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イベント・芸術の月に、女神が踊る(Ⅶ)

 




 言うならば……これは、一種の歴史書なのだ。

 文字で記し、後世に伝える過去の記録を書物として保存するのを。舞という方法で、保存しただけ。

 だから、この舞は一族の歴史を物語るモノである。


 始まりは幼い少女。ただただ踊ることが大好きで。人々に喜んでもらいたくて踊った。

 少女の血を引き継いだ娘達は、色々なところで踊った。人々を喜ばせるために。励ますために。鼓舞するために。沢山沢山、踊った。その踊りはいつしか、女神が愛でるに値するほどのモノへと昇華された。

 けれど、女神が愛するようになるほどの美しさだからこそ、その舞に()()()()()()()()()()者達が現れてしまった。


 …………最初は、彼らも変わらなかった。他の人々と同じように、彼女達の舞を美しいと褒め称えていた。

 でも、どこで変わっていったのだろうか? 彼らはいつしかその美しい舞を独占しようと。その美しさを手中に納めようと。勝手に狂ってしまっていった。

 その男は、踊り子を捕らえて塔に閉じ込めて独占した。

 その男は、他の男を殺して恋仲であった踊り子を奪った。

 その男は、他の男と踊り子を奪い合い……殺し合いをした。

 その男は。その男は。その男は。


 …………ただ、踊ることが好きだっただけなのに。


 それなのに踊りに魅了された者達が争い、殺し合い、奪い合う。

 こんなはずじゃなかったのにと。ただ周りの人々を笑顔にしたかっただけなのにと。

 彼女達は奪い合う者達を、自分達を呪い、怨嗟の舞を生み出してしまう。

 逃げて、逃げるしかなくて、どこまでもどこまでも逃げて。あまりにも辛くて、苦しくて、憎くて。血を吐くような苦渋の決断で、踊ることを止めた踊り子達もいた。


 …………でも、この舞を継いだ少女は原点に還った。

 自分達は踊ることが好きなのだと。どうしても踊りたいのだと。


 舞で誰かを、喜ばせたいのだと。


 だから彼女達は、踊る。

 誰かを笑顔にするための舞を──……。





 それは、凄まじいの一言でしかなかった。

 まるで、物語の中に呑み込まれるような体験だった。


 簡単な振り付けから始まる舞。

 ──ただ純粋に踊りを好いた少女が、始まりだった。

 簡単な振り付けが徐々に技巧を散らしたモノへと変わり、踊りが進めば進むほど美しい舞へと変わっていく。

 ──舞姫達の舞は刻を、時代を、血を重ねれば重ねるほど洗練されていき……いつしか誰もが、女神すらも目を奪われるような踊りへと変わっていった。

 唐突に動きが止まり、緩慢な動きで数歩、前に進む。

 ──けれど、それに勝手に魅了されて……。独占しようと目論む者達が、現れてしまった。

 緩慢な動きが少しずつ速くなっていく。荒々しく回る、周る、廻る。鋭い眼光で、烈火のように激しくマワル。憎悪に満ちた視線で、人々はぶるりっと身体を震わせた。

 ──彼女達の美しい容姿と、至極の踊りに狂った者達で争いが起き、標的となった舞姫達は〝こんなことは望んでいなかったのに!〟と慟哭と怨嗟の悲鳴をあげた。

 再びの制止。ふわりと重力に従って落ちていくヴェール

 ──ここで道は別れた。苦渋の決断で、生き甲斐である舞を手放す者。女神の恩寵で、()()()()()()()()()()()()。そして……。

 空に手を向けて、ゆっくりと上げていく。焦がれるように。初めの構えに戻るかのように。

 ──結局、踊りが好きなのだと原点に還って。再び舞うことを。この世界で、語り継ぐ(生きる)ことを選んだ。


 動き出しは、最初の振り付けと同じだった。けれど、込められている想いが違う。ニュアンスが違う。

 純粋に楽しんでいるだけじゃない。酸いも甘いも、全てを混ぜ込んで。悲しいことも、苦しいことも、全てを乗り越えて。

 それでも踊ることが大好きなのだと知らしめるように。柔らかな、優しい舞が、紡がれる。

 ──この踊りを見た貴女。過去の私達はとても大変だったけれど。こうして貴女にこの舞を見せることができたということは、舞を手放さなかった者がいたという証でしょう。

 手首を回転させながら、大きく腕を回す。

 彼女がふと、誰かの方を向き……柔らかく、微笑んだ。

 ──この舞は生きた証。我が一族が懸命に生きたという証左。どうか忘れないで。私達は確かに、ここにいたということを。

 中指に嵌めていた指輪リングを外し、挟んでいたヴェールを手に持って回る。廻る。まわる。

 ──どうか貴女も紡いでいって。この舞の続きを。そしてその次も、そのまた次も。永遠に続くように。生きた証を遠い未来へ繋がるように。貴女が受け継いでいってくれると、嬉しいわ。



 ふわりと大地に広がるヴェール。片膝をついてしゃがみ込んだ舞姫カルディアが両手を前に出して、柔らかく微笑む。

 月明かりに照らされた彼女のその姿は、まるで宗教画のように厳かで。神々しくて。心が洗われるような美しさで。

 彼女の舞を見たシェヘラの目から、静かな涙が溢れる。シェヘラだけじゃない。その空間に巻き込まれた観客全員が、静かに涙を流していた。

 カルディアは地に落ちていたヴェールを拾って、立ち上がる。そのままゆっくりと歩き、シェヘラの肩を軽く叩いてからその隣を通り過ぎていく。


 ──ザァァァァ……!


