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夜。
ユアンに案内された先は『キャバレー』だった。”リンリン”という大きな店である。多色のネオンで彩られた看板はけばけばしくて、愛らしい店名にはまるで似つかわしくない。
店内の赤絨毯を歩む中、ユアンが隣から話し掛けてきた。
「多分だけど、おまえみたいな女を見たら、若頭は要らねーことを言うんじゃねーかって思うんだ。不愉快な気持ちになるかもしれねー。我慢してくれよな」
「何? 不愉快な気持ちって」
「会ってみりゃわかるだろうよ」
ホールへ。ミラーボールが回っていて、その下では半裸の女性がポールダンスをやっている。客の入りはいい。ユアンいわく、「ここ、ウチの持ち物なんだよ」とのこと。
螺旋階段を使って、二階に上がった。VIP専用のブースがある。そこに目当ての人物はいた。ユアンが「あのヒトだよ」と教えてくれた。話はとっとと済ませたいので、わたしは彼に先んじて前に立った。
黒いリーゼントにエナメル質の黒い革ジャン。鼻と唇の下にはピアス。
そんな恰好をした男が、長いソファの真ん中に座り、露出の多いドレスをまとった女性を幾人もはべらせている。テーブルには高い酒のオンパレード。どうやら派手に遊んでいるらしい。
男の視線がいよいよ絡み付いてきた。上から下へ、下から上へと、舐めるようにして観察された。値踏みでもしてくれたのだろう。
偉そうに顎を持ち上げ、こちらと目を合わせた男である。
「なんだ、テメー。ヤられてーのか?」
「そんなわけないでしょう」
「ほっぺの傷はどうした。痴話喧嘩でもしたのかよ」
「黙秘するわ」
「けっ。生意気なねーちゃんだな。で、なんの用だよ」
「お父様から貴方の警護を仰せつかったの」
「警護? 腕は立つのかよ。女のくせに」
「じゃなきゃ、ここにいないわよ。ちなみに、女のくせには余計」
「マジかよ。ったく、親父のオヤバカぶりにゃ、いい加減、腹が立つぜ。それよりねーちゃんよ、ボディガードじゃなくて、俺の女にならねーか? パツキン女は大好きなんだよ。巨乳の女もな。つーか、テメーの場合、爆乳か。ブハハハハッ!」
なるほどと納得した。ユアンが「不愉快な気持ち」と言っていたのはこのことかと合点がいった。
男は革ジャンの懐に手を突っ込むと、「おらよ」と帯の付いた札束を足元に投げて寄越してきた。「受け取れよ、ねーちゃん」などと言う。
そうするよう促されたわけで、だからわたしは札束を拾い上げ、それをジャケットの内ポケットに収めた。「ありがたく頂戴するわ」と礼を述べて、ニコッと笑って見せる。
「ああん? ただでくれてやるかよ。こっちに来いって言ってんだ。胸揉ませろって言ってんだ」
「わたしに興味があるなら、貴方がこっちに来れば?」
「口の聞き方を知らねーヤツだな」
男は両脇の女をどけると、立ち上がった。テーブルを迂回して、向かってくる。
目の前まで来た。百七十強あるわたしより、少し小さい。男はこれまた偉そうに、「言うこと聞いとけよ、ねーちゃん。痛い目見る前によ」とナメた口を聞いてきた。
「お父様は貫禄もあったし、態度も紳士的だったけれど、貴方はそうじゃないみたいね」
「んだとぉっ」
男が胸倉を掴もうと右手を伸ばしてきた。わたしはその手首をさっと掴み、引っ張り込む。腕を後ろ手に拘束し、捻り上げてやる。
「いててててっ! 何すんだよ!」
「貴方にはちょっと教育が必要みたいだから」
「テ、テメー、こんなことしてただで済むと、あいてっ、いててててっ!」
「貴方、名前は?」
「言う必要なんてあるかよ」
わたしはさらに腕を捩じ上げる。男は「い、いてーよ、馬鹿。離しやがれっ!」と声を大にする。
「名乗りなさい。わたしは気が短いの」
「ぐっ。ソ、ソウロンだ」
「わたしはメイヤ・ガブリエルソン」
「だから、いてーよ、離せってんだ!」
「ユアン」
「な、なんだよ」
「貴方は武闘派だって話してたけれど、それって噂だけでしょう?」
「ま、まあ、俺が組織に入った時、若頭はもうムショの中だったからよ」
「小物よ、コイツ。しかも、とんだ甘ったれ。ワンロンさんには少し失望したわ。世襲で若頭を勤めさせるなんて」
背を突き飛ばしてやると、ソウロンは二歩三歩と前につんのめった。振り返るなり、懐に手を忍ばせる。得物を取り出すつもりなのだろう。それより速く右のローキック。だいぶん、力を抜いてやったのだけれど、彼は足払いをされたようなかたちで不格好に床に倒れた。「いてぇ、いてぇっ! 折れた、折れた!」と左右に転がりながら無様に叫ぶ。
「もう一発、行っとく? 今度は顔面に」
「わ、わかったよ。俺が悪かったから、もう勘弁してくれ」
わたしはソファに腰を下ろして、ふんぞり返った。よろよろと歩きながら、正面についたソウロンである。脚は相当、痛むようだ。
「そうだよ。俺は小物だよ。甘ったれだよ。んなこた自覚してる」
「そんなニンゲンが、どうして敵対組織を襲ったの?」
「若頭らしいところを見せようと思ってよ。兵隊をわんさか連れていったんだ。首尾良く目当ての幹部を仕留めることができたまでは良かったんだけど、たくさん殺したからだろうな。あとになって警察からお咎めがあってよ、結局、捕まっちまった。ブタバコでの暮らしは散々だったよ。メシはまずいし、女もいねーし」
「馬鹿な男。安易に火遊びなんてするから、ドジを踏むのよ」
「親父に警護を依頼されたってことは、俺ってやっぱ、命を狙われてんのか?」
「そう言ったつもり」
「マ、マジなんか?」
「さっきは、オヤバカがどうこう言ってたじゃない」
「そ、そんなの強がりに決まってるじゃねーか」
「でしょうね。まあ、報復を受けるのは止む無しよ。ヤクザの世界に時効なんてないんだし」
ソウロンは頭を抱え、「嘘だろぉ。この歳でまだ死にたかねーよぉ……」と情けないことを言うと、今度は一転、勢い良く顔を上げ、「で、でも、ねーちゃんが守ってくれるんだよな? そうなんだよな?」と期待に満ちた表情を浮かべた。
「ねーちゃんじゃないわ。メイヤよ」
「じゃ、じゃあ、頼むよ、メイヤさん」
「ええ。請け負ったからには仕事をするわ。でも、貴方につくのは七日間だけ」
「えっ、そうなんか?」
「そういう契約だから」
「そう言わずにずっとそばにいてくれよ。金なら好きなだけくれてやるから」
「契約を延長するつもりはないわ」
「情けくらいあるだろ?」
「情けは今、切らしてるの。で、いつまでここにいるつもり?」
「そ、そろそろ帰ろうと思ってたとこだ」
「ワンロンさんのところに?」
「いや。俺の事務所は別にある。だけど、親父のところに引っ越そうかな。あっちのが絶対安全だし……」
「腐っても若頭なんでしょう? いつまでもお父様におんぶに抱っこでどうするの。いい歳なんだから、とっとと一人立ちしなさい」
「は、はい。わかりましたっ」
思わずといった感じで、背を正して見せたソウロンだった。