下準備は丁寧に、そして杜撰に。( I )
人の口ほど軽いものはない。
エピフィルムの噂は瞬く間に貴族達の間に広がっていった。
美しい舞。美しい姿。あれは見たものにしか分からない至高の一時であったと、エピフィルムの話はどんどん尾鰭を付けて広がっていく。
一度見た者はもう一度あの舞を見たいと、彼女を探すようになった。
不幸にもあのパーティーの広間にいなかった、エピフィルムの舞を見なかった者達は……そんなにも口々に称賛されるのならば自分も見てみたいと、彼女を探すようにようになった。
今では王族や高位貴族すらも、彼女を探しているという。
(あははははっ! すっごい馬鹿! なぁに愚かなことしてるんだろ? 人間どもは!)
それを聞いた舞姫本人──カルディアは爆笑が止まらなかった。
本当に愚かしくて、面白いと──!
カルディアの知る本物の踊りじゃないというのに、まさかこんなにも簡単に惑わされるなんて。まさかあんなにも偽りの舞姫に夢中になるなんて。思いもしなかった。笑わずにはいられなかった。
…………本当に愚かしい。流石は脆弱種たる人間だ。
だというのに、この世界の頂点に立っているというのだから……腹立たしくて仕方ない。
(まぁ……どうやらアルが色々と頑張ってるみたいだし? 今は虐殺は我慢しよーっと)
普段のカルディアならばもうこの時点で虐殺しているはずだ。だって人間どもが不快だから。弱い奴らがのさばっているのが面白くないから。だからきっと、いつもの界竜であれば……他所の世界だろうが容赦なく、皆殺しにしていることだろう。
それを我慢しているのは単に、アルフォンスの復讐の方が面白いからだ。
何も出来なかった竜が、力をつけて。頭を働かせて。知略を巡らせて。人間どもへ復讐しようとしている。
弱種をあるべき姿に戻そうとしている。弱種として相応しい立場に戻そうとしている。
どんな手段を以って、どんな方法で人間どもを痛めつけるのか──?
要は今はアルフォンスの復讐を見届ける方が優先度が高いから、標的を見逃してやっているに過ぎないのだ。
(でもアルの復讐が面白くなかったら。そしたら人間ども──……殺しちゃってもいいよね?)
きっと、この異界の竜がこの世界に訪れて……盲信従者と悪役令嬢に出会ってしまった時点で、この国は詰んでいたのだろう。
どんな道に進もうと。どんな選択をしようとも。この国は、世界は。
竜に蹂躙される未来しか、残っていない。
そしてそれは……《渡界の界竜》として、とても楽しそうな展開。
(それまで、楽しませてもーらおっと♪)
カルディアはニンマリと笑って、学園へ向かう準備を進めるのだった。
◇◇◇◇
学園にて──夏季の長期休暇前に行われる期末考査が終わった。
気を張るような試験期間が終わったからだろうか? 学園全体の空気が一気に解放的になった気がする。
あちらこちらで聞こえてくるのは長期休暇でどこに行くか。どんなことをするか。つまりは観光旅行の話ばかり。
これから大体二ヶ月ほどの長い長い休みに入る。暑さを逃れるために、殆どの王侯貴族が避暑地に向かうことになるだろう。つまりは、人の目が少なくなるからこそ王都での活動が動き易くなる。
その隙を狙って、アルフォンスはこの間になんとか、仕掛けたいと思っていた。
(そのためにも……下準備を進めないとな)
アルフォンスは冷酷に笑いながら、豪奢な装飾が施された扉をノックした。
「ご挨拶申し上げます、王太子殿下。お忙しいところお時間を取っていただき、ありがとうございます」
「構わない。定期考査が終わって落ち着いたところだったからな」
いつものように侍従に扮したアルフォンスは、学園の王族専用サロンの入り口近くに立ち、深々と頭を下げる。
中央に置かれた応接用のソファの一番上座に座したのは、穏やかな笑みを浮かべる王太子コルネリウス。ローテーブルの周りに置かれたソファには側近こと取り巻きの眼鏡──宰相子息タンザが座っている。
アルフォンスは内心憎悪に満ちた感情を二人に向けながらも……表面上は真面目に、慎ましい態度を維持し続けた。
「それで? わざわざケイトリン嬢の侍従である君がわたしに会いにくるなんて……どんな用事があってのことだ?」
「簡潔に申し上げますと、長期休暇のご予定をお伺いしたく」
「……長期休暇の予定?」
専属侍従の仕事を引き継ぐ際に、アルフォンスは昨年の予定管理表を受け取っていた。
