狂った竜の、ストレス発散法
どれぐらい、殺戮に溺れていただろうか?
この世界の空はいつまでも真っ赤なままだ。
だから、時間がどれぐらい経ったかなんて分からなくなる。
地面はどこまでも荒れ果てている。
けれど、彼女の周りには。人の姿を模した災害の周りには。夥しいほどの死体と、ドス黒い血溜まりがいくつも出来上がっている。
「あははははっ!」
『ギュルィィィィるrrrィイィィィRRィイッ!』
狂ったような笑い声が、響いていた。耳障りな鳴き声が、響いていた。
千切っては投げ。貫いて、抉って。
喰らいついて、毟る。殴って、木っ端微塵にする。
「あっはははは! あははははははっ!」
楽しかった。
何も考えずにただ、殺し続けるのは気分が晴れた。
溜まっていたストレスが、発散されていく。
それからまた、どれぐらいの時間が経っただろうか。
ある程度、周りにいる異形の化物達がいなくなって。手持ち無沙汰になった瞬間──ふと思い出した。
そういえば、公爵令嬢の身代わりをしていたな、と。
「…………そうだった。約束、したんだった。そろそろ帰らなきゃ」
破壊衝動と狂気に染まっていた竜は、唐突に我に返った。その変わりようはいっそ恐ろしい。正気とは思えない変化だ。
カルディアは返り血に染まった姿を魔法で綺麗にしてから、《門》を開く。そして、上機嫌で帰っていく。
残された世界にあるのは暫しの静寂。けれど、それもまた直ぐに殺戮の悍ましい音が戻ってくる。
悲鳴、血が噴き出る音、打撃音、肉が引き千切られる音。
その世界にいる化物達は消えた彼女のことなんて、直ぐに忘れて……再び、殺し合いに溺れていくのであった──……。
◇◇◇◇
アリス達に交渉の報告を終えたアルフォンスは、ふと時間を気にした。
それに目敏く気づいたエイスが問いかける。
「如何なさいましたか、竜様」
「…………そろそろ、学園の終礼の時間ですので」
「……。あぁ! 界竜様ですか」
二人には交渉の結果を伝えるついでに、カルディアが怒って姿を消したことも話していた。
行き先は分からない。眷属の繋がりを使えば行き先を知ることも連絡を取ることも可能だが……顔を見せるなと言われているので連絡を取ること自体を躊躇ってしまう。
しかし、もうそろそろ学園の終礼の時間なのだ。授業免除を受けている生徒は授業を受けなくてもいいが、きちんと学園には通っていなくはならない。だから、学園にいるかどうかの確認のため、朝礼と終礼で顔を出さないといけないのだ。彼女は公爵令嬢の身代わりをしているのだから……ここできちんと出席しないと他の生徒や教員らに悪印象を与えてしまう。
ゆえにどうするか悩んでいた。不興を買うこと前提でカルディアと接触するか。それとも公爵令嬢が無断欠席したという悪印象を周りに与えることになりながらも、カルディアが自主的に帰ってくるのを待つか。
しかし、そんなアルフォンスの迷いは、アリスの言葉によって簡単に解決する。
「んっとー。もう帰って来られるので気にしなくていいと思うのですよ」
「…………え?」
「あっ。ほら! 噂をすれば、です!」
アリスが指差した空間が、唐突に歪む。
その歪みから現れたのは……地に届くほどに長い若葉色の髪を靡かせる、人の姿を真似た竜の姿。
彼女は先ほどまでの機嫌の悪さなど嘘のように。和かに笑って、帰還の挨拶をしてきた。
「ただいま〜。どうしたの、皆で集まって」
「お帰りなさいです〜。丁度、隠れ里での交渉結果を聞き終えたところなのですよ」
「ちょっ、アリスさん!?」
アルフォンスはギョッとする。
カルディアの機嫌を損ねたのは隠れ里での出来事だ。そのことを話題に出すなんて……また、怒りを再燃させるだけではないか。
そんな懸念は杞憂だったらしい。彼女はきょとんとして……思い出したかのように「あぁ!」と声をあげた。
「そういえばそんなこともあったねぇ。すっかり忘れてたよ〜」
「忘れて、た……?」
信じられないモノを見るような目で、アルフォンスは彼女を見つめた。
あんなにも怒っていたのに、もう忘れたと言うのだ。こんなに容易く忘却するだなんて、信じられなくて驚かずにはいられない。
そんな彼に、全てを識るアリスが説明する。
