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3 息のない歌


まさか冴子が言い返すなどとは思わなかったのか、三人は一瞬怯む。清白な第三者のフリをしながら、好奇心で耳を傾けていた周りの生徒達も、箸を持つ手を意外な顔で止めた。


「ラズリが毎日どんなに厳しいレッスンをこなしているか、何も知らないくせに。才能だけじゃない。あそこまで踊って歌える様になった裏には、どれだけの努力があったか。ただ綺麗で可愛いだけの女の子達じゃないんだよ」


すると何かを思いついたのか、三人の一人が、ふっと口角を上げる。

「何も知らないのはあんたの方じゃん? あの子ら、歌ってないよ?」


……え?


◯崎……ああ、思い出した。

岩崎は、耳から口元にかけて、指で何かを表す仕草をしながら得意気に言った。


「コレ、付けてるアイドルはほとんど生で歌ってないよ。口パクか被せだって」

「えっ、そうなの?」


◯井……違う、◯川……相川が、自分を無視して、岩崎に驚いた顔を向ける。


「そうだよ。コレ……何だっけ、イヤホンとマイクが繋がってるヤツね。コレ付けてるのはほとんど口パクか……被せ? だって。従兄が音響関係の仕事やってて、そう言ってた」

「へえ。あんなに踊ってるのに、道理で息切れもしないし上手いなと思ってたけど」

「……嘘! そんな訳ない!」


勢い良く立ち上がった拍子に、腹で押された机が大きく揺れる。落ちそうになったタッパーを、◯井が咄嗟に受け止め、机に押し戻した。


「あんなに歌が上手い鈴音スズネちゃんが居るのに、口パクなんて、そんな勿体ないことする訳ない! だったら、何でオーディションなんかするの? オーディションを歌で選ぶ意味がないじゃない!」

「んなん知らないよ! レコーディングで上手けりゃいいんじゃないの?」

「レコーディングだけ? アイドルはライブパフォーマンスが命でしょう!?」


冴子ににじり寄られた岩崎は、いつの間にか壁を背に、行き場を失っていた。

肉厚の手に肩をがしっと掴まれ、とうとう恐怖すら感じたのか、大声で叫んだ。


「知らないよ! 本人達に直接訊けばいいでしょ!!」


しんと静まり返る教室。

生徒の一人が、牛乳パックをポロリと落とし、慌てて椅子を引く音だけが響いた。


「……行こう。お腹空いた」


最後まで名前を思い出せなかった◯井が、面倒臭そうに、山崎の手を引っ張る。冴子はハッと我に返ると、彼女の肩から手を下ろし、後ずさった。


離れていく三人の背を見つめながら、冴子も席に戻る。ふと隣の二人組と目が合うも、わざとらしく逸らされ、苦笑いが込み上げた。

興奮したせいか、少し眩暈がする。元々貧血気味だというのに、朝から何も食べていないのだから当然かもしれない。


タッパーを開くと、油分と水分を含んだ米を箸で掬い、機械的に口に放り込む。

不味い……豚のエサより酷い……これは、米に対する冒涜だ。死ぬ時の、炊飯器の幸せな蒸気音を思い出すと、涙が出てくる。

こんな物を身体に入れたくない……こんな哀れな物を、少しでも自分の養分になんかしたくない。


乱暴に閉じた蓋の上に、母の表情のない顔が浮かんだ。

その瞬間、甦ったのは、“今日”の記憶の続き。蓋の顔が、みるみる恐ろしい形相に変わり、身の毛がよだつ。


早く……早く家に帰って、“アレ”を回収しないと。


タッパーを押し込んだ鞄を手に、教室から飛び出した。




母に面倒な連絡が入らない様、職員室の担任にさらっと早退する旨だけ伝えて、駅に駆け出す。

元々体調不良ということで遅刻もしていたし、怪しまれることもなかった。……そもそも私なんかに興味などないのだから。心配する()()だけして、お湯を注ぎ待機していたらしいカップ麺を横目に、淡々と出席簿に印を付けていた。


それにしても重い……この身体。

戻った時は軽く感じたけど、やっぱりこうして走ると重い。走れるだけマシなんだろうけど。


電車に乗ってしまえば、後は揺れる車輪に身を預けるだけ。何も出来ることはないのに、早く、早く、と心が急かす。落ち着かせる為に、イヤホンを耳に嵌め、流れてくる音に意識を寄せた。


……高くて透明なのに、温かみのある鈴音ちゃんのスーパーボイス。オーディション番組で、この歌声を初めて聴いた時には、魂が震えた。絶対にこの子を合格させて欲しいって。

ビジュアルについては、太っているとか他のメンバーに比べてあんまり可愛くないとか、色々言われていたけど……努力して体型も維持していたし、何よりソロパートを任された時の彼女は、メンバーの誰よりも可愛かったし輝いていた。


ライブ映像だって何回も観て、何回も鈴音ちゃんの歌声に泣いて……そんなこと疑いもしなかった。

口パクだなんて信じられない。CDの音源とも全然違うのに。


……もしライブが生歌でないとして、それが何なのだろう。ラズリが好きなことにも、鈴音ちゃんの歌声やメンバーのパフォーマンスか好きなことにも変わりはない。

だけど、自分の中で、ほんの少し何かの角度が変わった気がしていた。それが何かは分からないけれど。




角度の変化に首を傾げている内に、気付けば自宅の最寄り駅に到着していた。


ぜいぜい息を切らせながら、必死に戻って来た自宅。母の気配がないことに安堵し、それでもやや警戒しながらポストを開ける。


『鈴木 冴子様』


手つかずの郵便物に、今度こそ本当に安堵しながら、震える手でそれを取り出した。

真っ直ぐに二階へ上がり、部屋に鍵をかけると、封をビリビリと切る。



『この度は、第一回ラピスラズリ新メンバーオーディションにご応募頂きまして、誠にありがとうございます。

厳正なる書類審査の結果、貴女は第一次選考を通過したことを、ここにお知らせ致します。

第二次選考の流れとスケジュールは以下の……』



そう、それは怒り狂った母に罵倒され、破り捨てられた、禍々しい記憶。

勝手に応募されて、勝手に通過してしまった、第一次選考のまさかの結果だった。


※ヘッドセットマイクでも生歌のアーティストはいらっしゃると思いますが、比較的ブレス音が入りやすい為、口から離せるハンドマイクの方が生歌には適しているという認識でおります。


ラピスラズリという架空のアイドルグループが、ハンドマイクに切り替え歌を強化していく過程を、フィクションとしてお楽しみいただけましたら幸いです。

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