令和6年 能登半島地震発生
初めて投稿します。
令和6年能登半島地震で被災した経験を綴ります。
記憶を辿って書いているので、細かいところで間違った部分はあるかもしれません。
昨年の12月下旬、今日は何か不思議な日だなと感じていた。
母親の膝の手術の検査の為に白山市の病院へ行き帰る途中、のと里山海道へ乗って暫く進むと、
目の前の上空に他と違う色をした雲が見えた。
それはかなりハッキリと、龍の形をしていた。
「黒龍様だ……」
スマホで撮影したかったけど、運転中なので断念した。
暫く経つと、その形が龍の形から日本列島のような形に変わっていった。
あれが北海道で……あれ? 石川県が無い?
まぁ石川県は特殊な地形だから、そんなにうまく雲の形にならないよな、と思いつつも
まさか、また珠洲で更に大きい地震が来るんじゃ……? と、一瞬不安になった。
そんなのが来たら、本当にしゃれにならんぞ、と運転しながら考えた。
2024年元旦、年末の慌ただしさからその不安は忘れつつあった。
初詣から帰って来る途中海を見ると、普段水没しているところが
海面から出ていて、少し不安になった。
こんなに海面から出ているのを見るのは、初めてかもしれない。
自宅に戻り、ゆっくりしようと思い部屋でゲームを始め、1時間も経つかどうかという時に
強い揺れを感じ(震度5強)、1階に降りて地震情報を見ながら親と話しているとその数分後
1回目とは比べ物にならない位、とんでもない揺れが襲って来た。
母親と本棚が倒れないように支えて耐えていたが、揺れの時間が凄く長くて、
家が潰れるんじゃないかと思う程の、とんでもない揺れでした。
アラームが鳴り響く中、家の中はガッシャン、ガッシャンともう色々な物が倒れ、
ひっちゃかめっちゃかに。
スマホに志賀町で震度7を計測(※後に輪島市でも震度7)と速報され、
「大津波警報」が発令された。
地元は震度6弱となっていましたが、絶対そんなもんじゃない。体感的には震度7でした。
(※だいぶ後にこの地域は、震度6強~6弱と発表されましたが)
正月早々まじかよ!?と絶句しながらも、親に
「津波が来るから、早く高台に避難しないと」
と伝えました。
先に両親が車で高台に避難し、遅れて自分も高台に避難。
途中の坂から、磯の方を見るともうすでに海面に異常が。
(津波だ…え?早くね!?)
やばいぞ……でも今はとりあえず、親と合流しなくては。
高台には、多くの人々と車でごった返していました。
親の車は坂を上がってすぐの所に停まっていたので、自分もその近くに駐車しました。
津波は最大で5mと予想され、超海辺の実家はどうなるんだろう…と心配でなりませんでした。
道路はところどころ亀裂が入ったり、陥没していました。
高台から一望できる別の場所で、津波の様子を見ると、既に堤防ギリギリ位の高さまで
来ていて湾内に到達、堤防の沖で渦を巻いているのが見えました。
日常の平穏から僅か30分足らずでの、この非現実的状態。
津波の高さは1mに満たないものの、これが段々高くなってきたら?
東日本大震災の被災者はこんな心境だったんだろうか?とか、
今の段階でこれならヤバいんじゃないか……そう思いました。
日が傾き、段々寒くなってきましたが、津波がそれ以上高くなる様子はありませんでした。
この寒さでは車のエアコン付けないと、寝れないのではないか?
