それもここまで。
丁度屋敷から出たところで、彼女は奴らを目にして固まる。
「ほう……ここが《大毒蜘蛛》の指導者の家か。随分と立派なことだ」
隠れ里の入り口に繋がる通りの向こうから現れた、三人の人影。
酷く似通った容姿の、どこなく偉そうな男二人と……。
「…………マナト」
彼の顔は酷く引き攣っていたけれど。それでも、とても綺麗な服を着ていた。この隠れ里では到底手に入らないほどに高級そうな服を。
……これでは他の亜人達が錯覚するのも当然だ。良い暮らしと引き換えに、敵を引き入れたと勘違いされてしまうだろう。
「…………」
でも……アイヴィーは分かった。マナトはきっと、望んで彼らをここに連れてきた訳ではないのだと。脅され、拷問され、逆らえなかった可能性が高いと。
しかし、それでも。彼が敵を引き入れたのには変わりない。
例え、ジェットの仔であっても。この里を、住人達を危険に晒したのは……変わりなかった。
「待ちなさい」
隠蔽を解除する。屋敷を守るように、敵の前に立つ。
三人の中で一番歳上らしい、金髪の男が目を細める。そして、その口元に傲慢な笑みを浮かべながらアイヴィーをジロジロと観察した。
「……妖精か。随分と珍しい種が隠れていたものだ。だが、お前は指導者ではあるまい? 《大毒蜘蛛》は吸血鬼が率いる犯罪組織だと聞いたぞ?」
「…………彼は今、ここにはいません。どうやら貴方達の目的はあの方だったようですが、とんだ無駄手間でしたね」
「…………ふむ」
男は探るようにマナトを見るが、当の本人は父親がここにいないということに驚いているようだった。
そのまま分からないままでいて欲しい。彼が休眠期であることがバレてしまったら、ジェットの眠るだけではない──非戦闘員が逃げ込んだこの屋敷が狙われることになってしまうから。
「どうやら、指導者が不在であることをそいつは知らなかったようだな。ならば、仕方ない。お前を捕えることで良しとしよう」
「っ……!」
男が懐から取り出した真っ白な杖を見て──……アイヴィーの身体が一気に重くなった気がした。
威圧されている、というべきだろうか? あの杖を手に持ったら、人間どもの威圧感が一気に増した。
「…………はぁ、はぁ……」
呼吸が荒くなる。恐怖に身体が震えてしまう。
それでも意識を強く持って、立ち向かう。
「…………《火よ、火よ、火よ! 業火の攻め手よ! その炎の槍で敵を貫け! 火炎槍!》」
無数の炎の槍が出現し、襲いかかってくる。
アイヴィーは風魔法の応用で真空の防御膜を張り、その槍の火を絡め消す。
「《風刃》!」
そして、見えない風の刃で敵を攻撃した。
まさか反撃されるとは思ってなかったのだろう。男の顔が驚愕に染まる。
しかし、刃が触れる前に地面が盛り上がって防がれた。ボロボロと崩れていく岩壁。
どうやら若い方の人間が防いだらしい。彼はアイヴィーから視線を逸らさぬまま、男へと声をかけた。
「ご無事ですか、叔父上」
「……すまない、油断した」
あの一撃で仕留められればよかったのだが……失敗してしまった。
人間どもから余裕が消える。真剣な面持ちに変わる。
──ゾワリッ……!!
「…………っ!?」
杖の放つ威圧感が増した。さっきよりも重い重圧が、身体にのしかかる。
本能が、今すぐ逃げ出したいと叫ぶ。
(負けて……堪るものですかっ……!)
けれど、それらをアイヴィーは気力で押さえ込んで立ち向かった。
負けられなかった。引けなかった。
ここでアイヴィーがやられたら、屋敷にかかっている結界が解けてしまう。そこに逃げ込んでいるモノ達が。仔供達が。ジェットが。狙われてしまう。
(…………例え人間どもを殺すことができなくても……! 生き残りさえすれば、わたしの勝利です……!)
アイヴィーは攻防を続けながら、敵に幻惑の魔法をかけていく。
妖精の十八番は結界魔法と幻惑魔法だ。悪戯好きな妖精種らしい能力である。だが、今この時ほど……その力が都合が良いことはなかった。
(《惑い、惑わせよ。幻惑》──!)
彼女が魔法を発動させた瞬間──本物のアイヴィーと偽物のアイヴィーが入れ替わる。本物のアイヴィーは隠蔽で姿を隠しながら、少し離れたところへ退避する。
人間どもは偽物に向かって、攻撃を放ち始めた。どうやら上手くいったらしい。
「はぁ、はぁはぁ……」
アイヴィーは、荒い呼吸を繰り返す。
魔法を維持し続けるのは大変だが、堪えるしかない。
──しかし、運命はどこまでも……亜人達に優しくなかった。残酷で、あった。
「…………チッ。加減に失敗してしまったな」
その声にハッとして顔を上げると、偽物のアイヴィーが炎に焼かれて死んでいた。
あまりの容赦のなさに言葉を失くすが、死んだと勘違いされた方が得策だ。
しかし、そう思えていたのもほんの一瞬だけ。人間どもが取った次の行動に──……アイヴィーは地獄に叩き落とされた。
「まぁ、目的は果たしたのだから気にすることはないか。とにもかくにも……これで奴隷どもの回収はこれで完了した。後は、この拠点を破壊していくぞ、コルネリウス」
「はい」
(……………は?)
