第零走「のっけから逃げて、すいませんでした」
「はぁ……はぁ……っ」
冒険者になってから、もう三年も経った。これまで数々の依頼をこなして、今では一介の冒険者として認められている。そんな僕は、今日も依頼を受けて森の中を駆け回っている。
「ひ、ひぃ~~!」
背後に凶暴なドラゴンを引き連れて、僕は今日も逃げていた。
「くそっ、何でこの巨体でそんなに速いんだよ! 完全に想定外だよ!」
僕は木よりも背の高いドラゴンに向かって、通じるはずのない言葉を投げかける。その間も、森を切り開かんばかりのドラゴンの猛進を振り切ろうとして、僕は走り続けている。
「うおおおぉ!」
がむしゃらに逃げる僕は、ひときわ足に力を込めて飛び上がる。それを好機と見たか、ドラゴンは僕に向かって大口を開けて突っ込んでくる。
「……なんて、ね」
しかし、僕を飲み込もうとしたドラゴンの身体が突然地面に沈む。油断したドラゴンが、あらかじめ仕掛けられた落とし穴の罠にはまったのだ。
「うわぁ……派手に引っかかったなぁ」
僕は飛び上がったままの勢いで着地した木の上から、怒号を上げるドラゴンを見下ろした。さらに、落とし穴の罠に連動して仕掛けられた飛び道具の罠が、穴にはまって身動きが取れないドラゴンに向かって襲い掛かる。だがドラゴンに突き立てられた槍や矢は、ドラゴンの身体を覆っている頑強な鱗によって弾かれる。
「……流石に、これだけじゃ倒れてくれないか」
立て続けの奇襲に、ドラゴンは怒りに任せて凄まじい咆哮を上げる。その頭上から、身の丈ほどの大剣を振り上げながら落ちて来る少女の影がある。
「はあああぁ!」
少女は大きく掲げた大剣を力任せに、ドラゴンの首に振り下ろす。大きな轟音と同時に森を覆い尽くす土埃が上がる。やがて視界が晴れると、大きく割れた地面と首と胴体が分かたれたドラゴンが転がっていた。
「……ちょっとやり過ぎじゃないかな?」
大剣を担ぎ直した少女に、僕は恐る恐る歩み寄る。
「このドラゴンが弱すぎるのよ。久しぶりに手ごたえのある獲物だと思ったのに、拍子抜けだわ」
「ちょっと、あんたやり過ぎよ! 罠に使った道具まで滅茶苦茶じゃない!」
ドラゴンの絶命を確認してか、先ほどまで木陰に隠れていた少女が大声を上げる。
「別にいいだろ、また作れば」
「それを作る私の身にもなれって言ってんのよ! 罠を作るのだってタダじゃないんだからね!? ただでさえ大食らいの癖に、これ以上余計な出費を増やさないでよ!」
「私は食べただけ動くんだから、必要な経費だろ。それに、私がいなかったらドラゴンの討伐なんて出来ないだろ?」
「そのドラゴンを追い詰めるのに使った罠は、一体誰が作ったのかなぁ?」
「あはは……」
少女達の喧騒を止めたかったが、適切な言葉が見つからず僕は困り果ててしまう。
「……お二人共、大事な方をお忘れではないですか?」
二人の言い合いを遮り、僕の後ろから白い法衣に身を包んだ少女が現れる。
「強力だけど大振りで隙の大きいシベリアルさんの大剣、多様な罠を作れるけど決定力が足りなかったマウさん、そんな二人の長所を生かす作戦の立案に加えて、ドラゴンを見つけて誘導し、最高の状態で作戦を成功に導いたコニーさんこそ、今回の功労者ではないですか?」
「そ、そりゃ……あんたが一番頑張ってるのは知ってるし、感謝はしてるわよ……」
「わ、私だって……コニーさんのおかげで私の罠がちゃんと生かせてる訳ですから、罠師冥利に尽きるというか……」
先ほどまでの威勢は何処へやら、二人共目を逸らして頬を赤らめる。
「……っていうか、何もしてないあんたはどうなのよ!?」
「そうですよ! グルタさんは今回見ていただけじゃないですか!」