いつ給油出来るようになるか分からない、貴重なガソリンを消費してしまう。
そう思った私は、そこでもう一度津波の様子を確認してから、家へ戻って毛布やお茶、
パンなどの食べ物やトイレットペーパーなどを取りに行きました。
釣りの時の弁当用に、パンを少し買ってストッカーに入れていたので。
家の中は停電していて真っ暗なので、ライトで照らしながら。
高台に戻ると親にパンやお茶を毛布など渡して、アイドリングしっぱなしで
ガソリンを消費しないようにと伝えました。
避難する時に、スマホの充電器も持ってきていましたが、なるべく使わないようにしました。
というかそもそも電波障害でネットに繋がらないので、見るだけ無駄だったのです。
こういう時、やはりラジオの方が役に立つのかもしれない。
後、持ってきて非常に助かったのが、趣味の釣りで使う防寒着。
これがあるのと無いのじゃ、大違いでした。
車中泊する訳ですが、アイドリングをしないで済んだのはこの防寒着と毛布のお蔭。
ただ、それでも晩は少し寒かったですが。
そしてこの防寒着がその後も活躍するのでした。
やがて夜になり、周りは皆車中泊をするようだった。
夜が怖い…でも人が多くいる事で、心細さが少し緩和されるように感じた。
時々親に離し掛けたり、良くは見えないけど津波が来てないか確認しに行ったりした。
幸いにも、津波の高さはそんなに変わってなさそうだった。
車に戻り少しお腹が減って来たので、家から持って来たパンを少し食べる。
貴重な食糧なので、大事に頂く。
暫くすると寒くなって来て冷えたのか、催してきた。
断水でトイレも使えないので、車の止まっていない所まで結構歩いて、茂みで用を足す。
非常時故、お許し願いたい。こういう時、男は便利というか…女の人は大変だな、と思う。
戻って来て親に聞くと、介護施設の方からおにぎりなどを貰ったと言う。
貰いそびれた……間が悪かったと、がっかり。
しかし暫くして、また介護施設の方が車で見回りに来てスティック状の菓子パンを頂いた。
とってもありがたい。
「水はありますか?」
と聞かれたが、お茶があるので遠慮した。箱買いしといて良かった。
どうやらその施設では、発電機があって電気が付きトイレも使えるらしい。
ただ、こんな状況では大混雑だろう。
施設の場所を歩いて確認しに行く事に。地元だけど、はっきりと場所を知らなかったので。
多分この辺? と思っていると、女性が歩いて来たので聞いてみる事にした。
「すみません」
と声を掛けても反応がないのでもう少し大きな声で聞いてみたが、やはり無視された。
警戒しているのだろうか。
こんな状況且つ、暗がりの中では警戒されるのも無理はないか。
もう少し歩くと灯りが目に入って来た、ここで間違いないな。
この灯りが、少しだけ希望の光のように感じた。
施設の場所を確認したので再び車の所へ戻る。
すると、車の方から女性の声で
「消防の方ですか?」
と聞かれた。
どうやら防寒着を着てモコモコしていたので、そう思ったらしい。
「どこかでスマホの充電が出来ないでしょうか?」
と言われても…停電中だし。ん? そうだ、あそこなら。
「あそこで発電機を動かしているので、充電器があればさせて貰えるかもしれないですね」
と教えたが、肝心の充電器が無いという。
実は車用の充電器ならあるのだが……見ず知らずの人に貸して大丈夫だろうか?
もし持ち逃げされたら……? いつ電気が復旧するか分からないし。
結局少し悩んだ末、貸す事にした。
使い方も分からないとの事なので、失礼してシガーライターのソケットに差し込み、
その人のスマホに差す。
「ありがとうございます!〇〇です!△△さんの4軒隣の」
凄く嬉しそうに感謝された。
どうやら近所の人だったようだが、△△さんの4軒隣?そうだっけ、なんか違うような?
ともかく、充電が終わったら返しに来るとの事。
戻って、〇〇さんって△△さんの4軒隣だったっけ?と、親に確認してみると多分違うとの事。
不安になってきた。しかし今更返せと男らしくない事も言えず。
普段ならまだまだ余裕で起きている時間なのだが(21時前)、する事も無いので
取り敢えず寝よう。
車中泊なんて初めてだ、寝れるだろうか。
シートを目一杯倒し、毛布を被る。
時々目が覚めたりはしたものの、大きな余震もなく、なんとか寝れた。
朝になり明るくなるにつれ、他の車がどんどん居なくなっていく。
おそらく自宅の様子を見に戻っているのだろうな。
そう言えば、充電器を貸した人は?
と、その車が停まっていた所を見ると……居ないやないかい!?
