令和6年 能登半島地震③ ブルーシート貼り
遂に、ガスが復旧した。
生活インフラの中で、一番復旧が早かった。
それは嬉しいし、良かった。しかし……。
今日の予報は雨である。恐れていた雨。
それは、屋根が崩れているからである。おそらく、雨漏りするだろう。
親が工場の2階の外壁のモルタルが崩れたところに、ブルーシートを張って欲しいと言う。
そんなのやった事が無い。どうやってやればいいのか。
2階の工場の窓から脚立を立て、釘を壁に打ち込んで固定し、ヒモでブルーシートの
穴と結ぶ。しかし、釘先がなめた釘ばかりで、中々入って行かない。
モルタル部分にも釘を打ち込んだら、割れた。モルタルに打ったら、あかん。
なんとなくそうなる気はしていた。(じゃあ打つな)
なんとか貼ってみたものの、上部がたわんでいて完全に塞げていない。
上部は三角になっていて、難しい。
とりあえず、やらないよりいいか。この日はこれで妥協した。
あまり降らないで欲しいが……この日の晩、雨はしとしと長く降り続いた。
次の日の朝、本来2階に上がって雨漏りを確認べきところであるが、
見るのが怖くて後回しにした。
妹夫婦達が車で来た。
海岸線が崖崩れで通れないから、山中の道を通って来たらしい。
亀裂や段差に注意しながら来たという。
妹夫婦の家は、井戸水引いているので持ってきてくれた。
飲むには煮沸した方がいいとの事だが、助かる。
午後になり、恐る恐る2階を見に行った。床に雨水は垂れていないものの、
天井部分が2か所、滲んでいた。
これが長引けば、屋根が痛んでくるな……どうしたものか。
瓦屋は忙しくて無理だろうし。
何か情報は無いかと、避難所へ行ってみる。
親戚のねーちゃんが居た。声を掛ける。
ガソリンスタンドが営業していて、一般車は2000円まで給油してくれると言う。
ただ長蛇の列で、いつ在庫が無くなるか分からないとの事。
給油して貰えるか分からないけど、行ってみるか。
トンネルを抜けて、坂道を下ると給油待ちの車の列が見えた。
そこに加わる。1時間半程待って、やっと給油して貰えた。
2000円分入る前に満タンになった。
実はこのガソリンスタンドで若い頃、1年程バイトさせて貰った時期があった。
昼飯も食べる暇もないだろうなと思って、小さいパンを4つ程渡した。
良かったら、食べて下さいと言って。
「今、手汚いんやけど……ありがとうな」
と言われた。何か袋にでも入れて渡せば良かったか。
家に帰って、今度は親の車に乗り換えて給油しに行く。
しかし、車の列が居ない……やな予感。
案の定、在庫切れだった。次はいつローリーが来るか分からないとの事。
家に戻ると、母が兄に連絡してブルーシートを買ってくるように頼んでくれと言う。
兄は金沢に近い、津幡に住んでいて長距離トラックのドライバーをしている。
電話を掛けようとしたが、電波障害で繋がらない。
そういや、Оさんが高台はスマホが繋がるって言ってたな。
外の高台につながる階段を、中ほどまで上って兄に電話を掛けると、繋がった。
兄にブルーシートを確保して欲しいと伝えると、もう買ってあると言う。
更に他に欲しいものがあったら、買って持ってくるという。
ブルーシートの目途は立った。後は、それを屋根に掛けてくれる業者は居ないか。
親友のHに相談して、△□工務店を教えて貰った。
電話を掛けるが繋がらない。
後にHに聞いて判明したが、1日中電話が鳴りっぱなしで、電話に出てないらしい。
困った。ブルーシートを掛けてくれる業者が見つからない。
向かいの隣町の屋根を見ると、ブルーシートを貼った家が何件か見える。
そこに住むⅯ師匠に電話をして、どの業者に頼んだのか分かりませんか?
