イベント・芸術の月に、女神が踊る(Ⅵ)
いつぶりだろうか──? こんなにも踊ることだけを考えたのは。
踊る。踊る。踊る。
余計なことは考えずに、ただただ踊る。
いつからだろう──? 踊ることに真剣さがなくなっていたのは。
踊る。踊る。踊る。
つい最近までの自分の舞を思い出しながら、ただただ踊る。
驕っていたのだ。いつ、どんな風に踊っても持て囃されるものだから、真摯に踊ることを止めてしまっていた。
きっと、それを見抜かれていたから。
だから、彼女は教えてくれようとしなかったのだろう。
知る資格がないと、断じたのだろう。
踊ることに手を抜いているような怠け者相手に、一族のことを教えるなんて……今までの血と舞を受け継いできた舞姫達に対する非礼となるから──……。
でも、それでも。シェヘラは知りたいのだ。
自分が血を引く一族のことを。引き継がれていたはずの伝統を。亡き母のことを。亡き父が語ったその美しい舞を。
(だから──)
舞台の幕が開く。運命の一夜が。
最初のポーズを取って、視線を前に向ける。全てを知る人が、目の前で見ている。
(見ていてくださいませ。今宵、わたくしはこの舞に全てをかけるわ)
──ピィィィィィィイッ、ヨロヨロヨロ〜♪
──ドンドンパン、ドンドンパン〜♪
──ポンポロポンポンポン〜、ポロロン♪
独特な音楽が奏でられ始める。甲高い笛の音、リズムを刻む太鼓の音、そして伸びやかな弦楽器の音。
ディアナ一座の、シェヘラの、舞が始まる──。
◇◇◇◇◇
アルフォンスのエスコートで連れて来られたのは、オペラが上演されている大広間だった。
この大広間は芸術の月のパーティーや演奏発表会といったイベントの時に解放される特別な広間で、大広間の中央に三段ほど高い特注の舞台が用意されているのだ。そこで演奏や短編演劇など、舞台で見られる演目が順番に披露されていた。
二階の観覧席には国王夫妻や四大公爵家の面々、国の中枢を担っている重鎮達などが並んで座っており……楽しそうに歌姫の艶やかな歌声に酔いしれている。
一階のフロア──舞台の周りにも、沢山の人が集まっていて、うっとりとそのオペラを観覧していた。
「…………どうやら、ディアナ一座の公演には間に合ったみたいですね?」
その人混みから離れた大広間の端。
休憩用に用意されたソファに座ったアルフォンスが、アルフォンスが手にしたパンフレット──公演スケジュールが書かれている──を見ながら、オペラの邪魔にならないように小さな声でそっと囁く。
隣に座ったカルディアは彼の手元を覗き、出演者達を確認する。
(やっぱり……私にディアナの公演を見せたいんだ?)
今の順番は前からニ番目のオペラ公演だろう。一番目の学園代表による剣舞披露──学園内で代表を決める選抜発表会では、カルディアは適当にピアノを演奏した──は既に終わっているらしい。
次の演目がディアナ一座による舞。最後に宮廷音楽団による演奏──という順繰りになっているようだった。
──わぁぁぁぁ! パチパチパチ……! ブラーヴァ!
そんなタイミングで丁度、オペラが終わったようだ。
歌姫に惜しみない拍手が送られ、オペラ歌手が優雅な一例をして去って行く。
舞台周りにいた人気が避けた。一演目ごとに三十分の休憩に入るからだろう。演者の準備のための時間でもある。
そして、オペラから意識が逸れたからだろう。アルフォンスの人外の美貌に視線が集まり始めるが……彼はそれを完全に無視して、カルディアに話しかけ続けた。
「もう少し経ったら舞台に寄りましょう。貴女には最前列で見て欲しいので」
「ふぅん? 彼女達に何かしたのかしら?」
「えぇ。あぁ、そうでした。舞姫からの伝言です。──『貴女に一族のことを教えてもらいたいから……舞で貴女を楽しませてみせます』……ですって」
「…………ふぅん。そう」
カルディアの目線がそっと伏せられる。
一応扇子で口元を隠しているけれど、本当はどうでもよさそうな気配を微塵も隠そうとすらしていない。
「…………」
そんな彼女を見てアルフォンスは思った。
きっと、あの人間の踊り子が素晴らしい踊りを見せたとしても、主人は彼の一族ことを教えたりはしないだろうなぁと。
(要するに……カルディア様はもう、完全にあの人間から興味を失くしてしまっているんでしょうね)
どこにでもいる人間と変わらなくて面白くなかったから、関心が湧かない。関心がないから教えようとは思えない。思わない。
例え、踊りが上手くなっていても興味を戻しそうな感じが全然しない。〝だから?〟で終わってしまいそうな雰囲気である。
つまり……シェヘラの行動は無意味だ。〝もう一度教えてもらえるチャンスがあるかもしれない〟なんて甘い言葉で惑わしたけれど。惑わした本人であるアルフォンスでさえほぼほぼ無理だろうなと思っている。
だから、シェヘラが何をしようがカルディアの心を動かすことはできない。
なら、〝誰が〟動かせばいい──?
