(色気なしな)温泉回で、最後の竜はもう一つの計画を始動させることを決意する。
アルフォンスは困惑していた。
「はぁ〜気持ちぃ〜♪」
ゴツゴツとした岩石が転がる山の中腹。満天の星が輝く夜空に、もくもくと湯気が上がっていく。
なんでこんなことになっているのか。どうして大人しくここに居続けているのか。
アルフォンスは目をグルグルとさせながら、隣を見ないように明後日の方向を向き続ける。
長い髪を結い上げて、普段は見えない頸を晒し。鼻歌を歌いながら気持ち良さそうに温泉に浸かるカルディアの方を、絶対に見ないようにと……!
(っ……! 本当にっ! どうして! こうなったっ……!?)
アルフォンスは顔を真っ赤にしながら……思いっきり心の中で悲鳴をあげた……。
カルディアに連れて来られたのは、火山の近くにある温泉だった。
どうやら、暇潰しの散歩をしていた時に見つけたらしい。火山が近いからこそ、他の人は全然寄りつかないようだ。
そんな場所に連れて来られたアルフォンスはまず、目の前で勢いよく服を脱ぎ捨てたカルディアに叫んだ。
いや、温泉──実際に見るのは初めてだったが、知識はあった──だから脱ぐのは当たり前なのだが……。だからって恥じらいがなさ過ぎる!
なんとか頼んで湯着──湯に浸かる時に着る衣──を着てもらったが。それでも混浴ともなれば緊張せずにはいられない。
湯の色は乳白色だったことも、救いだった。おかげで彼女の身体のラインが分からなくなっている。
…………それでもやっぱり、カルディアの方は見れないのだが。
「アル〜。食べる? 美味しいよ?」
「うひゃっ!?」
──ぺたりっ。
頬に触れた冷たさに、アルフォンスは小さく飛び上がった。
思わず振り向くと、温まってほんのり頬を赤く染めたカルディアの手にはコップ型の器に入ったアイス。
近くには湯の上にお盆が浮かんでおり……何種類かのアイスが用意されている。
何故、温泉でアイスを食べるのか……。アルフォンスは疑問のあまり、首を傾げずにはいられなかった。
「それ、は?」
「ん? アイスだよ?」
「見りゃ分かりますよ。なんで、温泉でアイスなんですかって聞いてるんです」
「知らなかった? あったか〜い温泉に入りながら食べるひゃっこいモノは最高なんだよ? ……まぁ実のところ、私は温泉でお酒を飲む方が好きなんだけど。でも今回はアルもいるからね! 健全仕様にしてみた!」
──ぱくりっ。
スプーンで掬われたアイスがカルディアのぷるぷるした唇に消えていく。
無意識にジッと見つめてしまっていたのだろう。視線に気付いた彼女がニンマリと笑って、アイスを乗せたスプーンを差し出してくる。
「はい、あ〜ん♪」
「…………」
「もう。そんなにジッと見るぐらいなんだから、本当はすっごく食べたいんでしょ? 大人しく食べちゃいなよ、うりゃうりゃ」
〝ちょんちょん、ちょんちょんちょん〟っとしつこいぐらいにスプーンで口元を突かれる。アルフォンスは渋々といった溜息を零して、口を開けた。スプーンで口の中にアイスが運ばれる。
スプーンが抜けると同時にアイスが口内の温度で溶けて……バニラ味がじわりと広がった。
温泉で温まった身体に、アイスの冷たさが心地良い。確かに、温泉で冷たいモノを食べるというのも悪くないと思えた。
「美味しいでしょ?」
「…………まぁ、はい」
「他の味、食べてもいーよ。あっ、味見はさせてね?」
ゆらゆらと揺れながら、お盆がこちらの方に押されてくる。
器に入っているのは緑、桃色、茶色、黒と白が混じったモノの四種類。アルフォンスは悩むように視線を彷徨わせて……特に気になった緑色のアイスを手に取った。
「ん!」
「…………」
ちょっと近づいてきたカルディアが無防備に口を開けて待っている。
アルフォンスは眉間に微かに皺を寄せて、一口掬ってカルディアに味見させた。
「うん、抹茶味も美味しい! ご馳走様〜」
それで充分満足したのか、彼女は自身のアイスを食べるのに戻った。
…………そんな警戒心が一切ないカルディアの姿に、アルフォンスの眉間に益々皺が寄る。
(…………これ。意識されてないんですかね……?)
