時は戻り、隠れ里襲撃時の人間達は。
避暑地であるメーユに着いた王太子コルネリウスは、宿泊予定の宿屋でフィオナ達と別れ。
この地の領主である叔父コルティオ・ズィ・レメイン王弟殿下に挨拶をするために、タンザとファングの二人を伴って領主館を訪れていた。
「…………騒がしいな? 何かあったのか?」
案内役の使用人の後に続くコルネリウスは小走りで行き交う文官達と幾度もすれ違うことに、違和感を覚える。
慌ただしい文官達。肌を刺すような緊迫した空気。遠くから聞こえる兵達の声。明らかに、只事ではない。
だが、躾が施されている案内役は余計な口を挟まず、指示された通りに彼らを応接室に案内するだけ。
観光地らしい煌びやかな応接室で待つことになったコルネリウスは、〝これは本人に聞くしかないな〟と判断して……用意された紅茶を口にしながら、目的の人物が来るのを待った。
「すまない。待たせたね」
それから数分後──。
真面目そうな初老の侍従を引き連れながら、長い金髪を靡かせる王弟──コルティオ・ズィ・レメインが颯爽と現れる。
コルネリウスは挨拶のために立ち上がった。しかし、叔父が普段の衣装とは違う完全武装をした姿で現れたため……驚きのあまり、王太子らしからぬ反応をしてしまった。
「叔父上!? そのお姿は!?」
「……はは。折角挨拶に来てくれたのに慌ただしくてすまないな」
「……一体、何が?」
「…………少し問題が起きてな。あまり長居はできないのだが……説明がてらの小休憩ぐらいは、許されるよな?」
「えぇ。十五分程度でしたら」
「充分だ」
主人の問いに答えた王弟の侍従は、さっと紅茶の準備をしてから壁際に控える。
コルティオは温かな紅茶が満ちたティーカップに口をつけてホッと息を溢す。
やはり、かなり疲れている様子だ。いついかなる時も優雅な立ち振る舞いを忘れない叔父を知っているコルネリウスとしては、只事ではない事態がそれなりに重大な事件であることを感じ取る。
そのまま黙ること数十秒。やっと一息をつけたらしいコルティオがソファの肘掛けに肘をつきながら、このメーユを襲った大事件を説明してくれた。
…………コルネリウスの予想の遥か上をいく、とんでもない事態を。
「実はだな。つい先日、無防備にも領都に現れた亜人──猫獣人を捕まえたのだ」
「!? 亜人を、ですか!?」
今だに忘れられていない研究機関襲撃事件。その際に亜人──奴隷達は全て、国際的犯罪組織《大毒蜘蛛》に奪われてしまっていた。
奴隷達は魔道具の大事な素材だ。そのため、レメイン王国のみならず各国各々が探し回っていたが……その行方はようと知れず。
若干の諦めムードが流れ始めた今日にどういうことなのか。無防備にもその亜人がたったヒトリで領都に姿を現したらしい。それも、獣人の特徴である耳も尻尾も一切隠さずに。
これには流石のコルネリウス達も驚きを隠せない。
「それでな。その亜人に色々と聞かせてもらった結果──驚きの事実が判明した」
「……驚きの事実、ですか?」
「あぁ。あの獣人は隠れ里だと言っていたが……ある時期から元奴隷だった亜人達が暮らすようになったと言ったのだ」
「っ!! まさかっ!?」
「……その、まさかだ。どうやら《大毒蜘蛛》は我がレメイン王国。それもこの、王族たるわたしが領主を務めるメーユに……拠点を置いていたらしい」
「「「!!」」」
「これが如何に重大な事件か。コルネリウスも分かるだろう?」
コルティオが疲れ切った様子で溜息を溢す。コルネリウスも深刻な表情のまま、それに頷いた。
もしも、その亜人の言葉が本当ならば。《大毒蜘蛛》の拠点がレメイン王国の、それも王族の膝下と言っても過言ではないこの王族領にあったのならば。レメイン王国もといレメイン王家は各国からの非難を免れない。
それもそうだろう。先も言ったように奴隷は魔道具の道具として必要不可欠の存在だ。人間よりも丈夫であるため、国によっては労働力として使っているところもあるという。つまり、奴隷はコルネリウス達の生活に根づいた存在だ。そんな彼らがいなくなって……様々な支障が生じている。
