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7 陰のオーラ


◯井は一瞬何処かへ目を彷徨わせると、小声でポツリと答えた。


「……大口開けて、弁当食べてる写真」


……予想通り。

相当酷い顔な筈なのに、何故受かったんだろう。

やっぱりネタ枠かな……痩せてたら面白いし、太ったままでも笑い者に出来るってトコか。どっちにしろ、二次選考で終了確定だろうけど。


「そう、分かってスッキリした。……じゃあ」


もう二度と振り返らず歩き出す。

じわりと汗が滲み出す肉厚の背に、◯井の視線を感じながら。




もわっと熱気の立ち込めるエレベーターで四階まで上がり、自宅へ入った途端、甲高い母の声が響いた。


「あっ! ちょうど良かった! ファスナー上げてよ」


既に化粧を済ませた母が、背中を向けて飛んで来た。途中で引っ掛かりどうにもならなくなったらしいワンピースのファスナーを上げてやると、「ありがとお、由姫ゆきちゃん」と抱きついてくる。

……暑苦しい。


ドレッサーに座り、髪を梳かしながら母は言う。


「サエコちゃんと同級生だったのね! ビックリしたわ」

「クラス名簿渡したじゃん」

「細かく見ないわよ! あんなの」

「……だろうね」

「でも保護者会で、お母さん見かけなかった気がするけど」

「……ちょっと病気なのかも」

「あら! そうなの? 大変ねえ!」


髪を素早く纏め、大ぶりのピアスを耳朶に着ける母を横目に、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。


「あの、自炊してるらしいよ」

「ああ! だから野菜が欲しかったのね。つい色々入れすぎちゃったけど。どう? 喜んでくれた?」

「うん、お礼伝えてって」

「いいのよ! 余ってて困ってたものだし。良かったらまたどうぞって伝えて。それにしても偉いわねえ、サエコちゃん。あんたもちょっとは家のことやりな」

「やってるじゃん。残飯処理。毎日店のつまみで我慢してるんだから感謝してよ」

「んまあ! 可愛くない!」


生意気なことを言いつつも枝豆をつまむ娘に、声は張り上げるものの表情は変わらない母。

これがこの母娘の、標準スタイルのやり取りだ。


無事に首から上を整えると、ドレッサーから立ち上がり姿見の前へ行く母。くるっと全身を見ながら、なんとはなしに呟いた。


「サエコちゃん、相変わらずのオーラだったわ」

「……嘘。あんなデブってんのに」

「太ってた?」

「豚みたいじゃん。どこ見てんのさ」

「体型はともかく、あの目よ。やっぱりいいわあ。唯一無二ね」

「そう?」

「うん。なんていうかね……光っているんじゃなくて、逆に周りの光を全部吸収しちゃうような、そんなオーラがあるわ。ほら、昔そんなアイドル居たじゃない! 百世ちゃんとか、明子ちゃんとか陰のある。そっち系ね」

「……知らない」

「サエちゃん、今も踊ってるの?」

「踊れる訳ないじゃん。あの身体で」

「あら、勿体ないわね。あんなに綺麗だったのに」


母は自分の仕上がり具合に満足すると、タッパーの入った保冷バッグを肩にかけ、下拵えした鍋を手に玄関へ向かう。


「じゃあね、洗い物と宿題、きちんとやりなさいよ」

「ん」


慌ただしく閉まったドアをぼんやり見つめる。

整髪剤や制汗剤の残る部屋の中で、ぼんやりと枝豆を口に放り続けた。




家に帰ると、汗でぐっしょり濡れたシャツや下着を洗濯機へ放り込み、スイッチを押す。シャワーを浴び終わった後は、浴室中の水滴を丁寧に拭き取り、排水溝の髪の毛も一本残らず回収する。その頃には終了音のなる洗濯機から服を取り出し、自分の部屋のピンチハンガーに干すと、やっと一息吐いた。


『豚の脂がついて気持ち悪い』


あのひとにそう言われてからは、こうして自分でやっていた。一人暮らししてからも浴室を拭く習慣は続いていた為、自然に出来て良かったと思う。



そういえば数学の宿題があったな……本当はもう大人なのに、面倒くさい。

机でプリントに向かうも意外と難しく、教科書やノートを見ながら格闘する。合っているかは自信がないが、とりあえず全て終わった頃には一時間も経過していた。


さっきフライドポテトを食べたから、お腹はあんまり空いていない。ほくほくした芋の甘味と、スパイスがクセになる美味しさで、あっという間にバスケットは空になった。同じじゃがいもでも、生気のないポテトチップスとは違うものだ。


それでも身体が何かを求めている気がして、冴子はそっと階下へ降りる。誰も居ないことを確認すると、冷蔵庫から幾つか取り出し、部屋へ運んだ。


ミニトマトと、千切った紫蘇を入れた納豆一パックと、茹でたとうもろこし半分。

これが今日の夕飯。


酸っぱくて爽やかで甘くて。

今日は朝から夜まで、一日中ずっと美味しくて、脳も身体も喜んでいたと思う。心臓を殺した罪滅ぼしが、少しでも出来ただろうか。


歯を磨き、布団に入り目を閉じる。

明日もまたやって来るのかは分からないけど、今日一日に後悔はなかった。

……そうだ、明日の朝ご飯は、もらったパンがある。楽しみだな。





翌日も14歳の朝が来た。自分で弁当を作り、変わらないルートで学校へ行く。


学校では◯井は相変わらず自分を無視した。その方が楽だし、別に構わない。他の二人も、特に絡んでくることはなかった。


それでも昼になると、自分の弁当箱にチラッと視線を送る◯井。もらった野菜のおかげで、昨日よりもずっと彩り豊かになった昼食を見ただろうか。◯井の母親に感謝をしながら、自家製らしい梅干しを口に入れる。陽を浴びた自然の酸味と旨味に、きゅっと口をすぼめた。




