承認欲求に飲まれた哀れな少年の物語
史実では最悪の独裁者、として語られているアドルフ・ヒトラーですが、もし彼が自分よりも主義思想が過激な部下と出会い、自分の思想を考え直すことができたら…と考え本物語を執筆しました。人の出会いとは縁が全てです。仮に史実でヒトラーがそういった縁と出会えていたら、未来は変わっていたでしょう。仮に本物語を読んで頂けるなら、そのように思いながら読んでいただけますと幸いです。
本物語にはよく「~個師団」といった表現が出てきますが、これは1個師団=約1万人とカウントしているとお思い下さい。つまり歩兵師団10個師団、というのはおおよそ10万人の歩兵がいることを意味しています。現代では考えられない規模ですね…
それと「機甲師団」という名前が度々出てきますが、これは軍隊全てが装甲化された部隊、とお考え下さい。具体例を挙げますと、「戦車・トラック・装甲車に乗った歩兵(装甲化歩兵と以後呼称します)」といった具合です。要は機甲師団=ほぼ全部が戦車で構成された部隊、ということです。
説明が長くなりました…では本物語を心ゆくまでお楽しみ下さい……
その時私は16歳だった。まだ若かった。それ故にあのような過ちを犯したのだろう。今となってはもう、昔の話だが。
1936年の1月1日、アドルフ・ヒトラー率いるNSDAP、国民社会主義ドイツ労働党がドイツ国内の政権を奪取しナチスドイツが誕生した。その当時の国内の状況は、
国民総数が139万人、その中で陸軍が歩兵だけで構成された歩兵師団27個師団およそ23万人、軽戦車とトラックで構成された機甲師団3個師団およそ1万7千人といった内訳であり、合計30個師団24万人、つまり国民総数の17%の人々が軍人であった。
国内の産業については、建設用具に使われたり、消費財や貿易品を作成する際に使用されたりする民需工場、小銃や戦車、トラックや航空機等の軍需品を生産・修理する際に使用される軍需工場がどちらも28ずつあり、海軍を増強させるために使用される造船所が10存在していた。つまり、国内には合計で66の工場が存在していた。
139万人いるドイツ国民の内、その60%に当たるおよそ83万人の国民がNSDAPを支持しており、体制としてはファシズムを主とする国家であった。
建設では国内の建設できる全ての空いた場所に軍需工場の建設を予定しており、民需工場の建設は一切無かった。理由としては至って簡単である。「作るより奪った方が早い」からだ。これは後ほど説明しよう。
研究の分野では「電子機械工学、基本型工作機械、建築」これらの研究を開始し国の基盤を固め始め、また海兵隊を組織できるように勉強を開始した。
最後に国のこれからの方針を決める国家の方針については、国内の産業の安定化を目指す、「四カ年計画」が実行されることとなった。
1920年1月1日に産まれた私は生まれつき感情が欠落していたらしい。理由は不明だが、生活に支障はないとのことであったので、日常的な生活を送っていた。しかし、私が15歳になった時に問題が起きた。
ナチスドイツが政権を取る少し前の1935年12月25日の日のことであった。私がいつもの帰り道で帰っていると、同じ学校に通ういじめっ子2人が私の帰り道を塞いだ。
「…どいてくれないと家に帰れないのだが」
そう言う私の言葉は聞こえなかったのだろうか、私の問いかけに帰ってきたものは、腹部への強力な蹴りであった。
「黙れ!貴族でもないお前が俺の好きだった彼女の告白を振りやがって!身の程を知れ!この雑種めが!」
痛む腹を押さえていると、そのような返答が帰ってきた。思い返してみると、確かに今日私はある女性から告白を受けていた。確かに彼女は美しい見た目と優しい性格をした一般的に理想、と呼ばれる女性であったが、どう考えても私以外の男性と関係を持った方がその人のメリットになっていた。だから私はそのように彼女に伝えたのだが、どうやらその一連のやりとりをいじめっ子達に聞かれていたらしい。それで私を恨むなど見当違いもいいところだが、これ以上帰宅時間が遅れると私生活に影響が出る。そこで私は、