これはやられたんじゃ……と、貸したことを少し後悔する。
親にこれからどうする?と話しかけると、自宅へ戻るという。
よし、一旦家に戻るか。
家に戻り、外回りの被害を見ると瓦の棟の部分(てっぺんの山の部分)が崩れていました。
これは雨漏りするんじゃないか……。
カギを開け家の中に入り、ガスコンロを使って、母が正月用の餅で雑煮を作り、
朝食として食べた。
水の代わりに、ペットボトルのお茶を使って。
地震により、生活インフラは全て使えない。こういう時、ガスコンロは便利だ。
あまり食欲がなかったけど、食べ終わり、さてこれからどうしようかと。
そうだ、親友Hに会って話をしてみよう。何か情報も聞けるかもしれない。
ガソリンを節約し、歩いてHの家まで行く。
丁度Hは外に居て知り合いと喋っていた。
H家族も別の高台に避難していたらしい。やはり瓦の棟が壊れたとの事。
Hの嫁さんと子供達も居た。子供達も怖くて眠れなかったそうだ。
断水の話題になると、Hの知り合いが小学校の近くに水道管が破裂して水がジャージャー
出ている所があると教えてくれた。朗報だ。
すぐ家に戻り、親にその事を教えると母も行くという。
ポリ容器等を持ってその場所へ向かった。
そこへ着くと、H達が一生懸命水を汲んでいた。
しかし、なにか様子がおかしい。
彼らが汲んでいたのは、川の水だった。
正確に言えば、水が側溝を通って、その切れた所から滝状に川へ
流れ落ちているので、汲みやすい。
「水道管が破裂してたんじゃなかったっけ??」
「うん、川の水やわ」
「話が違うな……飲めるのか?」
「飲めんわ。トイレに流すだけ。洗い物のすすぎにも使えるんじゃないか?
もう終わるから車そこに持って来いよ」
うん、でもトイレや食器の前洗いに使えるのは助かるな。
容器を置いて、Uターンして車を持ってくる間に、Hが水汲みをしてくれた。いい奴だ。
20リッターを水圧に耐え、溜るまで片手で容器を持っているのは結構力仕事だ。
文章で伝えるのは難しいが、場所的に両手では持てないので片手で踏ん張りながら
容器を持つ形になる。結局殆ど手伝ってくれた。Hよ、ありがとう。
それからこの場所へ、地区の人達が汲みに来るようになった。
水の汲みやすい場所があって、助かった。ありがたい。神様ありがとう。
早速、トイレが使えるか試してみた。
便器の中に水を入れ、流す……しかし流れない。壊れているのか。
親にトイレが流れないと伝えた。
スマホの充電器を返して貰わないと、と思い出し○○さんの家の前まで行くと、
車があった。ナンバーは合っている。
チャイムを鳴らし、玄関で待っていると例の人が出てきた。
スマホの充電器返して下さい、と言うと、家に行ったけど留守みたいだったから
お礼のお菓子と一緒に下駄箱の上に返しておきましたと感謝されて、逆に恐縮した。
友達から着信がいっぱい来ていたけど、バッテリーがなくて通話出来なくて
困っていたとの事だった。
家の下駄箱の上を見ると確かに充電器と、高級そうなお菓子が置いてあったので、
頂いたお菓子を仏壇に供えた。
充電器を1晩貸した位で、高級そうなお菓子も付いて来るとは思わなかったけど。
親がトイレが使えたという。
便器の方に水を入れるんじゃなくて、タンクの方に小なら5ℓ位、大なら焼酎のボトル2本分、
8ℓ位入れないと流れないという。
こんなに普段水使ってたのか、と改めて水のありがたさを感じる。
そしてトイレを使う直前にタンクに入れないと、水が減って使えないという事も判明。
更に、トイレットペーパーも便器に流すと詰まるから、流しちゃ駄目らしい。
何かに包んでゴミ箱へ。しかし、ゴミの回収もいつ始まるのだろうか。
さて、どうしよう。何か情報は無いかと思っていると、地区の人達が、
炊き出しのおにぎりと味噌汁を持ってきてくれた。
おにぎりは、ひとりあたり1個だそうだ。ありがたい。
そう言えば、深層水の設備は稼働しているのだろうか?
