下準備は丁寧に、そして杜撰に。( Ⅱ )
レメイン王国の隣──シーアス王国。
若き国王が治めるその国から、駐在大使として隣国で暮らしているゴードン・マスバーレ伯爵は……つい先月の終わりに開かれたパーティーで披露された舞姫の踊りを今なお忘れることが出来ずにいた。
(ふむ……流石は芸術の国と名高いレメイン王国。芸術鑑賞のために夜会を開くなどかなり独特な文化だとは思っていたが。あれほど素晴らしい、一生忘れ難い芸術品があると知った今なら、この国がこれほどまでに芸術に力を入れることも。芸術鑑賞を目的とした夜会を開くようになったのにも納得するというものだ)
ゴードンは織物の国らしく豪華な敷物や垂れ幕、タペストリーなどで彩られたシーアス大使館の執務室で、そんなことを考えながら、本国に報告するための定期的な報告書の作成を進める。
そんな時、トントントンッと扉がノックされた。扉の方を見ずに入室の許可を出すと、大使館で働いている使用人が「お忙しいところ、失礼いたします」と来客が訪れたことを報告してくる。
「来客、だと?」
「はい」
元々、今日は来客の予定はなかったはずだ。つまり突発的、緊急の要件だと思われた。
ゴードンは立ち上がり、その使用人の案内で応接室に向かうと……中央のソファに優雅に座る白金の髪を持つ女性を見て、困惑の表情を浮かべた。
「貴女は……」
「久しぶりね、ゴードン」
「っ……!」
ぐらりと、ゴードンの頭に鋭い痛みが走った。
ズキズキと痛むこめかみを押さえて、彼は明滅する視界を落ち着かせようと何度か目を瞬かせる。やっと視界が戻ってきた頃……改めてその女性に視線を向けた。
鮮やかなブルーのドレス。白金色の髪に碧眼、可愛らしい顔立ちの……。
「…………アリ、ス?」
「ふふふっ……えぇ、そうよ。やっと、幼馴染の顔を思い出したのね?」
クスクスと悪戯っ子のように笑うその笑顔に、ゴードンは完全に彼女のことを思い出す。
そう……彼女はアリス・ルフォール子爵夫人。かつてはシーアス王国の貴族令嬢であった女性であり、自身の幼馴染であったヒト。
彼は久しぶりの再会に喜びの声をあげた。
「アリス……アリスなのか!?」
「えぇ、そうよ。この顔を忘れてしまったの?」
「いや、覚えているが……あまりにも君が、昔と変わらないものだから。驚いてしまって」
ゴードンはローテーブルを挟んだ向かいのソファに座りながら、そう告げる。
目の前の女性はどこからどう見ても二十代前半にしか見えない。未婚の令嬢と言っても通じてしまうぐらいに若々しい。
対してゴードンは三十八歳というまだまだ男盛りな年齢ではあるが、アッシュグレーの髪と瞳の所為なのか……年齢よりも老けて見えがちだ。貫禄があるのは確かなのだが、目の前にいる女性と同年代言っても信じてもらえそうにはなかった。
「それにしても、随分と久しぶりだな」
「えぇ、そうね。貴方がこの国に大使として滞在するようになって、もうどれぐらい経つかしら? 同じ国にいながら顔を出さなかったこと、謝罪するわ。ゴードン」
「いや、構わないさ。こうやって再び会えただけでも充分だからな。それで? 一体、どんな用事があってここに来たんだ? アリス」
ゴードンがそう問いかけると、アリスの表情が一気に曇った。
緊張からか視線を彷徨わせ、言いにくそうに唇を震わせる。
しかし、覚悟を決めたのだろう。彼女はギュッと拳を握り締めると……真剣な面持ちで、大使を見つめた。
「芸術の月に開かれたパーティーで……わたくし、見たの」
「……うん? 何をだ?」
「…………レイフォード国王陛下によく似た、ご令嬢よ」
「…………!?」
レイフォード・フォン・アーシス──彼の方は、煌めく銀髪に薄紫色の瞳を持つ、若きアーシス王国の国王だ。
そんな彼によく似た令嬢が、この国で開かれた夜会に……いた?