と聞いてみた。
「あれは、各自に自分らで貼ってるんや。瓦屋は忙しくて、やってくれんからな。
向こうから(貼ろうと)来るのは、詐欺ばっかりやぞ」
聞けば適当に貼って全然直ってないのに高額請求したり、勝手にブルーシートを
置いて行って、高額な料金を請求されたりという被害が既に起きているそうだ。
人が困っている時に、信じられない連中だ。
因みにM師匠は自分の釣りの師匠で、異世界転生物が大好きである。
イチ推しは転スラである。
兄から連絡が入り、こちらに向かっていると言う。
山中の道を通って、ぐるっと回って来た方がいいと伝えた。
20時頃着くだろうとの事。
20時過ぎ、兄が到着した。
ブルーシート4枚と水や食料、発電機まで持ってきていた。
向こうからこっちに来るまでに、普通なら2時間ちょっと位なのだが、
4時間位掛かったそうだ。
兄が発電機を動かして、酸素吸入器に繋ぐ。
父は間質性肺炎を患っていて、震災以来停電の為吸入器が使えず、
酸素ボンベを使っていたが、それも残り少なくなっていて、業者が
いつ来れるか分からない状態だった。
翌日、工場の2階部分の上手く貼れていないブルーシートを直す。
兄が脚立に乗って自分が支える。しかし、どうやって直すのだろう。
兄は園芸用の棒を軒下に突っ張り棒のように固定し、ヒモを通し直していく。
たわんでいた部分が、綺麗に貼れた。
残るは屋根であるが、危険だ。
兄は100kg以上の巨体である。屋根に上がると言い出さなければいいが。
しかし、やはり屋根に上がると言い出した。言い出したら聞かない。
作業前に兄の指示があり、スマホで屋根の破損状況を撮る。
罹災証明書を申請する時に、見せる必要があると言う。
そこにたまたま、S叔父さんが様子伺いに来た。
「屋根に(ブルーシート)掛けてしまうか?」
と言う。
S叔父さん曰く、高目が効くのだと言う。
しかし、叔父さんは81歳。いつの話の事を言っているのか。
「いや、無理やって。危ないし」
と俺。
しかし、やるつもりのようだ。
下から屋根を見て、5m×7mのブルーシートで良いかなと見当を付ける。
それで行けそうだと自分も同意する。
叔父が梯子で登っていく。自分はそれを支える。
まずは、屋根の端っこの下の部分にヒモで輪っかをつくり、固定の足掛かりとする。
何か所か同じようにしていく。
それが終わったら、いよいよ屋根に上がる。
兄も屋根に上り、手伝う。
自分は一段下がったところから、何か出来る事を手伝う。
叔父が壊れた瓦を集め、カゴに入れ、それを下に降ろすのを手伝う。
降ろし終わった。
ブルーシートを拡げ、最初に作った輪っかの所にヒモで結んで叔父が固定していく。
兄が持ってきた土のう袋に、本来なら砂利を入れるところだが、
無いので代用としてプランターの土を入れ、ヒモで吊るし引っ張り上げ、屋根に上げる。
8割がた途中まで貼ってから、叔父さんが言った。
「あちゃー。ブルーシートの大きさ足らんかったな」
目測を誤った……申し訳ない。
少し大きめにするのが正解だったようだ。
7m×9mのブルーシートで再度貼り直す事に。
叔父が結んだヒモを屋根の端ギリギリまで行って切る。
切るために叔父は少し身を乗り出している、危ない。
(落ちんといてくれ……余震来ないでくれ)
ハラハラしながら見守る。なんとか切り終わった。
風が強い。予報では風速13m。沖の方から吹いてくる。
しかし不思議と風の僅かな角度なのか分からないが、家周辺では風が緩和されている。
夕方から雨の予報だった。雨が降ると、瓦が濡れて滑る。
何とか持ってくれ、風も強くならないでくれ。余震も来ないでくれ。
情けない事に祈る事しか出来ない。
夕方の5時頃。もうすぐ暗くなる少し前。
「終わったぞー!!」
待望の叔父の声が響く。良かった。
片づけもそこそこに、夕食で叔父をもてなす。
叔父が道が悪いから、完全に暗くなる前に帰るというのを、母が引き止める。
緊張から解放され、団欒する。
叔父さんに、缶コーヒーや餅(好物らしい)かぶら寿しなどお礼をして見送る。
S叔父さんが、こんな凄い人だったとは。
俺は、尊敬の念を抱いた。
普通81歳にもなって、いくら親戚の家の為とは言え、なかなか屋根の上に上がって
作業なんか出来ない。
1月1日と、この日の事は忘れないだろう。
晩は少し雨が降ったが、翌朝2階に上がってみると雨漏りはしていなかった。
かなり気が楽になって、この日以降食欲が戻った。
本当にありがたかった。S叔父さんには、頭が上がらなくなった。