始まりは突然で
天駆ける星を見よ
空に描かれた極彩の弓より
放たれた矢は尾を引く星となった
その星は弧を描き、やがて環を成し
ただ溶けていた世界に形を与えた
全ての存在が色を持った
全ての存在が意味を持った
全ての存在が心を持った
天駆ける星を見よ
空に描かれた極彩の弓
それは可能性を秘めていた
天駆ける星を見よ
尾を引く星は今は遥か彼方
それは可能性の雨を振らせた
【アストーマの創世記より】
「あははっ、ノエル!はやくはやく!」
「待って、ジョエル!」
双子の神子、ジョエルとノエルが街を駆け抜けていく。ここは天界“アルカノーラ”。神と天使が住まう最果ての地である。
「神子様!良い林檎が入ったんだ。ひとつ食っていかねぇかい?」
元気な果物屋の男が、双子たちを手招きした。彼らは歓喜の声を上げて、果物屋に駆け寄った。
「ありがとう、おじさん!」
「ありがとうなの。」
男はニコニコしながら林檎を2つに切り分け、二人に渡した。
「神子様方には、早く大きくなってもらわにゃあ。うちの果物はどれも、栄養満点だからよ。」
二人は同時に林檎にかじりついた。その瞬間、口の中に果汁が溢れ、二人は自然と笑顔になった。
「美味しいね、ノエル。」
「うん、美味しいね、ジョエル。」
道行く天使たちが、その様子を微笑ましそうに眺めている。そんな双子たちにつられ、若い女性の天使が、店頭の果物を品定めし始めた。
「お姉さんも果物好き?」
「ええ。でも今日は私のためじゃなくて、お腹の子のために買いに来たのですよ。」
そう言うと、女性は愛おしそうにお腹をさすった。
「赤ちゃんがいるの?」
ノエルは女性に抱きつき、お腹に耳を当てた。ジョエルもそれに倣い、女性のお腹に耳を当てる。
「……生まれてくるのが楽しみだって言ってる。お姉さんも赤ちゃんも、きっと幸せになるの。」
ノエルの言葉に、ジョエルも頷く。女性は微笑み、二人の頭を撫でた。
「ありがとうございます。神子様がそう言ってくださるなら、必ず祝福がありますわ。」
「ねえ、僕たちが果物を選んであげる!」
パッと女性から離れ、ジョエルは果物屋の方を見た。男は頷き、彼に籠を渡した。
「神子様に任せれば間違いねぇ!なんたって、果物屋の俺っちより果物に詳しいもんなぁ。」
大声で笑う男につられ、周囲も笑い出す。ジョエルが品定めを始めると、ノエルも並んでいる果物を見渡す。
「じゃあ、これと……これ!」
「待って、私も……。」
二人は林檎や葡萄を籠に入れた。
「全部で600ジェンだな。俺っちからも、もうひとつおまけだ。」
籠に蜜柑をひとつ載せ、男はニカッと笑った。
「ありがとうございます!」
女性がお金を払っている間、双子たちは彼女の周りでそわそわしていた。
「旦那さんはお仕事?」
「ええ、兵士さんなのですよ。アルベールという人……。お城で会ったことはありませんか?」
アルベール、と聞いて、双子たちはわぁっと歓声を上げた。
「知ってるよ!アルってね、すごく優しいんだよ。いたずらして怒られた後にね、いいこいいこして慰めてくれるの。」
「そうなんですか?ふふっ、あの人らしい……。」
女性が籠を持とうとすると、ジョエルが手で制した。
「僕たちが持ってあげる!」
「え、でも……。」
戸惑う女性に構わず、双子たちは協力して籠を持った。
「神子様!」
聞き覚えにある声に、ぎくり、と双子は肩を震わせた。背後には、美しい長髪を天使の輪で束ねた少年が、困った表情で突っ立っていた。彼の名はベル。神子たちの世話係である。
「もう、探しましたよ。やっぱりここにいらっしゃったんですね。そちらの方は?」
「ベル、このお姉さんね、アルのお嫁さんなの。」
双子たちはさっきまでの事をベルに説明した。それを聞き、ベルの表情が柔らかくなった。
「そういうことでしたら、そうですね。送って差し上げましょう。いえ、僕はてっきり、また神子様方がいたずらをして、皆さんを困らせているのかと思いまして。」
「失礼な!」
ジョエルはぷくっと頬を膨らませた。まあまあ、と、果物屋が笑った。
「引き止めてしまって申し訳ありませんでした。改めまして、奥様、我々が家までお送りいたしますね。」
「ね!行こう?」
女性はお願いします、と頭を下げた。双子たちは籠を持ち、彼女に並んで歩き出す。ベルはその一歩後ろを追った。
アルカノーラの美しい街並みを眺めながら歩き、やがて女性の家にたどり着いた。送っていただいたお礼に、と、女性はキャンディーの詰まった瓶を三人に渡した。
