回想 交渉前の下準備、或いは堕天使と淫魔による教育。
アルフォンスにとって──アリスはもう一人の師匠であった。
『いいですか? 行き当たりばったりでなんとかしてしまえる感覚派の界竜様とは違って、竜様は理性派──学んだ知識、身につけた技術、様々な経験を活かして、事前に対策を立てて行動するタイプです。とゆー訳で。今回は安楽椅子探偵システムで鍛えていくのですよ』
『あんらくいすたんてい??』
『かな〜り端的に説明すると、自宅の椅子に座った探偵さんが、現場に行かずに他人から聞かされる話だけで犯人を推理することなのです。運が良いことにアリスは《全知》、識っていることに関しては右に出る者はいませんから。アリスがする話を題材に、どんな風に対応すべきか。どんな展開に終着させるのかを、考えていくのです。さぁさぁ! 頑張って頭を働かせるのですよ〜!』
そうして始まったのは、永遠に思えるような問答だった。
例えばある薬を手に入れるために、何をしたらいいか。薬はどんなものなのか。簡単に手に入れられるのか、否か。手に入れるために何をしなくてはいけないのか。薬を手に入れるために何が必要なのか。薬の材料となるものは。何を使っているのか。効能は。薬は時として毒となる。なら使い方も知らなくてはならない。
ある迷宮に閉じ込められたとする。自分が置かれた状況を把握する。自分が持っているものを確認する。それから何を優先するか。安息地。安全。生き残るための手段。そのためには迷宮のことも事前に調べておくべきだ。どんな敵がいるのか、どれくらいの大きさなのか。事前に迷宮の内部構造を知っていれば生き残れる可能性は大きく変わってくる。
大切な人を殺されたがゆえに、報復──復讐の道を選んだ。
どんな風に復讐をするか? 自らの手? 他人の手? 対象は何人? それは本当に復讐の対象か? 間違ってはいないか。
誰を利用する? 関わりがある人か、無関係な人か。
演技で、騙して。真実を語って、引き摺り込む。相手の事情を利用する。相手の心理を利用する。
どれぐらいの被害が出るだろう。どれくらいの影響があるだろう。どれだけの規模を巻き込むだろう。
どんな風に転がっていくか分からないから、凡ゆる可能性を考えて、その対応を準備しておく。予期せぬことが起きた場合の対処方法も。保険のための予備案も。
でも、柔軟に対応できるように。敢えて策を詰め過ぎないことも、忘れない。
何時間も何日も、何ヶ月も。それは続いた。
…………アルフォンスは本来の力の持ち主のように《箱庭》内の時間を遅くすることはできない。けれど、加速させるのは可能だ。
このために展開した、亜人達を保護している《箱庭》とは別の《箱庭》の時間を加速させなかったら、きっと早々に身代わり期間すら終わってしまっていただろう。…………変わり果てた父の姿──竜の魔道具を持つ標的らも、寿命を迎えて死んでしまっていたかもしれない。それだけは、駄目だ。
ゆえに《箱庭》時間で約五十年。現実世界では約半日。その時間をもって、アルフォンスはその頭の中に莫大な知識と対策方法を叩き込んだ。
彼が完全に学び切ったことを確認したアリスは、満足げに笑う。
『うんうん! これぐらい緻密に作戦を考えておけば、何が起ころうとも大体の対応は問題ないと思うのです。どうです? 参考になりました?』
『……えぇ、はい。間違いなく』
『なら、おっけーなのです! それじゃあ実践編。タイミング良く《亜人解放軍》との交渉がありますから。そのための交渉対応案を考えるのですよ。竜様ヒトリで、頑張るのです!』
『…………いきなりですか!? スパルタでは!?』
『やる気があれば〜! 大・丈・夫! 界竜様を楽しませなきゃいけないのでしょう? なら、やっぱり竜様ヒトリでやりませんと』
そう言われると言い返しにくい。
だって、アルフォンスの命が救われたのは……カルディアの好奇心が理由なのだから。
彼女を楽しませることができなくなった時──それがアルフォンスの終わり。
きっと異界の竜は簡単に、自分を切り捨てるだろう。
或いは……あの時終わるはずだった命を自分が救ったのだからと。
……………アルフォンスを生かした責任を、取るのかもしれない。
それだけは、駄目だ。自分は、果たさなければならない悲願がある。復讐を終えるまで、立ち止まることなど許されない。
そんな彼の本音を、アリスは《全知》で察したのだろう。彼女は顎に指を添えながら、告げる。
『うーんっと。アリスはアリスのためだけに、この《全知》を使ってますけど。頑張ってる竜様に少ぉ〜しはサービスしてあげてもいっかなぁ〜とも思うのです。まぁ、回り回ってこれもアリスのためになりますし? という訳でエイスエイス』
…………実は一緒にいたエイス──そこに恋愛感情はないとはいえ、恋人を他の男と二人っきりの空間でいさせるつもりはさらさらなかったらしい──に、声をかけるアリス。
暇潰しで本を読んでいた彼は顔を上げて、首を傾げる。
『なんだ?』
『ついでに竜様に性教育をするのです。エイスが』
『『…………』』
多分、この時の男性陣の心の声は一致していたはずだ。
──何故に……?? と。
『実際に使うことになるかどうかはその時次第ですし、界竜様が許すかどうかもまた別の話ですけどね? 界竜様を楽しませる最後の切り札ぐらい、準備しておいた方がいいと思うのです。なんせ、あの方は──……』
本人ではなく他人からそれを聞いたのは良かっただろうか、と若干思いながらも。
それを聞かされたアルフォンスは驚かずにはいられない。というか、顔が赤くならざるを得ない。
『だから、専門家である淫魔に教えてもらうが良いのです!』
『…………別に、教えるのは構わないが。竜様もそれで、よろしいので?』
その問いかけにアルフォンスはオロオロとしてしまう。しかし、アリスから向けられた見定めるような視線に、ハッとした。
そうだ。彼女がこう言い出したということは、これを知ることが必要な過程であるという証左。未来のための対策なのだ。
知ると知らない。その差は遥かに、大きな違いになる。
それに……。
目的のためならば、手段を選んではいられない。
『…………エイスさん』
『はい』
『教えてください』
『…………多分、貴方様が苦手なことを教わることになりますよ?』
『構いません。全ては、復讐を果たすため。そして、カルディア様を楽しませるため』
覚悟を決めてそう告げると、彼女達は満足そうに笑う。どうやら、その言葉に偽りはないと伝わったらしい。
エイスは胸に手を当てて、恭しく一礼した。
『分かりました。では、俺の持てる全ての手練手管を。貴方にお教えしましょう』
…………まぁ。性特化の種族から聞かされる内容は予想以上にレベルが高くて、想像よりも遥かにハードで。
初心なアルフォンスは割と本気で後悔したりするのだが。
兎にも角にも──。
こうして知識を身につけたアルフォンスはどんな展開になろうとも対応できるよう、凡ゆる可能性を想定した上で……《亜人解放軍》との交渉に挑むことになった。
そして──……その結果は、アルフォンスの想定の範囲内の結末に至るのだった。




