燃え盛る炎は、好機の予感
隠れ里の代表であるジェットは、遥か昔より生きる吸血鬼だ。
永い刻を生きるモノは永い刻を生きるからこそ、狂気に呑まれやすい。精神的に不安定に陥りやすい。
そのため、精神的な負担を少しでも減らすため……記憶の忘却が本能に刻み込まれていたり、普通の睡眠とは異なる──数ヶ月から数年ほどの〝休眠〟を取るようになっていた。吸血鬼という種族も、その一つ。
「すまないな……忙しい時期に」
ジェットは地下室に用意された棺桶の中に横たわりながら、蓋を閉める役目を託した妻アイヴィーに声をかける。
今、隠れ里は今までにないほどの人口増加によってかなり忙しい日々を送っていた。それもこれも、あの最後の竜が人間どもに囚われていた亜人達を救い出したのが原因だ。
だが……いつ、魔道具の素材として殺されるかが分からない以上、助けるのには早いことがないし。元々、この隠れ里は人間どもに無意味に命を奪われる亜人達の安住の地、最後の楽園。行き場のない亜人達を受け入れないのは、隠れ里の理念に反する。
そこに追い打ちをかけるかのように、里の仔供がヒトリ、行方不明になっていた。
いなくなったのはジェットの末の子……猫獣人のマナト。
元々、好奇心の強い仔だった。あの子が里の外に興味を抱いていることに、ジェットはなんとなく気づいていた。だが、この里の仔達には外の危険さを嫌というほど教え込んでいる。
だから、大丈夫だろうと。タカを括っていたのだ。
まさか、里から飛び出して姿を眩ますようなことをするとは、思いもしなかった。
この隠れ里にとって、仔は宝だ。比較的、獣人の仔供は産まれやすいが……それ以外の種族の子は産まれにくい。だからこそ、この里ではどの仔だって分け隔てなく大切にされる。
そのため、里の外に出るという危険を犯してでも、マナトを見つけることが重要視されていた。
新しい住人達の世話に、マナトの捜索。そんな忙しい時期だというのに。運悪く、種族特性である休眠期が重なってしまった。
頑張れば無理に起きていることはできるが、それはかなりの負荷をジェット自身にかけることになる。精神を蝕むことになる。できるならば、本能に従って適切に休眠を取った方が健全に生きれる時間が伸びる。
不幸中の幸いであるのは、ジェットの休眠は短期型──数年に一度来て、何ヶ月も何年も眠るモノではなく。一年に一度やってきて一ヶ月だけ眠るという、比較的軽度な休眠であったことだけ。
「お気になさらないでくださいな。ゆっくりお休みくださいね」
彼の不在を一ヶ月だけ乗り越えればいいのだとよく理解しているからか……アイヴィーははジェットが気負うことがないように柔らかく微笑む。
確かに今は大変な時期ではあるが……だからこそ、里の代表であるジェットを損なう訳にはいかない。休眠を取らずに精神を狂わせて、彼自身を失うことになったら、その方が里へ大きな悪影響を及ぼす。
今後の未来のためにも。大事な存在であるからこそ、ジェットには滞りなく休眠を取ってもらうべきだと、この里のモノ達は誰もがそう判断した。
「大丈夫ですよ。貴方が眠っている間はわたし達が頑張りますので。どうぞご心配なく」
「……ありがとう。信頼してるよ」
「はい、お任せください。では、お休みなさいませ。ジェット様」
「お休み……アイヴィー」
ゆっくりと、棺桶の蓋が閉じられていく。
暗くなった棺桶の中で、ジェットはゆっくりと目を閉じる。
けれど、この時の選択を、彼は間違ってしまった。
この時ばかりは。無理をしてでもジェットは起きているべきだったのだ。
だが、そんな〝たられば〟を言っても、後から悔やむことになるから後悔というのだ。
この日の選択を──……ジェットは永遠に、後悔し続けることになる。
◇◇◇◇
穏やかな天気とは裏腹に、死の匂いが立ち込めていた。
パチパチと火花が散る音がする。肉の焼けた匂い。崩れ落ちた建物。啜り泣く声、嗚咽、呻き声。
