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5 無敵の塩


『チャーハン』


……いや。皿にあった物が何だったのか、彼女はそれを知りたい訳ではないだろう。

“どうして食べたのか” を尋ねているのだ。

素直に理由を答えれば、烈火の如く怒り狂い、最悪この皿を投げつけられるかもしれない。それを恐れて、黙っていても同じことだ。


なるべく嘘は吐かず、かつ、被害は最小限に。

染み込んだスキルが発動される。


「具合悪くて……お弁当食べないで帰って来たから。時間も経っていたから、念の為火を通したの」


シンクをチラリと見て彼女は理解した様だ。スーパーの買い物袋をドサリと足元に置き、嘲笑う。


「……豚にもそんな知能があるのね。エサに手を加えるなんて」


身体が温まっていたせいだろうか。放たれたその爆弾の導火線に、いとも簡単に火が点いてしまった。

自分は我慢強いと自覚していたのに……一度死ぬと性格まで変わるのだろうか。


ううん……強かった訳じゃない。

むしろ弱いから、着火しない様に火種を揉み消していただけだ。自分の心の柔らかい部分が、煤けて焦げて、やがてボロボロになるまで。


爆発したらどうなる?

結局はボロボロになる?

どのみち傷付くなら、自分だけでなく、相手も巻き添えにしたって良くないか?

爆弾を持ち込むのは、いつだって彼女なのだから。火を点けて投げ返してやらない限り、きっとこの痛みには気付かない。


そんなことを考えている内に、導火線はチリチリと燃え尽き、とうとう爆弾に辿り着いてしまった。


「……もう、不味い“エサ”はいらない。今夜から食事は自分で作る」


「……は?」


崩れた買い物袋の中から、今夜のエサにするつもりだったらしい、スナック菓子の袋が見えた。

それを皮切りに、ピシピシパリパリとビニールが危険な音を立て始め、ついにはぐしゃりと倒れ中身が溢れた。


菓子の他に、カップ麺、レトルト食品、そしてビールにチューハイと、大量の酒の缶。

鶏ささみ、寒天、蒟蒻……そんな食材で袋が膨れていたのは、いつのことだったか。

フローリングに転がった憐れな物達をぼんやり眺めていると、低い声が地を這った。


「私のエサが……気に入らないの? 豚になった情けないあんたの為に、自分の時間を犠牲にしてまで用意してやってるのに」


そこまで言うと、彼女は床からスナック菓子の袋を拾い上げ、冴子の目の前へ突き出した。


「こうして! こうして買い物に行く時間だって、あんたの為に犠牲になってるのよ! 私が今までどれだけあんたの将来の為に、時間と労力を注ぎ込んだか……私の夢を、人生を全てかけたのに! あんたがだらしないせいで! みっともなくブクブク太ったせいで!!」


冷たい物、固い物、重い物……

手当たり次第飛んでくる狂気から、冴子は椅子を盾に、必死に身を守る。


うっ……さすがに缶は痛い……

この脂肪が、幾らかクッションにはなってくれているけれど。

こうされたら痛いとか、こうされたら傷付くとか。このひとの中には、そういった想像力が、ごそっと欠如しているのではないだろうか。

理解してやっているとしたら、もはや人間ではない。怪物モンスターだ。


「あんたが食べたせいで! あんたが豚になったせいで! あんたが醜いせいで! 私の夢を返せ! 人生を返せ!」


ヒステリックに罵り続け、肩ではあはあと息を切らす怪物。

冴子は椅子の陰から顔を覗かせ、投げる物が何も無くなったらしいのを確認すると、立ち上がり、痛む腕を擦りながら冷静に言った。


「……だったら、食費だけ下さい。そうすれば、エサを作る時間と買い物に行く時間を、あなたに返します。どうぞこれからは自由に使って下さい」


怪物は赤黒い顔をぶるっと震わせ、財布から紙幣を一枚掴むと、バンとテーブルに置いた。


「ひと月分。調味料も米も全部これで買え。調理器具には触れないで。気持ち悪い」

「……冷蔵庫は使ってもいいですか?」


そう尋ねると怪物は舌打ちし、ゴミ置き場からトマトの空き箱らしい物を拾い、冴子へ放り投げた。


「それに入れろ。はみ出した物は捨てる」

「分かりました」


散らばった物の中から缶を一本掴むと、怪物はフラフラと家の何処かへ去って行った。

遠ざかる足音と、廊下の奥でドアが閉まる音に、どっと疲労感が押し寄せる。床にペタリと座れば、その冷たさが心地好く、妙な解放感が広がっていった。


……一万円か。意外とくれたな。

たまたま財布にそれしかなかったのかもしれない。来月は千円の可能性だってある。

……生きていけるかな。中学生が親に多少痛め付けられた所で、幼児みたいに可哀想だの何だのって騒がれないし。その年齢なら、自分で相談するなり抵抗するなりして、回避出来るでしょってトコか。