例えば、魔道具の製作停止。素材がなくなったのだから、新たな魔道具が作られなくなったのは当然のことだ。
公共事業の大幅な遅延。奴隷達は便利な労働力でもあった。体力がある亜人は、人間の労働者よりも長時間働かせることができる。となれば必然的に作業期間も短くなる。あまり認めたくはないが、彼らの存在が国の公共事業に役立っていたのは紛れもない事実だった。
そのように、様々な悪影響を及ぼした原因が、この国の……王族領を根城にしていたというのだ。それを知ってしまった以上、放置することはできないだろう。
それに……この件は我が国だけの問題ではない。他の国にも関係のある話だ。万が一にも《大毒蜘蛛》が王族領にいることを知りながらも対処していなかったことを他国に知られてしまったら。更に大きな問題となってしまう。
もう既に、《大毒蜘蛛》がメーユに根城を構えていたことに今の今まで気づかなかったという失態はあるが、これ以上傷を深くしないためには──……。
「成る程。直ぐに襲撃をかけ《大毒蜘蛛》の殲滅、そして奴隷を速やかに回収し……他国への返還を以て、傷を浅く済ませようということですね?」
「ふっ……きちんと学んでいるようだな。そうだ。そのために今、我々は襲撃の準備を整えている」
それを聞いたコルネリウスは考える。
メーユにはあくまでも避暑のために来たのだが。この状況を王太子として見過ごす訳にはいかないだろうと。
「タンザ」
「承知しました。コド達に連絡を入れます。今日は彼らだけで観光してもらいましょう」
タンザがそう言うと速やかに魔法を発動させ、宿屋で待っているだろうフィオナ達に連絡を入れる。
本当は挨拶が終わり次第観光をする予定だったが……仕方ない。
コルネリウスは何を言い出すつもりなのか分かっているであろう王弟に向かって、作戦への参加を申し出た。
「叔父上、我々三人も作戦に協力します。竜の魔道具──竜杖持ちが二人いた方が安牌でしょう。この二人もわたしの護衛として鍛えていますから、決して足を引っ張るようなことはしないと、お約束します」
品定めするような視線がタンザ達に向けられる。彼らは視線を揺らがすことなく、王弟の不躾な視線を受ける。
それで充分だったのだろう。コルティオは微かに笑みを浮かべると、嬉しそうに頷いて三人の参加を歓迎した。
「……作戦への参加に感謝するぞ、コルネリウス。是非、協力してくれ」
「えぇ」
「では早速──会議室に戻るとするか」
一行は応接室から少し離れたところにある会議室へと移動した。どうやらここで、作戦会議を行っているらしい。大きな長方形の机には様々な紙が広がっており、部屋の隅に置かれた檻には……恐怖に震える猫獣人が自身の身体を掻き抱くように身を縮めている。
コルネリウスはチラリとそちらを一瞥してから、空いている席に座る。それから現時点で詰められている作戦を頭に詰め込み始めた。
「──失礼。殿下、発言をしてよろしいでしょうか」
「許す。どうした、タンザ」
書類に目を通していたタンザが、控えめに声をかけてくる。
コルネリウスが許可を与えると彼は、〝ある提案〟をしてきた。
「こちらの計画書の通りならば……《大毒蜘蛛》の拠点へは、そこにいる猫獣人に案内させる予定のようですよね?」
「……あぁ、そうみたいだな。どうやら亜人ではないと気づけない結界が張られているようだ。ソレに案内をさせる他ないだろう」
「でしたら、その猫獣人に綺麗な格好をさせることを推奨させていただきます」
「…………? 何故だ?」
コルネリウスは心底不思議そうな顔をして首を傾げる。
だが、その〝綺麗な格好〟というのが重要なのだと、タンザは説明をした。
「《大毒蜘蛛》どもにとって、そこにいる猫獣人は仲間であるはず。そんな仲間が綺麗な格好をして、我々と共に現れたら」
「…………! 裏切り者と、思われるだろうな」
「それが狙いです」
仲間が自分達を裏切って敵を引き入れたとなれば、《大毒蜘蛛》は衝撃を受けることになるだろう。動揺して、冷静さを失う奴も出てくる可能性が高い。そして、敵意が裏切り者になる猫獣人に向かう可能性も。
