おんぼろアパートで、シェアハウス
田舎から上京して、僕は驚いた。
人や車の多さ、高い建物がずらーと並んで建っていて、自然が一つも感じられない…と言う事ではない。
都会には、シェアハウスと言うものが存在することだ。
僕の育った田舎は、山や田んぼ、畑が沢山ある。
いろんな農作物を育てる家が多くあるのだ。
一つの家には、お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、お父さんとお母さんがいて、兄弟も三人いるのが普通だったりする。
僕もそんな家庭で育った一人。
男兄弟の長男。
実家を出るのも、兄弟の中で僕が初めてで、東京へ行くと言ったら、家族全員が心配した。
でも僕は、どうしても東京に行きたかった。
だって、僕の夢を叶える場所は、そこにしかなかったんだ。
中学生の頃、好きな女の子に告白するも、振られ、その子から「私、イケボな男子が好き!」と言われ、「君の声、ちょっと高いし、男らしくないんだよね。」と指摘されてしまった。
それ以来、「声」が気になり出した僕は、声優さんの雑誌を読むようになり、いつしか、声優さんに憧れを持つようになった。
声優になって、イケボで女子にキャーキャー言われたい!
それが僕の夢になったのだ。
夢を叶える為、僕が契約をしたのは、古い古いアパート。
東京での独り暮らしは、お金が掛かる。
実家にはまだ弟達がいるし、弟達は大学に行くかもしれない。
そう考えると、僕が東京での生活の為に、親の脛を噛るわけにはいかなかった。
だから、自分のバイト代でやっていけそうな、この古い古いアパートに決めた。
でも、理由はそれだけじゃない。
古い古いアパートだけど、部屋の中に、風呂もトイレも付いてる。
部屋は一つだし狭いけど、実家の部屋にいるようで、親近感が沸いた。
(まぁ、間取りを紙面上で確認しただけなんだけどね。)
それに、大家さんも72才のお爺ちゃん。
僕のお祖父ちゃんみたいで、安心するんだ。
そんなアパートで、僕の独り暮らしは、始まった…はずだった。
入居した当日の夜。
新幹線での長い移動と、部屋の片付けに疲れた僕は、時計の針が21時を回ると、布団もひかず寝てしまった。
そして、深夜0時。
カタカタ。
カタカタ。
そんな音が、眠っている僕の耳に届いた。
(何の音だ?)
ノンレム睡眠から、レム睡眠に変わったのだろうか?
僕の脳は、微かに聞こえる音に、反応し始めていた。
(また、勇太がパソコンでも、いじってんのかな?)
僕は、ゆっくりと目を開けた。
そこには、見慣れない天井。
(あれ?ここどこだっけ?)
寝ぼけ眼の僕は、ぼーと知らない天井を見つめていた。
この天井は、僕の部屋じゃない。
(あぁ、そうか、僕は東京に来たんだっけ?)
天井を見つめていると、自分が引っ越してきた事を思い出した。
(じゃあ、さっきの音は、勇太じゃないな。)
勇太は一番下の、僕の弟。
実家にいる弟が、東京の僕の部屋で、音を立てるわけがない。
ドン!
ドン!
今度は、何かを強く叩く音がする。
「はっ!」
僕は飛び起きた。
辺りを見渡す。
部屋の電気はつけっぱなし。
明るさが、僕を落ち着かせてくれた。
しかし今度は、「うぅぅぅ、うぅぅぅ。」と、苦し気な声がする。
その声は、襖一つ向こうの部屋から聞こえた。
誰もいないはずの部屋からする物音と、誰かの声。
しかも、ここは、古い古いアパート。
(まさか…お化け?…幽霊?)
僕の背中は凍りついた。
(ど、どうしよう?大家さんに助けを求めるか?…でも、なんて言えば?…)
僕は混乱と冷静の間を行ったり来たり。
でもその間にも、声はどんどん大きくなる。
「あぁー!あぁー!」
ドンドンドン!
ドン!ドン!ドン!
「ひゃー!!!」
恐怖のあまり、僕は大声を上げた。
すると、襖の向こうからの音や声が、ピタッと止まった。
(なんなんだよ!何がいるんだよ!)
最上級の恐怖は、僕に訳の分からない怒りを与えた。
(開けてやるぞ!見てやるからな!)
