芸術の月に、最後の竜は舞姫を誘導する。
自分よりも遥かに永い刻を生きている主人だ。友人の一人や二人、いたっておかしくない。……まぁ、流石に人間の友であったことには多少は驚いたが。
ともあれ、何故──あんなにもカルディアが、ディアナ一座を気にかけていたのかが分かった。
懐かしかったのだろう。かつての友の姿に、あのディアナ三姉妹の長女が似ていたから。彼女達の踊りが、友が踊っていた踊りに似通っていたから。だから、昔を懐かしんで。郷愁のような気持ちに、こうやって小まめに公演に足を運んでいたのだろう。
けれど、それももう終わった話。
カルディアはシェヘラとの会話で、所詮人間は人間だと彼女達への興味を失くした。もう懐かしむのは充分だと見限った。
しかし、このままでいいのだろうか? 多分駄目だろうな、と思った。
だって、アリスの嘆きっぷりが凄い。
「ぴゃぁぁぁぁ! 界竜様があの女からの興味を失くした所為で! 〝界竜様の舞〟を見れる可能性が一気に下がったのですぅぅぅ! もっとあの子達の踊りが上手かったら! 違う展開もあり得たのにぃぃぃ!」
…………若干、ワザとの可能性も捨て切れないが。それでもあの、人を喰うようなイイ性格をしているアリスが、こんな醜態を晒しながら騒いでいるのだから。どうやら彼女が見たかった未来──カルディアの舞というのは相当〝価値〟があるモノらしい。それこそ今後のやる気に影響が出るのではないかと、思うほどに。
…………アリスの存在は復讐計画に必要不可欠だ。《全知》を有していても全てを教えてくれる訳ではないが、アルフォンスの目が届かないところを上手くフォローしてくれている。縁の下の力持ち、というところだろうか?
そんな彼女のやる気は計画に大きな影響を及ぼすだろう。逆を返せば。アルフォンスが彼女の望みを叶えたのならば、きっともっと、力を尽くしてくれるに違いない。
…………なーんて、色々と言い訳をしているが。本当のところは、アルフォンスも興味を抱いていたに過ぎない。
冷静なアリスが恥を晒してまで見ようとした未来が。その光景を識っていても、実際に目にしたいと思うほどに価値ある舞が。気になって、仕方がないのだ。
だから、アルフォンスは動くことにした。
シェヘラのためじゃない。人間のことなんて気にしていない。
自身の好奇心と、配下のモチベーションアップ。
それだけのためにアルフォンスは……ディアナ一座に接触を図るのだった。
◇◇◇◇
『いいかい、シェヘラ。君とお母さんは女神様に愛されているんだよ』
今でもその言葉を思い出せる。
それは、病気で呆気なく死んでしまった父の口癖だった。
気づいた時から、シェヘラは父と共に旅をしていた。
父は小さな旅商団に属する商人で、母は旅の踊り子だったらしい。二人は偶然出会って恋に堕ちたそうだけれど……母はシェヘラを産んだ後、産後の肥立ちが悪くて死んでしまったそうだ。
しかし、父は愛しい妻が死んだ原因になった娘を疎むこともなく。亡くなった母の分までめいいっぱい愛して、育ててくれた。旅に必要なことをなんでも、娘であるシェヘラに教えてくれた。下手っぴな教え方で、母の踊りも教えてくれた。
…………まるで、未来の別れを見据えていたかのように。一人でも生きていける術を、教え込んだ。
『お母さんの一族にはね? 女の子しか産まれないそうだ。伴侶がどんな容姿をしていようと、黒髪紫眼の娘が産まれるんだってさ。それは、お母さんの一族が女神様に愛されて。その血と舞を絶やさぬようにと守られているからだと……口癖のように言っていたよ。〝だからこそあたし達は、旅を続けなきゃいけないんだ。絶対に、〟ともね』
