下準備は丁寧に、そして杜撰に。( Ⅲ )
レメイン王国の隣国──アーシス王国。
その国で国王を務めるレイフォード・フォン・アーシスは、不思議な庭園に目を瞬かせながら見渡していた。
「ここは……」
薄紫色の花々に囲まれた四阿。空は晴れ渡り、甘い匂いが辺り一面に立ち込めている。ふわりと飛んできた金と碧が混じった蝶。パチッと瞬きをすると、丸テーブルを挟んだ向かい側に亜麻色の髪の少女が現れた。
「!」
「こんばんは。アーシスの王様。お邪魔してるわ」
シンプルながらもどこか、神々しさを感じさせる白のドレス。可愛らしい顔立ちには和かな笑顔が浮かび……特徴的な金色混じりの碧眼は柔らかく弧を描いている。
「君は……」
「私? 私はそうね……アリーとでも呼んで頂戴」
「アリー?」
「そう。貴方に大切なことを伝えるために、やって来たのよ」
彼女がそう言うのならば、そうなのだろう。レイフォードは素直に頷く。
その瞬間、女の顔がピシリッと固まったが──どうやらここまで素直に頷かれるとは思っていなかったらしい。逆を返せばそれほど、警戒心がない……疑うことを滅多にしないような愚者であるということでもある──、なんとか気を取り直したらしい。
彼女は若干呆れた空気を出しながら、本題を口にした。
「レメイン王国に貴方の娘がいると聞いたでしょう?」
「っ……!」
何故、何故知っているのだという気持ちが湧き上がる。
昼間──レメイン王国に駐在している大使から直通の報告が届き、レメイン王国にレイフォードの娘らしき令嬢がいると聞かされた。
信じられなかった。それでも、信じるしかなかった。
その令嬢の歳は十六〜十八歳ほど。特徴的な銀髪を有しており、とてもレイフォードに瓜二つなのだと言う。
もし、彼女との子供だったならば……娘は、それぐらいの年齢になるに違いない。他の人間が自分に似ていると言うのならば、血の繋がりがあるのは疑いようがない。
レイフォードの美しい瞳から思わずといった感じで、ポロリッと小さな涙が零れ落ちた……。
◆◆◆◆
十八年前──。
国王になる前のレイフォードには平民の恋人がいた。
お忍びで足を運んでいた王都の平民区。同年代の青年達にカツアゲされそうになったところを、勝ち気な少女──フェリーシャに救われたのが、全ての始まりであった。
『見るからにボンボンだからって、寄ってたかってんじゃないよ!』
そう言って彼ら──どうやら悪餓鬼になった、近所の幼馴染的な子らだったらしい──に飛び蹴りを噛ます彼女は、今まで自分の周りにはいない気質で。彼女はとても勇敢で、一時足りとも忘れられないほどに鮮烈で。
レイフォードは彼女……フェリーシャに一目惚れをしたのであった。
しかし、彼女は簡単にはレイフォードのことを受け入れようとはしなかった。王族であることは流石に分からなかったようだが、見た目や仕草から彼が貴族であると判断していたらしい。身分が違う、価値観が違う。だからアンタとは付き合えないと、フェリーシャは告げた。
しかし、そこで諦めなかったのがレイフォードという男だ。
彼は彼女が断る理由が自分のことが嫌いだからという理由じゃないことを盾に、フェリーシャのことを諦めなかったのだ。
そうしてしつこいぐらいに付き纏い続けて一年──……ついに彼女はレイフォードの執念に絆されて、恋人になることを了承した。
レイフォードは浮かれ切った。愛している女性と恋人になれたのだ。一緒にいれるだけでも幸せだが、どうせならばフェリーシャと夫婦になりたい。ならばこのまま彼女と結婚出来るようにと、今までにないくらい積極的に動き始めた。それと同時に彼女を妻にするための根回しも始めた。
決して楽ではなかったけれど。そんな時間すらもフェリーシャとの未来のためだと思えば喜んで頑張れた。
だが、そんな幸せな時間は長くは続かない。
先代国王──つまりはレイフォードの父の、急な病死。