「雑種で悪かったな。そんな雑種に本気で怒っているお前もお前のように思うが」
と返事をした。私としては、貴族であるお前が私に怒るのはエネルギーの無駄遣いではないのか?と聞いたつもりだったのだが、逆にそいつの怒りにガソリンを投げ込んだらしい。
「んだとコラァッ!死ね!」
ものすごく分かりやすい怒りの感情をむき出しにしながら、彼はナイフを取り出し私に襲いかかった。別に避けようと思えば避けられたのだが、今後もこいつたちにつきまとわられるとやっかいだ。だから私はそいつの突き出したナイフを避けず、自身の腹で受け止めた。
ズブッと鈍い音が響く。彼は私が避けると思っていたようであり、自分で刺しておきながら刺されてニコニコしている私におびえ、尻餅をついた。情けないな、そう私は思いながらも、
「だめじゃないか、殺すつもりなら最初からナイフは上段に構えないと。人間の腹部には様々な臓器があるが、下段に構えてしまうと重要な臓器が何もないところに受け止められるぞ?」
私としては、彼にアドバイスを送ったつもりだった。のだが、彼らは一目散にその場を後にしてしまい、私の助言は彼らに届くことはなかった。人との会話は難しい…そう思いながら痛む腹を押さえて帰ろうとしたところ、
「待て。そんな傷を負いながらどこへ行くつもりだ?」
とドイツ軍の将軍のような人に呼び止められた。
「どこへって家に帰るんですよ。別に刺された所には重要な臓器は何もありません。止血して安静にしていれば死ぬことはありません。それより早く帰って飯の準備をしないt」
そう私は説明したのだが、さすがに腹部を刺された15歳と立派な軍人とでは勝負にならず、私は軍人の車でとある場所に連れて行かれてしまったのであった。
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「それでここはどこなんですか?マンシュタインさん」
車内でエーリッヒ・フォン・マンシュタインと自己紹介された私は、彼に連れ込まれた医務室でそう質問した。すると彼が答えを返すよりも早く、
「ここはこれからドイツ内で最も新しい設備を整えた病院となる場所だ。小僧」
と鼻の下にちょっとひげを生やした軍人らしき人物に返事をされた。アンタ誰だよ、そう私は聞こうとしたのだが、それより早くマンシュタインさんが答えを言ってしまった。
「なぜこんなとこにいらっしゃるのです!ヒトラー総統閣下!」
「別に構わんだろ?もうじき私が国内のトップに座るのだからここにいても」
ヒトラー総統閣下と呼ばれた男はマンシュタインさんの叫びにそのように返答した。そして、
「ところで傷の具合はどうだ小僧。まだ痛むか?」
そのように私に声をかけた。先ほどよりはずいぶんとマシになっていたためそのように伝えると、彼はうれしそうに笑いながら、
「当然だろう。なんせ偉大なる我々アーリア人の医療は世界一なのだからな」
と言った。かと思えば急に表情を一変させ、
「ところで、お前を蹴っていた人間はどこのどいつだ?そのような人物が私と同じアーリア人であると思うと反吐が出る。その人物を教えろ。処刑する」
そう私にくってかかるようにまくしたてた。別にアーリア人に種類があってもいいんじゃないかなぁ、私はそう思ったが、彼の剣幕がすごかったため、そいつたちの名前を教えようとした。しかし、それよりも気になる書類が目についた。それは…
「総統閣下。そこに置かれている『蘭作戦』というのは?」
私はオランダに向けて矢印が引かれた地図を見つけ、彼にそう聞いた。それを聞いた途端、マンシュタインさんの顔つきが険しいものになった。…どうやら見てはいけない物を見てしまったらしい。そう思った私だったが…
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「総統閣下。オランダよりも重要な国があります。ポーランドです」
気付けばそう言っていた。総統閣下は驚いた表情をして何か言おうとしたが、マンシュタインさんが総統閣下より早く、