僕は怒りの感情に身を任せ、襖を思いっきり開けた。
ビシャン!
「うわぁ!」
冷たい音と共に、誰かが驚きの声を上げた。
その声の主は、後ろに倒れ掛かりながら、片方の手を後ろにつき、もう片方の手を口元を隠すようにして、座っている。
また、着ているトレーナーの袖が長いのか、手元は袖の中で、袖口がダランとしている。
顔は長い黒髪に覆われていて、よく見えない。
だが、女だと言うことは分かった。
「お前は誰だ!」
僕は勢いに任せて、女に向かって怒鳴った。
「誰って、あんたこそ誰よ!」
女は僕の声に最初、ビックリしていたが、我に返ったのか、大声で返してきた。
「ここは、僕の部屋だ!出ていけ!」
「はぁ~?何言ってんの?!ここは、私の縄張りなんだけど!」
「縄張り?」
女のへんてこな発言に、僕は呆れた声を出した。
「よく見なさいよ!このお札!」
そう言って女は、口元にやっていた手を、相変わらず袖口に隠したまま、僕が開けた襖を指した。
僕は釣られて、その方向を見た。
するとそこには、達筆な文字がかかれたお札が貼ってあった。
「そのお札は私のお守りなの!そのお札のお陰で、この部屋が誰にも見付からずに存在できてるんだから!…あれ?」
勢いよく説明していた女が、急に不思議そうに首を傾けた。
「あんた、その襖が見えるの?」
「へ?」
そう言われて、気付いた。
僕の部屋は、1DKだ。
この襖の奥の部屋なんて、無かった。
そして、襖自体がなく、そこは壁だったはずだ。
しかし現実は、そこに襖があり、無いはずの部屋がそこに存在している。
「どういう事なんだ?」
コンコンコン。
「寿さん。寿礼太さん。私です。」
僕を呼ぶその声に、聞き覚えがある。
(きっと僕が大声を出したからだ。)
僕は急いで玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは、大家さんだった。
「寿さん、全てをお話させて下さい。」
そう言って大家さんは、僕に頭を下げた。
僕と大家さんは、僕の部屋にある小さなテーブルを挟んで座った。
どうやら、大家さんは僕の叫び声を聞いて、飛んできたらしい。
そして、襖の向こうにはあの女が、こっちを向いて正座している。
(なんだ、この状態?)
僕が大家さんと女に、交互に目を向けていると、大家さんが話し出した。
「実はね、この部屋、幽霊が出るんですよ。」
いきなりの告白。
でも、僕は驚かない。
「あの女ですか?」
僕はすでに出会ってしまった、幽霊かもしれない女を指差して言った。
「まぁ、もう、見ちゃってるし、誤魔化しようがないから言うけど、そうなんですよ。でも、まさか、寿さんに霊感があるなんてね~あははっ。」
大家さんは面白そうに笑うが、僕は全くそんな気分になれなかった。
しかし大家さんは、僕の気持ちなど無視して、明るく話を進めた。
「この部屋はね、霊感がある人にだけ、この襖が見えるんですよ。ほら、寿さん、内見しないで決めたでしょう?だから、どうしようかとも思ったんですけど、うちもほら、こういう古いアパートだから、なかなか入居者さんの希望がなくてね。寿さんが即決してくれた時は嬉しくて、嬉しくて。」
なんだか、情に流そうとしている気がする。
それに、確かに僕は、家賃でこのアパートを決めたので、内見をしなかった。
引っ越し作業中も、荷物で埋まっていて、襖の存在に気付かなかった。
そもそも、そこに荷物を置いたのは、引っ越し業者。
霊感などなかったのだろう。
襖のそこは、普通の人には、壁にみえているらしいから。
「要は、あの襖が見えなきゃ問題ないと、僕に霊感がなさそうだと、そう判断したんですか?」
僕は少々不機嫌そうに言った。
「まぁ、そんなとこです。」
大家さんはにっこりと笑う。
「あの女は、一体なんなんです?なんで、襖の向こうに、縄張り作ってんですか?」
急に自分の話になり、女は一瞬ビクッとなった。
しかし、黒い髪の間から、僕に目線を送っているのは、なんとなく分かった。
「彼女、元々この部屋の住人だったんですよ。」
「住んでいたんですか?」
大家さんは僕の問いに頷いた。
「もう、20年前なんですけど、彼女が住んでいた頃は、この部屋は1LDKだったんです。しかし、彼女がその襖の部屋で亡くなってしまって…。そして、夜になると彼女がこの襖の部屋に現れてしまうので、入居者が驚いて出ていってしまうようになって。そこで私は知り合いのお坊さんに頼んで、彼女と話をさせて欲しいとお願いしました。当初は成仏して欲しいと思っていたのですが、彼女の話を聞いている内に、なんだか、かわいそうになりましてね。」
「かわいそう?」
「彼女、作家の<桜子>なんですよ。」
その名前に僕は息が止まるかと思った。
桜子と言えば、恋愛小説の人気作家。
彼女が作り出す男子キャラクターは、女子に大人気。
ほとんどの人気男性声優さんは、桜子のキャラクターに声を当てている。
声優を目指す者なら、誰もが知っている人気作家だ。
それを裏付けるように、襖の部屋には、ノートパソコンがあり、僕が襖を開けた時、桜子はパソコンの前に座っていた。
(あの時、何かを書いていたのかな?)
