第一走「僕のスキルでは、逃げる事しか出来ませんでした」
僕が冒険者としての人生を歩む事になったきっかけ。それは、人生最大の絶望を迎えた日でもあった。その日は僕が十四歳となり、成人として神成式を受けた日だ。
「神成式……ついに僕も、成人になって恩恵を受ける日が来たんだ……!」
神成式とは、成人を迎えた人が神からギフトを授かる神聖な儀式だ。この世界には、様々な形で活躍する特殊な技能、スキルが存在するのだが、この神成式で神から授かるのはそんなスキルの中でも特別とされる恩恵だ。ギフトによるスキルは、鍛錬や先天的に得られるスキルとは格が段違いで、その昔ギフトの力で勇者として伝説を残したという逸話もある。それほどギフトで得られるスキルは強力だが、裏を返せばギフトの内容次第で人生が決定すると言っても過言ではない。商売のギフトを得た人は商人に、鍛冶のギフトを得た人は鍛冶師に、そして戦闘職のギフトを得た人は兵団や冒険者として活躍している。
「一体、僕はどんなギフトがもらえるんだろう……」
まだ神成式は始まってもいないのに、僕はギフトの事を考えただけでわくわくが止まらなかった。どんなギフトをもらえるのか、ギフトでどんな事が出来るのか、そんな事を考え続けていると気持ちがあふれて仕方がなかった。
「……ではコニー、前へ」
「はいっ!」
そうして期待に胸を膨らませたまま、始まった神成式で神官に呼ばれた僕は壇上に上がる。目の前には、卓上に置かれた神々しい水晶が輝きを放っていた。
「神よ……神の子コニーへと、その大いなる寵愛を賜れよ……!」
神官がギフトを授ける祈祷を終えると、僕の身体が暖かな光に包まれる。
「これが、ギフト……」
やがて身体の光が収まると、身体の奥深くに微かに湧き上がる何かを感じた。この感覚が、授かったギフトなのだろうか。
「……では、授かったギフトをここに示しなさい」
神官に促されるまま、僕は目の前の水晶に手を置く。この水晶は、神からギフトを授かるために使われる神具であり、同時に触れた者のギフトを明かす魔具でもある。
「……これは?」
まるで不思議な物を見た様な奇妙な表情の神官を見て、僕も気になって水晶を覗き込む。
「……何、これ?」
そこに記されたギフトの内容は、僕がいくつも想像していたギフトのいずれにも当てはまらないものだった。
「……脱兎、敵からの逃走時、敏捷、回避、運がそれぞれ大幅に上昇……?」
ギフトで得られたスキルの内容は、そのまま逃げるための能力みたいだったが、こんな能力で一体どうやって活躍出来るんだ?
「……私も、ここで神官として長い事神成式を執り行ってきましたが、この様なギフトは初めて見ました……」
僕は困った顔で神官を見上げるが、神官の方もどうしたものかと顔を曇らせていた。
「……私もどんな使い道があるかは示せませんが、どんなギフトでも使い方次第です。今後はギフトも含めて、日々精進に励む事です……」
流石に何も言わないのはばつが悪かったのだろう、神官は当たり障りのない助言を最後に、神成式の終了を宣言した。それに釣られる形で、貴重なギフトを目当てに見物に来ていた様々な業界の人間は、誰一人として僕に声を掛けることなく次々と教会を後にするが、あまりにどうしようもないギフトを授かった僕には気にする余裕はなかった。
「……帰ろう」
やがて教会で見学していた人が全て出払った後、神官が僕に別れの挨拶をして奥に入って行ってからしばらくして、僕は絶望した心境のまま帰路につく。
「……おい、あいつか?」
「あぁ、あいつが逃げギフト野郎だ」
家までの帰り道の途中、僕と同い年の少年集団と鉢合わせた。
「お前、逃げるしか能がないギフトだってな」
最前で突っかかって来たのは、僕より一足先に神成式を迎えた子だ。確か戦闘職のギフトを授かって、直後に兵団からのスカウトを受けて兵団志望だったはず。
「そんな奴、何処からも声が掛からないのは納得だよな。何せ、何かあったらギフトでどっかへ逃げちまうもんな。何なら、盗賊になって逃げ回るなんて人生がお似合いじゃないか?」
少年の言葉に、僕は心を見透かされた気分だった。僕だって、この逃げるだけのスキルをどうにか活躍させる方法を沢山考えたけど、考えれば考えるほど悪い事が思い浮かんでしまう。今朝考えていた様なギフトの楽しい使い方なんて、微塵も思いつかなかった。
「うわっ!?」
