変わらない関係
ピンポーン。
インターホンの音で、パソコンに向けていた顔を玄関に向けた。
1Rの小さなアパート、扉一枚隔てて、聞きなれた声がした。
「菜緒子~?」
伺う声は在宅しているか、ではなくて、インターホンに反応しないことへの反応だろう。
よいしょ、と無意識に呟いて腰を上げて、客人を迎え入れるべく立ち上がる。
「はーい、いるよ~」
「知ってる~」
玄関を開ければやはり見知った顔。明るい色の髪に似合う笑顔で、美樹は肩をすくめた。
「菜緒子出るの遅いよ~」
「すぐ出たじゃない。それに私だって家に居ない日だってあるのよ?美樹」
「居ない確率より居る確率のほうが高いもーん」
いたずらっぽく笑う美樹に、心の中で「確かに」と頷く。
誤解がないように言っておくが、私は引きこもり等の類ではなく、在宅ワーカーだ。主に文章を書く仕事をしている。作家、と胸を張って言えるようになるのが夢であり目標。なので、仕事をするイコール家でパソコンに向かうなので美樹の言うことに違うとも言えない。
「菜緒子ごはんもう食べた?」
「…まだ」
「だと思って買ってきちゃった」
語尾に星マーク。
袋いっぱいにお酒や食べ物を調達してきた美樹は、まるで自分の家のように私の家へ足を踏み入れる。
お酒が入った袋を受け取って、その重さに思わず眉が寄った。
「こんなに…。昼間からこんなに飲むの?」
「だって今日は日曜日!仕事はお休みだよ!飲まないでいつ飲むの?」
「私は今仕事中――」
「まあまあ!少しくらい良いじゃない!」
私の言葉を遮って、好きな時に飲めるのが在宅ワークの良いところでしょ、とよく分からない持論を主張する美樹。勝手知ったるなんたるやで、狭いキッチンの流しで手を洗い、お皿やコップなどの用意を始めた。
私はひとつ息を吐くと、テーブルに散乱する資料たちを片付け始めた。
美樹の突然の訪問は初めてではない。今月に入ってもう3度目だ。
美樹とは中学からの幼馴染で、言わば腐れ縁。
中学1年の中途半端な時期に転校してきた私の、初めての友達が美樹だ。
内向的な私は、もちろん転校先の新しい環境で、自分から誰かに声をかけることなんてできなかった。けれど内向的なくせに楽観的な性格のせいか友達作りに焦りはなくて、いつかできたら良いな、くらいに構えていた。
けれどそんな思いも杞憂に終わる。
まだ黒かった髪を揺らし、今と変わらない笑顔で美樹は私に声をかけてくれた。
それが腐れ縁の始まり。
高校、大学、そして就職してだいぶ経つ今も、こうして美樹は私のそばに居る。
美樹と同じくらいだった私の背は頭半分高くなり、美樹の髪は流行に合わせて色んな色に染まった。
けれども、私たちは変わらず一緒に居る。
「菜緒子~、赤と白、どっち飲む~?」
「じゃあ…白をもらうわ」
「オーケー」
テーブルセッティング、なんてお洒落なことはしないで、スーパーで買ってきたであろうパックに入ったお総菜たちを置いていく。白ワインもテーブルに置いてくれたので、残りの飲み物は冷蔵庫に入れた。
「ありがとう」
「こちらこそ、ごちそうになるわ」
「所場代っすよ、先輩」
「なによ、それ」
ニヤリと笑う美樹に、私まで笑ってしまった。
グラスにワインを注ぎ、乾杯と傾ける。
「っは~!生き返る~!」
「良かったわね」
「このために生きているようなものね…」
「そのセリフ、毎週のように聞いているわ」
「ちがいない!」
本当に、聞きなれたセリフに、見慣れた光景。
お酒を飲める歳になってから、もう6年も過ぎた。初めて乾杯と傾けたグラスはビールジョッキで、その時はビールの苦さに美樹と私は悶絶した。
