その竜の短気は、物語《シナリオ》の乖離を起こす。
ケイトリンの身代わりになって一週間──カルディアは不機嫌な様子で、ぽつりと呟いた。
「つまんない」
──ピクリッ。
休日の昼間。ケイトリンの私室で食後のお茶を入れていたアルフォンスはその言葉に動きを止める。
マキナから聞かされていた〝警戒すべきこと〟が遂にきたかと……彼は警戒心を高める。
そして、主人の機嫌を損なわぬよう。最新の注意を払いながら、カルディアへと問いかけた。
「何がつまらないんですか、お嬢様」
「学園生活」
「が、学園生活が、ですか……」
「うん」
カルディアはテーブルに肘をつきながら、顔を顰める。その表情が全てを物語っている。
だが、こんな顔になってしまうのも仕方ない。本当に、つまらないのだ。あの学園生活は。
毎日毎日同じことの繰り返し。毎日毎日知っていることを聞くだけ。
事前に図書館で本を読んだのがいけなかった。学園で教わることを、既にカルディアは覚えてしまっていた。
だから余計につまらなくて。本当につまらなくて。本気でつまらなくて。
それも、聞いていた乙女ゲームのように愛憎劇が始まることもなく。ただただ穏やかな学園生活が流れるだけ……。
…………ゲーム期間は三年間もあるのだから、一週間やそこらで簡単にことが起こるはずない、という言葉は短気なカルディアには意味がない。面白いか否かしか重要視していない壊れた竜は、この状況が我慢できない。
そんなこんなで。カルディアは暴れ出してしまいそうなほどに、限界を感じ始めていた。
「イライラする。ストレス溜まる。今直ぐ暴れたい気分。模擬戦しよ、アル」
「…………それ、模擬戦して発散しきります?」
「さぁ? やらないよりはマシだと思うよ。ストレス溜まりすぎて、自分が何するか分からないから」
獰猛に笑う主人を見て、アルフォンスは頬を引き攣らせる。
マキナから聞いていたカルディアの異常性──強過ぎる〝好奇心〟。
面白ければ全てを許し、他者が死ぬことすら許容する異常性だ。逆を返せばつまらなければ何をするか分からないということ。
今回はこうして暴れるだけで止まっているのだから……まだマシな方なのかもしれない。なんせ聞いた話だとこの竜は……つまらないからという理由で世界を滅ぼすという大量虐殺を起こしたことすらあるというのだから。見た目によらない、というのはまさにこのことを言うのだろう。
しかし、アルフォンスは油断していなかった。こういう時のためにきちんと、準備をしていた。
だから彼はカルディアに……この状況を変える提案をした。
「でしたらお嬢様」
「? なぁに」
「つまらない学園生活なんか、止めてしまうのはどうでしょうか?」
「…………へ?」
「正確に言うのならば、授業免除制度を利用するのは如何でしょうか? ということです」
不思議そうに首を傾げるカルディアに、アルフォンスは説明する。
授業免除制度とはその名の通り、授業を免除できる制度だ。免除を受けたい授業の試験を受けて、合格点を出せば授業に出なくても良くなる──という仕組みだった。
何故、こんな制度ができたかと言うと……高位貴族になればなるほど、幼い頃から家庭教師による教育を受けている生徒がいるためだ。既に学んでいることを再び学園で学んで時間を無駄にするなんて勿体ない。彼らが有意義に時間を使えるよう──例えば、専門分野の研究や人脈作りなど──にと、この制度は作られたらしい。
「授業が免除になればその授業に出なくていい。全ての授業が免除になれば理論上、朝夕の出席確認だけ出た後は全て自由時間になるそうです。一応、自由とはいえ学園の外に出てならない……なんて規則もあるようですが、お嬢様には《門》がありますから。何も問題にならないでしょう? つまり、公爵令嬢の身代わりという役目を果たしつつ、お嬢様が面白いと思うことを好きにできるようになるかと。……如何でしょうか?」
「…………!」
カルディアの目が輝く。口元が笑みに彩られる。
どうやらアルフォンスの提案は彼女の心を掴めたらしい。
彼は内心安堵しながら、にっこりと微笑んだ。
「お嬢様。よろしければ免除制度の試験、申し込みしておきますが。如何なさいますか?」
「受けるよ! 受けるに決まってるじゃん!」
「当然、全部?」
「勿論、全部!」
「畏まりました。では、最短で試験が受けれるよう、明日早朝にでも早速申し込みをしておきますね」
「うん、よろしくね!」
にこにことご機嫌になったカルディアに、アルフォンスはホッと息を吐く。
自分よりも遥かに強い竜。本来ならばこんなにも簡単に、格下である自分が言うことを聞かせられるはずがない。他の竜であれば容易く、怒りを買って殺されてしまうだろう。
しかし、彼女は自分が他に利用されようが気にしない。面白ければなんでもいい。
だから、こうしてアルフォンスの提案を受け入れてくれた。
(…………少しでも面白くないと思われたら、殺されるかもしれないなんて。本当、気が重いですけど)
それでも、アルフォンスは主人を利用する。カルディアの異常性を利用する。
(…………全ては、人間どもに復讐するためですから)
ゾッとするぐらい仄暗い目で、アルフォンスは学園で見た光景を思い返す。
生徒達が手にしていた数多の魔道具達。
それがかつては生きていた人間種以外の生命だと。かつての自分の仲間達の成れの果てだと思うと、湧き上がる負の感情が抑えきれない。
特に……。
(〝アイツら〟だけは、絶対に赦さない)
思い出す。
その手にあった純白の魔道具を。
もう声も、意思も、温もりも、何もかもないけれど。
それでも分かった。
──あれは、〝父〟だと。
自分を守るために生贄になった、紛れもなく血を分けた肉身であると……!