「〜♪」
口の中に広がる甘くも苦い味を堪能しながら、考える。
というか……意識されていないとしか、思えなかった。
湯着を着てるとはいえ、異性と二人で湯船に入っているというのに。この警戒心のなさ。ゆっるゆるの無防備さ。
どう考えても、雄だと思われていない。
…………アルフォンスは険しい顔のまま、カルディアを見つめる。そのジトっとした視線に気付いた彼女がこてんっと不思議そうに首を傾げた。
「なぁに? 今日はよく見てくるね?」
「…………あの、お嬢──いや、カルディア様。分かってます? わたし、雄なんですけど」
「………………うん?」
意味が分かってなさそうなカルディアの反応に、アルフォンスは思わずカッとなる。
「っ……! ですからっ! わたしはっ、雄です! …………異性と無防備に温泉入るとかっ……! 危ないと思わないんですかっ!」
「…………」
怒鳴るようなアルフォンスの訴えに、カルディアはきょとんと目を丸くした。
そのまま固まること、数十秒。だが、その顔が徐々に歪んでいく。愉快で堪らないと言わんばかりの、笑みに。
「あははっ! あはははっ!」
そして、実際に大笑いし出した。
何故、笑われるのか。それが理解できなくて、アルフォンスは間抜けにも口を大きく開けて固まってしまう。
しかし……主人から告げられた次の言葉に。彼は、ブチ切れずには、いられなかった。
「あははははっ……! はぁ〜……そーいえばそーだったね。アルは男の子だった!」
……。
…………。
「…………………はい?」
「配慮が足らなくてごめんね? でも、怖がらなくていいよ、アル。大丈夫。私は仔供を襲ったりしないから。安心して温泉に入って?」
──パチンッ。
そう言ってウィンクしたカルディアは、直ぐに意識をアイスに戻す。
だが、そう言われたアルフォンスは、今だに現実に、戻ることができなかった。
(待って……? 今、カルディア様は、なんて、言った??)
……気の所為だろうか?
彼女の発言はまるで、アルフォンスが雄であることをすっかり忘れていたようではないか。
それも──……自分がアルフォンスに襲われるのではなく。自分がアルフォンスを襲う前提で話しているようで。
つまり、なんだ。彼女は。自分が、アルフォンスに襲われる可能性なんて微塵もないと、思っているということか。
「っっっ〜〜〜!!(ふ・ざ・け・る・なっっ!!)」
アルフォンスは声にならない唸り声を漏らした。
信じられない。こんなことあるだろうか??
雄として意識されていないとは思っていたが……それ以前の話だった。雄だとすら思っていなかった! 今でも仔供だと! 彼女は思っている!
精神的に甘っちょろい部分がある自覚はしているが……それでも、肉体の方は間違いなく、立派な成体であるというのに!
それに、だ。〝男の子だった〟と言っておきながらも変わらぬ態度から見るに。アルフォンスが〝雄〟であるのを、カルディアはきちんと理解していないのだろう。いや、理解する気すらないのだろう。
カルディアの中のアルフォンスは、いつまでも未熟な仔供のままなのだ。だから、態度を変える必要がないと。意識する必要がないと、彼女は思っている。それを態度で、示している。
「……………」
そう、理解した瞬間──アルフォンスから表情が消えた。
(そう、ですか……いや、そうか。そんなに僕は、取るに足らない、意識する必要もない相手か……)
竜としての。雄としての矜持が傷つけられた。ズタボロにされた。
だが、その消えた表情に反して……その胸の奥底から、マグマのような熱量を持った、ドロドロとした怒りが、湧き上がってくる。
(そんなの許せるかっ……! 絶対っ……僕を雄だって認めさせてやるっ……!)
…………アルフォンスは自覚していない。
なんだかんだでカルディアには酷い目──戦闘訓練──に遭わされているけれど。
この世界最後の竜となってしまった自分と一緒にいてくれた彼女を、少なからず好いていることに。
…………アルフォンスは気づいていない。
この世界最後の竜になってしまったからこそ、その魂が。その本能が。この世界が竜の血を残せと叫び。
その最も適切な繁殖相手として……世界は異なれど同じ竜であるカルディアを、求めていることに。
「あれ……? 温泉に入ってるのになんで寒気……??」
そして当の本人もまた……自分が狙われていることに。
どうしてか、気づくことが、できない。
(………………覚悟しろ、カルディア……。絶対にお前を、〝俺〟の番にするっ……!)
かくして──アルフォンスの復讐計画の裏で。
《渡界の界竜》を番にするための計画が、始動されることになるのだった。
【※システムメッセージ※】
世界を維持する《*****》によって、《***》の血を残すための干渉が行われました。