そうやって意識を割かせること──それこそが、タンザの狙い。
「つまり、ソイツが裏切って我々側についたのだと向こうに勘違いさせようということです。それで奴らが怒り、冷静さを失い、ソレに敵意を向ければ向けるほど。意識を割けば割くほど、攻撃の隙を狙うことが容易くなる──」
「…………ふむ。それは中々良い作戦かもしれないな」
コルネリウス達の会話を盗み聞きしていたらしいコルティオが顎を撫でながら呟く。
彼は檻の奥で縮こまる亜人を見て、ニヤリと悪どい笑みを浮かべた。
「ソイツはどうやら《大毒蜘蛛》のリーダーの子であるそうだ」
「「!!」」
「そんな立場あるモノが仲間を裏切ったとなれば……向こうは確実に、冷静ではいられなくなるだろう。それに、大掛かりな仕掛けは必要なく。ただ綺麗な服を着せるだけでいいのだから、短時間で準備できるしな」
この作戦で重要なのはスピード性だ。速やかに問題を解決しなくてはならない。ゆえに、簡単かつ直ぐにかけられる心理戦の案は受け入れるに値すると判断されたようだった。
「よし。作戦概要は頭に叩き入れたな? 皆、準備をしろ! 出発するぞ!」
叔父の合図でその場にいた人々はより一層、忙しなく動き始めた。最後の準備が行われ、コルネリウス達も余っていた装備に身を包む。
「出陣!」
《大毒蜘蛛》の拠点がある森までは馬車より速い馬で向かい、道が悪くなる途中からは徒歩で進軍することになっている。
外に準備されていた馬に飛び乗ったコルネリウス達は風魔法による強化を受け、一塊になって目的地に走る。
結果を言うと……。
《大毒蜘蛛》拠点への襲撃は、容易く成功した。特に、タンザの提案した策が上手く嵌ったと言える。
拠点へと案内した猫獣人の顔は明らかに引き攣っていたが……それでも綺麗な服を着て人間達を連れ立った姿は充分、裏切り者の姿に見えたのだろう。襲撃を受けた亜人達の殆どが猫獣人への怒りで冷静さを失っていたため、容易く撃破が可能だった。
多少は骨のある輩もいたが、それでも王族二人の敵ではない。
数時間もかからずに、制圧は終わってしまった。
「……ふむ。随分と呆気ないな? どうやら研究機関を襲って奴隷どもを連れ去ることに成功したのはマグレだったらしい」
魔法で生み出した鎖で厳重に拘束されて、列を成して連れて行かれる亜人達を見つめたコルティオが、そう呟く。
「そうですね、叔父上。想像よりも遥かに弱かったです」
コルネリウスも微妙な面持ちで、それに同意した。
研究機関襲撃による奴隷の拉致は、それはもう鮮やかな手並みだったという。一瞬で、とんでもない数の奴隷を連れ出されてしまうほどの。
しかし、先ほど歯向かってきた亜人達は総じて、弱く感じられた。〝本当にこの程度で抵抗しているつもりなのか?〟と、疑ってしまうほどに弱かった。
「まぁ、目的は果たしたのだから気にすることはないか。とにもかくにも……これで奴隷どもの回収はこれで完了した。後は、この拠点を破壊していくぞ、コルネリウス」
「はい」
けれど、そんなことよりも今は優先すべきことがある。…………この拠点の破壊だ。
拠点を破壊するのは、《大毒蜘蛛》の活動を抑制、或いは再起不能とすることが目的だった。だが、本当の理由はそれではない。
この拠点の規模が、問題だった。
既に、この《大毒蜘蛛》の拠点は町と言っても過言ではない規模の大きさになっている。つまり、これほどの拠点を作れるほどに長い間、この場所に潜伏していた証左となる。逆説的に、それほど長い間、レメイン王家は彼らを見過ごしていたということに。
これが他国に知られたら、やはり誹りは免れないだろう。ワザと見逃していたのではないかと、痛くない腹を探られるようなことになるかもしれない。
そのためにも証拠隠滅──この拠点の破壊が、急務だった。
「コルネリウス、《業炎滅却の雨》で共鳴させるぞ」
「はい」
「総員、被害を拡大させないための結界を展開! 範囲は《大毒蜘蛛》拠点! また、我々の共鳴魔法に巻き込まれぬように各々自衛せよ!」