それにはいつ公爵令嬢が出かけたか。誰から誘われたかといった詳細が事細かに記録されていた。
そして去年の時期に──ケイトリンは婚約者同士の交流を図るためのという目的で、王太子コルネリウスから避暑地での観光旅行に誘われていた。……その時には既に処刑されていた記憶を取り戻していたので、体調不良を理由に断ってはいたのだが。
「昨年は殿下から観光旅行のお誘いを受けておりましたが……体調不良を理由にご遠慮させていただいてしまっておりましたので」
「…………そういえば、そうだったな」
「お嬢様の予定を管理する侍従として、今年はどうなさるか。ご予定をご確認させていただければと思いまして。いつ頃向かわれるかが分かれば、お嬢様の体調調整の方も可能でしょうから」
それを聞いたコルネリウスの顔が微かに、嫌そうに歪む。
例え不快であろうとも──王族ならば顔に出すな、と教わるだろうに。揚げ足を取られるなと言いつけられるだろうに。随分と素直な反応だ。しかし、これはまずいと思ったのだろう。
王太子の婚約者であるケイトリンの侍従に告げ口をされてはならないと。無理やりタンザが話に割り込んできた。
「悪いが。今年の夏季休暇は、殿下と我々で避暑地に向かうことになっている」
「我々……側近の方々と?」
「あぁ。近い将来、我々は真に王と臣下となる。そうなってしまえば、こうして気安く接することなど出来なくなる。このような距離で、話すことなど出来なくなる。この学園生活は最後の猶予期間という訳だ」
学園を卒業したら──彼らは自由に生きることは出来なくなる。今のように親しく話すことなど、出来なくなる。
何故なら、彼らは王と臣下になるから。大人として、王族として、王を支える貴族として。相応しい振る舞いをしなくてはならない。
「ゆえに学園での長期休暇は、殿下と親しく過ごす最後の時間として我々に譲っていただきたいと。そう、マジェット嬢に伝えてくれ」
「…………タンザ」
「…………」
側近の言葉に心を打たれたのだろう。
コルネリウスは嬉しそうに頬を緩めてから、言葉を重ねた。
「……アルバート」
「はい」
「わたしも同じ気持ちだ。今年の夏だけではなく、学園での長期休暇は全て彼らと過ごす。ゆえにケイトリン嬢とは過ごさぬと、そう伝えよ」
「…………畏まりました。(まさか、残りの学園生活全ての長期休暇とくるとは。中身がカルディア様でも公爵令嬢とは仲良くならない定めなんだな)」
アルフォンスは了承しながら、そんなことを考える。
だが、ある意味……こうなった方がこちらとしては都合が良かった。公爵令嬢として婚約者と過ごす時間がなくなれば、その分だけカルディアとして活動する時間が増えるということなのだから。
「それでは、そろそろ失礼させていただきます。お時間をくださり、ありがとうございました」
避暑地に向かうこと。公爵令嬢と共に過ごすつもりはない、ということ──それが確認出来ただけでも三分の二ほどの目的は達成した。ここで残りの一つ、それをこちらから言い出すのは不自然だ。
そう判断したアルフォンスは深々と一礼して身を翻す。
そんな彼に急に思いついたようにハッとしたコルネリウスが、慌てて声をかけてきた。
「アルバート!」
「…………なんでございましょうか?」
アルフォンスは振り返る。
ほんのりと頬を赤く染めた王太子の姿に、竜の頭に〝もしかして……〟と都合の良い予感が走った。
「その……お前は、ケイトリン嬢に、仕えているだろう?」
「…………えぇ」
「その、何か聞いていたりしないのか……? ケイトリン嬢とルフォール子爵令息の、話とか……」
「話と、言いますと……」
もしも、第三者がこの会話を聞いたのならば──婚約者とその幼馴染の仲を疑って、二人の会話を密告しろと言っているように見えただろう。
しかし、コルネリウスの浮かれようからしてそんな感じではない。確実に違うと分かる。
アルフォンスはその愚かさに、笑い出しそうになるのを無理やり堪える。
「その……エピフィルムのことだ」
「っ……!」
「エピフィルム、のことですか……」
その名にタンザの顔が歪む。紛れもない独占欲と彼女のことを気にかける王太子への嫉妬に、愚かにも本人達は気づかない。
本当に、笑い出さなかったのを誰かに褒めて欲しい気分だった。
なんて、なんて。こちらの思い通りになってくれているのだろうか? どうしてこんなにも馬鹿なのだろうか?
