第三十三走「静かな日が、続いています」
〇前回までのあらすじ
グルタの護衛依頼を再開する事になったコニーは、初日でごろつき達からグルタを逃がす作戦に成功し、ごろつきが魔石を所持している情報を得る。魔石の正体を確かめるため、コニーは依頼の説明を兼ねて魔具を研究しているヒリアに意見を求める。ヒリアの推測を基に魔石の正体に確信を得たコニーだったが、突然ヒリアが依頼に同行すると言い出した。ヒリアの依頼に対する不審感に不安を感じつつも、コニーは依頼主のグルタとヒリアを引き合わせる。コニーを慮るグルタとヒリアの主張がぶつかり合い一触即発の状況に陥ったものの、互いの思いが通じ合い和解する。
グルタさんの護衛依頼を再開してから数日、僕は今日もグルタさんの護衛依頼を受けて教会へとやって来た。
「おはようございます!」
「コニーさん、おはようございます。今日もお願いしますね」
「はいっ!」
教会の扉を開けて入ると、先に掃除を始めていたグルタさんに迎えられる。僕も毎回早めに教会に顔を出しているはずだけど、グルタさんはいつ教会に出入りしているのだろう。
「昨日はどうでしたか? この前の話ですと、そろそろ未確認の区画の調査に入りそうだと聞きましたが……」
僕が奥の部屋から箒を取って来ると、すかさずグルタさんが僕へ話を聞いてくる。先日グルタさんとヒリアさんと一緒に話し合った時、互いに依頼の状況や任務の進行度合いを擦り合わせた結果、予定を合わせて依頼と任務を交互に受けられないかと二人に聞かれた。僕としてもグルタさんの依頼もギルドの任務も、比べられないくらいに大事だったから、二人の提案はとても喜ばしかった。グルタさんの依頼を再び受ける時は、依頼と任務のどちらを選ぶべきかで思い悩んでいたけど、二人のおかげで僕が思っていた以上の結果になった。
「そうでしたね……昨日はちょっとだけ魔物を討伐しましたよ。とは言っても、ほんの二、三群ですから、今までの調査と比べれば全然平気でしたよ。まぁ、僕が戦った訳じゃないんですけど……」
「いいじゃないですか。コニーさんにはコニーさんのできる事がありますから。ヒリアさんもコニーさんが任務に戻ったおかげで、調査の進行が早くなったと嬉しそうでしたよ」
「そ、そうですね……」
ヒリアさんが教会に突然やって来た事を思い出し、僕は思わず苦笑いする。先日グルタさんと色々話し合って、ヒリアさんもグルタさんの依頼の件は安心していると思ったから、まさか何も言わずにまた教会に顔を出すとは思わなかった。でもその時はあまり話す事がなかったのか、ヒリアさんには珍しく適当に雑談するだけですぐ帰ってしまったけど。
「それでも……近くで皆が戦ってる姿を見ると、僕にも戦う力があったらと思ってしまうんです」
「……分かります。私も目の前で傷つく仲間の姿を見る度、前に出れず癒す事しかできない自分が歯痒いと何度も思いました……」
グルタさんは冒険者だった頃を思い返しながら、震えそうな手を強く握り締める。グルタさんは僕よりも多く魔物との戦闘を経験しているはずだから、言葉に含まれる重みが段違いに感じる。
「回復職は、役割の関係でパーティで必ず後方に配置されます。回復役が倒れれば、パーティが崩壊の危機に陥りますから、当然の事ではあります。ですがそれでも私は、少しでもパーティと共に戦っているという実感が欲しかった。回復しかできない私がそんな事を言うのは、ただの我が儘でしょうけど」
「……そんな事はないと思います。僕だってパーティの役に立てるなら、何でもしたいと思っています。その思いが実って、今はヒリアさん達と一緒に調査任務ができています。僕もいずれは、胸を張ってパーティの仲間と横に並び立てる冒険者になりたいです」
「……そうですね、コニーさんならなれると思います」
「っ……有難うございます!」