特に印象に残っているのは、繰り返し聞かされた一族の話だった。
本当は母の口から語られるべき話だったのだろう。それは一族に代々伝わる秘密、母から娘に伝えられる口伝だった。けれど、母が死んでしまっていた以上、父が教えるしかない。
しかし、父としても……母から聞かされた触り程度の話しか知らない。そのため、シェヘラは一族の秘密をきちんと継承することができなかった。知らなくてはいけないことを、知ることができなかった。
だからシェヘラは、きちんと知りたかったのだ。
〝女神の寵愛を受けし一族〟のこと。何故、〝だからこそ〟旅を続けなくてはいけないのかを。
ゆえに、ケイトリンが〝女神に寵愛されし一族〟のことを知っていると知って、一目散に飛びついた。一族のことを教えて欲しいと、彼女に懇願した。
しかし──……。
ケイトリンはとりつくしまも無く、シェヘラの願いを拒絶したのだった──……。
「もぉー! 意地悪だよね、あのお嬢様!」
酔っ払い達の賑やかな声が響く宿屋一階に併設された食堂──人目を気にしないように観葉植物で視線を遮られた隅の席で。
骨付きの肉に齧りつきながら、アーヤは頬を膨らませて文句を言っていた。
末っ子の左側の席に座ったエリシェバも、エールが入ったグラスを揺らしながらその言葉に同意する。
「あぁ、本当にな。教えるぐらい訳ないというのに……なんて性根が悪いんだか」
忌々しそうな顔で文句を言い合う妹達を見ながら、シェヘラは小さな溜息を零した。
口には出していないが……本心は彼女達と同じ気持ちだ。
教えてくれるぐらい、なんてことないのに。この程度のことすら教えてくれないなんて……ケイトリンの性格の悪さが伺える、というものだ。ずっと知りたかった自分のルーツを知れるかもしれないと期待してしまったから余計に裏切られた感が強い。
だが、そんな風にケイトリンへの文句に意識を割いていたからか。その声が聞こえた瞬間──シェヘラ達は必要以上に驚くことになってしまった。
「あっはは。散々な言われようだな、お嬢様は。まぁ、貴女方の気持ちも分からないでもないですけどね?」
「「「!?!?」」」
唐突に響いた男の声。ギョッとしたシェヘラ達は、勢いよく声がした方へと振り向く。
シェヘラ達が座っていた四人がけの丸テーブルの、空いていた席。そこに、ずっと共にいたかのように……違和感なく同席する一人の青年の姿。
シンプルな平民の服を纏った、どこにでもいるような茶髪のパッとしない青年だ。なのに、何故だろう──……。
彼の放つ雰囲気に、シェヘラ達は呑まれそうになる。
「貴方、は……」
「おや。お気づきでない?」
彼は片眉を上げて、驚いた顔をした。
その一つ一つのちょっとした、なんてことない動作にすら……目を奪われる。
「言葉は交わしませんでしたが、先ほど顔を合わせたばかりですよ。とはいえ、壁際で気配を消して控えていたので。覚えもないかもしれませんが」
「…………。……! もしかして! 君、あのお嬢様と共にいた従者さん!?」
ハッとして問いかけたアーヤの言葉に、彼はにっこりと笑って頷いた。
「えぇ、その通りです。初めまして、ディアナの舞姫方。わたしはアルバート。ケイトリンお嬢様の侍従を務めています」
座ったままではあったけれど慇懃に、優雅に一礼するアルバートの仕草から、彼が一流の侍従であることが感じ取れた。
何故、彼が接触を図ってきたのか──?