アルフォンスは困惑を演じながら、それに答える。
「いや……そんな詳しいことはわたしも知りませんでして……。彼女がレーメの領都暮らしだというぐらいしか……」
「「!?」」
レーメは、王族の公領地の名だ。
その地は王弟が領主を担っており……公領地でありながら、避暑地としても有名で。領都に別荘を構えることが貴族のステータスの一種──高い土地代を払えるほどの経済力があるという証左になる──となっていた。
そのため、レーメの領地には沢山の人が集まっていて……第二の王都と呼ばれるほどに栄えている。当然ながら、その地で働く人も多い。
つまり、そこにエピフィルムが暮らしている──と言っても、信じてしまうほどの説得力があった。現に、目の前にある人間達は彼女が領都で暮らしているという言葉に違和感すら抱いていない。
しかし、エピフィルムは自身の正体を明かすことを良しとしていないのだから……アルフォンスはハッとすると、慌てて二人に口止めをするのであった。
「…………あっ。あぁぁぁっ……! す、すみません! どうか聞かなかったことにしてください! エピフィルム自身の要望で、彼女のことは秘密にするように言われていたのでっ……! わたしがバラしたとお嬢様に知られてしまったら、折檻を受けてしまいますっ……!」
自分でも呆れるぐらいにワザとらしい言葉だ。
けれど、エピフィルムの虜になっている彼らはワザとであることにすら気づかない。
コルネリウスはエピフィルムの情報を手に入れた喜びを隠し切れずに、神妙なフリをして頷いた。
「勿論だ。君が漏らしたことは秘密にしよう」
「あぁぁ……! ありがとうございます! これ以上、みっともない姿をお見せする訳にはまいりませんので……そろそろ御前を辞させていただきますね。失礼いたします、コルネリウス殿下。お時間をくださり、ありがとうございました」
アルフォンスは心底助かったと言わんばかりに満面の笑みを浮かべて、改めて一礼してから今度こそ王族専用サロンを後にする。
自分達がほぼ占領しているサロンに向かいながら。アルフォンスは弧を描きそうになる口元をなんとか堪えていた。
(あぁ……あぁ、あぁ! こんな都合が良いことが起きるなんて!)
エピフィルムがレーメの領都にいる──その偽情報こそが、アルフォンスの三つ目の目的。
これできっと、王太子は沢山の人をレーメに連れて行ってくれるだろう。表向きは避暑地での護衛として、裏向きでは彼女を探すための人手として。
屋根裏にいた〝影〟も、この偽情報を主人に報告して……レーメに人を送り込んでくれるはず。虜になった愚者が彼女を手に入れるため。危機感を覚えた賢人がその元凶たる女を始末するために。
これを、これを待っていたのだ。これを狙っていたのだ。
人目が多ければ多くなるほど、アルフォンスの計画の成功率が上がる。彼女を探せば探すほど、〝それ〟も見つかってしまう可能性が上がる。
人間どもを上手く誘導してしまえば──……後はこちらのモノ。
(まぁ。誘導は最悪……〝追いかけっこ〟で解決するとして。出来ればもっともっと、人間を領都に集めた方が良いか。動かせる駒は多い方がいいものな。後は……〝あちら〟も動かさないと)
アルフォンスは頭の中に広がった復讐計画の道筋を補強しながら、最近覚えた《念話》──遠くにいても脳内に声を届けて、連絡が取れる魔法──を使う。
相手は勿論、全てを識る堕天使とその恋人たる淫魔。
『仕事の時間だ。二人にやってもらいたいことがある』
アルフォンスはニヤリとほくそ笑みながら……次の下準備を、進めるのだった。