(絶対ニ……! 赦サナイ……!)
憎悪に染まったアルフォンスを、カルディアは愉快そうに見つめる。
自分を利用する気満々な、自分よりも遥かに小さな仔供を、楽しげに見守る。
(本当、いい拾い物したなぁ〜。こんなにも楽しませてくれる子はいないよ)
実のところ──アルフォンスが思っているよりも遥かに、カルディアの短気は酷いモノだった。
最も災厄な短気で起こしたのは、世界を滅ぼしたこと。
最も短い我慢は、たったの一時間。
それぐらい、《渡界の界竜》カルディアは我慢強くない。
面白くなる可能性があってもその時が面白くなければ容易く終わりにしてしまうほど、彼女は気が短かった。
しかし、この一件で一週間も持ったのは、他ならぬアルフォンスの影響だった。
ある意味、彼にとっては敵である人間の子供達が通う学園に通うようになって、彼は目にした。
選ばれし人種だと勘違いした人間どもの傲慢さを。醜さを。悍ましさを。
他種族達の命を搾り取って生み出された多種多様な魔道具。
それはアルフォンスの怒りを抱かせるのに充分だった。更なる憎悪を育てるのに充分だった。
トドメとなったのは、父親の変わり果てた姿だろうか?
王太子が持っていた真新しい魔道具。
四大公爵家が一つ、エンドゥレ公爵家から献上された竜の魔道具なのだと、王太子は自慢げに他の者達に見せびらかせていた。
自分の両親を殺されたアルフォンスは。殺された後もあぁやって辱められている父の姿を見て……どう思っただろうか?
その様子を観察するのが。アルフォンスの憎悪を見るのが面白かったから、カルディアは今日まで我慢できた。
だが、それももう限界。
復讐に燃えるアルフォンスという、とても面白いモノがあるのに、それが側で見れないなんて……なんて苦痛だろうか? つまらない授業で観察が邪魔されているとなれば、余計に面白くない。
だから、自分を利用することが目的だとしても。面白いから別に構わなかった。
この世界最後の竜の復讐。今は身代わりよりも遥かにそちらの方が興味が唆られる。
(別に公爵令嬢らしく振る舞えとは言われてないし? 身代わりとしてここにいればいいだけで、行動の制限なんかは受けなかったからね。私の好きなようにさせてもらおっと)
あの従者としての取引は、あくまでも公爵令嬢ケイトリンの身代わりになるのことのみ。
元々、二年半の身代わりでしかないからこそ、今までのケイトリンのように振る舞えとは言わなかったのかもしれない。
好評が広まろうが、悪評が広まろうが。ケイトリンが彼の評価を一切気にかけていなかったように、アルバートの方も主人の評価がどうなろうが気にしていなかった。
…………本心では。ケイトリンに帰る場所を完全に失くしてもらうためには、悪評が広まった方が都合が良いなんて思っているかもしれないが。
とにもかくにも、取引にはなかったのだからカルディアの好きなようにさせてもらう。
(これからはもっと近くで、アルの変化を見れるね? 楽しみ〜♪)
心底自分勝手な異界の竜が起こした短気。
それが……乙女ゲームの物語を大きく変え始めていた。