 それと同時にノイズのような音が響き、砂嵐に包まれた。

 吹き荒れる風に目を開けていられなくて、人々は目を閉じる。次に目を開いた時には、王宮の大広間に戻っていて。彼女達は自分達の目に起きた摩訶不思議な現象に呆然と、その場に立ち尽くしていた。





 ◇◇◇◇





 界をずらしたまま──。

 アルフォンスは目に焼き付いた踊りを思い返しながら、感嘆の吐息を溢していた。


(成る程……これは、アリスさんが見たがる訳だ)


 月明かりに照らされて踊る姿はまるで、女神のようで。

 息することも忘れるぐらいに目を奪われた。美しいだなんて、例えが悪過ぎる。色々な賛辞の言葉を連ねても足りない。それほど、凄まじかった。

 自分が頼んだこととはいえ……彼女に微笑みかけられた王太子達ヤツらに、思わず嫉妬してしまうほどに。


「ただいま〜」


 なのに……その当の本人たる公爵令嬢ケイトリンの姿に変じたカルディアは、至って変わらぬ様子だ。

 アルフォンスはその姿になんとも言えない表情を浮かべながら、隣に戻ってきた彼女に話しかけた。


「……お帰りなさいませ。とても、美しかったです。カルディア様」

「そう? 本物には及ばなかったと思うけど」

「…………はぁ!? ()()で!?」


 その言葉の所為で、余韻に浸っている暇なんてなかった。アルフォンスは思わずギョッとする。

 今こうやって、心を奪われて立ち尽くす人間達が目に入らないのだろうか? カルディアの舞が言葉にし難いほどに美しかったからこうなっているというのに。まさに女神が愛するに値するという舞であったというのに。

 けれど、彼女は「全然だよ?」と否定した。


「なんせ私は理解出来ないもの。あの舞の踊り子達の気持ちを。だって私じゃあ人間どもに苦しめられる気持ちなんて、分からないし? 私の方が遥か〜に強いから、狙われるとか絶対あり得ないし?」

「…………ぁ」

「そもそも今回の踊りは誑かす気満々で踊ってるからね。本来の、誰かを喜ばせるための彼女達の舞と比べたら……全然、下手っぴだよ。それ以前に、〝そんな気持ちで踊るなんて舞を穢すな!〟って怒られちゃうかも? まぁ、私に継がせた時点で終わりだよね〜。私は人間の気持ちなんて理解出来ない、しようとすら思わない壊れた竜なんだし? 面白ければ利用出来るモンはなぁ〜んでも利用しちゃうもの。そんな私に踊りを継がせちゃったあの子は、ほんとーに可哀想だよねぇ!」

「…………」


 こういうところが、竜らしいのだろう。例え、友から受け継いだ、友が大切にしたモノであっても。面白ければカルディアはどんな風にでも、なんにでも利用する。

 まぁ、それを利用している自分アルフォンスも碌でなしなんだろうが。


「でもでも〜……今回見た舞が私ので、逆に助かったのかもしれないよ? 本物の感情移入がされた、本物の舞の方がもっともぉぉぁ〜っと凄いから。()()()()狂わせる舞を()()()()()()()()()()()()()……ある意味、偽物の舞を見るだけに済んで、この場にいる奴らは幸運だったんじゃない?」

「…………」


 それを聞いて。その意味を理解して、ゾッとした。いっそ恐ろしさすら感じた。

 カルディアの舞も充分凄かったというのに、本物は先ほどのモノを遥かに超えるという。

 それを見せられたらどうなるか──?

 答えは簡単だ。おかしくなるに、決まってる。


(あぁ……舞姫達を奪い合ったというのは、そういうことか)


 人間どもが舞姫達を求めて争いを起こしたのは、その舞に狂わされたからのだろう。魅入られてしまったからなのだろう。

 もしも、これが本物の舞だったら──……。

 そんなことを想像して、アルフォンスはぶるりっと身体を震わせるのだった。


「まぁまぁ。そんな話は置いといて。んで? 私は役目を果たしたよ? これからどーするつもりなの、ア〜ル?」


 ハッと我に返る。

 そうだった。そのためにワザワザ貴族のフリをしてまでこのパーティーに参加したのだった。

 目的を思い出した竜は、次第に我に返り始めた王侯貴族達を睨みつけながら「界を戻します。即興アドリブになりますけど話を合わせてください」とカルディアに呟く。同時に、竜達の耳に人間達の騒めきが戻った。