今まで堪えていたものが溢れ出しそうになり、僕はたまらず少年を跳ね除けてその場を逃げ出した。
「ははっ、待てよ。お得意の逃げスキルのお披露目か!?」
逃げる僕を面白がってか、少年達が追いかけて来る。こんな時に役立つなんて皮肉にも思いながらも、今は僅かでもギフトに感謝しながら逃げる足に力を込める。
「おいおい、逃げスキルはどうしたよ? 振り切るどころか、このままだと追いついちまうぞ!?」
少年の言う通り、逃げスキルを持っているはずの僕が逃げ切れない。まるでスキルが発動していないみたいだし、実際今の自分がスキルを発動している実感はなかった。
「ほら、捕まえたぞ」
ついに追いつかれた僕は、少年に乱暴に肩を掴まれる。逃げスキルが役に立たない以上、戦闘スキルを持っている少年の方が明らかに有利な状況。スキルが発動しなかった理由だとか、何故こんなスキルを授かってしまったのかなんて考える暇もなく、明確な戦力差を持った相手が目の前にいる現実だけが頭を支配した。
「はっ、これで俺も兵団としての第一歩を……」
「お前達、これは何の騒ぎだ?」
自慢気な笑顔を浮かべる少年の背後に、鎧を身に纏った無精髭のおじさんが立っていた。
「何って、今からこの盗賊崩れの奴に制裁を加えてやるんだよ!」
「ほう、この子は何か罪を犯したのか?」
「そりゃ、逃げるしか出来ない奴は盗賊くらいしかなれないからな!」
「つまり、その子はまだ何もしてないって事だな?」
「そんなの、やってからじゃ遅いって……」
ここでようやく少年も違和感に気付いたのか、ゆっくりと声の主へと振り返る。
「が……ガイダール訓練長……?」
少年はおじさんの顔を見ると、見る見るうちに血の気が引いていく。
「君は確か、候補生のギールだったか? 犯罪者予備軍を問い詰めるのは殊勝な心掛けだが、兵団にはただの予備軍に対して実刑を行使する権限はないんだぞ?」
「は、はい……」
先ほどまでの威勢のいい態度は完全に消え失せ、ギール君は借りてきた猫の様に大人しくなっている。
「それに、君は候補生であって兵団としての実権は持っていない。無闇に兵団の威厳をちらつかせる行動は慎む事だ」
「は、はいぃ……」
ガイダールさんがギール君に目線を合わせると、ギール君は完全に委縮してしまった。
「しかし候補生であっても、兵団の預かりである以上責任は兵団にもある。後程兵舎で詳しい事情は聴かせてもらうから、君は先に兵舎に戻っていなさい」
「はい……」
「君は確か、戦闘職のギフトだったか。冒険者じゃなくてよかったな。兵団は厳しい規律や訓練がある代わりに、ある程度は兵団の下での安全が保障されるが、冒険者は全てが自己責任だ。横暴を働こうが、それが原因で報復を受けようが、全てが自己責任だからな」
「……」
ガイダールさんの言葉で、すっかり意気消沈したギール君は、重い足取りで去って行く。
「君達も候補生だったな。君達にも話を聞きたいから、今日はもう兵舎に帰りなさい」
「「「は、はい……」」」
ガイダールさんに気圧されてか、他の子達もその後は静かに兵舎へとまっすぐ帰って行った。
「……さて、君が今日神成式を受けた子か?」
「……え? は、はい……」
突然声を掛けられ、呆気に取られていた僕は返事が遅れてしまった。
「そうか……済まなかったな、あいつらが迷惑を掛けた」
「そ、そんな……大丈夫です、気にしてないですから……」
勿論そんなの嘘だったが、結局のところ何もなく済んだのだから、これでギール君達が無用な懲罰を受けるくらいなら、多少は口を噤んでおこう。
「そんな事はないだろうが……それならいい。あいつらもあんなんだが、それでも兵団の候補生だ。この街を、ひいてはこの国を守る兵隊として、しっかりと訓練を積ませるつもりだ。勿論、さっきみたいな馬鹿な事もしない様に教育もな」
「あ、あの……僕は本当に大丈夫ですから、あまり叱らないで下さい……」
少し出過ぎた真似だったかもしれないけど、それでギール君達の罰が軽くなるなら、僕が怒られるくらい平気だ。
「お前……」
怪訝そうな表情で、ガイダールさんが僕を見下ろす。僕は怒られるのを覚悟して、身を縮める。
「何と言うか、変わった奴だな!」
怒られると思っていた僕は、豪快に笑い飛ばすガイダールさんを見上げながら呆然とした。
「まぁ、立ち話もなんだし、ちょっと付き合ってくれよ」
「は、はい……えっ?」