それによって混乱に陥った国政を直ちに治めるために、レイフォードは国王にならなくてはいけなくなってしまった。父王の代わりとなる後ろ盾を失わないために、婚約者であった宰相の娘と結婚することになってしまった。
…………はっきり言って、レイフォードは宰相を疑っている。至って健康だった父が何の前触れもなく病死したのだ。更には、自身の娘が婚約破棄されそうになっている。
宰相は王太子たる自分と侯爵令嬢を婚姻させるために、婚姻せざるを得ない状況に追い込んだのではないかと。
実際に宰相は、「わたしの娘と婚姻しないのならば、宰相の地位から退かせていただく」と脅しかけてきた。
当時のレイフォードは、臣下達に不安を抱かせる程度に若かった。王になるには若過ぎる年齢であった。そんな状況下で国王の右腕であった宰相にまで身を引かれたら、完全に国は機能停止に陥る。国を守るためには、レイフォードは宰相の提案を飲み込むしかなかった。
となれば……フェリーシャと別れることになるのは必然で。
別れを告げた日──彼女はどこか分かっていたような顔で、それを了承した。
『……そっか。ま、いつかはこーなるとは思ってたよ。仕方ない。じゃあね、レイ。元気で』
そうあっさりと。ごねることもなく、縋ることもなく。ボロボロ泣くレイフォードに背を向けて、去って行った。
そこから先はただ、国王の務めに追われるだけ──。
王として玉座に押し込められたレイフォードはその後──……フェリーシャの行方を知ることなく、今日まで過ごしてきたのであった……。
◆◆◆◆
「報告を聞いているなら話は早いわ。急いで頂戴。レメイン王太子の婚約者が動き始めたわ。多分、この夏の長期休暇が肝要でしょうね。だって貴方の娘、王太子達と一緒に避暑地──メーユに向かうみたいだから。王族の公領とはいえ王都よりも警備は緩い。排除されてしまったとしてもおかしくはないわよ、貴方の娘がね」
クスクスと笑う声が、不気味に響き渡る。
レイフォードの頭を過ぎるのは、残酷な未来。
公爵令嬢の手によって死んでしまう娘。それに重なるように王妃の手で殺される愛しい女性。
真っ赤に染まった大地に、その身体が沈む。公爵令嬢と、王妃が、大きな声で心底嬉しそうに笑う。
その想像だけで、限界だった。レイフォードは絶叫を、悲鳴のように叫んだ。
「だめだ。ダメだ駄目だ! 彼女の子をっ……彼女とわたしの愛の証をっ……! 助けなければっ……娘を、娘を助けなくては!」
その瞬間──彼の姿がゆらりと消える。
どうやら意志の力で精神世界──もとい、夢の一歩手前の世界から目覚めたらしい。
残されたアリーはそれに驚いたように大きく目を見開いて固まる。
しかし、少しして我に返ると呆れたように呟く。
「…………驚いた。催眠でゴリ押ししなくてもなんとかなってしまった……」
レイフォードの意味を捻じ曲げて。疑問や猜疑心なんかも催眠で都合よく押し倒してしまうつもりだったのに、そんなことしなくてもなんとかなってしまった。それには心底驚く。
…………が。
それ以前として──……レイフォードに対する軽蔑は、どうしようもない。
(…………そんなに、そのフェリーシャという女性を愛してたなら。その後の行方を把握して隠れて手助けしたり、援助したりすれば良かったのに。今更、娘が危ない目に遭うからって手助けするなんてさ。…………あの男の気持ちは所詮その程度だったんだって。……自覚、ないのかな)
そっと静かに目を閉じる。
自分勝手な人の愚かさに、欲深さに呆れてしまう。
けれど、今はそんな気持ち必要ない。
「さて……次の客人のところへ行くとしましょうか」
そう言って立ち上がったアリーの周りの景色がゆらりと揺らぐ。
さっきと似たような四阿。けれど周りの花々の色が水色に変わり……近くには透き通った湖が日の光を受けて煌めく。
そして、四阿の中央に置かれたテーブルの向かいに座る、老人に微笑みかけた。
「お邪魔してるわ、ボリス・マロー侯爵」