僕の夢を真っ直ぐに応援してくれるグルタさんに、僕は素直に感謝を伝えた。色んな人から励ましや感謝の言葉をもらい続けたおかげか、最近は迷いなく気持ちを受け取る事ができる様になってきた。
「それにしても……ごろつき達は中々現れませんね」
「そうですね……やはりまだ警戒しているのでしょうか」
僕とグルタさんは淡々と箒を振りながら、いつ現れるかも分からないごろつき達を待っていた。またごろつき達から情報を得られないかと思ったけど、やはりそう何度もうまくはいかないみたいだ。
「こちらの動きに対して、何か打開策を練っている最中なのかもしれません」
「そうかもしれませんね……でも、まだ油断はできません」
「ふふっ……頼もしいですね」
「べ、別にそんな事は……」
グルタさんにからかわれてしまい、僕は返す言葉に困ってしまう。何だか最近のグルタさんは、初めに会った頃よりも少し雰囲気が変わった気がする。
「これなら、しばらくは来ない方がいいかも……」
「……どうしました?」
「い、いえ、何でもありません! それより、掃除もちゃんとしましょう」
グルタさんは窓を見上げて何か独り言を呟いたけど、僕が聞き返すと背を向けて箒を忙しなく動かした。その後もいつも通りグルタさんと教会中を掃除して回ったけど、今日もごろつき達が姿を現す事はなかった。
◇◇◇◇◇◇
グルタさんの依頼を終えた翌日、僕はヒリアさん達第四班パーティと調査に出ていた。
「そうですか、昨日も何事もなく終わりましたか」
パーティの後方で周辺警戒を一緒にしているヒリアさんに、昨日の依頼であった事を報告をしていた。こうしてグルタさんとヒリアさんにそれぞれであった事を交互に話していると、まるで伝書鳩になった様な気分だ。
「はい……ごろつき達の被害がないのは良いんですけど、このままだと根本的な解決にはならないですよね……」
「コニー君にしては、随分前向きな意見ですね。慎重なコニー君なら、ごろつき達と相対するのを忌避していてもおかしくはないと思いましたが……」
「それは……今でもごろつき達は怖いですよ。でもそれ以上に、グルタさんを助ける事の方が大事ですから」
ヒリアさんに言われて自覚したけど、僕も以前と比べるとかなり気の持ち方が変わったみたいだ。大した変化じゃないかもしれないけど、何だか成長した気がして少し嬉しい気持ちになる。
「もう少し様子を見てもいいかと思いましたが、その様子でしたら今後も安心して依頼に送り出せますよ」
「そ、そうですか……?」
昨日のグルタさんに引き続き、ヒリアさんからも褒められてしまった。流石にこう何度も褒められてしまうと、僕もむず痒い気持ちが抑えられなくなってしまう。
「……ん? 様子見って、どういう事ですか?」
「あぁ……実は少し確かめたい事がありまして、君達がいる教会を少し離れた位置から監視していたんですよ」
「そ、そうだったんですか!?」
ヒリアさんから告白される事実に、僕は驚きを隠せなかった。教会にいる時は常にごろつき達を警戒していたけど、ヒリアさんが近くにいるとは全く気が付かなかった。
「あぁ? なんか見つけたのか?」
前で調査をしていたジビターさんが、僕の声を聞いて振り返る。釣られてガウンさん達もこちらに振り返り、全員の注目は僕へと一気に集まる。
「あっ……す、すいません、違います……」
「チッ……何だよ、紛らわしい……」
僕が何もないと諸手を振ると、ジビターさんは軽く僕を睨みつけて前に向き直る。ガウンさん達はこちらの様子を少し気にしていたけど、ジビターさんに倣って前を向いた。
「え、えっと……それで、何で僕達を監視していたんですか?」
「コニー君から聞いた話から、ごろつき達の行動に少し気になる点がありましてね」
「気になる事……ですか?」