「なぜそこを重要と捉えた?」
そう聞いた。私はその問いに対し考えた。何せ気がつけば勝手にポーランドの方が大切だと言っていたのだ。私自身もとっさにそう言ってしまったため、なぜなのかと考えた。そして考えて気付いた。考えてみれば難しい話ではなかったのだ。
「オランダに向けた矢印。それは恐らくオランダの侵攻を意味しているのでしょう。そしてそれはオーストラリアの上にあるオランダの傀儡国であるオランダ領東インド(現在のインドネシア)の獲得が主目的のはず。そのオランダ領東インドにはゴムが大量に生産されている。そしてゴムを求めるということは、航空機の生産を大量にしたいことを意味している。なぜ航空機を生産するのか、それは航空優勢を取りたいから。航空優勢をとらないと戦闘で不利になりますから。それではどこの国に航空優勢をとりたいのか?それはイギリスでしょう。かの国は大量の航空機を保有していますから。そしてイギリスは連合国に加盟している。もうここまでくれば総統閣下が連合国相手にやりあいたいと思っていることは分かります」
総統閣下もマンシュタインさんも口をぽかんと開けている。私は続ける。
「その上でオランダよりも前にポーランドが重要であると思ったんです。現在の国際情勢を鑑みるに、イギリス、フランス両国は外交に対して弱虫です。仮にオランダを併合し、その後にポーランドに戦争計画を練れば、イギリスはポーランドに独立保証をかけ、戦争に連合国が介入してくるでしょう。しかし、その逆であれば状況は別。先にポーランドに対し宣戦布告を行い、ポーランドの降伏が確定的になればその後に蘭作戦を発動し、オランダを征服する。こうすればポーランドの広大な土地と工場を全て摂取することができ、加えてオランダの資源地帯を獲得することができる。いかがでしょうか?」
二人とも私が話し終えた後も口を開けっぱなしにしていたが、最初に口を開いたのはヒトラー総統閣下だった
「…マンシュタイン、こいつを捕縛しろ。国家の最重要機密情報をなんでこんな小僧が知っているんだ。こいつは敵国のスパイの可能性がある」
彼がそう言うと同時にマンシュタインさんが私を捕まえた。別に私はスパイじゃないんだけどなぁ…そう思いながら私は彼らに連れて行かれるのであった。
それから数日後の1936年1月1日、16歳になると同時に私はナチスドイツの参謀の席に座っていた。あれからナチスドイツの懐刀である親衛隊による徹底的な取り調べが行われたが、元々頭も中に浮かんだことをしゃべっていたのだ。証拠などハナから出るわけもなく、ヒトラー総統閣下から土下座をされた後に正式にナチスドイツへの入隊が取り決められた。しかし、
「総統閣下、何度も同じ内容を言って申し訳ないのですが、私を最前線に配備してくださりませんか?こちらから見る景色と最前線から見える景色は絶対違います。最前線の戦況を元にした作戦の方が絶対効率がいいんです」
私のその願いは却下される。
「それについては親衛隊の中に記録員を紛れさせているから問題ない。お前のような頭の切れる人間をみすみす失わせてたまるもんか」
総統閣下の言うことも一理ある。絶対に死なないことなどあり得ない。私のような若くて作戦を考えられる人物が私以外にいるならまだしも、今はそんな人はいない。今私が死ぬわけにはいかない。これも事実であった。
「それよりもだ。ついに今日から私による新しいドイツが始まる。既に捕らえているユダヤ人についての処遇はできているんだろうな?」
総統閣下からそのように言われる。それに対し私は、
「当然です。彼らに24時間の勤務で担当している軍需工場が完成すれば市民権を与えると言ったところ、こちらが捕まえるよりも早く是非是非と彼らの方から捕まりに来てくれました。おかげで工場の建設速度については他の国よりも10倍もの速度で完成させられるでしょう。ただ、この方法はユダヤ人がいなくなると成り立たないので彼らの『補充』は怠らないようにお願いしますよ、総統閣下。それでは私はこれで失礼します」
