イベント・聖雪祭の夜に、竜は主人公《ヒロイン》と対面する。
髪を結い上げて、婚約者の瞳の色に近い碧玉の装飾品で彩る。
濃い紫色のドレスを着て、派手な顔に似つかわしい化粧をする。鏡に映るのは紛うことなき悪役令嬢──……。
使用人達に準備を整えられたケイトリンことカルディアは準備が終わるや否や部屋を後にし、部屋の前の扉で待っていたアルバートことアルフォンスに声をかけた。
「アル」
「はい、準備は終わっております」
アルフォンスにエスコートされて、屋敷の一階に降りていく。玄関ホールの階段を降りていたところで、同じように着飾ったマジェット公爵家長男のイノックに声をかけられた。
「やぁ、ケイティ! 今日はとびきり美しいね?」
「お褒めくださり、ありがとうございます。お兄様もよくお似合いで」
「ジェニスと学園のパーティーに参加するからね。彼女の隣に立つのに相応しいように、めいいっぱい着飾らないと」
「そうですか。どうぞお兄様も楽しまれて?」
「あぁ、ケイティもね。では、先に失礼するよ。彼女を迎えに行かなくちゃいけないから」
イノックは笑顔でそう言って、先を歩いていく。
…………ケイトリンの兄は既に学園の生徒ではないが、それでも学園のパーティーに参加するということは、彼の婚約者が学園の生徒なのだろう。学園のパーティーでは、婚約者であれば学園の生徒でも参加することができるらしいので。
「お嬢様」
「えぇ、行きましょう」
カルディアはアルフォンスから声をかけられて、再度歩き出す。馬車に乗り込み、御者に出発の指示を出す。ガタガタと動き出す馬車。
窓に映るケイトリンの澄まし顔。表には出していないと思っていたが、それなりに長い付き合いになってきたアルフォンスには分かってしまったのだろう。
彼は不思議そうにしながら、問いかけてきた。
「どうしたんですか? そんなに興奮なさって」
「…………あはっ。バレた?」
「何か楽しいことでも?」
「今日のパーティー、乙女ゲームのイベントが起きる可能性が高いんだよね〜」
「あぁ……それですか」
アルフォンスも乙女ゲームのことは教わっていたが、それほど興味がないのだろう。反応が鈍い。
しかし、それでもカルディアは気にせずに。楽しそうに、獰猛に笑った。
「気をつけてね、アル。この世界に強制力があるかないかを確かめるためでもあるんだから……ちょっとしたことでも見逃さないように」
「ちょっとしたことでも?」
「そう。じゃないと、アルの復讐も……強制力に邪魔されて、失敗しちゃうかもしれないでしょ?」
「!!」
興味がなさそうだったアルフォンスの表情が変わる。
警戒心が高まったようで、一瞬で真剣な顔になる。
それほどまでに彼は、復讐に力を入れているのだろう。命……はかけていないかもしれないが、それでも復讐を果たすことは悲願と言っても過言ではないはず。
そんな話をしているうちに、学園が見えてきた。公爵家の屋敷は、貴族街でも特に良い立地に立っているため、直ぐに学園に到着するのだ。
「…………準備はいい? アル」
「えぇ。いつでも」
馬車が学園敷地内の馬車停まりに停車し、御者によって扉が開かれる。
カルディアは舌舐めずりをしながら……アルフォンスのエスコートで、外へと降り立つ。
そして──……。
あまりにも面白みのないパーティーに、早々に飽きるのだった。
「…………飽きた」
「お嬢様、お嬢様。少し素が出かけております」
「あら、いけない」
壁際に並べられた椅子に腰掛けたカルディアは、不満が滲みそうだった顔に笑顔を貼り付け、手に持ったシャンパングラスを揺らす。
学園の大広間で開催された聖雪祭のパーティー。中央に置かれた巨大なモミの木に、様々なオーブメント。シャンデリアに照らされて会場はキラキラと輝き、立食ができるように準備されたテーブルには多種多様なオードブルが所狭しと置かれている。更に、今日という日のために準備したのであろう衣装で着飾った生徒達……。
まさに、パーティー。王道パーティー。
ただ本当にそれだけでしかないので、面白みが何もない。
カルディアは小さく溜息を零して、シャンパングラスを傾けた。
「…………はぁ。つまらない……」
「…………」
カルディアの纏う空気が徐々に剣呑になっていく。本当にこのパーティーが面白みがなくて、苛立ちが募っているらしい。
しかし、運はカルディア達を見捨てなかった。
急に大広間入口の方が騒がしくなる。何事かと視線を向ければ……丁度、煌びやかな一行が入場するところで。
「!」
カルディア達は彼らの姿を見て、大きく目を見開いた。
最初に入ってきたのは、青い髪を撫で付けた涼しい顔をした青年と騎士服を纏った凛々しい顔立ちの青年。その後に続くのはオドオドとした黒髪の青年で……。
最後に入ってきたのは、金髪碧眼の貴公子と……。
銀髪の、碧色のドレスを纏った可愛らしい少女。
「まぁ……!?」
「殿下の隣にいるのは……!?」
「あのドレス……殿下の瞳の色では……?」
騒めく声がカルディアの耳に届く。
婚約者である王子のエスコートを受けると聞いていた容姿と、一致する少女。
つまりあれこそが……ケイトリンを死に追い込む、乙女ゲームの主人公……!