疑うような視線を向ける彼女達に、アルフォンスは肩を竦めてみせた。
「なんでここにいるのか──……と、お思いでしょうが。先に言っておきます。別に、お嬢様の指示があってここに来た訳ではありません。完全な独断行動です」
「…………独断、行動ですの? 何故、そのようなことを?」
「んー……強いて言うならお嬢様のフォローと、貴女方への同情? ですかね?」
アルフォンスは脚を組んで、顎に指先を当てる。
演技がかった動作だ。ワザとらしいのに、何故か様になるその姿。やっぱり、その地味な見た目に反して……その動きの優雅さに、目を奪われてしまう。見惚れて、しまう。
そんな彼女達の熱い目線に気付きながらも、アルフォンスは話を進めた。
「一応確認ですが……貴女方、貴族とやり取りしたこととかありますよね?」
「え? え、えぇ……」
「ふむ。なら、お嬢様ばかりが悪く言われるのはおかしいな。──貴族が利益もなしに動くとでも?」
「「「………………あっ」」」
ピシリッ。
そんな効果音が似合いそうなほど大袈裟に、シェヘラ達は固まった。
誰も彼もがそうとは限らないが……貴族は基本的に、利益がなければ動かないものだ。昔から続く、下位の身分の者が上位者に服従を示すための献上文化や、下々の者が高貴なる身分の者達に優遇してもらうために高価な物を賄賂として渡す風習が影響しているのだろう。
もっと分かりやすく言ってしまうならば、買い物と同じなのだ。商品を手に入れるために金銭を払う──……それと同じように、貴族も対価がなければ見返りを与えない──。
「それにこれ、別に貴族に限った話とは限らないですよね? 普通の人だって……善意だけでは動かないことが多いんだから」
更にアルフォンスの言う通り……一般的な人だって、善意で行動してくれる人は少ない。
なんせこの世界の人間は欲深い生き物。自分達のために他種族を殺すことを厭わないのだから。ゆえに対価をもらわらなかったケイトリンが情報を与えなかったのは、なんらおかしくない行為であったのだ。
つまり、この場合は──なんの対価もなく情報を得ようとしたシェヘラ達の方に、問題があると言っても過言ではないのであった。
「…………そう、ですわよね……。何も差し出すにこちらだけ得ようとするなんて……あり得ませんわよね……。お嬢様は御貴族様ですから……余計にそうですわよね……」
今更気づいた、と言わんばかりに沈痛な面持ちをするシェヘラ達だが……アルフォンスはなんとなく。カルディアが彼女の懇願を跳ね除けた理由は、それだけではないだろうと考える。
「後……これは推測ですけどね?」
「「「?」」」
「貴女の踊りが、一族のことを教えるにあたわなかったから……という可能性もあるかと思いますよ?」
「「「!?」」」
三人がギョッとした顔で目を見開く。
特に怒ったのは次女のエリシェバだ。彼女はテーブルを強く叩きつけて、激昂した。
「ふざけるなっ! あね様の踊りが悪いとでも言うのか! あね様の踊りは、誰もを魅了する美しい舞であるというのに!」
「それ、普通の踊り子としては、ですよね? 貴女の一族の舞は、女神様が惚れ込むほどのモノなんでしょう? つまり、お嬢様の知る舞は技術も、演技力も、何もかもがそれほどまでに格別で……貴女の舞はまだ未熟だから。教えたところでどうにもならない──なんて、思ってしまったんじゃないかなと。わたしは思うんですよ」
「っ!」
突きつけられた言葉は、鋭い刃となってシェヘラの胸を貫いた。
実のところ、彼女は自分の舞にそれなりの自信を持っていた。
いつだって観客達ら褒め称えてくれていたのだ。見たことがないほどに美しい舞だと、称賛してくれていたのだ。自分の舞は素晴らしいものなのだと、驕ってしまうのも仕方のない話。
だから、そう言われて。現状に満足して、これ以上の努力を怠っていたことに。いつからか本気で、心を。命を込めて踊らなくなっていたことに、気付かされる。
「あね、様……?」
「大丈夫……?」
心配そうな妹達の問いかけに、シェヘラは答えられなかった。
ただただ、愕然とせざるを得ない。
(わたくしはいつから……大切な舞を……軽んじるようなことを……?)