 困惑した様子の彼らの耳に入るように……アルフォンスはワザと大きめの声を出しながら、公爵令嬢カルディアに話しかける。


「とても素晴らしい舞でしたね、ケイトリン嬢。流石は《エピフィルム》。至高の舞姫と呼ばれる女性だ」

『!!』


 シェヘラを始めとした人々が、勢いよく振り向く。

 掛かった──と、アルフォンスは内心ほくそ笑みながら、話を続けた。


「にしても、貴女様のなんとお優しいことか……。ディアナの舞姫達の舞がより良いモノになるようにと、踊り子の最高峰を手配して勉強させてやるなんて。芸術を愛する国の貴族として、素晴らしい行動ですね。そのお手伝いが出来たこと、わたしも大変誇りに思います。ケイトリン嬢」

「!!」

『!!』


 騒めきが広がっていった。先ほどの舞姫を、公爵令嬢皆が手配したのだと知った。皆が皆、彼女の正体を知りたがっている。

 しかし、この場で彼女に問いかけることが出来るのは一部の者達。


「ケイトリン!」


 怒鳴るように名前を呼んだその姿に、アルフォンスは笑い出さないように堪えるしかなかった。


「まぁ……王太子殿下。ご機嫌麗しゅう」

「先ほどの女性は! 踊り子は! 一体、何者だっ!」


 頬を赤く染め、鬼気迫る様子で問いかける婚約者──王太子コルネリウスの姿に、今は誰も止めようとしない。

 婚約者たる公爵令嬢に他の女性のことを問いかけるだなんて無作法を、誰も咎めようとはしない。それほど、謎の踊り子への興味が尽きないのだろう。

 チラリッと、カルディアから視線で合図がきた。アルフォンスはにっこりと笑う。胸に手を当てて前に出た。平時であれば無礼な態度だとされただろうが、今ばかりは問題ない。彼は「お話の最中、失礼します」と二人の会話に無理やり割り込んでいった。


「なんだ、貴様は──」

「ご挨拶申し上げます、王太子殿下。わたしはアルフォンス・ルフォール。ルフォール子爵家の嫡子であり……ケイトリン嬢からの依頼で、先ほどの舞姫エピフィルムの手配を行ったモノでございます」

「…………何!?」

「ディアナの舞姫達に洗練された舞を見させ、今後も研鑽させるため。また芸術をこよなく愛し、審美眼を極めし皆様に最高峰の芸術に触れていただくため。皆様のためにと、ケイトリン嬢からあの女性の手配の方を依頼されたのでございます」


 それ聞いた人々から称賛の声があがる。

 会場に公爵令嬢を讃える拍手が、湧き上がった。


「なんと素晴らしいお気遣いを……!」

「素敵な舞を見させていただきて、幸運でした! 誠にありがとうございます……!」

「本当に夢のような……。なんて素敵な踊りだったのかしら……!」

「…………ありがとうございます、皆々様」


 公爵令嬢カルディアが深々と一礼する。

 そんな彼女を苦々しそうな顔で見ているコルネリウスはどこか滑稽だ。

 それでも、舞姫のことを問わずにはいられなかったのだろう。彼はアルフォンスに問いかけ続けた。


「それで? 彼女は一体、どこの誰なんだ」

「エピフィルムですか? …………それはそれは、とてもとても」

「何故隠す!」

「彼女たっての希望でございます。エピフィルムは元々、踊り子ではございません」

『!?』

「踊りを本職としていらっしゃる方々がいるため、出しゃばるのはよろしくないと……身分を明かさないことを条件に、今宵一夜だけ踊ることを了承していただいたのですよ」


 踊り子ではないと聞いて、また人々が騒めいた。特にディアナの踊り子達はショックを受けたような顔をしている。どうやら自分達よりも遥かに格上の舞姫だと、思わずにはいられなかったらしい。


「ですのでどうか、皆様もこれ以上はお聞きにならないでください」


 なんて言いながら、心の中では皆が皆、彼女のことを探すだろうなと思っていた。それほどまでに、あの踊りは忘れ難い。人外の、竜としての美貌を露わにしていたのも余計に、彼女ともう一度会いまみたいと思わせる一助になっていた。

 現に……目の前の男は、彼女にもう一度会いたいと。彼女を手に入れたいという欲を隠し切れていない。激らせている。


(そしてそれは……この王太子以外も)


 周りの人々の顔を確認する。先ほどの舞姫のことを諦め切れない様子の人が、かなりの数。

 まさにアルフォンスの望んだ通りの展開になっている。

 このまま、彼女の存在に気を取られて。()()()ぐちゃぐちゃになっていってくれればいい。

 最後に駄目押しを一つ。


「彼女は王族ですらも容易く手に入れられぬ、神秘に包まれた一夜限りの華──……」


 誰も手に入れらないと言われれば、逆に手に入れたくなるのが人間の心理。

 してはいけないと言われればやりたくなるのが、人間のサガ


「ですからどうか、彼女を探そうなどしないでくださいね? 皆様が本気を出したならば……簡単に彼女は見つかってしまうでしょうから」



 まるで悪魔のように……その竜は人間どもの醜い欲望を煽る言葉を、放つのだった。





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