そう返事を返して本日の仕事に取りかかるために総統室を後にする。
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「…別に何個の軍需工場を完成させれば解放するとは言っていないのだから死ぬまで働かせばいい、か。とんでもない奴を拾ったものだ。彼に人の心はないのだろうか」
ヒトラーが寒気混じりに放った一言は誰にも届かないのであった。
1936年1月2日、国民達に向けてヒトラー総統閣下はテレビで演説を行った。それは、
「偉大なるアーリア人諸君達よ。我々はファシストだ。国の進化のためにはいかなる容赦もしない。私はドイツを強く大きくするためにポーランドにあるダンツィヒィを返すように最後通牒を行う。しかしポーランド唯一の港を彼らが手放すとは思わない。故にそれを見越して我々ドイツ第三帝国は2月15日にポーランドに宣戦布告する。諸君達にはドイツの最終的な勝利のため活動してくれることを期待する」
といったものであった。当時ドイツ国内にはファシストの風が吹いていた。それを煽るかのような彼の演説はドイツ国民達の士気を高めた。そしてそれから1ヶ月と2週間弱が経過した1936年2月15日、ドイツ第三帝国はポーランドに宣戦布告した。そしてこれはヨーロッパを黒い風が蹂躙する合図でもあった。
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ついに戦闘の火蓋が切って落とされた。始めドイツ軍は機甲師団3個師団と歩兵3個師団の部隊をドイツの飛び領に配備し、これら6個師団6万人はワルシャワに向かって突撃。残りの歩兵と砲兵を織り交ぜた新設歩兵24個師団24万人でドイツ領からソ連方面に向かって波状攻撃を実施。一時機甲師団が突撃しすぎたところをポーランド軍に包囲されたことがあったが、小銃や手榴弾といった装備の充足が酷かったポーランド軍に機甲師団を攻撃する有効な方法がなく、またドイツ機甲師団による機動的な速度と猛攻を前に多くの師団が対応に迫られた。
その隙を突いてドイツ歩兵師団が進軍を進め、無事に機甲師団のいるところへたどり着き、機甲師団の救出に成功する。続いて機甲師団はそのまま北上を進め、ダンツィヒィを死守するポーランド軍15個師団10万人を包囲した。政権交代からわずか1ヶ月少々で攻撃されるとは思っていなかったポーランド軍の士気は戦う前からボロボロであり、加えてダンツィヒィを失い港を失ったこと、またそこにいた守備隊15個師団が殲滅させられ、ドイツ軍がその死体の数々を磔にして遠くからでもポーランド軍に見えるようにしたところ、ポーランド軍の士気は完全に崩壊。国土の4割ほどしか侵攻していないのにもかかわらず、降伏一歩手前の状態になった。
その状況を確認したドイツ首脳陣は一旦ポーランド侵攻を中止。オランダ侵攻を決定し、同年5月20日にオランダ領東インドに宣戦布告した。同日宗主国であるオランダが参戦し、戦争が始まったが、オランダ戦に参加したドイツ軍はわずか歩兵師団3個師団と機甲師団3個師団の計6個師団5万人弱。対するオランダ軍は計10個師団9万人の軍隊を保有しており、まともに戦えばドイツ軍に勝ち目はなかった。しかしポーランド戦の話を聞いていたオランダ軍はドイツ軍の軍靴の音が聞こえると眠れなくなるほどおびえる有様であり、まともに戦闘できる軍隊はわずか4個師団3万人ほどであった。そんな状況ではドイツ軍の相手になるはずもなく、ひたすら蹂躙されていき、開戦からわずか2週間足らずの6月3日、オランダは降伏した。
オランダの降伏が決定的になったころ、一旦戦闘を中止していたポーランド戦を再開し、歩兵師団24個師団で総攻撃が始まった。先ほどの大戦で大勢の味方を殺され、見せしめにされたことによってポーランド軍の士気は最低であり、ドイツ軍はその姿を見るや武器を放り出して背を向けて逃げるポーランド兵を射殺しながら進み続け、国土の4割を削り取るのに数ヶ月かかった初戦とは違い恐ろしい速度でポーランド領を奪い続け、オランダが降伏した2週間後の6月16日、ポーランドは降伏した。講和会議ではオランダ、ポーランド共に全土が併合され、オランダとポーランドの両国は地図からその姿を消した。