それから社会人になり、OLになった美樹は付き合いの席でお酒の味を覚えていったらしい。今ではビールの苦さに悶絶したことなど嘘のように、まるで水を飲むかのように何でも飲めてしまう。
私は美樹に付き合うくらいでしか飲まないのだが、毎週のように飲んでいればそれなりに飲めるようになるらしい。ビールは今でも苦手だが。
「昨日、合コンに行ってきた」
唐突に、美樹が話し出す。
「そうなの。収穫はあった?」
「あったら今ここにいないよ~!」
「ですよねぇ」
テーブルの上にだらんと腕を投げ出す美樹。
喉の奥で笑っていたら、睨まれてしまった。
「はぁ…どこかにイイオトコは落ちていないかな…」
漫画のようなセリフ。
うな垂れる美樹の横顔にやっぱり笑えてしまう。
はっきり言うと、美樹はモテると思う。系統で言えば動物系だろうか。犬とか兎とか、そんなイメージが合う。
肩口までのふんわりした明るい色の髪、膝丈のスカート、何よりも印象に残る華やかな笑顔。
この笑顔に、だまされるオトコはたくさんいるのではないだろうか。
中身は酒好きで、休日は友人の家に入り浸り、パックのお惣菜で乾杯しているオヤジ女子だが。
「…今なにか失礼なこと考えなかった?」
「いいえ、なにも」
さすが幼馴染、長い時間一緒に居ただけある。
「美樹は可愛いから、そのうち良い出会いがあるわ。きっと」
ワインを喉に流し込んでそう言うと、美樹の瞳がじっと私を見つめた。
「…菜緒子は?」
「ん?」
「菜緒子は良い出会い、あった?」
最近、と最後は聞き取れないくらいの声で美樹は問うた。
一瞬、背中に冷たい水が垂れたような感覚に襲われる。
「…ご覧のとおり、家に居ない確率より居る確率のほうが高い私に、出会いがあると思う?」
「彼氏欲しいとか思わないの?」
「今は仕事を軌道に乗せることのほうが大切ね。…まだまだ修行中の身だから」
「そっか~…恋人より仕事が優先って感じ?」
「そんなところね」
答えると、美樹はふんふんと何かに納得したのか、頷くような仕草をする。
一口でだいぶ減ったワインを注ぎ足して、またくいっとあおった。
「あ~、この家は落ち着くなぁ~」
天井を眺めながら美樹は笑った。
脈絡のない話に少々疑問を感じたが、
「ありがとう」
と、一応答えた。
「次の休みも、また来て良い?菜緒子」
天井を見ていた瞳は、私を見ていた。
息をするのを忘れるくらい、真っすぐに見つめられる。気が、する。
目の奥がジンと痛んだ。
「…もちろんよ」
気づかれていないだろうか。私が彼女の来訪を心待ちにしていることに。
美樹の瞳に私が映るたびに、心が躍ってしまうことに。
今も、丸くて大きい美樹の瞳が私を見ているだけで、こんなにも嬉しく思ってしまう。
けれど、なるべくいつも通りの顔で、声で、幼馴染の菜緒子のまま、答える。
「いつでも来て、美樹」
しっかりと笑えているだろうか。幼馴染の顔ができているだろうか。
――何故彼氏を作らないの?どうして休みの日は私の家に来るの?
そんな問いは胸の奥底に閉じ込める。聞いてしまったら、この関係が変わってしまう気がして。美樹だけが、前に進んでしまう気がして。
美樹が私の部屋を訪れなくなるまでは、ここで待たせていてほしい。
「菜緒子はあたしのこと大好きだな~」
「あら、気のせいよ」
「ええ~?そこは頷くところじゃないの~?」
出会った頃と変わらない笑顔で美樹は笑った。
つられて私も笑う。
パックのままのお惣菜を箸でつまんで、口に運んだ。
この変わらない関係のまま、ずっとそばに居られたらと、浮かぶ願いはワインとともに喉に流し込んだ。
2019・1・4