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21-2

 街の本当に隅っこに、こじんまりとした厩舎があった。わらの素朴な匂いが、なんとも言えない心地良さを伴って鼻孔をくすぐる。


 鹿毛の馬を寝床に導くと、やがて老人は大きなバケツを持ってやってきた。エサなのだろう。


 フックに引っ掛けられたバケツに早速顔を突っ込み、草をむ馬である。老人に鼻先にニンジンを突き付けられると、ぼりぼりと勢い良く食べた。


 わたしは馬に見惚れていた。すごいなあ、綺麗だなあ、可愛いなあと思う。鼻筋に、頬ずりしたくなるくらいである。


「こっちに来なさい」


 老人にそう呼ばれ、厩舎の隣にある建物に入った。赤い三角屋根の小さな家だ。この街にあっては珍しい形状の建屋である。部屋の中央には丸太を半分に割ったテーブルが置かれている。なんとも洒落ている。ロフトがあって、そこが眠るのであろうことが知れた。


 コーヒーを淹れてもらった。豆から挽いた上等なものだった。うん、美味しい。老人のセンスの良さが窺える。どんなことに対してもこだわりを持つニンゲンが、わたしは好きだ。


 丸太のテーブルを挟んで、老人の顔に目を向ける。ちょっと難しい表情をされたのだけれど、わたしはニコッと笑った。


「ずっと昔から馬を飼っていらっしゃるんですか?」

「ああ。飼い始めてからはもう三十年も経つな」

「そんなに? 先にも言った通り、わたしは馬なんて初めて見たんですけれど」

「お嬢さんがどれだけこの街に詳しいのかは知らないが、そういうこともあるんだろう」

「わたしのご主人様は知っていたのかなあ」

「主人?」

「ええ。マオというんですけれど」

「えらくのっぽな二枚目か?」

「そうです、そうです。その通りです」

「じゃあ、わしが知っているマオさんは、お嬢さんが知っているマオさんでもあるんだろうな」

「彼はなんと言っていましたか?」

「いい馬ばかりですねとだけ言って、去っていきおったよ」


 そうか。マオさんはこの場所を知っていたのかと、なかば感心した。けれど、彼ならわたし以上にこの街のことを把握していてもおかしくない。「いい馬ばかりですね」と言い残したあたりが、なんともそれっぽい。そこには微笑みがあったことだろう。


「どうして街中で馬を歩かせていたんですか?」

「たまには運動をさせてやらないとストレスがたまる。ニンゲンと同じだ」

「なるほど。そうかもしれませんね」

「昔は倍、いたんだがな」

「馬が、ですか?」

「ああ。四頭分の寝床があっただろう?」

「確かにそうでしたけれど、他の二頭は死んでしまったんですか?」

「大往生だったよ。悲しみより先に、お疲れ様という言葉が浮かんできた」


 ちょっと、しゅんとなってしまった。けれど、老人が大往生だと言うならきっとその通りで、だから死んでしまった二頭の馬は、幸せだったのではないだろうか。


「その内、もう一頭、見送ることになりそうだ」

「そうなんですか?」

「白い馬がいただろう?」

「ええ。うまやにいましたね」

「あれはもう、だいぶん歳なんだ。知っているか? 芦毛の馬は歳を重ねるたびに白くなっていくんだよ」

「それは初めて聞きました」


 わたしは何気なく口を付けていたコーヒーカップに目をやった。白い馬が緑の丘を駆けている様子が優しく、また愛らしいタッチで描かれている。このモデルが、まもなく天寿を全うしようとしている白馬なのではないか。そんなふうに思わされる。乗っているのは茶色い髪をした女性だ。髪を後ろになびかせ、颯爽と馬を走らせている。


「その絵を描いたのは、ばあさんだよ」

「奥様ですか?」

「ああ。もう五年も前に死んでしまったがな。焼き物が趣味だった。自分が馬を駆る様子を描いた理由は、今になってもよくわからん」

「馬のことと、馬に乗るご自分のことが好きだったんでしょうね」

「お嬢さんは物事を素直に捉えるんだな」

「このカップ、いただきたいくらいです」

「持っていったらいい」

「そんなこと、できません。おじいさんと奥様の思い出の品じゃありませんか」

「芦毛のアイツはおてんばだ。わしでもまともに乗りこなせないくらいだ。だが、女房の言うことだけはよく聞いてな。それがまあ、なんとも微笑ましく映ったものだ」

「おてんばってことは、女のコなんですか?」

「ああ。女同士、気が合ったのかもしれん」

「今度、乗馬を教えてください」

「馬に乗れたところで、なんの役にも立たんぞ?」

「そんなことはありません。車を走らせるより、よっぽどイケてます」

「今時、そんなふうに考えるニンゲンは珍しい」

「わたしは馬が大好きです」

「わかった。いつでもいいから来なさい。知っていることは教えてやろう」

「やったーっ!」


 わたしは子供みたいに万歳をした。


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