「はい、ごろつき達がつい最近まで姿をくらましていた理由です。脅迫行為というのは、定期的に繰り返す事で効果があるものですが、それを二月以上も間を置くのはあまりにも不自然です。にも関わらず、コニー君がごろつき達を退けてから先日再び姿を現すまでの間、その間何故一度も教会に現れなかったのか……」
ヒリアさんに言われて、僕も少し気になってきた。グルタさんの話では、今までもごろつき達が教会に来ない日もあると聞いていたから気に留めなかったけど、ずっと姿を見せないのは確かにおかしい気もする。
「考えられる要因があるとするなら、脅迫に必要な準備が不足していたか、脅迫が可能な状況になかったかでしょう。準備が不足していた点については、コニー君が初めにごろつき達を退けた際、武具を失った事が可能性として考えられます」
「そういえば……」
ヒリアさんから武具の話が出てきて、僕は先日ごろつき達が教会に来た時の事を思い返す。確かに以前ごろつき達からは武具を取り上げたはずだけど、先日教会に来た時はちゃんと武具を持っていた。あの時は咄嗟に武具を盗る判断をしたけど、そのおかげで一時的にごろつき達の襲撃を抑えられていたのなら良かった。
「脅迫が可能な状況になかった点については、兵団の存在が関わっているのは連中のこれまでの行動からしても明らかです。彼らが犯罪者である事からも、兵団の存在は無視できないはずですから。ですがそれに加えてもう一つ、連中が避けていると思われる人物がいます」
「兵団以外にごろつき達が避ける人……ですか?」
「はい、それは自分達以上の実力を持つ強者の存在です。ごろつきの中に一人、元Cランク冒険者がいると聞きましたが、おそらく連中はCランク冒険者以上の実力者を警戒している様に見られます。連中は兵団を警戒する以上、捕縛されるのは連中にとっても避けたいと思っているでしょう。そのため自分達以上の実力者を相手にするのは極力避けたいはずです。コニー君から聞いた話ですと、偶然現場に居合わせたガイダールさんという方の実力を見誤り、一度は捕縛に成功したそうじゃないですか。もしかしたらその失敗から、そうした偶発的な事故を防ぐために、今は迂闊な行動を控えている可能性があります」
「た、確かにそうですね……」
グルタさんから初めに聞いた時のごろつきの印象と、最近のごろつき達の行動がいまいち一致しないと思っていたけど、ヒリアさんの話を聞いて納得した。偶然だったとはいえ、今まで失敗した事がなかったのなら警戒を強めるのは当たり前だ。
「それとこれは推測にはなりますが、私達が行っている調査任務にも一因があると思われます」
「えっ……調査任務に?」
「私もここのギルドで話を聞いた時に驚きましたが、フロンにはCランク以上の冒険者が在籍していないそうじゃないですか。周辺環境が比較的安全である事や、Cランク以上の昇格がフロンでは難しい事を踏まえても、かなり特異な街だと衝撃を受けました」
「そうなんですか……確かにこの街でCランク以上を目指す人は、フロンを出てそのまま他の街に拠点を置くのが普通ですから」
「その理屈は分かりますが、Cランク以上の冒険者が全く在籍していないのは稀有ではありますよ。何処かの都市から上級冒険者が派遣されるか、帰省した冒険者がいそうなものですが、それが全くありませんから……」
「でも現役の冒険者にはいませんけど、ギルド支部長のサイダラさんとかは多分かなりの実力者だと思いますし、元冒険者ですけどガイダールさんも凄い人ですよ。それにランクはDでも、ガウンさんみたいにランク以上の実力を持つ冒険者もいます」
「……そうですね。本当に何から何まで稀有な集まりですよ、フロンの冒険者は……」
「そうなんですか……?」
ヒリアさんがそこまで言うのだから、フロンの冒険者事情はそれだけ他の街とは違うみたいだ。僕もフロン以外の冒険者の事は知らないから、そうした違いを知れたのは良かったかもしれない。