呆然とするあまり、ガイダールさんの唐突な提案を僕は承諾してしまう。そのままの勢いで、僕はガイダールさんと共に初めての酒場に足を踏み入れた。
「今日神成式なら、酒は未経験だろう。今日は色々とあったろうし、酒はまた今度にしな」
「は、はい……」
それなら何故酒場に入ったのかと思ったが、店員を見かけるなりガイダールさんが酒を注文している辺り、自分が飲みたいから酒場にしただけだろう。僕はガイダールさんに言われた通り、水を頼んでおく。
「……さて、折角こうして腰を据えている訳だし、ちょっと込み入った話をしようか」
僕達はお互いに頼んだ飲み物を一口飲むと、ガイダールさんが真剣な表情で話を進め始めた。
「お前のギフトについては、大体は部下から聞いた。いつもは俺が直接神成式の見物に行くんだが、訓練長なんて役職のせいで毎度行ける訳でもないから、今回は代わりに部下に行かせたんだが、ぶっちゃけあいつは見る目がなかったな。次はもっと目のいい奴に頼むか……」
「……えっ? それって、どういう事ですか?」
「そんなの、お前のギフトがすげぇって事だろ」
ガイダールさんからの予想外の発言に、僕は頭の整理が追いつかない。逃げるだけのスキルがすごいだなんて……。
「……っていう事は、僕のギフトは兵団として使えるんですか!?」
「あぁ? そんな事言ってないだろ?」
希望を持って聞いた疑問に対して帰って来た言葉に、僕はより困惑する。
「……お前、冒険者になる気はないか?」
「……冒険者?」
「あぁ、お前のギフトは、冒険者でこそ真価を発揮するはずだ」
「僕のギフトが……冒険者に……?」
「お前……えっと、名前何だっけ?」
「あっ……コニーです」
「あぁ、コニー……。冒険者にとって、重要な事は何だと思う?」
「冒険者にとって重要な事……」
僕も、どんなギフトがもらえるかを考えている時に、冒険者にどんなギフトが必要かという事も考えた。その時の事を思い出しながら、冒険者に必要な要素を考える。
「……どんな危険な場所でも生き残る力、ですか?」
「そうだな……半分は正解だ」
「半分、ですか?」
「あぁ、生き残る力という点では合っている。だが、お前は生き残る力と言っているが、それは外にいる魔物と戦う力だと考えてないか?」
「は、はい……」
「確かに、魔物と戦う力はあって困る事はない。だが例え戦う力があっても、より強い魔物を前にした時はどうする? そんな時、冒険者にとって戦う力なんて無力なものだ。だから俺が言う生き残る力は、戦って生き残る力じゃなく、生きて帰る力だ。そう考えると、戦って勝てるかも分からない戦闘スキルより、確実に逃げて生き残る事が出来るお前の逃げスキルは、いかにも冒険者向きだろう」
「そう、ですか……」
ガイダールさんの話を聞いて、僕にはそんな考え方はまるで盲点だった。僕の逃げるだけのスキルに、そんな使い道があるだなんて思いもよらなかった。
「……まぁ、さっきもギールには言ったが、冒険者は自己責任が伴う仕事だ。ギフトの事は気にせず、スキルに頼らない生き方をする事だって出来るんだ。それこそ、意外な所でそのギフトが役に立つかもしれないんだ。せいぜいしっかり悩んで、自分の道を探す事だな」
「……はい、有難うございます」
「いいさ、これでも訓練長だ。人に何かを教える事には長けているつもりだ」
ガイダールさんの言葉が、ギフトの事で辛いと感じていた今までの心に染み渡る。人伝に聞いただけの僕の事を、ここまで真摯に向き合っただけでなく、自分の所属である兵団に勧誘するでもなく真っ直ぐなアドバイスをくれている。僕は今日、どん底に突き落とされた最悪な日だと思ったけど、ガイダールさんのおかげでとても救われた。
「……でも、何で兵団のガイダールさんが冒険者に薦めるんです?」
「あぁ……それは、俺が元冒険者だからかな?」
「えっ……ガイダールさんって冒険者だったんですか!?」
「まぁな……兵団の人間にしては、結構ガラが悪いだろう? 未だに冒険者だった頃の感覚が抜けてないのか、その辺りの価値観とかが他の兵団の連中とズレてて馬が合わないんだが、逆に頭の固い他の兵団よりは柔軟な所もあるって事で、生意気な新人候補生を相手する訓練長なんて肩書になっちまったんだがな……」
まさかガイダールさんにそんな経緯があったとは……。兵団の人にしては、何処か自由な感じがすると思っていたが、結構特殊な経歴の人なのかな?
