長野でスキー
茶吉はスキーをするため長野県に来ていた。今日の宿は老舗旅館で、山の斜面に沿って貼り付くように増築に次ぐ増築を重ね展開している旅館である。迷い子になりそうな館内を、中居さんに部屋まで案内された。「お食事は何時ごろにいたしましょう」と聞く仲居さんに、「じゃあ1時間くらい後に」と頼んだ。この旅館は四方八方へのびた廊下が迷路のようで、面白そうだから館内をちょっと探検してみよう。と思っていたのだ。だがまずはお茶を一杯いただいてから、とお饅頭を食べていると、突然館内放送が流れた。
「みなさま、ただいまよりシャッフルタイムでございます。みなさま今いらっしゃる部屋から右に3部屋、ずれてください。そこが今夜のお部屋でございます」という。茶吉がびっくりしていたら、おじさん4人が入ってきて、慣れた様子で「ありゃ今度の部屋は狭いなぁ今回のシャッフルはハズレだなぁ」などと言いあっている。茶吉も追い立てられるようにシーツに荷物を包んで抱えて部屋を出た。隣に3部屋数えてその部屋へ入ってみると、そこはゴージャスなスイートルームで、茶吉一人にはもったいほどだ。贅を凝らした煌びやかな部屋はインスタ映えしそうだが茶吉の携帯はガラケーでイソスタグラムが出来ない。豪華絢爛な広い部屋の真ん中には、ガラスで仕切られた露天風呂があるのだが、それがまたプールくらいにドでかい。露天風呂の横にはウォータースライダーが付いている。くねくねうねった筒がどこへつながっているのか目を凝らして見てみるのだが、遥か彼方まで続いていて先端はかすんで見えない。
仲居さんが夕食を運んできたので、そのウォータースライダーがどこへ通じているのか尋ねると、「お客様によって毎回違うのですが、たぶん向かい風が強いからご安心ください。こちらにどうぞお掛けください。」と仲居さんがスライダーに座らせてくれて、そして念を押すように、「このお部屋は608号室でございます。お戻りになる際には608でございます。では行ってらっしゃいませ〜。」と背中をズンと押してくれた。スライダーの傾斜の角度は緩やかなのでなめらかに滑っていく。茶吉は旅館の丹前に浴衣姿で、裾はまくれ上がって、スリッパはどこかへ行ってしまい、手足はバタバタとまことに不格好な姿で滑って行く。スライダーは筒状だから無様な格好を人目にさらしているわけではないが、こちらからも周囲の景色が見えないのでやけに長い行程に感じる。ふと、手ぶらで来てしまったことに気付いた。お財布を持ってない。いったいどこへ連れて行かれるんだろうか。ぽこっ!ドサッ!と、突如、抜け出た茶吉の目の前には、キリンがこちらを見下ろしている。もぐもぐ口を動かしながら、キリンが茶吉をよく見ようと顔を近づけて覗き込んでくる。茶吉は草が山と積まれたキリンの餌の上にドサっと落ちて来たのだった。「今日のお客さんかね、ようこそいらっした。キリンの檻に来るなんぞ、運のいいお客さんじゃの。先週じゃったかの、バウンドしてトラの檻まで行きなさったお客さんが食べられとった。いやあお客さんは運が良い。と、わしがいくらそう言ってやっても、たいていのお客さんは、怒り出すもんじゃ。そして旅館に戻るんだってこの斜面を登って行きなさる。怒ってなきゃこんな崖、登れなかろうに。」と年寄りのキリンが言う。振り返ると山のてっぺんにさっきまでいた旅館が見えた。宿へはタクシーで来たので、気にもしていなかったのだが、改めて見上げると、なかなか高い山だ。そのてっぺんからふもとまで一気に滑り降りてきたのだ。スキーをしに長野県に来て、ウオータースライダーで滑り降りるとは思わなかった。このほとんど崖といっていいほどの急な斜面を登る気にはなれないが、かといってタクシーには乗れない。お金を持ってないのだった。
崖に接している面のほかは、ぐるりと高い塀に囲まれているので、今来た崖を登る以外、この檻から出る方法はなさそうだ。それか、高い塀を越えて行くか。でも梯子もないし。そうだ、「キリンに首をのぼらせてもらってもいい?」と聞くと、「新しい挑戦は大歓迎じゃよ。わしの毎日は同じことの繰り返しじゃから。」と、前足の肘を曲げてくれたのでそこに足をかけてよじ登っていく。首まで来たら、高い塀の向こうが見えてきた。隣はゴリラの檻で、5、6頭いるゴリラたちが茶吉に投げキッスをしてきた。どうやらメスのゴリラばかりのようだ。これはちょっと前進はストップだ。戻ろう。戻ってきて茶吉は考えた。こっちは崖、こっちはメスゴリラ、こっちはさっきの話からすると、トラ。残る一辺からはさっきから水の音が聞こえている。ふたたびキリンの首をのぼらせてもらって水の音のする塀の向こう側を見てみると、キラキラしているのは水面で、どうやらこれは池だ。周囲にはピンク色の花かと思ったが、よく見れば、鳥だ。ここはフラミンゴプールか!鮮やかな濃いピンクの足が忙しなく動いている。もっとよく見たいと体を乗り出したら、次の瞬間スルっと絡めていた足が滑ってほどけ、そのまま引力にひかれてどボーンと池に落っこちた。初めは驚きに息を飲み一緒に水まで飲んでしまい、次に息ができないことであせって必死で水をかいて顔を水面に出し、その次に襲ってきたのが冷たさだった。岸に上がらなくては、と凍える腕をバタバタ動かしてクロールというより犬かきで岸を目指した。スキーをしに長野県にきてフラミンゴプールでフラミンゴと泳ぐことになるとは!この真冬に!水着持って来ればよかった。