「彼女は、まだまだ、書きたいものがあると、この世に未練があり、この部屋から出られないでいたのです。だから、この部屋に残してあげる代わりに、この部屋をお札で封印させて欲しいとお願いしたんです。封印してしまえば、霊感がない限り、この部屋の存在に誰も気付きません。もちろん彼女の存在にも、」
大屋さんは彼女の方を向いて笑った。
すると、彼女、桜子も長い髪の向こうで笑っている気がした。
そんな桜子を見ていると、僕は彼女の気持ちを想像してしまった。
もし、僕が声優になれたとして、長い人生、声優を続けていける未来があったとして、それが突然なくなってしまったら、どんな気持ちになるだろう?
きっと桜子と同じ様に、やりきれない気持ちだったんじゃないのか?
桜子の言う<もっと書きたいものがあったのに>は、僕に置き換えれば、「もっといろんな役を演じたかった>になるのではないか。
そう思うと、なんだか切ない。
桜子も僕と同じ、まだまだ、やりたいことが沢山あった若者なんだ。
「…分かります。その気持ち。」
僕は自然と言葉を発していた。
大家さんは優しく頷き、桜子は手を口元にしたまま、驚いたようにこっちを見ている。
いや、桜子の表情は見えないが、驚いているように感じる。
「寿さん、あなたがこの部屋を出るのも、残るのも、あなたの自由です。ただ、彼女の事だけは、世間に内緒でお願いしたいのです。」
そう言って大家さんは、僕にまた頭を下げた。
「大家さん、僕はこの部屋を出ません。出るわけにはいかないんです。」
「寿さん?」
「僕は声優になるために東京に来ました。親の脛を噛ることも出来ません。僕はこのアパートの家賃じゃないと、生活出来ないんです。だから、僕はこの部屋を出ません。」
大家さんは、僕の言葉に驚いた顔をしていたが、微笑みながら僕に言った。
「では、彼女との共同生活を許して頂けるのですか?…いや、若い方は、シェアハウスと言った方がおしゃれですかな?」
そう言って大家さんは、笑った。
そんな大家さんを見ていると、こっちまで笑えてくる。
こうして、こんな古いアパートで、今時流行りの、シェアハウスが始まった。
僕は、東京に来て初めて、幽霊とシェアハウスしている。
桜子は夜になると現れるようで、日が沈むと、襖の奥から、カタカタと、パソコンを叩く音がする。
最初は静なのだが、何時間かすると、ドンドンと机を叩く音と共に、桜子の地を這うような、苦し気な声が聞こえ始める。
「うぅぅぅ、うぅぅぅ、」
(シェアハウスは良いけど、この声、何とかならないかな。不気味なんだけど…。)
僕は寝る準備を済ませ、自分の部屋に布団を敷き、眠りにつこうと頑張っていた。
しかし、隣にいるのは幽霊で、しかも不気味な声を響かせる。
僕は、布団を頭から被り、桜子の声から逃れようとした。
すると、一段と大きく机を叩く、ドンドンドン!という音と、桜子の「あぁー!あぁー!」と言う叫び声が聞こえてきた。
(もう限界だ!今日こそ言ってやる!)
