宴の夜、燃え上がる嫉妬
亜人達が保護されている《箱庭》は、アルフォンスに多大な負担をかけて維持されていた。元々使えないはずの能力を使って展開しているため、想像よりも負担が大きいらしい。
だから、それを解消するために……《箱庭》から亜人達が暮らす隠れ里に移り住むことになるのは、必然であった。
けれど、〝彼女〟は自分すらも隠れ里に行かなくてはいけないことに不満を覚えずにはいられなかった。
満点の星が輝く偽りの夜空の下、賑やかな声が響き渡る。
今日は宴だ。別れの宴。門出を祝う宴。
中央に置かれた大きな焚き火。周りには食べ物を持ち寄ったテーブルが置かれていて、亜人達が飲み物を飲みながら楽しそうに過ごしている。
そんな中で〝彼女〟──ルルはヒトビトの隙間を潜り抜けて、誰かを探すかのように辺りを見渡していた。
(アルフォンス様は一体どこに……)
彼女が探してるのは自分達を救ってくれたヒト──アルフォンスだった。
最初の時点で挨拶のために言葉を交わしたが……他のヒトも挨拶を待っていたので、あまり長く話すことはできなかった。
だが、隠れ里に移されてしまったらもっと話す機会が失くなってしまう。今しか、自分を手元に置いてくれと訴える機会が失くなってしまう。
ルルはあちらこちらとアルフォンスを探し……ついに彼を、見つけ出した。
──彼が主人と仰ぐ……若葉色の女と共にいる姿を。
「カルディア様。はい、どうぞ。食べてください」
ヒトビトの輪の隅。特別に準備されたらしい席に座って、彼らはいた。
にっこりと微笑みながら、アルフォンスは女にステーキを差し出す。
女は気にした様子もなくそれを受け入れて、彼から食べさせてもらっている。そして、目をキラキラとさせながら心底幸せそうに微笑んでいた。
「うわっ、けっこー美味しい! 誰が作ったの、これ」
「どうやら料理に目覚めた亜人がいるようでして。急ではありましたが、張り切って準備をしてくれたようです」
「ふぅん。そうなんだ? もっと食べたいかも」
「そう言うと思って多めに取ってきてます。はい、どうぞ」
当たり前のように食べさせてもらうのを受け入れている女に、ドス黒い感情が湧き上がる。
…………主従関係だとは、聞いていた。それにしては二人の距離感が近いように、感じていた。
今こうしているのも。普段からこの女と共に行動しているのも。
アルフォンスと近しい距離にいる女に、嫉妬の炎が燃え上がる。
「…………アルフォンス様」
だが、ルルは本心を隠して……成るべく声を荒げないように意識しながら、声をかけた。
アルフォンスは顔を上げて、不思議そうに首を傾げる。
「どうしました、ルル」
「………………お願い、です」
「ん?」
「わたくしを、貴方様のお側に置いていただけないでしょうか?」
「……………うん?」
アルフォンスは意味が分からなそうに首を傾げる。
ルルはその場に両膝をついて、希うかのように両手を組んで顔を上げた。
「わたくしはこの身を貴方様に捧げたいのです。お役に立ちたいのです。ですからどうか。わたくしを貴方様のお側に置いていただけないでしょうか?」
「…………」
アルフォンスは無言のまま見つめてくる。
幼いエルフは緊張した面持ちで、視線を返し続ける。
そのまま見つめ合うこと数十秒。彼は困ったような表情を浮かべた。
「…………君の気持ちは、分かりました」
「! でしたら!」
「ですが、君を……いいえ。君でなくても。わたしの側に誰かを置くようなことはしません」
「!! 何故ですかっ!!」
ルルの怒鳴り声は予想よりも大きかった。そのため、賑やかだったヒトビトの話し声が一瞬で止む。視線が集まることが、嫌でも分かった。それでもルルの口は、止まることがない。
「何故ですっ、アルフォンス様っ! 後から来た堕天使と淫魔は側に置いているのに、何故先にいるわたくしを側に置いてくださらないのです!」
「ですからね、ルル。わたしは誰も置く気が──」
「それにっ……わたくしならば、アルフォンス様に尽くされるだけのその女と違って貴方様の役に立ってみせます! それこそ、貴方様のためならばなんだってして──」
「…………話を聞け、ルル」
「っっ!?!?」
ぞわりっ!!