(ははぁ〜ん。成る程ねぇ〜? 王子様の趣味は可愛い系だったか〜。それなら美人系のお嬢様が好きじゃないのも納得だね)
王子一行は、生徒達に挨拶されながら大広間を進む。
カルディアはその一挙一動を余すことなく観察した。
王子に手を取られて恥ずかしそうに頬を赤らめる主人公。王子と共にいる男達に柔らかく声をかけられて、コロコロと表情を変えている。
それを見て、貴族の子息達が彼女を気にかける理由を簡単に推測した。
(あ〜……淑女教育を受けてないから、新鮮に映ってるって訳かなぁ?)
淑女教育を受けた令嬢は、感情を表に出さないようにという教育を受けるモノだ。感情を露わにして揚げ足を取られたら、どんな不利益に繋がるか分からないのが貴族社会というモノだからである。
しかし、主人公は違う。感情を露わにして、無邪気に笑う。淑女の笑みを浮かべている貴族令嬢とはまるで違う反応だ。
だから、貴族の子息達は彼女が気になるのだろう。惹かれるのだろう。
そうやって……王子達も彼女に好意を抱いたに違いない。
(だからって、王子様の恋のために殺されちゃあ……お嬢様も溜まったもんじゃないよねぇ? 取り敢えず、向こうの出方を探るとしますかぁ)
カルディアは婚約者が他の女を連れ立って現れたって全然気にしていないという態度で、今までのように過ごす。
さっきから王太子の婚約者がここにいることを知っている生徒達が意味ありげな視線を向けてきているのだ。
だが、カルディアは何かをするつもりはない。自ら動くつもりもない。その様子は未来の夫の火遊びを許す寛大な婚約者の姿に見えていることだろうが……生憎と、そういう訳でもない。単に王子が何してようが興味がないだけである。
そんな彼女の態度に痺れを切らしたのか……カルディアの目の前に、一人の少女が立つ。
「ご機嫌よう、ケイトリン様」
「…………ご機嫌よう」
毒々しい紫色の髪の少女が、きつい吊り目を更に吊り上げてカルディアを睨んでいる。
しかし、何故こんな目を向けられているのかが分からない。
すると、そんな態度が相手の機嫌を益々損ねたのだろう。彼女は怒り心頭に発する、とばかりに大きな声でカルディアを叱りつけた。
「何をなさっているのです、ケイトリン様! 貴女の夫となられる王太子殿下が他の女、それも庶民を連れて聖雪祭のパーティーに参加しているのですよ!? 早く叱りに行きなさいな!」
どうやら公爵令嬢が王子に何も言わないことに対して怒りを覚えたため、こうしてわざわざ言いに来たらしい。
それでもカルディアは動かず。それどころか心底不思議そうに、首を傾げた。
「何故?」
「なっ……!? はぁ!? 何故ですって!? 貴女の婚約者でしょうっ! 王太子殿下は!」
「えぇ、そうですわね。でも、好きにすれば良いと思ってますのよ、わたくし」
「はぁ!?」
カルディアはにっこりと笑う。
多分、ケイトリンが言うであろうなという言葉を考えながら。周りで聞き耳をたてている者達にも聞かせるように、よく通る声で目の前の令嬢に告げた。
「別に、わたくしは殿下に恋情を抱いている訳ではありませんもの。殿下が他の女性と親しくなろうが恋仲になろうが、肌を重ねられようが、好きになされば良いと思っていますわ」
「なっ……!?」
「わたくしはただ、殿下の御心のままに従うまでです。殿下がお望みでしたら婚約者の座を降りても構いませんし。婚姻して正妃としての務めを果たせと言うのならばそう致しますし。白い結婚が良いと言うのならば、そうしましょう。将来的に側妃を何人娶ろうが構いません。今隣にいる女性とか否かのままでいたいというなら、そうすれば良いですし。娶りたいのなら娶られれば良いのですわ。わたくしは何も、拒否しません」
明け透けな言葉に、流石の令嬢も絶句している。周りにいる生徒達もだ。
カルディアのよく通る声は、それなりに広く響いたのだろう。その場だけ、異様なほどの静かに包まれていた。
「そう……本当に、どうでもいいんですの。殿下が何をなさっても。わたくしへの被害が生じない範囲で好きにしてくださればと思っていますわ」
『…………』
カルディアの周りのおかしな空気が、徐々に大広間全体へと広がっていく。
そうなれば流石に、王子一行にも気付かれる。
異様な空気を感じ取った王子達はその原因が婚約者であることを察すると……苦々しい顔をして、静かにこちらへと歩み寄ってきた。
「ケイトリン」
「あら、殿下。ご機嫌よう」
カルディアは立ち上がって、カーテシーをする。
頭を下げ続ける彼女に向かって、王太子コルネリウスは淡々と問いかけた。
「何を騒がしくしているんだ? ケイトリン」
「いえ、何もございませんわ」
「何もなかったら、こんな異様な空気にならないだろう」
「そうでしょうか? わたくしには分かりかねます」
カルディアは顔を上げて、頬に手を当てながら不思議そうに答える。
ギスギス──なお、そう周りが感じているだけ──した会話をする婚約者同士に、何故か周りの方がオロオロし始める。
貴族の子息令嬢ですらそうなのだから、王子に引っ張られてついて来てしまったらしい(一応)庶民の主人公はもっと気まずそうで。だから、あっちこっちに視線を彷徨わせていた所為で手元が疎かになってしまったのだろう。
「あっ!?」
──バシャッ!! パリンッ!!