先ほどの戦闘とは比べものにならないぐらいに、強い魔力を感じ取った。
アイヴィーは冷や汗が湧き上がるのを感じながら、思考を走らせる。
(まさかまさかまさかっ……この隠れ里を破壊する気ですか!? そんな……そんなそんなそんな! そんなこと! 許しません!)
隠れ里の周りに構築された結界。森へ被害が及ばないようにするために、確実に隠れ里を破壊するつまりで展開されたようだ。
練られた魔力量からして、その威力は強大。きっと何も、残らない。炎の海に、沈んでしまう。
(…………っ!)
ならば、選択肢はただ一つ。
(…………《わたしは守り手。小さな命を守るモノ。その務めを果たすため、優しい揺籠を紡ぎましょう──妖精の守護》《わたしは惑わすモノ。囁きましょう、騙しましょう。偽りの姿を。偽物の世界を──……幻惑世界》)
隠れ里を守るための結界を張った。その上に、隠れ里そっくりの幻惑を展開した。
これで敵の攻撃から隠れ里全域を守れる。幻惑で隠れ里が攻撃される様を演出して、人間どもに破壊が成功したと勘違いさせる。
だが、所詮それは小細工に過ぎない。結界だけでは、敵の放とうとしている魔法を防ぐことができない。
ならば──……。
(…………後は。妖精者の特性を使って、敵の攻撃を吸収するしかないですよね)
妖精族は実体を有していても、本質は霊的な存在である。つまり、普段から食事を摂らなくても、世界に満ちる魔力を摂取していれば生きていくことができる存在である。
今回はその特性を利用して、敵の魔法を吸収し、魔法の威力を弱めるしかない。アイヴィーの持ち得る、この隠れ里を守る手段はそれぐらいしか残されていなかった。
(…………きっと、失敗するでしょう)
「《火よ、火よ、火よ! 業火の攻め手よ! 我が呼び声に答えよ! その降り注ぐ火炎で全てを灰塵に還し給え!》」
(わたしがどうなるかなんて、明らかです)
「《火よ、火よ、火よ! 業火の攻め手よ! 我が呼び声に答えよ! その降り注ぐ火炎で全てを灰塵に還し給え!》」
(それでも──……)
アイヴィーは両手を前に出す。
今まさに魔法を放とうとしている人間達を、真っ向から睨みつけた。
(例えこの身が朽ち果てようとも! 絶対にこの隠れ里は守ってみせます──! だってこの場所は、ジェット様が色んなものを犠牲にして守り続けてきた場所なんですから……!)
「「《業炎滅却の雨》!」」
──ザァァァァァァア! ゴォォォォォ!
炎の雨が降り注ぎ、偽りの隠れ里を燃やしていく。
「あ、ぁ……」
受け止め切れなくて本物の隠れ里にも多少は被害が及んでしまっていたけれど。
偽物のように全てが全て、燃やし尽くされていく訳じゃない。
「あぁァァぁ……! 熱イ熱いアツイあつい熱い! 痛イッッ!!」
しかしそれは、アイヴィーがその身を犠牲して本物の隠れ里を守っているからだった。
彼女の身体に、竜の魔道具を使って発動された強力な炎の魔力が渦巻いて。その身体を内側から燃やしていく。
「……………ア、ァァ、ァ」
内臓が燃えた。熱で溶けて、ぐちゃぐちゃになっていく。
肌が炭化した。ボロボロと手足が崩れていく。
美しい羽根が焦げ落ちていく。綺麗だと、愛したヒトに言われた姿は見る影もない。
「…………ジェ……」
それでも、アイヴィーは人間どもが完全にいなくなるまで魔法を保ち続けた。その命を削って、維持し続けた。
残ったのは、蹂躙された隠れ里と……炎に堕ちた妖精のみ。
「………………」
パタリと、アイヴィーはその場に崩れ落ちる。視界はもう、何も映らない。
それでも、後悔はなかった。全てを守り切れた訳ではなかったが……それでも大切なモノは。亜人の中では比較的弱種である妖精なりに、少しは守れたのだから。
酷い惨状の隠れ里で唯一、無傷である屋敷。
それこそがアイヴィーが大切なモノを守り切った証拠。
(良かっ……た…………無事……で……守、り……れ…………)
そう心の中で呟きながら。口元に微かな、満足げな笑みを浮かべながら。
妖精の命は……燃え尽きたので、あった。
【解説】
竜の魔道具──竜杖
竜を素材に使った魔道具。凡ゆる魔法に適している。
特殊性能──亜人種の服従
竜は凡ゆる亜人種族の遺伝子を保有した上位存在(強種)なので、下位存在(亜人)は本能で竜に従ってしまう。
※魔道具に加工されようとも、その性質は現在。生前(道具になる前)は竜という種族が穏やかな種であるため、無理やり従わせるなんてことはしなかったが……死後(道具になってしまう)と、使用者の意思でその性質が行使されることになってしまう。
つまり、竜杖は亜人特攻の魔道具である。
※アイヴィーが杖から威圧感を感じたのは、このため。