ゴードンは言葉を失いながらも、アリスの話に耳を傾けた。
「齢は成人ほど。十六歳から十八歳ほどだったわ。……思い当たらない?」
「っ……!!」
確認するかのような言葉に、ゴードンは息を呑む。
その言葉通りに──……思い至ってしまった。ある可能性に辿り着いてしまった。
「まさか……フェリーシャ、か?」
「…………」
その無言こそが答えも同然だった。
◆◆◆◆
フェリーシャとは、レイフォード陛下が国王になる前に付き合っていた庶民の娘だ。
彼の王は王太子であった頃、身分を隠して市井に降りることを好んでおり……その時に二人は出会って、身分違いの恋に堕ちたという。
けれど、レイフォードには宰相の娘──侯爵令嬢の婚約者がいた。彼はなんとか婚姻するまでに令嬢との婚約を破棄し、フェリーシャと結ばれようとしたが……先代国王の急な病死によって、それどころではなくなってしまう。
前触れのない、唐突過ぎる先代国王の急死は……国に大きな混乱を及ぼした。そのため、レイフォードは国王とならなくてはいけなくなったし。彼にはこの困難を乗り越えるためにも、揺るぎない後ろ盾が必要になってしまった。そう、宰相である。
ここで侯爵令嬢と婚約破棄をして、宰相の怒りを買い、この状況で宰相に仕事を辞められてしまったら。国は完全な再起不能へと陥る。
故にレイフォードに残された選択肢は一つしかなかった。
そう……国王となって、侯爵令嬢と結婚するしかなかったのである。
◆◆◆◆
「平民の娘と別れ、陛下が即位されたのが十八年前。その時には既に子を身ごもっていたとしたら……出産までに一年。子供の年齢は十七歳ほどになるはずよ」
「アーシス王族で王位継承権を持つのは男児だが……長子継承制度でもある。もし当時、陛下の子を身ごもったことを宰相に知られたら……男児である可能性を考慮して、フェリーシャは行方不明になっていただろうな……」
行方不明と濁しはしたが、そんなの意味がなかった。
心の中で、はっきりと断言出来る。
もし、フェリーシャが陛下の子を身ごもっていたら──彼女は宰相の手によって、殺されていただろうと……。
「だから、この国に逃げたのでしょうね。身重の身では遠くにはいけないもの。国を跨ぐだけでも祖国にいるよりは遥かに良いでしょうから」
「あぁ。きっと産まれた子供が女児で、フェリーシャも心底安堵したことだろうな」
「それでも、あそこまで似てしまっていたら……彼女がレイフォード陛下の娘であることは疑いようがないわ」
「それほど似ているのか……」
「えぇ。だからこそ問題なのよ」
アリスは頭が痛いと言わんばかりに、溜息を零す。
どうやら本題は、レイフォード陛下の御落胤らしき存在を見つけたことじゃないらしい。
ゴードンは嫌な予感がして、無意識に生唾を飲み込んでいた。
「貴方は芸術の月の夜会で、そのご令嬢を見なかったの? 確か、大使として参加していたでしょう」
「……あの夜会に、御落胤が参加していたのか? すまない……その、舞姫の踊りに意識が向いてしまって……」
「あぁ……それは仕方ないわね。でも、出来ればその時に一目見ておいて欲しかった。なんせ彼女、この国の王太子殿下とかなり仲睦まじいようなんだもの」
「…………なん、だと?」
その言葉に、ゴードンの頬が引き攣った。
〝仲睦まじい〟──その言葉を、正しく理解出来ないようでは貴族なんてやっていけない。
「…………分かる? この国の王太子には当然ながら婚約者がいるわ。公爵令嬢のね。なのに彼は、平民だと思っている御落胤と仲が良いの。それこそ、公爵令嬢が怒りを覚えるほどに」
「…………まさか」
「公爵令嬢は表向きは高貴な淑女であるけれど……本性は苛烈な性格であるという、噂よ。それこそ、必要であればどんな犠牲も厭わないほどに。ねぇ、これがどれだけ深刻な問題か、分かるでしょう?」
「…………」
レイフォード陛下は決して、フェリーシャを疎んで別れた訳ではない。今でもその心の奥底には愛しい彼女が住み着いている。ならば、陛下が彼女と自分の子のことを知ったら、どれほどその子のことを愛するか分かったものではない。
そんな彼女との子が、この国の王太子と仲睦まじく。それを王太子の婚約者が目の敵にしていて……。婚約者を奪われぬために、彼女を排除しようとしているならば。
確かにこれは、国際問題にも、なりかねない。
「…………何故、貴方に会いに来たか分かったでしょう。ゴードン。早く、早く彼女を保護すべきだわ。公爵令嬢の魔の手が届く前に」
──リィィィン……!
強い鈴のような音が聞こえた。ゴードンの頭が揺れる。けれどそれを本人は自覚出来ない。
「……そう、だな。……直ぐに、緊急の、連絡をしよう」
そう言ったゴードンは立ち上がって応接室を後にする。
執務室に戻り、緊急連絡用の通信魔道具を起動させる。
ガチャリッと繋がった音がした後、『こちらアーシス王国王宮司令室です』と聞こえてくる。
ゴードンは淡々とした声で、緊急連絡の合図を口にした。
「こちらレメイン王国駐在大使館所属、ゴードン・マスバーレです。コード・シルバー。コード・シルバー。至急国王陛下に繋げていただきたい」
『……承知しました。お待ちください』
そして、隣国アーシスにその情報が齎される。
それこそが……いつの間にか応接室から姿を消していた女の、目的。
二つ目の下準備が、終わった。
「エイス、エイス。洗脳ありがとうです!」
「どういたしまして」
「さぁて! 次はエイスの出番ですよ!」
※なお、アリスはエイスの力で髪色を微妙に変えてます。ルフォール子息夫人仕様。
次回に続く☆