その後ドイツ軍はすぐさまポーランド戦が始まった辺りから行われていたスペイン内戦に介入。ドイツと同じファシストを掲げる国粋スペインに向けて義勇兵を派兵した。向かったのはポーランド戦で大量の屍を築き上げた機甲師団2個師団。ドイツ機甲師団が国粋スペインに到着した時、スペイン内戦の結果は確定的なことになった。
「クソ、なんだあの戦車部隊は!こちらの攻撃がまるで通じないじゃないか!」
スペイン内戦は見事に泥沼の戦いを繰り広げていた。元々あったスペイン王国ですら満足に武器が配備されておらず、充足率は低かった。それに加えて内戦となれば、武器も弾薬も足りるはずがなかったのだ。そのため銃の弾薬がなくなれば銃本体で敵に殴りかかり、銃が折れればスコップで殴り合い、スコップが折れれば拳で殴り合うというような状況で戦闘をしており、その場は憎悪と狂気のみが充満していた。そういった意味では彼らスペイン軍にとってドイツ機甲師団は彼らの目を幾ばくかは覚ませたのかもしれない。ドイツ機甲師団が攻撃を仕掛ける戦線では全戦全勝であり、長く続いたスペイン内戦は1937年1月16日に終結したのであった。
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「ふう、ようやく一息つけるな」
総統閣下が私にそう言ってくる。確かにポーランド全土を獲得し、オランダの資源地帯も確保した。工場数も私の案によって1年弱で66から156までその数を増やした。これは当時世界の中で一番工場を保有していたアメリカには敵わずとも、当時大国と呼ばれていたイギリスやフランス、イタリアや日本、ソ連よりもはるかに多い工場数であった。しかしまだだ。まだ連合国戦において重要な国がある。そこで私は、
「いえいえ総統閣下。まだ一国、我々が征服しなければならない国があるじゃないですか。かつて我々と共闘した…国粋スペインが」
そのように返事をした。息をのむ総統閣下に私は続ける。
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「国粋スペインには少なく見積もっても25もの工場が存在している。それをあのようなまともに国も治められず、内戦もろくに戦えない愚か者に与えるのはもったいないですよ。だから我々が有効活用するんです。ご心配なくとも、既に行えることは行いました。
まずは国内の基盤を固めるために国の方針として、ヘルマン・ゲーリング工場とKdfワーゲン社を支援して民需工場を新たに増設し、続いて全ドイツ国民がそれぞれの役割を果たさせるために経済法を完全な戦争経済に移行させ、浮いた金で軍需工場を増設させました。このスペイン戦の間にアンシュルツを行いオーストリアを強制併合。これらを済ませ、スペイン戦に勝利した暁には、国内の工場数は200を超えるでしょう。スペイン戦はこれから起こる連合戦を戦い抜くために必要な戦争なんです。スペイン戦は私が指揮を執ります。17歳のガキでもここまで戦力が違っていれば勝てますので、総統閣下はゆっくりなさってください。では私は失礼します」
私はひとしきりの現情報告を行った後に部屋を後にした。
「最近は前線に行きたいと言うこともなくなった。確かにスペインと総力戦を行えばこちらが必ず勝てるし、それで失った兵力も対連合国戦までには補充できるだろう。…あいつには人の心がなくなってしまった。そのように育ててしまったのは紛れもない私。あいつは今後のドイツ。…戦争が終了した後の世界のドイツに必要な人間だ。この戦争が終われば、一旦あいつに休暇を与えよう。今のままでは心が壊れてしまう」
総統閣下の苦しい心境が吐き出される。しかし、それを聞く者はひとりとしていなかった。
