彼女が竜を拾う日
ケイトリンの身代わりを引き受けるにあたって、一週間の引き継ぎ期間を設けることにした。
なんせカルディアはこの世界に来たばかりであるし。一応、他の世界の貴族の知識なんかはあるがこの世界の貴族の常識が同じとは限らないし。この世界特有の規則なんかもあるかもしれない。
そのため、カルディアの認識のすり合わせ期間、要するに調整期間としての意味合いで設けられた。
そして、その選択はまさに正解としか言いようがなかったことをカルディアは知るのだった……。
「あらまぁ……困ったなぁ?」
自分だけの小さな世界──亜空間──を生み出す能力・《箱庭》の一つで。
ソファに横たわったカルディアはケイトリンから受け取った書類を手に、全然困ってなさそうな声を漏らした。
だが、実際にその書類に書かれているのはカルディアにとって都合が悪い内容だ。いや、人間以外には都合が悪いと言うべきだろうか?
カルディアは「うーん……」と呻きながら、これからどうしようかと頭を悩ませた。
どうやらこの世界は、人間が種としての頂点に立っている世界らしい。異界の竜から見ると、最弱種でしかない人間が、だ。
この世界では、人間以外の種族は全て、人間に利用されて生きている。もっと簡単に言ってしまえば人間以外の種族は奴隷で、彼らは最終的に魔道具──この世界の人間は魔道具、杖や魔導本などを用いないと魔法が使えないようだ──の素材として殺されているようだ。
心臓を抉り、その心臓を魔法を使うための核──魔核へと変えられる。骨は魔道具の芯、肉は本体、皮膚は外張り、血は魔道具に呪文を刻むインクに。それらを組み合わせて、魔道具は造られる。
獣人を素材とすれば、身体能力を強化する魔法に特化する魔道具になる。
森人であれば、風や樹といった自然に関わる魔法。
地人ならば、地や付与強化魔法。
火蜥蜴なら火や炎、人魚ならば水や海にまつわる魔法。
天使は光や治癒、悪魔は闇や弱体化の魔法。
そして竜を素材とすれば……あらゆる属性の魔法に適した魔道具を作ることができる。
つまり、人間どもが使っている魔道具は……元は生きていた〝誰か〟だったということだ。
何故、人間程度が他種族をこうも容易く支配しているかが分からない。カルディアの感覚でいえば、この世界の人間も他の世界の人間と同じ最弱種だ。エルフやドワーフ、獣人といった素材とされている種族よりも遥かに弱い。なのに、この世界では人間種が生物としての頂点に降臨している。
それどころか……最弱種達であるはずなのに人間どもは、三十年ほど前ぐらいから、安定した魔道具供給のために素材の飼育もやっているようだ。捕らえた他種族を家畜のように繁殖させて、増やした奴隷を殺して魔道具に加工しているらしい。
最近発表された論文には、自分が必ず死ぬのだと知らずに育った個体、伸び伸びとストレスなく育てた個体の方が、素材としての質が良く……より良い魔道具になることが分かったと書かれていた。つまり、そんな風に利益を求めて研究されるほど、素材の飼育は盛んだということ。
(うーん……これは私が竜だってことは秘密にしておいた方がいいかもな〜。異界の竜だからこの世界の竜とは違うだろうけど、ケイトリンが何するか分からないし〜)
特に、この世界の人間達が欲しがっているのは〝竜の素材〟だ。
竜を用いるとどの属性にも適した万能性の高い魔道具になるがため、竜は特に乱獲され……今では殆ど見かけない、所謂絶滅危惧種という扱いになっているらしい。
そんな状況下でカルディアが竜だと分かれば。誰も彼もがその命を狙ってくるに違いない。それも空間魔法に特化した竜だ。人間どもはどんな手を使ってでも、界竜を殺そうとしてくるだろう。
…………というか。下手したらケイトリンがカルディアを売る可能性の方が高い。多分、知られたら絶対そうなる。そんな気がする。
(まぁ、正体がバレて襲われても普通に返り討ちできるし。襲撃者がやり返されて、絶望する顔は結構面白いから構わないけど。…………取り敢えず同じ竜種として、この世界の竜がどうしてるのかが気になるな〜)
近くのテーブルに書類をポイッと投げ捨て、立ち上がる。
そのまま《箱庭》から出て、アルバートに召喚されたボロ小屋──王都の貧民街にある誰も住んでいない家に移動する。
(さぁて……この世界の竜はどこにいるのかな〜?)
カルディアは右手をふわりと持ち上げて、探索の魔法を発動させた。
この世界を観測し、目的の存在を見つけ出す。世界規模で探索が可能なのは、彼女が司るモノが《界》であるがゆえ。
カルディアはその能力を遺憾無く発揮し、容易く目的の存在を見つけ出した。
そして、大きく目を見開いた。
(え? 嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ!?)
それに気づいたカルディアは慌てながら、転移のための門を開く。
歪んだ空間の先。そこにあったのは……深い森の中で、今にも人間どもの手によって殺されようとしている竜の姿。ボロボロとみっともなく泣く仔竜の姿。
その情けない姿に、殺されることを許容している竜の姿に、カルディアは信じられない気持ちでいっぱいになった。
「もぉぉおっ! なんでそんなつまんない状況になってるのーっ!」
「「「…………は?」」」
──ザシュッ!! バタンッ……。
『…………?』
右に腕を振るった。それだけで、今まさに竜を殺そうとした彼らの首が飛ぶ。
やっぱりカルディアの世界の人間と変わらない。人間は思った通り、最弱種。雑魚だった。
そんな雑魚に竜が押し負けているなんて……。殺されそうになってるなんて。本当に、信じ難い。
崩れ落ちた首無しの死体達を無視して、カルディアは仔竜の首根っこを掴む。そして、容赦なく仔竜を叱りつけた。
「なぁに簡単に殺されそーになってんの!」
『キュイィッ……!』
涙で潤んだ仔竜の瞳には、恐怖が滲んでいる。
同族らしくない弱々しい反応に、カルディアは呆れてしまった。
世界が違っても同じ竜だから分かる。この竜の潜在能力は、《渡界の界竜》と何も変わらない。間違いなく、この世界の強者だ。
だからこそ余計に、人間に容易く殺されそうになっているのが情けなくて仕方ない。
「もぉぉ〜……竜の癖に人間風情にここまで追い込まれて〜! 情けないんだから〜!」
薄汚れ、傷ついた真っ白な鱗。金色の瞳。穴だらけになった翼。これぐらいの傷、竜なら直ぐに治るはずだ。なのに治っていないということは、それだけ弱っているということ。
もう何度目か分からない呆れに。全然面白くない仔竜の姿に。カルディアの本音が、思わず漏れた。
「ねぇ、小さい仔竜さん? こんなところで簡単に死なないで? 無抵抗で殺されるなんてつまらないことしないで? 貴方は竜なんだから! どうせ死ぬなら! 周りに災厄を振り撒くような! もっと私を楽しませてくれるような死に方をしてよ!」
そうして物語は、冒頭へと戻る。