◇◇◇


それからも変わらぬ14歳の日々が、二週間程過ぎたある土曜日。クローゼットをかき回し、ある物を探していた。旅行鞄の奥、四角く固いそれに手が触れ、ぐっと力を入れて引っ張り出す。


あった……まだ電池つくかな。


バレエをやっていた頃には、毎朝毎晩乗っていた体脂肪計。表示画面を睨むあのひとに、緊張して身体が震えたことを、昨日のように思い出す。

二度と乗りたくないと思っていたけれど……何となく軽く感じる身体を、数字で知りたいと思ったのだ。


ピタリと止まった画面は66.2㎏。

元の体重は知らないけど……中学の健康診断では、70㎏近かったと記憶している。

たったの二週間で、4㎏近くも痩せたのだろうか。それとも単なる記憶違いだろうか。どちらにしても、身体が動きやすくなっていることは確かだった。


特にダイエットをした訳ではない。食費を考えて米は節約しながら食べていたが、足りないということはなく、むしろ食生活には満足していた。

炭水化物と油中心だったエサから、野菜やたんぱく質中心の食事に変わったからかもしれない。


あのひとの指示通りに、ささみや寒天ばかり食べてガリガリだったあの頃。階段を昇るだけで息切れし、年頃だというのに生理も来なかった。


痩せすぎても太りすぎても動けなくなる身体。自分にとってのベストな位置は、一体どこなんだろう。

きちんと向き合って問い掛けたら、身体は教えてくれるのだろうかと、体脂肪計の電源を落としながら考える。



一階から掃除機をかける音がする。水を飲みに行きたかったのに……あのひとが居なくなるまで、もう少し待とう。

土日は嫌いだ。こうして自分の部屋しか逃げ場がなく、息を潜めていなければいけない。怪物モンスターに比べたら、三人組の無視や陰口なんて可愛いもの。今は自宅よりも学校の方がずっとマシだった。


気配が遠退きドアが閉まる音を確認すると、鞄とエコバッグを持ってそろそろと降りる。

水を一杯飲むと、少しだけ秋の風を纏い始めた外へ踊り出た。



スーパーで買い物を済ませると、足が自宅ではなく勝手に駅へ向かう。惣菜コーナーでパックに入ったものを見たら、無性に食べたくなってしまったのだ。


電車に乗り二つ先の駅で降りると、あの場所へ。

財布の残りは約三千五百円。休日料金は見なかったけど、平日よりも高いだろうな……それにアレを頼んだら?


だけどここまで来たからには、どうしても食べたい。

一時間だけにしようと決めてカウンターへ立つと、この間と同じスタッフがすぐに気付いてくれた。


「由姫ちゃんの友達はサービスって言われてるんで」


と愛想良く言いながら、二時間ワンドリンク付きの伝票を出してくれた。

友達じゃないのに……せめて少しだけでも払いたいとぼんやり部屋で考えていると、トレーを持った◯井が入って来た。


「何? 今日こそ殴り込み?」


バスケットから立ち昇る匂いに溢れた唾を、ウーロン茶で流し込み答える。


「ううん。そのポテトが食べたかったの。今日はお金払うから」

「別にいいよ。ウチ、不動産持ってて結構裕福だし。この店もスナックも親の趣味みたいなもんだから。このくらい痛くも痒くもない」

「でも……」

「熱い内にさっさと食べたら?」

「……うん、ありがとう」



くし形のポテトを齧れば、あの味がふわっと広がり、全身が興奮する。

カラオケそっちのけで、もくもくと食べ続けていると、◯井に尋ねられた。


「あんた、少し痩せた?」

「多分……4㎏くらい。自炊してたから」

「なんだ。オーデの一次選考通って、本気でダイエットしてるのかと思った」


一瞬ドキリとするも、平静を装い答える。


「まさか。こんなデブが通っちゃったら、炎上もんでしょ」

「まあね。でも痩せて下剋上したら面白いじゃん」

「……面白いの?」

「うん。ダイエット動画とか、みんな大好きだし。最初から綺麗だったよりも、応援したくなるんじゃない? まあ才能がないのに通っちゃったら、話題づくりだけで……とか炎上しそうだけど。ラズリファンは、オーデ自体に反対してる人も多いからね」




結局またお会計はスルーした上に、土産までもらってしまった。ポテトを食べたかっただけなのに……と申し訳なくなるが、正直非常に助かる。

豚じゃなくてハイエナみたいだと自嘲しながら電車に揺られ、ホームに降りた瞬間。あることに気付いた。


前は一次選考通過の書類が見つかり、激怒したあのひとがすぐに辞退の連絡を入れた。

でも今回はクローゼットに放り込んで……通過後の流れも一切見ていない。放置したままだとどうなるのだろう。


足取りは次第に速くなり、気付けば自宅へと走り出していた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 織花さんの活動報告から伺いました。 面白いです……! 冴子と由姫との関係性が何とも言えず、いいですね(´ω`*) そして冴子の母が怖すぎて……どうか冴子の未来が明るいものでありますように。 …
[良い点] すごい!この作品、少女漫画に相応しい! 山あり谷あり、そして夢あり、希望あり。 ひどいお母さんだなぁと思いますが、憐れでもありますね。 冴子ちゃんが自炊すると宣言したところがかっこよく、周…
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