重い重圧を伴った言葉に、ルルの口は縫い付けられた。ハクハクと声にならない吐息が漏れる。
ゾッとするほどに冷たい金色の瞳。無表情になったアルフォンスの恐ろしさに、ルルは無意識に後退りする。
けれど、竜は怯えるエルフを気にせずに淡々と。事実だけを口にしていった。
「まず一つ。アリスさんとエイスさんはわたしが保護した亜人ではなく。君達への自立の手助け──つまり、教育のためにお呼びした協力者であるため……別に、側に置いている訳じゃないんですよ」
確かに、アリス達は自分達に生きるための術を教えるために呼ばれた教師役だと聞いていたが。
それでも後から来て、アルフォンスの側に侍るようになったのには変わりないではないか。
「次に……何故、お前がカルディア様を、悪しきように言う?」
きゅるりっ。
アルフォンスの瞳孔が細める。無表情ながらも怒りを宿した視線に貫かれて、ルルは息を呑んだ。
「カルディア様は僕の主人だ。命の恩人だ。彼女に命を救われて、彼女に鍛え上げられて、彼女に君らを匿ったこの《箱庭》を始めとした力を授けられた。僕が生きてるのはカルディア様のおかげであって、結果として君らが救われたのも元を糺せばカルディア様のおかげだ。そもそも、お前達を救う前から僕はカルディア様の僕なんだから。彼女に尽くすのは当然なんだよ。 …………で? お前はなんで、カルディア様を悪いように、言った?」
「ヒッ……!」
悍ましいほどの殺意を向けられて、ルルはその場に崩れ落ちる。
その瞬間──呆然とする他の亜人達の中から……慌てたように、二人のエルフが飛び出してきた。
「アルフォンス様っ……! 申し訳ございません!」
「どうかっ……どうか娘の愚行を、お許しくださいませっ……!」
その場に土下座して、深々と頭を下げるのはルルの両親──ロロとリリ。
夫妻は他の仲間達と宴を楽しんでいたが……まさか娘がこんなことをしでかすとは思いもせず、動揺し過ぎて所為で今の今まで動けなかった。けれど、アルフォンスが娘に殺意を向けたことで我に返り、やっと動き出せた。
遅過ぎたかもしれないが、二人は謝るしかない。夫妻は服が汚れるのも厭わずに、頭を地面に擦り付ける。
そんな二人を、ルルは呆然と見つめていた。…………何故、両親がそこまで謝罪しているのかが分からない。
自分は何も、間違ったことは言ってないはずなのに──……。
「うふふっ……あはははははっ!」
そんな地獄みたいな空気の中で、楽しげな笑い声が響いた。
本当に楽しくて楽しくてしょうがないと言わんばかりに笑うのは──カルディア。彼女は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、告げる。
「んふふっ……許してあげなよ、アル」
「…………カルディア様」
「折角の楽しい時間に水を差すのもよくないし? それに……私的には面白いモノが見れたから。結構満足、してたりするよ?」
「!」
そう言って満足気に笑うカルディアの様子に、アルフォンスは大きく目を見開く。その顔は徐々に、若干不服そうな表情に変わっていく。だが、最終的には主人の言葉に折れたらしい。
彼は仕方ないと言わんばかりに溜息を溢し、ロロ夫妻に声をかけた。
「顔を上げろ、ロロ。リリ」
「……………アルフォンス、様」
「カルディア様がお許しになった。それが決定だ。だが、次はないと思え」
「「はいっ……!」」
呆然とする娘を、夫妻は無理やりその場から下がらせる。
けれどルルは、愉快そうに歪んだ女の顔から、視線を逸らすことができなかった。
(アルフォンス、様っ……!)
何故、何故、何故! ルルの顔が醜く歪む。
カルディアの言葉に従うアルフォンスの姿を受け入れたくなかった。あの女を優先されるのが。悔しかった。
従って当然と言わんばかりの態度のカルディアに。好きなヒトから大切にされる女に、嫉妬が燃え上がっていた。逆恨みともいえる憎悪が、マグマのように湧き上がっていた。
ルルの負の感情は全て……〝恋情〟を抱くアルフォンスにではなく、彼が大切にする女へと向かう。
(ユル、サナイッ……!)
ルルの恋情に、鈍感なアルフォンスが気づかなかったこと──これが一つの、分岐点。
この影響は後に、竜の命を奪うほどに……大きくなる。