「フロンの冒険者の話はこれくらいにしましょう。ここで重要なのは、フロンにはCランク以上の冒険者がいないという点です。この事実からグルタ君を狙う連中は、『Cランク冒険者以上の腕があれば問題ない』と考えたはずです。しかし実際には格上の存在に遭遇してしまう事故が起こってしまった。そこで連中も兵団以外への警戒心が強まったはずです。そこへ最近になって、調査任務の応援に他の街から腕利きの冒険者が多数集まりました。しかも中には私を含め、Cランク以上の冒険者が多数いる。いくら調査任務で外界へ出ているとはいえ、一度失敗している以上警戒するに越した事はないはずです」
「それで任務が始まってからは、兵団の巡回状況に関係なく教会には現れなかったんですね……」
ヒリアさんの説明を聞いていると、僕にもごろつき達の行動が容易に想像できた。偶然にも一度失敗した所に、不安要素が積み重なったら嫌でも動きを制限せざるを得ないだろう。
「それが最近になって教会に現れたのは、丁度フロンの調査任務が一段落して冒険者の数が半減したからだと思われます。各地へ調査範囲を広げる関係上、高ランク冒険者の多くはフロンを離れましたからね」
「そういう事ですか……」
「そしてこの推測を検証するために、私は敢えて発見されやすい位置から教会の様子を窺っていました。ついでに一度教会に足を運ぶ事で、連中に動きがあるかも試しました」
「あっ、あの時来たのって……」
ヒリアさんが意味もなく教会に来るのを不思議に思ってたけど、やはり考えがあっての行動だったんだ。教会を見張っていた事も含めて、本当にヒリアさんの行動には毎度頷かされる。
「そして結果として、連中に一切動きは見られませんでした。この様子ですと、今フロンにいるCランク以上の冒険者は軒並み警戒対象にされているかもしれません」
「そうなんですか……。でもそれが分かったとしても、どうやってごろつき達を捕まえればいいんでしょうか……」
「全く……君は今まで何を聞いていたんですか?」
「えっ……?」
僕の反応を見てヒリアさんはわざとらしく呆れた様子で手を振る。ヒリアさんの話は全て聞いていたはずだけど、何か聞き逃していただろうか。
「先ほども言いましたが、連中はCランク冒険者以上の実力者を警戒しているのですよ。つまり連中を捕縛するには、一見実力に乏しいながらも連中を捕縛する可能性を持つ、そんな人材が必要になります」
「そ、それはどんな人が……?」
「本当に察しが悪いですね……君の事を言っているんですよ。当時Fランクでありながら連中の目を盗んで武具を取り上げ、未だEランクで燻っている稀有な冒険者である、コニー君こそこの条件に適した人材なんですよ」
「えっ……えぇっ!?」
「今度は何だぁ!?」
僕がまた声を上げると、ジビターさんが怒気の込もった声で振り返る。ガウンさん達もこちらへ反応を示したけど、今度は振り返らなかった。
「な、何でもありません……」
「……ったく、真面目にやれよ」
「すいません……」
物凄い睨みのきいたジビターさんの視線に、僕は平謝りするしかなかった。どうやら完全に怒らせてしまったみたいだ。
「……あ、あの……何かの間違いじゃないですか? 僕がグルタさんの護衛に適しているなんて……。い、いや、別にグルタさんの護衛をやめたい訳じゃないですけど……」
ヒリアさんの言葉を訂正しようとして、言葉がまとまらず自分で何を言いたいのか分からなくなってしまう。
「以前から思っていましたが、コニー君は自己評価が低いですよ。能力を見ればDランクでもおかしくありませんし、実際都市のギルドでならDランクへの昇格も不可能ではないはずです」
「それって……特殊昇格規定の事ですか?」
「知っていましたか」
「は、はい……一応ギルドの規則は一通り目を通していますから……」