「もう!!!」
僕は毎日のように眠れない事と、不気味な声に怒りを感じて、飛び起きた。
そして、襖を勢いよく開けた。
「おい!桜子!うるせー!!!眠れないだろう!!!何時だと思ってんだ!!!」
そう言ったが、桜子は頭を両手で抱えながら、体を左右に大きく揺らし、「あぁー!あぁー!」と叫び続けている。
それはまさに、地獄から天国に向かいたくて、もがいている死者の姿の様だった。
(いや、死者だな。桜子。)
軽く自分に突っ込みを入れつつ、桜子を見ていると、長い髪を振り乱しながら、揺らしていた体が一瞬止まり、襖のところで立っている僕と目が合った。
「な~に~見てんのよー!!!」
低い音から、いきなりの高い声の叫び。
その不気味さに、僕は一瞬体をひいた。
(さすが、幽霊!めっちゃ怖い!)
しかし、今はそんな事は問題ではない。
僕は早く寝ないといけないのだ。
明日も朝からバイトが入っている。
働かねば、生活できない。
明日も、遅刻したら、首になる。
だから、眠れないのは、僕には死活問題だ。
「夜中に、何騒いでんだ!入居初日からドンドン、あぁ!あぁ!、うるさいんだよ!」
僕が負けじと大声を出すと、今度は桜子がビビり出した。
入居初日の夜に僕が、この襖を開けた時の様に、体を倒しぎみに、片手は畳につけ、もう片方は、長い袖口の中に手を隠した状態で、口元にやっている。
顔は相変わらず、長い黒髪に覆われていて、よく見えない。
「だって、だって、…。」
桜子は小さく声を震わせながら、呟いた。
その、か細く、弱々しい声はまた、幽霊感を演出するので、それはそれで、不気味だった。
「だって、なんだよ。」
僕もトーンを落として、でも、強気で桜子に言った。
桜子は、口元の手を震わせながら、長い袖口で、目の前のノートパソコンを指した。
「なかなか出てこなくて…。」
桜子は涙声だ。
「何が!」
僕は強気の姿勢を崩さない。
「同級生に告白する女の子が、振られるシーンの後の、イケメン男子のツンツン台詞が、出てこないのよ~。」
「はぁ?」
どうやら桜子は、執筆中のストーリーの台詞が浮かばなくて、苦しんでいたらしい。
「あのさ、もしかして、いつも、机をドンドン叩いたり、変な声出したりしてるのって、物語を書くのに、行き詰まってるからなのか?」
「だって、だって、しょうがないじゃない!出てこないんだもの!乙女のハートをぐっ!と掴むような台詞が!この場面は最初の山場なのよ!読者がイケメン男子の台詞に、キュンキュンしなきゃいけないの!」
そう言って、桜子は先程の机をドンドン叩く様や、不気味な声を再現するように、暴れだした。
「出ないわ!出ないわ!」
ドンドン。
ドンドン。
机を叩いたかと思うと、今度は机に突っ伏し、「うぅぅぅ、うぅぅぅ。」と、唸る。
そして突然、「あぁー!あぁー!キュンキュン!キュンキュン!降りてこぉーい、あぁー!あぁー!」と、長い袖口の中にしまいこみんだ手のまま、両手で頭を抱え、左右に大きく体を揺らし出した。
(なんかのお祓いか?)
幽霊が髪を振り乱しながら叫ぶ様は、そんな風に見える。
しかし毎晩、襖の奥から聞こえる音と、声の意味が分かった。
要は、桜子の執筆の儀式みたいなものなんだろう。
ストーリーやキャラクターの台詞が浮かぶための。
「はぁ~。」
僕はもう呆れてしまった。
(よく毎晩、こんな騒げるな。)
世の中の作家というのは、こんな大騒ぎして、作品を書いているのだろうか?
「そうだ!」
いきなり桜子の動きが止まった。
そして、膝でダダダダダッと歩き、僕の足を掴んだ。
「あんた、女の子振ったことある?」
そう言って、長い黒髪の間から僕を見上げてきた。
(ぶ、不気味だ。)
そんな僕の感想とは反対に、桜子は必死で僕に尋ねている。
「あ、あるよ。振った事くらい…。」
僕は桜子の必死さに負けたのと、ほんの少々の男の見栄で、そう答えた。
「ほんとに!!何て言ったの?!!」
桜子の藁をもすがる思いの迫力。
僕は頭をフル回転させた。
(振るときの台詞?え~とえ~と…。)
本当は女の子を振るなんて、そんな失礼な事、したことがない。
しかし、男18歳!