「冒険者から兵団に変わるなんて、どんな事があったんですか?」
「あぁ……」
ここに来て、饒舌だったガイダールさんが言葉を切る。つい勢いで聞いてしまったが、よく考えたら、かなり踏み込んだ質問だったかもしれない。
「す、すいません! ちょっと気になっただけですから、無理に話す事は……」
「いや、冒険者を薦めたのは俺だ。冒険者を目指すのなら、聞いておいて損はない話だ。勿論、この話を聞いた上でも、冒険者を目指す覚悟があるならな……」
ガイダールさんはそう言うと、残った酒を一気に煽った。
「……俺のギフトもな、戦闘職だ。それで冒険者として自由にやるか、兵団として堅実に生きるか考えた時、俺は夢に生きる事を選んだ。その時、同い年だった親友が俺の後に神成式を受けたんだが、そいつのギフトは戦闘職じゃなかったのに冒険者になると言い張ったんだ。当時の俺はやめとけと言ったんだが、俺と一緒に冒険して夢を追いたいって聞かなくてな。親友の頼みだったし、俺が戦闘職だった事もあって、俺があいつの事を守ってやるんだって息巻いたよ。そうして二人でパーティーを組んで冒険者をやっていたんだが、ある程度冒険者としての経験を積んでいた頃に、思い切って奥地までの遠征の依頼を受けたんだ。それまではうまくいっていたし、戦闘職のギフトじゃなかった親友も冒険者としての実力を着々とつけていたのが良くなかったんだろうな。遠征の依頼の途中で、想定外の魔物の襲撃に遭ったんだ。これ以上の遠征は危険と判断し、戦闘職のギフトを持っていた俺が殿を務めて、一緒に遠征に参加していた他の冒険者パーティーが逃げるまでの時間稼ぎをしていたんだが、親友は最後まで残っていたんだ。自分も冒険者として十分成長しているし、万が一の時は俺がいると、俺も親友の言葉を信じて魔物と戦ったよ……。結果として、際限なく襲ってくる魔物達を相手に、俺達の限界の方が先に来た。親友は戦闘職の俺が生き残る確率は高い、戦闘職を持っている俺が生き残るべきだと、自分を囮にして最後まで魔物達を引き付けていたよ。おかげで俺は少ない魔物を相手にしながら、街まで逃げ延びる事が出来た。だが、親友と共に歩んできた冒険者の夢を、あいつがいなくなった後で追いかける気にはなれなかった……。そして俺は冒険者を辞めて、優秀な戦闘職ギフトとこれまでの冒険者としての経験を買われて、兵団に入る事になった」
「……そんな事が………」
ガイダールさんの話を聞いて、僕は後悔と感謝の念に苛まれる。こんな辛い思い出を語らせる事になってしまった自分の迂闊な発言への後悔と、そんな事を気にするなと、僕のためになるからと話してくれたガイダールさんへの感謝の気持ちで、僕の心は押し潰されそうだった。
「だから、お前のギフトを聞いた時、あの時俺にこんなギフトがあったらと、ついありもしない妄想を抱いちまったよ。あの時確かに必要だったのは、戦う力じゃなくて生き抜く力だったと……。だからこそ、お前のそのギフトは冒険者として生きるなら絶対に後悔する事はない!」
力強く断言するガイダールさんの語気に、その時の後悔した思いが込められている気がした。それほどに、僕のギフトを買ってくれているんだ。
「……すまんな、つい熱くなっちまった。そんなに飲んだはずじゃないんだがな……」
「いえ……とてもためになりました」
「そうか……そう思ってもらえるなら、話した甲斐があるよ」
少し熱くなってた空気が落ち着くと、ガイダールさんが店員を捕まえて酒を追加で注文する。少し待って酒を受け取ると、一口酒を含んで静かにコップを置く。
「……どうだ、冒険者になるのが怖くなったか?」
「……分かりません」
僕は俯いて色んな考えを頭で巡らせる。授かったギフト、ギフトの使い道、冒険者になる事、冒険者の危険性、他の職業をどうするか……。
「……ですが、冒険者について、もう一度しっかりと考えてみます」
「おう、しっかり悩みな。何せ、成人してからまだ一日目だ。悩むだけの時間はたっぷりある」
「はい、有難うございます」
そう言い、僕も水で満たされたコップに口をつける。ガイダールさんがあんな話をした手前、こんな悩んでいるなんて嘘を言ったけど、僕の中ではすでに冒険者になる覚悟を決めていた。