もし稼働しているのなら、凄く助かる。
あまりガソリンを使いたくないが、見に行く事にした。
ただそこへ行く道が通れるのかは、行ってみないと分からない。
ところどころ道路に段差やヒビが出来ているので、ゆっくりと進む。
坂を上り、隣地区へ。幸いトンネルは崩れていない。
坂を下って、港内が見えてくる。しかし……。
埋め立てした脆弱な地盤のせいか、道路があちこち隆起、陥没が酷い。
なんとか深層水施設にたどり着いたが、閉門している。
門の向こうに、水が入った大きめの容器が複数見える。
何の為に置いているのだろう? しかし、流石に勝手に持って行く訳には行かない。
諦めて施設を後にする。
そういえば、よくお世話になっている釣具店はどうなっているのだろうか?
来たついでに確認しに行くが、やはり埋め立て地盤なのだろう、ここも酷い。
釣具店の前まで車では厳しそうなので、途中に停めて徒歩で見に行く。
店の前まで来たものの、鍵が掛かって留守の様だ。どこかに避難しているのだろう。
目の前の岸壁は、陥没が酷く水たまりが出来ていた。
復旧に何年掛かるんだろうか? と心配になる。
お、人が居た。何か喋っている。
ん? あの人は深層水の施設で働いている人じゃないか。
施設稼働の目途を聞こうかと思ったが、水も出ないし電気も付かない、とぼやいているのが
聞こえて来た。この様子だと、施設の稼働には暫く期待出来そうもない。
諦めて戻って来る途中、親戚のねーちゃんを見かけた。
決して若くはないのだけど、中年でも未婚とかだと、地域ではねーちゃんと言われる事が多い。
尤も、既婚でもそう呼んだりするので、線引きは良く分からない。
このねーちゃん人懐っこく、コミュ力が高いので何か情報は無いかと話し掛けた。
今は情報が欲しい。
俺は小学校の近くに川水が汲める場所がある事、深層水の施設の稼働は期待できなさそうな事、
施設に行く途中までの道はそうでもないが、埋め立て地域は道路の損傷が酷い事などを伝えた。
向こうからの情報は、地区の人が発電機に使うガソリンを船で買いに行っている事、
ガソリンスタンドは営業していたけど緊急車両だけしか給油していない事などだった。
やはり、一般車はいつ給油出来るようになるか分からないな。
家に帰って汲んできた川水をポリタンクから、使いやすいように漏斗を使って
4ℓの焼酎の容器に移し替えた。トイレの前に並べる。
幸いな事に、家には父親が飲んで開けた焼酎の容器が沢山あった。
灯油ポンプの方が楽だが、使ってないポンプは少し壊れていた。
また大きな揺れが来たらと思うと、まだ家の中を片付ける気にはなれなかった。
やがて暗くなって来て、母が残ってたご飯を使ってお粥を作った。
大きいロウソクを炬燵のテーブルの上に置いて、余震に注意しながら、夕食を食べる。
ロウソクが倒れたらと心配になるけど、電池もなるべく節約したい。
夜が怖い。怖いけど、他にする事がないので寝るしかない。
スマホのバッテリー節約の為、電源は落としている。
今晩も車中泊をしようと思っていたのだが、両親は家で寝ると言う。
車の中ではよく眠れないからと。
確かに車中泊だと高齢になるほど、血栓のリスクもある。
仕方がないので、炬燵で寝る。
今時珍しい豆炭炬燵で、柔らかな温もりがある。
停電中だから尚更、豆炭炬燵で良かったなと思う。
正月前に豆炭を買い込んでおいて良かった。
夜中何度か余震はあって、その度にドキッとしたが、なんとか眠れた。
消防の車が回って来て、給水車が来ると拡声器で知らせて行く。
消防団の人達に詳しい事を確認する為、徒歩で向かった。
夕方6時頃に来る予定だそう。ただ道路がこんな状態だから、時間通りに来るとは
言えないとの事。
先に避難所の方へ行くと聞いたので、そこへ行って待つことにした。
正確に言えば、避難所ではないのだが地区の人達が集まっていて、発電機を動かして
照明やテレビ、スマホの充電などに使っていた。
待っている時間を利用して、スマホを充電させて貰う事にした。
そこでスマホの充電係兼見張りのような事をやっている人が居て、親切なあんちゃんだな、
と思っていたら親戚のОさんだった。
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