そして…………死体。
(あ〜りゃりゃ〜こ〜りゃりゃ。大変なことになってんねぇ〜)
目の前の変わり果てた隠れ里の光景に……カルディアは無表情を装いつつ、内心面白いことになりそうだとニンマリとほくそ笑む。
無惨にも死に絶えたモノ。死んだ仲間を抱き抱えて咽び泣くモノ。ボロボロになった身体を抱えながら、泣き叫ぶモノ。
そして──……。
「ジェット」
「…………」
炭化した胴体に、煤汚れた顔。光を失った瞳。焦げ落ちた妖精の羽根。
死に絶えた妻の前で……膝をつき、呆然とするこの隠れ里の代表。
「…………死んじゃったんだ? 貴方の奥さん」
〝奥さん〟という言葉に反応したのか、ピクリッとジェットが反応する。けれどその瞳は変わらず虚ろのまま。
彼はアイヴィーに手を伸ばさないまま、彼女の死を受け入れないまま、呟く。
「……休眠、期、だったんだ」
他所の世界であれば、休眠期なんて必要としない吸血鬼もいたが。
どうやらこの世界の吸血鬼はその永い刻を生きるために、精神の健康を守るための休眠期が本能に刻まれているらしい。
「…………だ、から……分からな、かった……気づかな、かった……! なんで……なんで……! なんでこんなことにっ……!」
そう言って、ボロボロと泣く彼の姿に。感情を動かし始めたジェットの様子に、カルディアは事情を察した。
きっと、休眠期が明けて初めて、この惨状を知ったのだろう。そして、休眠期明けだった──例えるならば今の今まで寝惚けていた──から、妻の死を簡単に受け入れられなかったのだろうと。
「アイヴィー……アイヴィーアイヴィーアイヴィーッ! 何故っ……何故っ……!」
妻の骸を抱いて、泣き叫ぶジェットを尻目に。カルディアは傷一つない屋敷を見つめる。
残る魔法の残滓は、妖精が使う守護の魔法。どうやら彼の妻は夫を守ることを優先したらしい。だから、彼女自身の守りが甘くなって……。
「…………隠れ里は大変なことになっちゃったねぇ? ア〜ル」
カルディアはそう言いながら、振り返った。
少し離れたところで、呆然と立ち尽くす眷属の方へと。
「…………なん、で……」
彼もまた、この光景を受け入れられていないようだった。
ガクガクと震えながら。その金色の瞳に白い光を散らしながら。
ブツブツと、何かを呟く。
「駄目だ……駄目だ、駄目だ……こんなの、『わたくしは』望んでいない……『こんなはずじゃなかったのに……』どうして……? なんでこんなことに『なってしまっているの』……?」
アルフォンスの声に、ノイズが混じる。否、女の声が混じる。
それを耳にしたカルディアは、スッとその瞳を細めて……〝獲物〟を引きずり出すための行動に出る。
「ねぇ、アル? アルフォンス? 私、ず〜〜〜っと不思議だったの。なんてアルはこの復讐に亜人達を巻き込むことにしたの?」
ピタリと、アルフォンスの呟きが止まった。
視線があちらこちらを彷徨って、「なんで……? 何故……?」と不思議そうに首を傾げる。
「それは……そうしなくちゃ……いけなかった、から?」
「なんで?」
「なんでって……」
その問いかけに、アルフォンスの動きが完全に固まる。
それと同時にカルディアの瞳孔がギュルリッと細まった。
《界》を司る竜の金色の瞳に映る、それ。この世界最後の竜の首から伸びる……白の光。その先。
「見ぃつけた」
その瞬間──カルディアは光を辿って界を渡り、〝それ〟の首を掴んで思いっきり地面へと叩きつけていた。
──ドンッ!!
「カハッ……!?」
苦しげな声があがった。
カルディアは口角を持ち上げて、獰猛に笑いながら首を掴んだ手に力を込める。
「やぁっと会えたね? 会いたかったよ〜……この世界の神様」
カルディアが狙っていたのはまさにこの瞬間、この相手。
竜に命を握られた女──否、この世界の〝神〟ともいえる存在は……その真っ白な瞳に恐怖を滲ませながら、狂った竜を見つめ返した。