「竜様、竜様。驚くのも仕方ないと思うのですが、界竜様が忘れちゃったのも仕方ないのですよ。だって……界竜様はストレス発散のために、他所の世界で三百年以上、お過ごしになられてたんですから」
「!?」
アルフォンスが驚いた顔でカルディアを見るが、当の本人も驚いているようだった。
まさかそんなに経っていたとは、彼女自身も気づいていなかったらしい。
だが、それを聞いて逆に納得もした。アルフォンスは師匠達からの教育で、世界は世界ごとに時間の流れや理が違うのだと教わっている。きっと、彼女はこの世界とは違う、この世界よりも遥かに速く時間が経過する世界にいたのだろう。
そして、そこで過ごしている内にあっという間に時が経ってしまった。だからこそ、腹を立てていた原因は、こうやって忘れるほどの過去の出来事になった。
(まぁ……もう怒ってないのなら、助かりました)
アルフォンスは内心、安堵する。
カルディアを隠れ里に誘ったのは自分だが……誘わなかったらそれはそれで機嫌を損ねていただろうから、彼女を誘わないという選択肢はなかった。
けれど、そんな隠れ里で彼女が激怒するようなことが起こってしまった。
その原因となったのは──……隠れ里の代表ジェット。彼は竜相手に、逆鱗に触れるようなことを言って、激怒させた。ゆえに、今回の件でアルフォンスの責任は殆どないと言えるだろう。
なのに、アルフォンスがあの吸血鬼の代わりにカルディアの機嫌を取らなくちゃいけないだなんて……後始末を押し付けられたようなものではないか。
それも、どんな風にご機嫌を取るべきか。どうすれば機嫌が良くなるかも分からない、単純そうに見えて案外難しい性格をしているカルディアの、だ。
ゆえに、彼女が自分でストレスを発散させて。自力で機嫌を直してくれたことに。アルフォンスは安堵せずにはいられなかった。
「……何はともあれ。機嫌が戻られたのでしたら、幸いです」
「ですね〜。竜は誰も彼も、感情の起伏で周囲に多大な影響を与えるので……竜の機嫌が悪いと周りが大変なのです。でもでも、界竜様は自分でご機嫌を直してくださるので。他の竜様方と比べると遥かに良い竜なのです」
「あはははっ! 笑えるね、それ! 私が良い竜とか! あり得ないよ〜!」
「…………」
アリスの言葉にケラケラと笑うカルディアと、若干引き気味になるアルフォンス。
自分で自分を良いヤツじゃないと言うなんて……理不尽な塊である竜である時点で確かにそうだろうけれど。それでも反応に、困る。
「話に割り込むようで申し訳ないのですが……界竜様。そろそろ現実世界で、学園の終礼が始まる時刻なのでは?」
そんなアルフォンスに助け舟を出すかのように。エイスが話に割り込んできた。
それで思い出したのだろう。カルディアが「あっ」と目を見開く。
「…………そうだった。そのために戻ってきたんだった。アル、行くよ」
「はい、お嬢様。エイスさん、ありがとうございます。教えてくれて。自分でも言ってたのに忘れるところでした」
「いえいえ、どう致しまして。では、行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいで〜す」
アリス達に見送られながら、カルディア達は学園のサロンに移動する。他の生徒が授業を受けている間は殆どこの一室を借りているからか、若干専用状態になりつつある。そんなサロン内で姿を公爵令嬢と従者に変えてから、廊下に出た。
学園は教室がある本棟校舎の他に何棟も建物が立っているのもあって、地味に広い。サロンがあるのも別棟であるため、移動には少し時間がかかる。
黙々と歩くこと数十分。地味に遠い教室にやっと辿り着く。
(…………おや?)
カルディアの後に続いて中に入ると……教室の空気が異様なことに気づいた。公爵令嬢の姿を視認した生徒達が凍ったかのように固まっている。
彼らの目や表情に宿るのは、恐怖。怯え。
そして──……。
主人公を取り囲む王子達から向けられる、殺意に近しい敵意。
本人から特別授業で魔道具の調子が良すぎて怯えられたとは聞いていたが……この様子だと、調子が良すぎたどころの話ではなさそうだ。
(…………………お嬢様?? これ、紛うことなく失敗してませんか??)
アルフォンスはこの状況──カルディアに向けられている敵意っぷりに……頬を引き攣らせずには、いられなかった。