小さな悲鳴が聞こえたと思ったときには──ケイトリンのドレスに、それなりの量のワインがぶちまけられていた。
「…………まぁ」
「ヒッ! も、申し訳ありませんっ! ケイトリン様っ!」
フィオナが大袈裟なくらいに深々と頭を下げて謝罪してくる。
悪いのはワインをかけてきたそちらであるというのに、そんな風に謝られたらこちらが悪いように見られてしまうではないか。
(うーん……乙女ゲームのイベントでワインのぶっかけは王道だよね? でもかけられたのは悪役令嬢の方で……。でも、この絵面を見ると悪役令嬢の方が虐めているように見える。これ……一応は強制力の効果なのかなぁ?)
「お嬢様」
考え込んでいたカルディアはアルフォンスから声をかけられて我に返る。
視線で促されてそちらを見れば、未だに頭を下げ続ける主人公の姿。
それを見て「あぁ……」と声を漏らしたカルディアは、何も気にしていない軽い様子で、主人公に声をかけた。
「謝罪を受け入れます。貴女は、怪我はしてませんか?」
「…………え?」
「大丈夫そうですわね。でしたら良かった」
驚いたように主人公が顔を上げる。
その側で王子達もギョッとした顔をしているが……カルディアはそちらを気にすることなく、アルフォンスを呼ぶ。
「アル」
「使用人に割れたグラスを回収するよう、指示を出しておきました。お嬢様は……」
「そう。ならいいわ。わたくしは帰ります。流石にみっともない姿を人目に晒す趣味はありませんので。お先に失礼いたしますわ、殿下」
カルディアはもう一度カーテシーを披露して、颯爽と大広間を後にする。
人気がない廊下を歩き、外に出る。馬車停まりで待機していた公爵家の馬車に帰宅の指示を出して、馬車に乗り込む。
扉を完全に閉めて、動き出してやっと一息。
今までケイトリンのフリをしていたカルディアは大きく伸びをすると……「はぁぁぁぁ〜つ〜か〜れ〜たぁぁぁ〜!」とおっさんのような声を出しながら、自身の肩を強く揉んだ。
「あ〜……ワインをかけられたのは驚いたけど。帰るための丁度いい言い訳になったのは助かったよ〜! はぁぁぁ〜つかれたぁ〜……」
「お疲れ様でした、お嬢様。それで? 収穫はお有りで?」
「あったよ〜。うん、分かった」
カルディアは足を組んで笑う。
この世界に喧嘩を売るように。獰猛な笑みで。
「この世界には絶対の強制力はないけれど、多少の強制力はあると考えるべきだろうね。だって向こうが悪いのに何も知らない人が見たらこっちが悪く見えるような絵面になってたし」
「あぁ……先ほどの」
「そう。だから、アルもそれを前提として動くこと。…………分かった?」
「はい。…………とは言っても、だからといってその強制力に対して、どう対応すればいいのかは分かりませんけどね」
知識として聞いているだけで実際の強制力なるものがなんだか分からないアルフォンスでは、そう言うのも仕方のないことなのだろう。
しかし、解決方法は案外簡単なのだ。
「うん? 大丈夫大丈夫。簡単簡単。最悪、暴力で解決だから」
「…………え!? そんな力技で!?」
「えぇ? 当然。だって私達は竜だよ? 生きる災厄だよ?」
例え姿形を偽っていても。その本質は何も変わらない。
竜は壊れた存在。災厄をばら撒く、狂気の化身である。
その存在は理不尽で。自己中で。傲慢で。
「邪魔する奴らは容赦なく潰すの。誰を殺そうが、国が滅びようが、世界が終わりを迎えようが。竜は竜らしく、望むがままに。本能のままに行動するのが竜なの。それが許されているのが竜なの。それが竜の当たり前なんだよ。だからね? 邪魔するモノは全て、容赦なく薙ぎ払うんだよ? それをよく覚えておきなさい、アルフォンス」
常識で考えてはならない異常な存在であるのだと……。
自分よりも遥かに長命である竜の言葉を聞いたアルフォンスは改めて、その事実を実感するのだった。