そんなシェヘラに、アルフォンスは冷たい目を向ける。
〝ほら、やっぱり。君の踊りは教えるにあたわないモノだったんじゃないか──〟と、突きつけるように。
だが、それを声には出さずに違う言葉を紡ぐ。
「…………まぁ。自分のルーツを知れない、知ることができない、というのは多少可哀想だと思うので。ヒントをあげますよ」
「…………ヒント……?」
「えぇ。お嬢様はつまらないこと、退屈がお嫌いです。つまり、どんな手段でも構わないから……とにかくお嬢様を楽しませることができれば、お嬢様はどんな見返りだってくださります」
「…………どんな手段、でも」
「とはいえ、貴女方は舞姫なんですから。お嬢様を楽しませる手段なんて殆ど一つのようなモンだとは思いますが」
アルフォンスは立ち上がる。
服によっていた皺を伸ばしながら、一方的に話し続ける。
「きっと貴女方は月末に開かれる芸術の月を締め括るパーティーに招待されるでしょう。人気を有した芸術家達の作品展示や演奏や公演などの披露が行われるそうですから」
「パーティー……」
パーティーに招待された芸術家は、参加するだけで金一封を得ることができ、運が良ければ多くの支援者も手に入れることができる。
ディアナ一座としても旅の資金を得るために、パーティーに招待されることを目標としていた。
「そこでお嬢様の琴線に触れることができたなら──チャンスぐらい、あるんじゃないですかね?」
彼の話はヒントだらけだった。
女神に愛された舞を踊る一族だからこそ、舞でその価値を示すべきだろうと。
そして……芸術の月のパーティーが、その覚悟を披露する機会であると。
「では、そろそろわたしは失礼します。良い夜を」
「……! お待ちになって!」
「…………ん?」
「お嬢様に、伝言を、お願いしたいのです」
にっこりと笑って首を傾げたアルフォンスは、言外に続きを促していた。
シェヘラが公爵令嬢への伝言を告げると、彼は「一応伝えてはおきますよ。どう行動なさるかはお嬢様次第ですけど」と言い残して今度こそ去って行く。
その後ろ姿を見送りながら……シェヘラは小さく息を零した。
今のやり取りを以って──これから自分がやらなくてはいけないことが。進むべき道が、分かった。
「エリシェバ、アーヤ」
「なんだ、あね様」
「なぁに、ねえ様」
「……自分勝手なお願いをするわ。貴女達に暫くの間、公演の方を任せていいかしら? わたくしは、舞の稽古に専念したいの」
「「!!」」
今のままでは駄目なのだ。
〝本物〟を知るケイトリンに、今のシェヘラの舞は認められていない。ならば、短い時間であろうとも……本番までに、全てを踊りの練習に注ぎ込むしかない。ディアナ一座の舞姫として公演に出る時間すら惜しい。
けれど、公演を怠ればパーティーに招待されなくなる懸念もなる。だから、託した。血は繋がらなくても固い絆で結ばれた妹達に。
我儘な、願いを──……。
「わたくしはどうしても知りたいの。わたくしの一族のこと。本当の舞姫の舞を──……」
強い意志を宿した瞳で見抜かれて、姉が譲る気がないことを悟る。妹達は任されたことへの喜びを隠しきれずに、けれど仕方ないなぁと言わんばかりの顔で頷いた。
「……構わんさ。実をいうと、あね様の一族に興味がないと言われると嘘になるからな」
「そうそう! なんせ女神様が好きになっちゃうほどの舞を踊る一族だもんね! 一踊り子として気にならない方がおかしいよ!」
「エリシェバ……アーヤ……」
「だから、あね様。ワタシ達に任せるといい。必ずや、パーティーに招待されてやろう」
「任せて、ねえ様! あたしも頑張っちゃうからね!」
「っ……! ありがとうっ……! わたくしの大切な妹達……!」
この瞬間──運命は確定した。
本来の筋書きではなく、新たな物語へと。
それは乙女ゲームにはない……新たな未来。
そして時間は流れて──……パーティー当日を迎える。
ちなみに……。
「きゃぁぁぁ! ナイスファインプレーですよっ、竜様ー! やったぁーっ!」
遠くで、堕天使が大興奮で叫んでいたとかいないとか。