フロンの様な田舎街では難しいけど、権限や設備が十分揃った都市のギルドであれば、通常の昇格規定を満たしていない冒険者でも、ギルド側の判断で昇格を認められる特殊昇格規定がある。それこそ特殊昇格規定を満たすには、通常の昇格以上に厳しい条件を求められる場合が多いけど、ギルドでの勤続日数や依頼達成数といった条件を無視する事ができる、唯一の昇格手段でもある。
「でも僕にはそんな実力があるなんて……」
「それが過小評価だと言うんですよ。こうして調査任務に同行し続けられている事からも、相応の実力があるのは明白です」
「それはヒリアさん達がいるからで……」
「確かに今はパーティ全員で固まっていますが、二人組での時も問題なく調査を進められていたでしょう? 現在の調査区域ではDランク冒険者一人でEランク冒険者を庇うには限度がありますから、戦闘を考慮しないのであればコニー君は外界で活動するのに十分な能力を持っていますよ」
「そんな事は……って、この辺りってそんな危険な場所なんですか?」
「気が付きませんでしたか? 今まで私達が調査任務で割り当てられた区域は、概ねDランク以上でないと立ち入れない危険区域ですよ」
「そ、そんな……」
道理で普段依頼をしている時と比べて魔物と遭遇する機会が多いと思っていたけど、知らない内にとんでもない場所まで来てしまっていたみたいだ。一応今まで無事でいられたから良かったけど、そういう大事な事は教えておいて欲しかった。
「この辺りでEランク以下の冒険者を連れる場合、Dランク冒険者が二人以上同伴するのが定石ですが、コニー君の実力を把握した時点で同行者は一人で十分だと思いましたからね」
「は、はぁ……」
知らない内に危険に晒されて少し釈然としないけど、ヒリアさんが僕を信頼してくれたとも言えるから、あまり文句を言う気にはなれなかった。
「……少し話が逸れましたが、重要なのはコニー君がEランクでありながら、ごろつきを牽制できる可能性を持っている事にあります。連中が目に見えた実力者を警戒している以上、Cランク以上の冒険者を護衛に付ければ一切近づいて来ないでしょう。教会内が手薄な時を狙っている事も踏まえると、あまり大人数で待ち構えても襲撃は望めません。だからこそ単騎でごろつきを退けた事のあるコニー君であれば、捕縛できる可能性があると思っています」
「僕が、あのごろつき達を捕まえる………」
いずれはごろつき達をどうにかしたいと思っていたけど、ヒリアさんの話だと今の方が一番可能性が高いと聞こえる。まだ遠い事の話だと思っていただけに、急に緊張が募ってくる。
「……少し話が飛躍してしまいましたが、今からコニー君が焦る必要はありません。期限がCランクへの昇格だと思えば、少なくとも半年以上は時間があります。捕縛方法を考えるにしても、準備を含めて時間はいくらか必要ですから、腰を据えて臨みましょう」
「……そうですね」
僕の緊張が伝わったのか、ヒリアさんに宥められて少し落ち着きを取り戻す。でも僕の中ではまだ、少しでも早くグルタさんを救いたいという気持ちが残っていた。もし今の僕にごろつき達を捕まえる方法があるのなら、すぐにでも捕まえてグルタさんが安心できる様にしたい。
「おい、ちょっとこっち来い!」
「どうしました?」
ヒリアさんとの話が一段落した所で、ジビターさんがヒリアさんに呼び掛ける。ヒリアさんはすかさず身を翻してジビターさんの元へと駆け寄る。間髪入れずに動き出したヒリアさんに遅れて、慌てて僕も後を追う。
「これ、この前聞いてたやつか?」
ジビターさんが指し示す木の幹には、大きな爪痕らしき傷が深々と刻まれていた。
「どうでしょう……コニー君、分かりますか?」
「は、はい……間違いないと思います」
ヒリアさんの問いかけを聞きながら、僕は見覚えのある傷跡を見上げて答えた。僕が以前に見た、兵団基地にあった爪痕ととても似ている。
