13.2024年のマリア1
気分の悪くなる内容があります。
無意識に握りしめる手の感触に、マリアは目を覚ました。
目を開いても暗闇なのは窓がないせいだ。真っ暗な部屋にマリアの呼吸だけが響く。左胸はこの夢を見るといつもずきずき痛んだ。
しばらくして、マリアは水を飲もうと起きあがった。床に足を下ろすと、ベッドのフットライトが自動で点灯する。
(何度も何度も何度も見た夢、あの日の再現……)
コップを片手に、マリアはサイドテーブルの上の透明な箱に触れた。ふぅっと浮かび上がったのは、初めて見た正装のミスズ。記憶が薄れないうちにと、Y博士に頼んで作ってもらったものだ。真紅の民族衣装のような服を着たミスズの額には、同じく真紅の化粧でデフォルメされた目が描かれている。『館』にいた頃はすごく年上のようなイメージがあったのに、キューブの中のミスズは今のマリアより若いように見える。
(あの時あなたはいくつだったの? ハタチにすらなってなかった?)
優しい笑みを浮かべるミスズに、マリアは心の中で話しかける。今のマリアには、『館』がどんな所だったのか想像できた。
言うならば高級娼館。孤児のきれいな女の子を集めて、十四歳になるまで大切に育てる。逃げてもわかるように、胸に『印』を刻まれた少女は、なにも知らず育つのだ。そして十四歳になった途端、『館』での自分の存在意義を知らされる。もう逃げられやしない。逃げる所などない。どうしようもなくなった自分のそばには、昔の自分のようになにも知らない少女たちが連れられて来るのだ。少女にすべてを話そうか? いや、どうしようもないことを早くに言わないほうがいい。黙っていれば、しばらくは幸せに暮らせるから……。こうして『館』は保たれていたのだろう。
(あの生活を抜け出すには、エリーのようになるか、私のように『外』に出るかだった。でもわからない。どうしてミスズは私を『外』に出したの? 私は『外』に出たいなんて一度も言ったことはなかったし、ミスズがいればきっと『館』でもやっていけたのに)
Y博士に助けられたぼろぼろのマリアは、しばらく危険な状態だった。胸や身体の傷もさることながら、ミスズに裏切られたような気分だったのだ。
(不思議な力のあったミスズ……。ミスズなら私がこうなることもわかっていたはず。そしてあの時も、私の声が聞こえていたはず! なのに……なのに、助けてはくれなかった…………)
特殊メイクを習い別人の姿を手に入れることでマリアは回復していった。やっと外を自由に動きまわれるようになると、すぐにマリアは『館』に行った。いや、行けなかった。たった一年の間に『館』は跡形もなく消えていたのだ。
すっかり気力を無くしたマリアにY博士は巧みに知識を与えた。今ではマリアは博士の片腕とも言える存在になっている。博士はある研究のため、地球にいるすべての人間を把握したかった。それでマリアは『ブラウン・マリア』を始めたのだ。『ブラウン・マリア』は願いを無償で叶えると思われているが、本当は無償ではない。契約時アダマスにつなぐコードから個人データをもらっているのだ。専用のマシンに直接つなげばすぐに手に入るデータなのだが、地球人に違和感を抱かせず、データを集めていることを宇宙人に知られないためには、慎重な行動が必要だ。宇宙人に管理されている今、長い時間と手間をかけないと地球人のデータは手に入らない。
「今日はミライの様子を見て、ヤナギの依頼を聞かなくちゃ」
時計に目を向けるともう起きる時間だ。着替えるために服を脱ぐ。左胸ではいびつな十字架のように見える傷がフットライトに照らされ、血だまりのような影を作っていた。
身体をきれいにして乾かすと、まずは特殊溶液に浸かり『肌』を作る。色や厚みを変えることによって、人種・体型も思うままにできる。しかも頑丈なので、少々の荒事に巻き込まれても大丈夫という優れ物だ。
『肌』が乾くと、服を着てカツラをつける。仕上げにメイクを完璧にすると、そこにいるのは見知らぬ女性だった。
今日は金髪を軽くウェーブさせたおっとりとした若奥様風だ。自然とのほほんとした表情になりながらマリアはノースへの道を歩く。『光』で直接行くとどうも役が作れないので、いつも少し手前から歩くのだ。ノースの周囲は住宅街なので、親子連れやノースに向かうであろう子供たちがちらほら歩いていた。表情を作りながら何気なく眺めるマリア。
「!!」
全身の血が逆流し、体中の毛が逆立つかというほどの激情がマリアを襲った。
(あの男だ!)