「…………そろそろ、前に行きましょうか?」
アルフォンスは立ち上がって、カルディアに手を差し出す。そっと手を取った彼女は「そうね」と答えて立ち上がる。
舞台の近くに移動すると、周りの人々もつられたのか舞台周りに集まってきた。
そのまま数分ほど待つと、控え室に繋がる扉からディアナ一座の面々が出てきて、人混みの間を通って舞台に上がる。
普段の公演時に着ている衣装よりも遥かに煌びやかな衣装。金色の装飾品や刺繍が施された薄い紗がとても美しく、こういった特別な時に着る衣装であることが一目で分かった。
「…………!」
舞台に上がった三姉妹──長女シェヘラと目が合う。
優雅に一礼してみせる踊り子に、カルディアは冷めた目を向ける。その視線の冷たさに多少怯んだ様子だったが、改めて覚悟を決めたらしく。彼女は妹達に小さく声をかけてから、ポーズを構えた。
口上はない。それに本気度が伺えた。要は余計なことは言わないから踊りだけを見ろ、ということだ。
──ピィィィィィィイッ、ヨロヨロヨロ〜♪
──ドンドンパン、ドンドンパン〜♪
──ポンポロポンポンポン〜、ポロロン♪
軽快でありながら独特なリズムの演奏が始まる。
一番前で一番低く視線を保っていたアーヤが手を動かす。その動きに合わせて中腰で構えていたエリシェバも動き出す。最後に、二人に合わせるようにシェヘラが前に歩き出す。無邪気に、勇ましく、艶やかに。バラバラに動いていたと思えば、要所要所で動きが重なる。重なったと思えば踊り繋ぐように舞う。最後は一糸乱れぬ動き。
──ピィ〜〜〜〜ピッ♪
笛の終わりの音に合わせて、三人が終わりのポーズを取る。その瞬間、観客達から大きな拍手と歓声が上がった。
ディアナの三姉妹が深く一礼し、次女と三女が横にはける。舞台に一人残ったシェヘラはさっきとは違うポーズを取った。
──ポロンッ……♪
曲が変わる。静かな、穏やかな凪を思わせる曲に。
緩慢にすら感じる、ゆったりとした動き。でも、動作が遅いからこそ彼女の技術が明らかになる。
指先まで意識した舞。伏せた視線すらも舞の一つ。
美しい、舞だった。王都の特設舞台で見せていた時よりも遥かに上手い。
誰もが息を呑んで、シェヘラの舞に見惚れる中──カルディア達だけは、淡々とした様子で見ていた。
そんな彼女の横顔を見て、アルフォンスは予想が当たったことを悟る。
カルディアがディアナ一座のことを気にかけていたのは、過去への懐かしさから。〝シェヘラ本人〟でも、〝その舞〟自体でもない。
だから、〝人間にしては〟上手い舞を見せられても。面白い、とは思わないのだろう。興味を引かれないのだろう。
つまり、今のカルディアの様子では、アリスの望むモノが見れなくなる。
このままでは。
「カルディア様」
カルディアはチラリと視線を横に動かす。
声をかけられると同時に、世界から隔絶された。眷属が主人たる界竜の力を使って、周りに会話が聞こえないようにほんの少しだけ空間をずらした──同じ空間にはいるけれど、認識を阻害するようにした──のだろう。
〝随分と上手く、界竜の力を使うようになったなぁ〜……〟と思いながら、カルディアは首を傾げる。
「なぁに」
「思ったんですよ、僕。あの人間の一族が継承してきた舞が、女神から愛されちゃうぐらいのモノだったって言うなら。人間ぐらいなら容易く惑わされちゃうんじゃないかなっと」
「んー? ……まぁ、そうだねぇ。本気でやれば、人間ぐらい軽く人生を狂わせられるんじゃない?」
「んで。カルディア様、その舞、踊れるでしょ?」
「おっと??」
にっこり。
アルフォンスの笑顔に、カルディアの好奇心センサーが反応した。
なんで踊れるのを知ってるのかとは思ったけれど。そんなのどうでもなくなるぐらい、〝うずうず〟が湧き上がってくる。
「可能であれば……えーっと、なんでしたっけ。あぁ、ヒロイン(?)とかいう少女の、周りにいる男どもを特に虜にして欲しいんですけど」
もう踊れること前提で話が進んでいる。多分、アリスから聞き出したのだろう。カルディアがその一族の舞を、他の世界で受け継いだことを。
けれど、何故、そこまでして自分に舞を踊らせたいのか。その理由に薄々気づきながらも、確認のために問いかける。
「…………なんで?」
「え? そんなの簡単ですよ。本当の舞を見たい部下のやる気上昇って理由と……僕もそんなに凄い舞に興味を抱いたからっていうのと」
不自然に切られた言葉。
その続きに期待して、カルディアの胸が高鳴る。
「それに……いつの世も、人間関係をぶっ壊すのに最適なのは。女の奪い合い、でしょう?」
「……!」
あぁ……あぁ、あぁ!