「ギルドで発見報告があるのは聞いていましたが、これは想像以上ですね。身の丈を超える大きさの爪痕なんて、そうそう目にする機会はありませんよ。一体どんな魔獣が付けたのやら……」
魔獣が残した明確な痕跡を前に、ヒリアさんは興奮気味で観察を始めた。ギルドで聞いた話では、僕が兵団基地で見たものと今発見した以外でも、フロンの周辺には同じ様な爪痕がいくつか発見されているらしい。そして今の所、フロンではこの爪痕以外で魔獣に関する目ぼしい情報は特にない。他の場所でもこれ以上の情報がないので、魔獣調査は依然難航している状態だ。最初の魔獣の発見報告からすでに半年は経過するそうだけど、こんな辺境まで魔獣が来ても調査に大した進展がないなんて、調査対象の魔獣はかなり厄介な魔物みたいだ。
「……それにしても、他はほとんど痕跡がないのに、どうしてこんな爪痕だけはっきり残ってるんでしょう?」
「それについては、いくつか考えられますね」
僕が何気ない言葉を漏らすと、爪痕を熱心に観察していたはずのヒリアさんが振り返る。
「まず相手が魔獣という点から、獣としての特性や習性によるものです。一例として縄張りを示す印としてや、道標として残している事などが挙げられます。しかし魔獣が各地を転々をしているので、今挙げた例の可能性は低いと思います。もう一つ考えられるのは、何かしらの魔術の行使に利用している可能性ですかね。魔獣が魔術を使用する例はあまり聞いた事はありませんが、可能性としては考えられなくもありません」
「魔獣が魔術を、ですか……」
魔獣がどんな姿をしているか全く分からないけど、何だか魔術を使う姿があまり想像がつかない。でも全くあり得ない事はないだろうから、頭の片隅には置いておこう。
「こんな木々に囲まれた場所で、たった一つだけ爪痕が残っているのは明らかに不自然ですから、魔獣なりの理由があるはずです。ただ他に有力な情報がないので、どうあっても推測の域を出ないのですが……」
ヒリアさんの言う通り、ここは比較的木の密集率が低くて若干開けているけど、他に争った様な痕跡とかはないから、魔獣があえて木を引っ搔いたとしか思えない。全く情報がないのも困るけど、こんな奇妙な情報しかないのはそれはそれで頭を抱えてしまう。
「……周辺の魔物も警戒しているみたいですね。辺りから魔物の反応が一切感じられません。ギルドの報告では、魔獣の爪痕はそれぞれかなりの距離があるそうなので、この辺りからは他に収穫は望めそうにありませんね……」
ヒリアさんは前に向き直ると、今度は冷静な表情で魔獣の爪痕を見上げる。僕も周辺の気配に意識を集中するけど、本当に魔物の気配が一切感じられなかった。もしかして最近魔物との遭遇率が極端だったのは、魔獣を警戒した魔物達が縄張りを離れたからかもしれない。
「ここはこの魔獣の爪痕を中心に、手分けして調査をしましょう。収穫が期待できない分、調査自体もすぐ済むはずです」
ヒリアさんの判断により、僕達はここから三手に分かれて調査を再開した。そしてヒリアさんの予想通り、その日の調査は爪痕の発見以外に特に何も起きる事はなかった。ただ僕は二人組での調査が始まってからヒリアさんの言葉を思い出し、必要以上に緊張した状態で調査をする事になった。
〇おまけ「冒険者の昇格に関する基本事項①勤続日数」
ギルドの冒険者の昇格には、ギルドへの信頼を証明するために一定の勤続日数が必要となる。勤続日数はギルドに登録した日から、一定期間内に依頼の受理及び完了をしている場合に勘定される。また昇格に必要な勤続日数は、昇格するランクによって異なる。
Fランク昇格:勤続一ヶ月
Eランク昇格:勤続三ヶ月
Dランク昇格:勤続一年
Cランク以降については、勤続三年以上であれば昇格可能となる。但しCランク以降の昇格は特別な昇格条件を必要とするため、特殊昇格規定の条件を満たして勤続日数が不足していても昇格する場合が多い。