老けてはいるが、あの日マリアを襲った男の一人に間違いない。
(今の私なら誰にもわからないように殺すことができる。その力があるわ!)
マリアは冷たい瞳でその男を見つめた。以前よりこざっぱりとして、仕事にでも出かけるような格好をしている。
(冷静にならなくちゃ。焦ったらダメ。まずは行動パターンを調べる……それからよ)
長く息を吐き出すと、マリアは怪しまれないように男を追った。うまくいけば他の男たちとも会えるかもしれない。
(綿密に計画を練らないと)
この日はブラウン・マリアとしての仕事もあり男の住処を突き止めるだけで終わったが、次の日は仕事の合間に男を観察し、他の男たちの住処も突き止めた。
埃っぽい町に住みながらも彼らはそれぞれ結婚したらしく、妻や子供がいた。それぞれの家と道に小型の情報収集機を設置した。マリアの研究室で手元のモニターにうつる映像は、平凡な『家族』の毎日だった。
(私をこんな目にあわせておきながら、この男たちはのうのうと『家族』として暮らしているのね)
暗い想いがマリアの中で起こる。マリアには『家族』がいなかった。だから『家族』というものが本当はよくわからない。でも話に聞いて、あこがれのような感情ができていた。
(理由がなくても一緒にいられる人、一緒にご飯を食べたり、同じ家に住んだり、無条件で愛したり愛されたりする……)
彼らを観察する目がさらに冷たくなるのを、マリアは止められなかった。
(あんたたちの幸せなんて絶対に許さない!)
「マリア」
アンジュの声に慌てて手元の映像を切ると、いつものマリアに戻って振り返る。
「アンジュがここに来るなんて珍しいわね。緊急の用事?」
「ええ。聞きたいことがあって。ミライとあの男たちの記憶を消したの?」
とがめるような言い方のアンジュに、マリアは強く言い返した。
「もちろんよ。あんな記憶、無くした方がいいに決まってるわ!」
ミライは数人の男に襲われていたのだ。そのミライの記憶を、マリアは何日もかけてゆっくりと丁寧に消した。その後ミライに関しては後遺症がないか毎日チェックしている。
しかしアンジュは怒って言った。
「それは違うわ」
「どうして? ミライの依頼は『苦しみから解放して欲しい』だった。私は『ブラウン・マリア』として当然のことを」
「違う。あなたは『あなたが望むこと』をしたのよ、マリア」
「…………」
「あの男たちがまた同じ事を繰り返す可能性があるわ」
アンジュは小さなモニターをマリアに手渡した。
「あの男たちに『虫』をつけたの。しばらく様子を見てちょうだい」
部屋を出ていくアンジュをマリアは呆然と見送ることしかできなかった。
(私が望むこと? いいえ。ミライが望んだのよ……)
モニターにうつっているのは若い男たちの集会だった。似たような髪の色・髪型・服装の青年が倉庫のような部屋に六人、だらしなく座っている。今の地球に不満を抱えている者の典型的なスタイルだ。動物園的な扱いに苛立ち、何をしていいのかわからず、自分の気持ちや力を持て余しているのだ。
「まったくやってらんねーよ」
「食べ物が支給はわかるけど、エロ本も支給って、なぁ?」
「オレたちゃなんだってんだよ!」
「……『狩り』に行こうぜ?」
「そうだ。こんな腐った生活してたら、おかしくなっちまう」
「今度はどいつを『狩る』?」
「『上』の連中の子供がいいな。幸せそうにへらへら笑いやがって、ムカつくんだよ!」
「よし! じゃあ計画を練ろうか?」
男たちは手慣れたように計画を練っていく。その様子をマリアは燃えるような瞳で見ていた。
(コイツらはなんなの! この前のことが初めてじゃないのね!)
「確かにこれじゃあまたミライが襲われるかもしれない。どうすれば」
男たちを見張り次に起こる事件を未然にふせいだとしても、二度と繰り返さないとは限らない。もっと根本的な所を解決しないことには、いたちごっこになってしまう。
「とりあえず、あの男たちと同様でしばらく観察してみるしかないわね。事件が起こりそうならこまめに邪魔をして」
マリアは『虫』からの情報を元に、男たちの住処、行きつけの場所、すべてに情報収集機をセットした。