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世界のあちこちで暖かみが増してきた春先1937年4月22日、ドイツ第三帝国は国粋スペインに宣戦布告をした。宣戦布告と同時に海からの攻撃に特化した海兵隊4個師団4万人、歩兵師団6個師団6万人からなる上陸部隊10個師団が国粋スペインの港に攻撃を開始。もちろん国粋スペインは国軍を総動員して港の防衛に当たらせたが、元々内戦の傷跡が消えていない現状でまともに防衛するための装備は整っておらず、加えてエーリヒ・レーダー提督率いるドイツ海軍の戦艦1隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦10隻からなる主力部隊による艦砲射撃によってまともな防衛拠点を構築させてもらえず、同年5月18日、スペイン領の港にドイツ軍の上陸が完了した。
その後もスペイン軍は決死の抵抗を続け、現地で指揮を執っていた私は予想以上に抵抗の激しいスペイン軍の対処として戦略爆撃機による焦土作戦を命令。すぐさまスペイン全土は火の海に包まれ、即座に降伏すると私は考えていた。しかし首都が陥落し、国土を二分され、国土の99%を占領され、挙げ句に地上に出られないほどの爆撃を与えてもなお、国を変えるために立ち上がったフランコ将軍のことを最後まで信頼し、国粋スペイン軍は死に物狂いで抵抗した。そしてドイツ軍が攻撃して破壊された瓦礫からスペイン軍が飛びだして肉薄攻撃を敢行、ドイツ軍は一時混乱状態に陥り、その隙を突いて突出していた歩兵師団2師団を包囲し、一時は殲滅されそうになった。
しかし、グデーリアン将軍率いる機甲師団11個師団が戦線に到着し、攻撃を開始するとその抵抗を行う兵士が一人もいなくなった。残存スペイン軍はわずか4個師団であったが、歩兵師団が敵に攻撃を加えているところを機甲師団が迂回するように進軍し、スペイン軍の退路を断った上で攻撃したのである。既に抵抗するだけの武器も人的資源も何もかもを失ったスペイン軍は抵抗する間もなく殲滅され、同年6月1日に国粋スペインは全面降伏した。講和会議では国軍を全て殲滅されたこと、指導者であったフランコ将軍が(私に暗殺されたため)行方不明であったこと、加えて焦土作戦を実行したことによって国と呼べないほどの人口しかいなかったことにより、全土がドイツ第三帝国に併合された。そしてスペイン降伏前にアンシュルツによってオーストリアが併合されたことによって目標としていた工場数200を超えることができた。
対連合国戦の準備は整った。加えて9月24日に独ソ間で秘密条約が交わされ、ドイツ軍は中戦車のライセンスを獲得した。3000機を超える戦闘機も準備することができ、本当に準備が整った。そして対連合国戦の作戦会議に参加した私は衝撃的な事を耳にする。
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「総統閣下。今回の連合国戦に私の参加を禁ずるというのはどういうことですか?」
作戦会議にて今回の作戦に関わることを一切禁止する、と言われた私は納得できずに総統閣下に詰め寄る。数人の将軍が私に何か言っていたがそんな戯れ言は耳に入らなかった。
「お前はその若さでポーランド、スペインと言った主要国家を二つ、そしてオランダといった資源地帯の獲得に成功した。もう十分だ。お前はこれから国中で英雄として語り継がれる。これ以上人が人を殺す場所にいてはいけない。私が死んだ後の新しい総統として、もしくは新しい総統を支える者として、『人間らしい』生活をお前には送ってもらう」
総統閣下は、本当に私のことを想いそのように説明してくれた。今の私なら分かる。しかし、総統閣下は一つだけ間違えてしまった。
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「総統閣下。私に人間らしい生活を送れと。そう仰いましたね?ならばお尋ねします。物心が付いた時には両親はおらず、施設に入れられた先で散々痛めつけられ、唯一の肉親であり私の最期の希望であった妹は金を稼ごうとして男どもに弄ばれ3年前に自殺し、ただ感情を失い生きているだけの私にどうやって人間らしい生活を送ればいいのですか?」