……精神まで削られたら何も出来ないんだけどな。虐待は虐待なのに。


仕方ない。そもそもこんなデブスじゃ、痣が出来ようが空腹だろうが、同情なんか得られない。年齢以前の問題だ。


いざとなれば父と連絡を取ろう。

戻ってもまだ親に金をせびるのかと情けなくはなるが、今は中学生なのだから、養育してもらう権利はある。


気が変わって取り返される前にと、さっさと紙幣をポケットへしまう。くたびれた食料達をテーブルの上に拾い集め、続けてフライパンやらタッパーやらを丁寧に洗うと、キッチンを後にした。





一万円を手にまず向かったのは100均だった。米を炊けるらしい便利な容器や、果物ナイフやら、最低限の調理器具を揃える。

次にホームセンターで小鍋を買い、そのまま隣接するスーパーで食料の調達を試みた。


父からの仕送りを、ほぼ食費に自由に使ってきた身としては、やりくりするというのは初めての経験だった。

人が少ない閉店間際のスーパーで、半額シールのスイーツや惣菜など、目についた物をバンバンカゴに入れていた巨体の私は、店員さんの間ではちょっとした名物だったに違いない。


……とりあえず、2㎏の一番安い米をカートに置く。後は日持ちしそうな玉ねぎ人参に、便利な乾燥ワカメや、冷凍のほうれん草。……野菜はこれでいいか。

たんぱく質には、卵と厚揚げ、鶏むね肉なんかを選んだ。散々食べさせられたから、鶏肉はあんまり好きじゃないんだけど……安いし仕方ない。小分けにして冷凍にすれば、色々使えそうだし。


あっ! 冷凍庫と電子レンジの許可は取ってなかった。

……こっそり使って、反応を窺ってみよう。


最後に調味料を選ぶ。とりあえず塩があれば、しばらく何とかなるかと、一番安い袋を手に取った。でも、ふと別のパッケージに惹かれ、そちらも手に取り見比べる。値段は三倍程の開きがあるが……直感で安い方を棚へ戻し、レジへ向かった。



冷房の効いたスーパーを出ると、七月の、もわっとした外気に全身が苛められる。

これからこの重たい身体で、重たい袋をよたよた運び、家まで帰らなければならない。たかが買い物一つで、頭も身体もこんなにエネルギーを消耗するなんて。

夕陽が照らすのは、額をつうと流れる汗。

死んだ筈なのに、久しぶりに生きている気がして、何だか可笑しかった。





チャイムの音が鳴ると、すぐに手を洗い、弁当箱を取り出す。昼食の時間を、こんなにワクワクした気持ちで迎えることなど、学生時代には初めてではないだろうか。


小さな塩むすび、ゆで卵、ほうれん草と厚揚げの和え物。味付けはあの、ちょっと高級な塩だけ。

ラップを剥がすのももどかしく、真珠みたいに艶やかな米に、パクリとかぶりついた。

美味しい……朝も全く同じ物を食べたのに、やっぱり美味しい。噛み締めるたびに溢れる米の甘味と塩の旨味は、だらだらと口に入れ続けていたどんな好物よりも感動的だった。


母は今朝も部屋に閉じ籠っていてくれていた為、キッチンを自由に使うことが出来た。

電子レンジの音にはヒヤヒヤしたが、特に何も言われることなく、無事に弁当を作ることが出来た。


三人組も今日は大人しく、たまにこちらを見て何かを話してはいるが、直接絡んで来ることはない。


ここは天国かな……

夜が明けても、ハッキリと意識のある天国。

自分で創り上げていく、面倒で積極的な天国。





学校が終わると、何となく真っ直ぐ家には帰りたくなくて、二つ手前の駅で降りてみる。

ここの駅前には、小学四年の途中まで通っていたバレエスクールがある。怪物になる前……いや、なりかけてはいたかな。それでも今よりはずっとマシな母と、何度も訪れた地だ。


何故ここで下車したのかは分からない。

バレエスクールの、その周りに何があったのか。単調な思い出の、見えない部分を探りたかったのかもしれない。


バレエスクールを横目にロータリーを抜け、真っ直ぐ歩き、分かれ道で立ち止まる。

右か左か……汗を拭い、日陰の多い左を選んだ。


しばらく行くと、雑居ビルの、とある看板が目に留まった。


『カラオケ ユウ ~学生証提示で平日二時間300円~』


カラオケか……行ったことないな。

マイクでラズリの曲を思いきり歌ったら、気持ちが良さそうだ。


300円……通常であれば安いのだろうが、今は生活がかかっている。昨日だけで既に四千円近く使ってしまったし、元々財布に入っていた金と合わせても、残りは大体八千円くらい。

三枚のコインで何の食材が買えるのかを考え躊躇していると、後ろから声がした。


「ウチに用?」


振り向くと、三人組の一人、◯井が怪訝な顔で立っていた。


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