第3話:『統率の藤本』
キーンコーンカーンコーン……。
ホームルーム終了のチャイムが鳴り、一礼の後に教室から生徒たちが出て行く。
「やっと終わったか……」
重苦しい息を吐きながら、純多は机に撓垂れる。
結局あれからというものの、巨大娘とロボ娘が出没して危険だから、という旨で、全校生徒に三日間の自宅待機が命令された。
そして、その三日の空白期間が空いた翌日が金曜日だったため、この一週間で出席したのは、月曜日と金曜日だけだ。二日間だけ出校するというのも、それはそれで心労である。
「これでやっと、撮り溜めたアニメが観られマース♪」
そんな、萎びた雑草のような脱力状態になっている純多の顔を覗きに来たのが、金髪の長いツインテールに綺麗な緑色の瞳を持つ少女・ポリン=セイファスだ。
「昼休みの時に、「撮り溜めたアニメがたくさん観られて、嬉しかったデース」って、言ってなかったっけ……?」
「ン?撮った物全部観終わってないので、全然オッケーデース」
「もしかして、この三日間であんまり観てないの?」
「ノンノン!ワタシ、休みの間に25本観たヨー!とても有意義だっタ!!」
さすが、日本のアニメが好きで単身フランスから日本に来ただけある。浮世離れした数字を叩き出されて、不愛想に頬を引き攣らせるしかリアクションがない純多。
「ア、そうだ!ジュンタにはキャドゥーしたいものがあって、近くの和菓子屋で買ってきたヨ。日本の和菓子は面白いネー」
がさごそと手提げ鞄を弄ると、透明な小袋に包まれた和菓子を二つほど取り出した。
「これは……」
和菓子の正体は小さな饅頭で、乳白色の艶々とした綺麗な外見だ。饅頭の天辺には赤い羊羹で点が一つ着色されている。
昨今では和菓子屋だけではなく、駄菓子屋やお菓子コーナーでも当たり前のように、そして、全国的・世界的に売られている和菓子だが、男子高校生一年目の健全な青少年・純多は気恥ずかしくてレジに持っていくことは能わない。
何故なら、
「おっぱい饅頭デース!ワタシの国でも売られているけど、これって、日本の和菓子なんでショー?」
その名を『おっぱい饅頭』というからだ。
「凄く美味しそうだったので、買ってきましター。ジュンタにもあげマース!」
「あ、ありがとな……」
気恥ずかしいので、そそくさとポケットに仕舞う。
「アレ?食べないんですカおっぱい饅頭?ぷにぷにとした生地の中に、とろとろのクリームが入っていて、とってもデリシャスですヨ?」
「恥ずかしくて食べられねぇよ。家で食べるわ」
「それとも、ジュンタはおっぱい饅頭を食べると、魔法少女に変身しちゃうから、人前では食べられない……、とカ?」
ポリンがちょっとだけ期待の眼差しを向けるが、
「はぁ?アニメの観過ぎじゃねぇのか?」
変な噂が立つと困るので、はっきり否定する。
「そもそも、俺は男だぞ?変身するんだったら、魔法少女よりも戦隊ヒーローだろうが」
「ノンノン。ワタシ、ツインテールが好きな男の子が、美少女に変身するアニメ知ってるヨ。変身したいって気持ちがあれば、ジュンタだってかわいい女の子になれるネ」
ポリンはよっぽど機嫌がいいのか、ポケットから同じ饅頭を二つ取り出すと、控えめな胸の上に当てて歌うように口を開く。
「それにしても面白いですよネー。おっぱいをお菓子にしちゃうなんテ!これなら、男の人に付いているおちん」
「待って!それ以上は言っちゃだめぇ!!」
男だから、女だから、という言い方が昨今時代遅れで、セクハラ云々になるというのは分かっている。
だが、この天真爛漫な留学生の少女に、そんなものの名前を口に出させてはいけない気がして、大声で遮る。
「オララ。言葉には気をつけないとダメだネ。じゃあ、ワタシは帰るヨ。アニメがワタシを待っているからネ」
少女は二つに縛った金色の髪を靡かせながら、教室の外へと消えた。
「さて、俺も帰るかな」
理由は分からないが、籾時板は終礼とともに何処かに消え、三慶は所属している空手部へと向かった。登校時は三人で行くことが多いが、帰りは一人になることがほとんどだ。
一人になるというのは、誰かのペースに合わせる必要がないため楽である。
だが一方で、守ってくれる人間がいないことを意味する。
「おいそこの一年。止まれ」
横合いにある並木。
その陰からよく通る声で話し掛けられ、純多の肩が大きく跳ねる。
錆びついた機械のように鈍重な動きで首を動かすと、
「貴様、何故呼び止められたか分かるか?」
まるでイソギンチャクのように腰ベルトに無数のサイリウムを突き刺した男が、不機嫌そうな顔をしながら立っていた。
「さ、さぁ……。俺には何のことだか…………?」
「誤魔化そうとしても無駄だ」
本当は理由は知っているし、面倒だからさっさと退散したいのだが、呼び止めたサイリウム男には不満しかないらしい。肩を怒らせながらずんずんと近づいてくる。
「我ら『ポリン様防衛隊』の許可なく和菓子を貰い、それをポケットに入れて我が物にしたな?貰ったものをこちらに提出せよ」
「何で俺が、あなたたちにお菓子を献上せねばならないんですか?!」
ついさっきの出来事のはずなのに、一体何処から情報を得て共有しているのか。ヤバい見た目をしているが、一応この学校の先輩であるため、最低限の丁寧語を使って話す。
「決まっている。そのお菓子を『ポリン様防衛隊』の神具とするからだ。ポリン様が触り、ポリン様が購入したもの。紛れもなく、防衛隊の神具となるにには相応しいアイテムだ」
「ちょっと待ってくださいよ。えっと――」
「私の名前は『統率の藤本』だ」
「『統率の藤本』さん。確かに、俺はポリンからお菓子を貰いました。でも、考えてください」
『統率の藤本』の眉毛が、ぴくりと動く。
「俺は、「食べて欲しい」と言われてポリンからお菓子を貰っているんですよ?もし、防衛隊の皆様が俺からお菓子を取り上げて、俺がお菓子を食べなかったとしたら、ポリンはどんな気持ちになると思いますか?」
「ぐううっ!!」
まるで、心臓に太い杭を打ち込まれた吸血鬼のように、『統率の藤本』が胸元を鷲掴みしながら身体を曲げる。
「ポリン、めちゃくちゃ喜んでましたよ?お菓子を食べた感想を俺から聞けなかったら、ポリンは悲しむと思いますよ?」
「た、確かに。……いやでもっ!!」
胸を抑えたまま目を泳がせる『統率の藤本』。
どうやら、彼の中で『隊としての神具』と『他人を思うポリンの気持ち』、どちらを優先させるかで勢力争いが勃発しているようだ。
逃げるならば今だ。
ポケットに入れたおっぱい饅頭(二つ)に軽く触れて、ポケットから落ちないことを確認。正門に向けて全力で走る。
「あ、こら!待て!!」
イソギンチャクのように刺したサイリウムは相当な重量を誇るはずなのだが、さすが剣道部でもある『統率の藤本』。何故か全力で走る純多に互角程度の速さで追走してくる。
「くそっ!何でこんな目に!!」
さっさと安らかな土日を迎えたい。
涙目になりながら遮二無二走り、防衛隊三幹部の一人から逃げ切ることを試みる。
【コラムのようなもの】
おっぱい饅頭は、愛知県発祥(作者調べ)の実在する和菓子だ。食べてみたい人は、是非探してみるといいぞ!!