「ありがとう、お姉さん!」
「またね。バイバイ!」
そう言いながら風のように走り去っていく双子たちを追って、ベルはお礼もそこそこに、踵を返した。もうすぐ日が暮れようとしている。日没までに彼らを捕まえて、城に連れ戻さなければ。
そんなベルの日常が、一瞬にして打ち砕けた。大地に裂け目が生じるや否や、双子の神子たちが奈落の底へ。あまりに唐突で、しかしすぐに理解した。天界アルカノーラのすぐ下は、人間界だ。
「そんな、神子様……!」
駆け寄ってくる女性を制し、ベルは慌てて叫んだ。
「裂け目に近づかないで!僕はアルカ様にこの事を知らせに……」
「その必要はない。」
飛び立とうとするベルの背後に、天兵を引き連れた神が立っていた。
「アルカ様!」
白い長髪をなびかせ、大賢神アルカは表情を崩さずに大地の裂け目を見つめた。
「ああ、アルカ様、私のせいです。私が神子様方をここに連れて来たせいで……!」
泣き崩れる女性に、アルカは首を振った。
「全て見ていたとも。愛しい我が子らが人間界に落ちたのを。アルベールの妻よ、どうか気に病まぬよう。これは貴女のせいではなく、私のせいなのだから。」
そう言うと、アルカは裂け目に手をかざした。崩れていた土が元の居場所に帰っていき、やがて裂け目は綺麗さっぱり消えてしまった。
「アルベール、今日はもうよい。」
「はっ。」
天兵の一人がアルカに一礼し、女性の肩を抱いて去っていった。その様子を見つめながら、ベルは暫く頭の中の空白に浸っていた。
「ベル、一度我々と共に城へ戻れ。今後のことについて話がある。」
「……はい。」
裂け目があったところに背を向け、一行は城へ戻り始める。アルカの飛行船に乗せられ、ふと下を覗くと、同じような裂け目がいくつも出来ていた。
神子たちのいない城の中は静まり返っていて、より一層寂しく感じる。ベルは神座の前に立ち、アルカの言葉を待った。
「……さて。まずはこのアルカノーラの地に起きている異変について話そう。」
彼の声が、部屋中に重く響く。
「天界アルカノーラ、人界フェイシア、魔界ヴァナジール。この三界を繋ぐ千年の約束。それが、破られたのだ。」
「千年の約束……。」
学校で何度も習った言葉。千年の約束……かつてひとつだった頃の世界に戻るため、三界が結んだ休戦協定。千年の間戦争をしなければ、三界の境界が消え、世界はまたひとつに戻るという、創世者アストーマの声に基づき結ばれた協定だ。
「では、ヴァナジールが同一化を拒んだとお考えですか?」
最初に分断された悪の世界、ヴァナジール。協定を結ぶ前、最も抵抗した界だ。アルカは少し難しい表情をして頷く。
「それも要因のひとつだが、問題はフェイシアの荒廃にある。ヴァナジールに隣接しているおかげで、その瘴気に毒されやすいのだ。」
そう言うと、アルカは神座に座り直し、ベルを見据えた。
「ジョエルとノエルがフェイシアに落ちたのはある意味幸運だった。あの子達には浄化の力があるからな。ベルよ、お前に重要な任務を与える。外界に落ちた神子たちと共に、ヴァナジールの魔の手からフェイシアを救ってほしい。」
急な頼みに、ベルは混乱した。アルカの真剣な眼差しが刺さり、彼はうつむいた。
「……僕に、できるでしょうか?」
そう呟いたベルの前に、光球が現れた。顔を上げると、光の中に鍵があることに気付いた。
「それは世界の鍵。鍵穴さえあれば何でも開けることができる優れ物だ。これで、あの子たちの神具を開放することができる。」
ベルは光球に手を伸ばし、鍵を手に取った。鍵は金属の冷たさを忘れ、彼の手に馴染んでいく。握りしめるだけで不思議と心が落ち着き、勇気が溢れてくる。
「お前が旅立った後、暫くアルカノーラの門を閉ざす。浄化が終わるまでこの地に帰ってくることは出来ないが……。」
「僕、行きます。」
口籠ったアルカに、ベルははっきりとした口調で言った。鍵のせいだけでなく、神子たちの世話係であるというプライドが決意を促したのだった。
「ありがとう、ベル。……では、門を開くぞ。起動せよ、アルカンシェル。」
彼の言葉に反応して、ベルの背後にあった天球儀アルカンシェルが輝き出した。
「必ず、神子様たちと合流して、フェイシアを救ってまいります。」
「ああ、頼むぞ。ベル……汝にアストーマの加護があらん事を。」
アルカンシェルの光に包まれ、ベルはフェイシアへと転送された。白い輝きの中で、彼は目を閉じる。星空のキャンバスを裂く一筋の光が、今、フェイシアの地に落ちようとしていた。