恋愛経験を聞かれて答えられないのは、恥ずかしい。
「うぅぅぅ、うぅぅぅ。」
僕が少ない経験値から何かを引っ張り出している最中も、桜子は僕にしがみついたまま、低音で唸っている。
それが耳に入って、余計集中力を削がれる。
「あのさ!その声、なんとかしろよ!」
僕は思わず桜子に叫んだ。
すると、桜子の体がビクッとしたかと思うと、今度は急いで、ノートパソコンに向かい出した。
カタカタ。
カタカタ。
桜子が長い袖口を揺らしながら、必死で手を動かしている。
(何か、思い付いたのかな?)
「はぁ~。」
僕は、恋愛経験を答えられなくて、恥を掻くとこだったなと思い、安堵のため息が出て、その場に座り込んだ。
そして、背中を襖にもたれさせた。
カタカタ。
カタカタ。
桜子は一心不乱にパソコンを叩いている。
その姿を見ていると、僕はなんだか眠くなり、桜子のパソコンの音を聴きながら、うとうとと、船を漕ぎ出した。
タンッ!
そんな音がして、僕は目を覚ました。
(あれ?今何時だっけ?)
ピアノを弾き終わった、奏者の様に、桜子は高らかに手の見えない袖口を上げて、パソコン作業を終えた。
「はぁ~良かった~、間に合ったわ。」
そう言って桜子は右肩を押さえながら、ぐるぐると肩を回し始めた。
「間に合ったって?何が?」
桜子に僕が声を掛けると、桜子はまた袖口の中に手を引っ込めた状態で、袖口を口元に当て、言った。
「雑誌の締め切り。」
桜子は僕の後ろを袖口で指した。
振り返ると、僕の部屋の時計の針が、午前4時を指していた。
「毎週金曜日が、連載の締め切りなの。私は幽霊だから、夜しか活動出来ないから、締め切りの時間が午前4時って、担当編集が決めたの。」
(ちょっと、待て。)
今度は僕が頭を抱えた。
「どういう事だ?桜子は幽霊だよな。雑誌の連載って何だ?担当編集?」
僕は意味が分からず、いつの間にか、心の中の疑問文を口にしていた。
大家さんの話を聞いた時は、桜子が自分を満たすためだけに、作品を書いているのだと思っていた。
しかし、桜子の言い様では、まるで、現在進行形ではないか?
今現在も、連載作品を書いているのか?
しかも、それを管理する人間、編集者がいる?
幽霊の桜子の存在を分かっている人間が存在している?
(そんな事、あり得るのか?幽霊相手だぞ?幽霊と仕事?)
僕は混乱した頭で、ぐるぐると自問する。
すると、自然と僕の体は、左右に揺れていた。
そんな僕を見て、桜子も同じ様に、僕の目の前で僕と向かい合って、体を左右に揺らしている。
「ん?」
僕が体を止めると、桜子も体を止めた。
そして、僕がまた体を揺らすと、桜子の体も揺れる。
(なんだか、遊ばれている気分だ。)
そう思ったら、言葉が出ていた。
「なんだよ。面白がってんのか?」
僕が不機嫌そうに言うと、桜子は首をブンブンと横に振った。
「何年かぶりに、若い男の人を見たなと思って。なんか、創作の足しになるかな?」
「知らんわ!」
僕が乱暴に言葉を投げると、桜子は面白そうに笑った。
「うふふふふ。」
その笑い方は、袖口の中に手を引っ込めた状態で、袖口を口元に当てている。
ちょっと、品のあるお嬢様の様だった。
(幽霊の笑ったとこなんて、初めて見たな。)
そんな事を思っていると、桜子が教えてくれた。
「私は20年前、この部屋で、死んだの。毎日の様に、徹夜で作品を書き続けて、ある日、ぷっつりと頭の線が切れちゃったみたいで、お医者さんは、過労死って言ってたわ。」
桜子は、他人事を言うように、淡々と説明する。
「私を発見してくれたのは、担当編集者。連絡がつかない事を心配して、この部屋に来てくれて。でもね、その時、私の亡骸を、私が座って見てたらしいの。」
「それって…。」
桜子は僕の言いたいことを察したのか、頷き、答えた。
「幽体離脱よね。その姿を、担当編集者が見て、取り敢えず、私と話し合いをしたの。」