爛々と、金色の瞳が輝き始める。
まさかまさか、まさか! ここまで成長するなんて!
主人を利用するなんて烏滸がましいにも程があるけれど! 他の竜ならばきっとこの時点で殺すだろうけれど!
でも、カルディアはその傲慢さが可愛らしい!
「勿論、それ以外の奴らも虜にしてくださると有り難いです。貴女に夢中になって、追い縋って、貴女のことしか考えられなくなって、他のことに手をつける暇もなく。貴女だけしか考えられなくなれば……。それで国が傾けば。こちらがとっても、動き易くなりますから」
獰猛さを隠さぬ竜が。周りにいる男達を。二階観覧席に座る国王を。カルディア達とは離れたところでディアナ一座の舞を鑑賞している王太子とヒロイン、その取り巻き達を睨め付ける。
そして改めて視線を主人に戻し……ニンマリと、告げた。
「なので、ちょっと。ここにいる人間どもの人生、狂わせてみませんか?」
◇◇◇◇◇
──ジャジャンッ♪
──わぁぁぁぁ! パチパチパチッ……!
「はぁはぁはぁ……」
荒い息を吐きながら、シェヘラはゆっくりと立ち上がる。右手を持ち上げて、左手を胸元に当てる。深々と一礼して……顔を上げた。
そして、息を詰まらせた。
(…………あぁ……そん、な……)
この舞を、誰よりも見て欲しい人は。視線をこちらに向けていなかった。隣にいる、異常なほどに美し過ぎる男の方へと向いていた。
(…………)
駄目だったのだろうか。
今までで一番美しい舞を踊れたと思ったのに。
彼女の琴線には触れなかったのだろうか? 一族のことを教えるには値しなかったのだろうか?
(頑張ったの、に……)
そう、心の中で呟いた瞬間──スッと彼女が視線を向けた。
弧を描く瞳。橙色の肌が、黄金に輝いた気がした。
そして──……。
世界が、変わった。
『!?!?』
大広間にいた人々は、様変わりした光景に騒めく。
皆の困惑した声が聞こえてきた。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
「どこなのよ、ここ!」
だが、それも当然だった。
乾いた風。どこまでも続く砂丘。雲が薄く夜空を覆い……徐々に満月の光が、世界を明るく照らす。
明らかに、世界が違う。ここは紛うことなく、異国の地だ。
──シャン……。シャン……。
鈴の音のような、軽やかな音が響く。何故か、人々の声が静かになっていった。
人々の視線が音の方へと、集まっていく。
視線の先にいるのは……一人の女性。
地を届くほどに長い、緩やかに弧を描いた若葉色の髪。
月の明かりの下でも煌めく、金色の瞳。
露出の多い深緑色の衣装に、薄緑色の紗を重ね……金色の装飾具で飾りつけた美しいその人は、妖艶な笑みを浮かべながら、人の波を通り抜けて、シェヘラの隣を通り過ぎる。
──サァァァア……。ザァァァァ……。
砂が流れていく。人の集まりから少し離れたところに止まった彼女が、シェヘラ達に背を向けたまま両手を持ち上げた。
──シャン。シャン、シャシャン。
手首の捻りに合わせて、装飾具が鳴る。
そして人々は……。
《女神の寵愛を受けし一族》の、本当の舞を知る。