『ハッ!』
部下達が魔法による影響が森にまで広がらないように結界を張り、自分自身を守る魔法を各自発動させたのを確認してから……コルネリウスとコルティオは、竜の魔道具──人間達は〝竜杖〟と呼称している──を構える。
竜杖は他の魔道具よりも強力な魔法を行使できるが、それだけではない。同じ魔法を重ね合わせると更に強力な魔法を発動させることができる──〝共鳴〟という、特殊な性能を保有する魔道具である。
他の魔道具にはそのような性能がないため、素材である竜がこのような効果を齎しているのだろう。
とにもかくにも、共鳴を発動させるということは……王弟は徹底的に、この拠点を潰すつもりらしい。当然ながら、それにはコルネリウスも大賛成だった。残しておく方が、リスクが高いからである。
彼らは魔力を高めて──……。
──全てを燃やし尽くすための魔法を、発動させた。
「《火よ、火よ、火よ! 業火の攻め手よ! 我が呼び声に答えよ! その降り注ぐ火炎で全てを灰塵に還し給え!》」
「《火よ、火よ、火よ! 業火の攻め手よ! 我が呼び声に答えよ! その降り注ぐ火炎で全てを灰塵に還し給え!》」
「「《業炎滅却の雨》!」」
──ザァァァァァァア! ゴォォォォォ!
炎の雨が降り注ぎ、《大毒蜘蛛》の拠点を燃やしていく。建物も。手加減を誤って、拘束前に殺してしまった亜人の死体も。全て全て、燃やし尽くしていく。
残ったのは灰だけの、世界。
「…………拠点の破壊を確認。総員、帰投するぞ!」
『ハッ!』
コルティオの指示に従って、彼らは領都への帰路につく。
今回の襲撃はほぼほぼ成功と言えるだろう。少なくない数の奴隷どもを回収することができたし。犯罪組織の拠点も破壊した。
後は領都でこの奴隷達を使って各国と交渉をするだけだ。
だが──……。
「……コルネリウスよ」
「? どうしましたか、叔父上」
「お前はここまでで大丈夫だ。後はこちらに任せるといい」
「…………はい?」
コルネリウスは隣を歩く叔父を見上げながら、不思議そうに首を傾げる。
この件に関わった以上、最後まで責務を果たすのが王太子としての務めだろう。なのに、叔父はもうここまででいい、後処理は自分達で充分だと言う。
しかしそれは、コルティオなりの……甥っ子に対する優しさであったのだ。
「忘れたのか? お前は元々、避暑──……羽を伸ばすためにこの地に訪れているのだろう? それも友人らを伴って、な」
「それ、は……そうです、が…………」
「学生時代というのは、王族が自由に過ごすことができる最後の時間だ」
学園を卒業したら、コルネリウスの自由は殆どなくなる。それは王族ならば誰もが通る道ではあるが……将来的にが国を導く王となる王太子は、他の王族よりも遥かに自由ない生活を送ることになるだろう。
今いる側近達との距離は更に離れ、王と臣下という立場になる。気安く話すことすらできない。その心身の全てを国に捧げることになる。本心を誰にも見せることは叶わず、孤独感を抱えて生きていくことになる。
それを理解しているからこそ。そんな現国王の姿を見てきたからこそ。叔父は最後の自由を楽しんでこいと告げたのだ。
かけがえのない思い出があれば、それだけでも乗り越えられることもあるのだから──……。
「……分かりました。ありがとうございます、叔父上」
そんな叔父の配慮を感じ取ったのだろう。コルネリウスは感謝の言葉を口にする。
行きとは違い、多くの亜人達を連れての帰路。
ヒトが増えれば必然的に時間がかかってしまったが、それでもその日の午後が始まったぐらいに領都に戻ったコルネリウス達は領主館には戻らず、そのまま宿屋へと戻って行く。
観光には行かずに、三人の帰還を待っていてくれたらしいフィオナ達に向かい入れられ……コルネリウス達はやっと、息を吐く。
避暑地滞在一日目からして中々の騒動に巻き込まれたが、後は落ち着いて楽しめるだろうと。気を抜いたのがフラグだったのかもしれない。
彼らはこの翌日──……。
思わぬ人物からの襲撃を……受けることになる。