「その担当編集者、霊感があるんだね。」
また、桜子は頷いた。
「それで、話し合いの結果、私の体は救急車で、病院へ。そこで、死んでいることを確認されたわ。でも、担当編集者は、私がもっともっといろんな作品を書きたかったって言ったら、世間に私の死を隠してくれたの。だから、世の中的には、私はまだ存在している。私は作品を書き続けられているの。」
「はぁ~。」
僕の想像を遥かに越えた話に、僕はお腹いっぱいになりそうで、息を漏らしたら、それは、ため息になってしまった。
「でね、その時の編集者が、今の編集者なの。」
桜子は、抜けが無いように、きっちりと説明してくれた。
落ち着いて話してみれば、桜子は普通の女の子だ。
ただ、話の内容は、全然普通ではないし、容姿は幽霊だけど。
「いつも、書けたら、パソコンで送信してるんだな。」
僕は桜子のノートパソコンを見て言った。
「そう。」
その桜子のノートパソコンを見ていて、僕は聞いてみたくなった。
「さっき、急にパソコンに向かったけど、何か思い付いたのか?どんな台詞にしたんだ?」
作家さんに、書いてすぐにこんな事を聞いたら「買って読んで!」と、言われそうだが、桜子は教えてくれた。
「そうそう!あんたが<その声、何とかしろよ!>って叫んで、急に私の中に台詞が降りてきたの!女の子を振ったのは、転生前は超地味男。その男が転生先で、ツンデレイケメンに生まれ変わったの。それで、地味男だったツンデレイケメンは、憧れだった<女子を振る>と言う、行動に出たの。そりゃあ、そうよね?地味男の時は、女の子に興味すら持たれなかったんだから、イケメンに生まれ変わったら、女の子への仕返しに、振りたくもなるわよ。」
ストーリーを語る桜子は饒舌だ。
「でもね、地味男は、中身は地味男のままだから、カッコいい振り方なんて分からないわけ。それでも、自分の中の<ツンデレイケメン>のイメージと、数少ない恋愛経験を駆使して、女子を振りながらも、キュンキュンさせるような台詞を絞り出すわけ!」
桜子は身を乗り出して、イケメン男子の声をイメージした声で、僕に言った。
「お前のその声、うるさくて頭にくる。付き合って欲しかったら、その声、俺好みの小鳥のさえずりにでも、変えてこいよ。」
「…」
一瞬時が止まった。
「それって、…俺の地味な部分にインスパイアされたってこと?」
僕が尋ねると、桜子の長い髪の間から見えた口元が笑っていた。
そして、テンション高く、喋り出した。
「だって、この作品の地味男にあんたがそっくりなんだもん!それに、あんたの声聞いてたら、自然とそんな台詞が出てきちゃって、その後のストーリーは湯水の様に溢れてきたわよ。」
桜子のその言葉に、僕はあることを思い出した。
中学生の頃、女の子に告白して、言われた言葉。
<君の声、ちょっと、高くて、男らしくないんだよね。>
「どうせ僕は、地味男で、声の高いうるさい男ですよ。」
僕は拗ねたように、そっぽを向いた。
「そんなことないって!あんたが地味男にそっくりなお陰で、作品が書けたんだから、感謝しなきゃね。イヒヒヒヒッ。」
桜子は口元に袖口を当てたまま、高い声で笑った。
「あはっ。あはっ。」
そんな桜子に釣られて、僕もひきつり笑いを返した。
時計の針が午前5時を指す前、桜子は、急いで、襖を閉めた。
もう、桜子の活動出来る時間の終わりらしい。
そして、もう今さら寝れない僕は、早々にバイトの準備に取り掛かった。
桜子がパソコンに向かっていた時間、少し仮眠を取れたけど、結局あまり眠れないまま、僕はバイトに向かう羽目になった。
幽霊作家とのシェアハウスは、問題が山積のまま、続く。
読んで頂き、ありがとうございました。
読み切りで書くつもりが、なんだか、終りきらない印象になってしまったかな?と思います。
また、続きが書きたくなったら、短編で書いてみようと思います。