幕間 違和感は更に強まって
その日──。
夜会に参加していたマジェット公爵夫妻は、宰相を務めるビスティ侯爵から驚く話を聞かされることとなった。
「そういえば……我が息子から聞きましたが。マジェット公爵家の御息女は随分と優秀なようで」
「…………おや。なんの話でしょうか?」
「はははっ、惚けなさるな。御息女が学園にて三年分の授業免除となった件ですよ」
「「!!」」
マジェット公爵夫妻は表情には出さなかったが、内心かなり動揺していた。
そんな話、ケイトリンから聞かされていなかった。知らなかった。
かつては、夫妻もジュレイユ学園に通っていた身だ。既に学んでいることを二度手間で学ぶことがないようにと、免除制度があることは知っていた。
しかし、いつの間にケイトリンがその試験を受けて、合格していたのか──?
基本的に、学園内で起こる出来事に親が権力を使って介入してはならないとなっている。
そのため、親が学園のことを知るには子供から聞くか、教えてもらうしかない。
逆を返せば教えてもらわなければ何も知ることができないということだ。今回はまさにそれ。ケイトリンから教えてもらっていなかったからこそ、マジェット公爵夫妻は何も知らなかった。
だからこうして。他人から聞かされる話で初めて、このことを知ることになった。
だから──……。
「これほど優秀な淑女が未来の国母になられるのだから……将来は安泰だと思いませんかな? 公爵」
「……えぇ。そうですね」
「……親として鼻が高いですわ」
マジェット公爵夫妻は、ただそう言って微笑むしかできなかった。
帰りの馬車の中。
ケイオス・マジェット公爵は大きな溜息を零した。向かいの席に座ったイーリスも同じように溜息を零す。
先に口を開いたのはケイオスの方。彼は窓の外に映る薄暗い街並みを見つめながら、ぽつりと妻に問いかけた。
「君は知っていたか? ケイティのことを」
「いいえ、聞かされておりませんでしたわ」
「…………昔はなんでも、話してくれたのだがな」
幼い頃のケイトリンはちょっとしたことでもなんでも両親に話していた。
しかし、王太子の婚約者に決まって、王妃教育を受けるようになってからは……それがどんどん失くなっていった。貴族らしく、家族にさえ笑顔の仮面を被るようになって。
最近では更に、何を考えているのかが分からなくなってしまった。
「…………あの子は一体、何を考えているのやら」
夫の呟きに、妻は何も返すことができない。
マジェット公爵夫妻の馬車内は……重苦しい空気に満ち溢れていた。
◇◇◇◇
「ケイティ。何故教えてくれなかったんだ? 全ての授業が免除になったことを」
翌日の朝食の席。ケイオスは静かに朝食を摂る娘に問いかけた。
唐突だったからだろう。ケイトリンは首を傾げている。そんな娘の言動を、公爵夫妻はつぶさに観察する。
いつもと変わらない娘の姿だ。けれどやはり、違和感が拭えない。
だが、そう思うのは親であるケイオス達だけだったらしい。ケイトリンの隣に座るイノックは驚きに目を見開き、心底誇らしそうに妹を褒め称えた。
「ケイティ! 免除試験を受けて、全ての科目で合格したのかい? それは素晴らしい!」
「お褒めくださり、ありがとうございます。お兄様」
「それで? 何故、家族であるわたくし達に、そんな偉業を達成したことを教えてくれなかったの。ケイティ」
イーリスが再度、娘に問いかける。
全ての授業を、それも三年分も免除になったということは、把握している限りでも史上初の快挙である。あの気難しい宰相ですら、ケイトリンが王太子妃……しいては将来の国母となるのであれば、未来は安泰だと褒めていたぐらいなのだから、それがどれほどの偉業であると言える。
しかし当の本人は心底不思議そうな顔で。逆に何故だと、質問を返してくるのだった。
「何故でしょうか?」
「…………何故、とは?」
「何故、お伝えしなくてはなりませんの? 自分から言いふらすなんて……まるで自慢するようではありませんか」
「…………そういうことか」
その答えを聞いたケイオスは、娘が言わなかった理由を理解した。
自分からそのことを言うのは、ひけらかすようで気が引けるからと。だから誰にも、家族にすら、自ら自分の偉業を語らなかったらしい。
「未来の王太子妃として相応しい教育を受けてきているのですから、免除試験に合格したのは特別なことではありませんわ」
「……もう。そういう理由だったのね」
教えてくれなかった理由が分かったからだろう。イーリスの表情が柔らかくなる。
けれど、ケイオスはまだ少し。険しい顔をしていた。
「それで? 空いた時間は何に使っているんだ?」
「近隣諸国の勉強をしていますわ」
「近隣諸国の?」
「えぇ。王太子妃として殿下を支えることになるのですもの。何が役に立つか分りません。学んでおいて損はないと判断しましたの。それから魔法についても改めて学び直したいと」
「魔法もかい?」
「そうよ、お兄様。有事の際、殿下をお守りする盾にならなくてはいけませんもの。攻撃、防御、回復、解毒……色々と学んでおけば、どんな時でも対応できるでしょう?」
模範解答だ。王太子のためになることを学ぶのは、王太子の妻となる者の行動として間違ってはいない。
何も、おかしくないのに……。
何故、こんなにも娘のことを疑わずにはいられないのか──?
しかし、こんな風に思う理由が分からない。疑ってしまう明確な原因が分からない。だからこそ、これ以上言及することもできそうにない。
ケイオスは歯痒く思いながらも、ひとまずは仕方ないと、この話を終えることにした。
「あまり、無理はしすぎないように。学ぶことは大切だが、無理をして身体を壊してしまっては元も子もないからな」
「えぇ、分かっていますわ。お父様。無理をしない範囲で頑張ります」
「そうしなさい」
こうして、穏やかな家族の朝食は進む。
けれど確かに。目に見えない軋みは、マジェット公爵家に影響を、与え初めていた。