「だって、私は回復術師よ? 私に仕事がないのは、皆が無事に依頼を終えられたって事なんだから、私は暇しているのが一番なのよ」
「さりげなくコニーの腕を取るんじゃないわよ!」
いつの間にか僕の横についていたグルタが、僕に寄り添って両手で僕の腕を抱き寄せているのを見て、シベリアルが吠える。
「まぁまぁ……グルタの言い分も最もだよ。僕もグルタがいるおかげで、囮としての役割に徹する事が出来るんだから」
「流石コニーさん。私もこうしてあなたのお傍に居られて嬉しいですわ」
「「だからって引っ付くなぁ!」」
先ほどまでの仲違いが嘘の様に、僕の肩に頬ずりするグルタに向かってシベリアルとマウが揃えて声を上げる。
「も、もういいだろグルタ……」
「あら、お嫌でしたか?」
「そういう訳じゃないけど、その……二人も頑張ってくれたから」
正直、グルタに迫られるのは嬉しくないと言えば嘘になるが、どうにもこの手の触れ合いには慣れない。それに、作戦の主軸を担ってくれた二人を労いたいという思いは本当だった。
「……そうですね、私も意地悪が過ぎました」
僕の意図を汲んでくれた様で、グルタもようやく解放してくれた。
「あ、あの……では、私にもご褒美を……」
低身長のマウは、自然と上目遣いでもじもじと身を縮こませながらおずおずと歩み寄って来る。
「そ、そうだな……」
そんな迫られ方をされては、男として拒否する選択肢はなかった。
「ま、まぁ……くれるって言うなら、もらわないでもないぞ?」
対してシベリアルは堂々とした足並みで寄って来たが、目は完全に明後日の方向を向いている。
「それなら、アルはまたの機会でも……」
別にそんな気は微塵もなかったが、シベリアルの様子を見てつい悪戯心がうずいでしまう。
「う、嘘だ! 私にもご褒美欲しい!」
冷静を装った態度から一変、必死な表情で目尻に涙を浮かべながら懇願する。その気がない素振りでいた様子もいじらしかったが、こうして必死に迫って来るのも可哀そうながらも愛おしく見えてしまう。
「わ、分かったよ、僕が悪かった……」
しかし、泣かせてしまったのは少し申し訳なかったので、シベリアルの肩を掴んで落ち着かせる。ついでに、丁度いい位置にあるマウの頭に手を置いて撫で回す。
「……それで、どんなご褒美が欲しいんだ?」
「そ、それは、その……」
「ま、全く……私に言わせる気かよ……」
肩をさすられるシベリアル、頭を撫でられるマウは、共にその感触に心地よさを感じながら、さらにその先の欲している褒美を口にするのをためらっている。
「……分かってる、いいよ」
一度シベリアルを泣かせてしまった手前、これ以上焦らすのは気が引けたので、早速褒美を与える事にする。僕はシベリアルとマウにそれぞれ触れていた手を、肩から頭へ、頭から肩へと入れ替える。
「きゅうん!?」
「わうん!?」
シベリアルは頭に手が置かれると同時に背筋を強張らせ、マウは肩に手を滑らせる度に全身を震わせている。
「はぁ……もっと、もっと触ってぇ……」
「ら、乱暴にしてもいいから……もっと撫でてぇ……」
二人が硬骨な表情を浮かべている中、僕は頭が高いシベリアルと肩の低いマウの高低差をギリギリの所で一心不乱に撫で回す。
「ふふっ、二人共とても幸せそうですね」
いつの間にか僕の背後に回っていたグルタが、僕の耳元まで近づいて小声で囁く。軽く耳に息がかかり、二人を撫でる手が緩みそうになる。
「私の事は気にせず、続けてあげて。邪魔にならない様に、私も少しだけ……」
言うが早いか、グルタは僕の身体に手を回して抱きついてくる。あまりに密着しすぎて、お互いの鼓動が伝わりそうだ。こんな状況、あの時の僕は想像出来ただろうか。逃げる事しか出来なかった、あの時の僕に……。