私の問いかけに対し総統閣下はおろか、誰一人答えることはなかった。誰一人答えられなかったのである。私は続ける。
「総統閣下。今回の連合国戦ではイギリスに独立保証をかけられているベルギーに宣戦布告し、ベルギー降伏後に即座にフランスに宣戦布告。スペインにいる歩兵師団24個師団とベルギー方面にいる中戦車を基軸とした新設機甲師団12個師団とトラック部隊12個師団、歩兵24個師団で挟み込むように挟撃し、フランスが降伏すれば貯めに貯めた戦闘機でイギリス海峡とイギリス本土の制空権を獲得し、空挺部隊によって空からイギリス本土に上陸し、その後イギリス本土を落として降伏させるんですよね?現在のドイツ軍であるならば、歩兵師団24個師団、機甲師団12個師団でイギリス本土での戦いは十分なはずです。それなのであれば、イギリスに上陸して後続の本軍を輸送できれば、残りの歩兵40個師団を私に貸してください。トラック部隊からなる自動車部隊10個師団と歩兵師団4個師団があれば本土の機動的な防御も行えます。歩兵40個師団でチェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビア、ブルガリア、ギリシャに宣戦布告を行い連合国に加盟させ、イギリスが降伏し連合国が降伏した際にこれらの国も降伏させて差し上げます。お願いします総統閣下。私を散々苦しめた親がこのヨーロッパのどこかに必ずいるんです。そいつを探し当てて処刑させてください。私を苦しめた罰を与えさせてほしいんでs」
そこまでしゃべって私は視界が歪んだことに気がついた。そして後頭部に痛みが伴っていることに後から気付く。体が横に傾く。歪んだ視界で見えたものは、唇をかみしめてうつむいている総統閣下、哀れみの目を向ける他の将軍達、そして、涙を流しながら私の目をしっかり見てくれているマンシュタインさんだった。――ああ、マンシュタインさんが私の親であったなら、少しは違った結末だったのかな。そう思いながら、私の意識は遠のいていった。
「マンシュタイン」
総統閣下が私の名を呼ぶ。その意図を私はくみ取り、返事を返す。
「もちろん殺してなどいません。少し気を失わせただけです」
暗く、重い空気が流れる。そんな重い空気を断ち切ったのは総統閣下だった。
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「マンシュタイン。ベルギーに対して戦争目標の正当化を行え。こいつがいつまで寝ているのか知らんが、病みに病んだ小僧が目を覚ました頃には欧州全土を我らドイツ第三帝国が制圧しているようにするぞ。そもそもこの戦争を計画したのは私だ。わが闘争に優しく、賢く、可愛く将来の明るいガキは必要ないことをこいつに教えてやるのだ!」
総統閣下の号令に全員の目がギラつく。声を上げる者はいない。しかし、全員の気持ちは一緒だった。
ついに始まる連合国との戦争。普段は冷静な私もこの時だけは興奮を隠せずにいた。
※この物語は架空戦記です。現実の世界とは一切の関係もありません。
ご愛読頂き(この言い方であってるのかな…?)ありがとうございました!!
早速史実とは違う展開になっており、歴史に詳しい方であれば「なんでやねん!!」とツッコミを入れられているのではないでしょうか?また、軍事に詳しい方であれば色々間違っていることにも気付かれるかもしれません。そういった場合は是非ともコメント(?)でお教え下さい!!次回以降に修正した物を投降いたします。もちろん面白かった、等のご感想もお待ちしております!皆さんが本物語から感じられたことを是非お教え下さい!!アッコメント稼ぎでは決してないですよ?You○ubeでもないですし))
と言うわけでまずはTNTの初投稿となる小説でした!!改めましてご愛読頂きありがとうございました~