幕間 侍従が主人至上主義になった理由
アルバートの家は代々マジェット公爵家に仕える使用人一家だ。
幼い頃から使用人としての心得を教え込まれて、いつかは両親のようにマジェット公爵家に仕えることになるのだろうと思っていた。
年齢的に仕えることになるのは、公爵の御子息か御息女だろう。
「どうせ仕えるなら兄君の方がいいよな〜。将来の公爵様だし」
少しお調子者な兄はそんなことを言っていた。
確かに、時期公爵に仕えて上手くやれば、将来も安泰だ。
しかし、アルバートはどちらに仕えようがどうでもいいと。興味がない。ただ両親やマジェット公爵家の言う通りにするだけだと。
この時はまだ……そう思っていた。
その日は、初めてマジェット公爵家に足を踏み入れた日だった。十ニ歳になり、年齢的にそろそろ御子息達に仕えるべきだろうと判断されたからだ。
しかし、顔合わせの場には御子息も御息女もいなかった。
兄君の方は急に王家の王子──幼馴染であるらしい──に呼び出されてしまい……妹君の方は勉強の時間が終わってから直ぐに姿を消してしまったのだという。流石に姿を消した御息女を放置するのは、まずい。
屋敷には御息女の探す声が響き渡り……アルバートも初めての場所でありながら、御息女を探す手伝いをした。
そして、どんな運命が働いたのか……。一番初めに彼女を見つけたのは、他ならぬアルバートで。
彼は屋敷の庭園の茂みの中で、ポロポロと涙を溢す愛らしい少女を見つけるのだった。
「ひっく……ひっく……」
茂みの中でしゃがみ込んで涙を溢す少女。
燃え盛るような赤毛に、宝石のような涙を溢す猫のような橙色の瞳。ぷっくりとした子供らしい丸みを帯びた頬は雪のように白く、その唇は薔薇色。年齢にそぐわぬ、フリルが殆どない赤いドレスを纏った彼女はまさに……薔薇のようで。
あまりの美しさに目が奪われた。言葉を失くした。心惹かれた。
「ケイトリン、お嬢様……?」
聞かされていた容姿から間違いないだろうと当たりをつけて、マジェット公爵家の御息女の名を呼んだ。
沈んでいた視線が持ち上がって、涙で潤んだ瞳がアルバートを貫く。
「!」
心を貫かれたかと、思った。
それぐらい、心臓が高鳴った。
「…………だれ、お前」
「本日より、マジェット公爵家に仕える侍従のアルバートです。何故、こんなところでお泣きに?」
「…………」
問わずにいられなかった。
何故こんなにも綺麗な涙を流しているのか、その理由が知りたかった。
「お嬢様?」
「…………勉強が、上手くいかないの」
そうして語られたのは、優秀過ぎる兄を持つ妹の苦悩。
「お兄様が、ゆうしゅうなのは知ってるわ。でも、なんで毎回毎回『お兄様はできたのにこんなこともできないんですか!』とか『兄君はお嬢様の歳でもうこの範囲を覚えていらっしゃいましたよ』とか! わたくしとお兄様をひかくしておとしめるの! わたくしだって頑張ってるのよ!」
…………小さいのに随分と難しい言葉を知ってるな、と思った。これが貴族の教育の賜物なのかもしれない。
「ゆるさないっ……あの女! わたくしよりも身分がしたなくせに……! ぜったいわたくしが大人になったら! 痛い目に遭わせてやるんだからっ……!」
そして、ケイトリンの怒りにアルバートはいっそ感心すらしてしまった。
だって、まだ八歳ぐらいの幼い少女だ。その少女が、こうして苛烈に。復讐を誓う様は。怒りにギラギラと燃えている様は。
さっきの泣いている姿よりも鮮烈に、美しくて。
(…………この子をオレが泣かせたら、とってもかわいいだろうなぁ……)
ケイトリンが泣いていたのは、怒りからだった。悔しさからだった。屈辱からだった。強い感情の発露が涙となっていたのだから、それが美しいのは必然だ。
しかし、この涙を自分の手で流させれたら。それはもっと美しいんじゃないかと、アルバートは思わずにいられない。
(…………泣かせたいな。ぐちゃぐちゃに、汚してやりたい)
ふと湧き上がる凶暴な感情。
アルバートの口元が恍惚に歪む。
「アルバート」
けれど、その名を呼ばれて我に返った。
力強い目が、アルバートを見ている。
「なんでございましょう、お嬢様」
「おまえ、わたくしに仕えるなら……今日のこと、黙ってなさいね。他の人に弱みを見せるつもりはないの」
「!」
「……わたくしがあの女に仕返ししようとしてるのが明らかになって、阻止されても困るしね」
そして、そのどこまでも傲慢な。自分勝手な言葉に。アルバートは痺れた。
アルバートが仕えているのは公爵家に、だ。だが、ケイトリンの中では既にアルバートは自身の下僕でしかないらしい。下僕だから、ケイトリンに不利なことをするなと、早速命じてくる。
その我儘さが憎らしくて。愛らしい。
(…………きっともう、逃れられないなぁ)
本当……どこまでこのお嬢様は、自分を歪ませれば、気が済むのだろうか。
歪んだ本心を隠しながら。彼はにっこりと笑って、頷く。
「承知しました。お嬢様のご命令通りに」
初めはその容姿に一目惚れした。
次の、その傲慢な性格に。
そして、最後は彼女を汚してしまいたいという仄暗い感情を抱いた。
きっと彼女はこのまま育てば《悪の華》と呼ばれるようになるだろう。
傲慢で、性悪で、身分が低い者を見下す、典型的な貴族になるだろう。
そんな彼女を地に堕としたい。
自分の手で、散らしてしまいたい。
…………そのためにも。アルバートはケイトリンの信頼を得なくては。ずっと側にいれるように、彼女専属の侍従にならなくては。
こうして──。
ケイトリンに歪んだ感情を抱くようになった彼は、表向きは主人のために。主人の望むままに動く従順な下僕になった。
しかし、アルバートは……本人にその自覚はないけれど、一歩間違えば主人を殺す諸刃の剣。
一度目は失敗した。
思惑が重なった部分とズレた部分の影響で、ケイトリンは死に至った。
なら二度目は……?
物語の舞台は、まだ上がったばかり。けれどもう、一度目の道筋は変わっている。
その結末がどうなるか、それはまだ誰にも分からないのだった──……。
よくある悪役令嬢側の内通者キャラ。
乙女ゲームのアルバートはケイトリンを自分が手に入れてもおかしくないぐらい身分を落とさせるため(※王太子との婚約破棄)に、王太子に協力した…………が。
王太子が約束を違え、ケイトリンを処刑してしまったことで絶望することになる。