14.『Voices Inside』 14-1
我が事務所を、とある女性が訪れた。覗き窓から容姿を確認。黒のスーツ姿の彼女は「公安の者です」ですと答えた。
内心、「ふぅん、公安かぁ」と唸った。公安イコールエリートといったイメージがあるからだ。わたしも偉くなったものだなと感じた次第である。女性を部屋に迎え入れた。スカーフェイスのことについては、何も触れられなかった。
「名刺を頂戴できますか?」
「ええ。どうぞ」
懐から取り出した名刺を右手で寄越してきた。”公安局警備課一係 シーアン”とある。彼女はピッとわたしから名刺を奪い取った。
「いただけないんですか?」
「そういう身分なものでして」
客人用の二人掛けのソファに促した上で、わたしはシーアン氏に紅茶を振る舞った。彼女はカップに口も付けない。多少、無礼だなと思ったけれど、単に仕事熱心なだけだろうと前向きに解釈することにした。
「実は私、狼のことを追っていまして」
「公安って勤勉なんですね」
「皮肉ですか?」
「他意はありませんよ」
「貴女は過去に狼と接触したことがある。違いますか?」
「どこで聞いたんですか?」
「公安をナメないでいただきたい」
「ふぅん」
「とはいえ、狼の名すらわからないのが現状です」
「どこかで仕入れた名だけ、展開しましょうか?」
「お教え願いたい」
言うと、シーアンはお札を一枚、テーブルに置いた。一万ウーロン札である。
情報をくれてやるには安い金額だなあと考えたのだけれど、隠すようなことでもない。わたしは「シノミヤ・アキラ」と狼の名を口にした。
「シノミヤ、ですか」
「それが何か?」
「いえ、そうである以上、異国にルーツを持つ人物かと思いまして」
「多分そうなんでしょう。わたしは彼について、一年間、調べ上げました」
「芳しい成果が得られましたか?」
「得られませんでした。悪いですか?」
「そうは言いません。ガブリエルソンさんの調査能力に関しては、我々の間でも秀でたものだと評価されていますから」
「何もガブリエルソンと言う必要はありませんよ。長い姓ですからね。ファーストネームで結構です」
「それは失礼しました」
「いえ。で、公安は尚も彼のあとを追おうと?」
「そうしようと考えています。特筆すべき殺人犯なのですから」
「仮にシノミヤについて調べがついたとしたとして、彼を逮捕できるとお考えですか? もしそうであるなら、ご自身らの能力を今一度、見直した方がいいと思います」
「公安の手をもってしても、尻尾すら掴めないと?」
「あるいはそう受け取られても、仕方のないことなのかもしれませんね」
「狼の何がヒトを惹き付けるのでしょうか」
「少々飛躍した物言いに聞こえますね。だけど、会ってみればわかりますよ。彼は特殊なカリスマ性を有してる。わたしは彼のことが、有体に言ってしまうと大嫌いですけれど、それでも、認めざるを得ない部分は認めるしかないと考えています」
「マオさん、でしたか」
シーアン氏がその名を持ち出したのを聞いて、わたしの右の眉はぴくりと反応した。
「彼がなんです?」
「それこそ他意はありません。ただ、狼の後を追っているのは知っています」
「あまりその名を口にしないでください」
「何故、ですか?」
「彼の名を口にしていいニンゲンは限られているからです。少なくとも、ぽっと出の貴女には呼んで欲しくない」
「ですが、実際、マオという男なのでしょう?」
「何度だって言います。良く言うにせよ、悪く言うにせよ、彼の名を呼ばないでください。腹が立ちます」
「貴女がマオという男を慕っていたらしいことも伺っています」
このシーアンという女は馬鹿なのだろうか。マオさんのことには軽々に触れて欲しくないって言っているのに。だからわたしは腕を組み、ソファの背もたれにふんぞり返ったのだった。
「それで、つまるところなんの用が? まさか、マオから接触があったかとか、そんなことを訊きにきたわけではないですよね?」
「いえ。実を言うと、そのあたりのことについて伺いたいからこそ、お訪ねした次第です。彼から何か連絡があったようなことは?」
「あったとするなら、今、わたしはここにいませんよ」
「本当ですね?」
「ええ。しかし」
「しかし、なんです?」
「いや、わたしが彼を見付けるようなことになれば、その旨はミン刑事にはお伝えすることだろうなと思いまして」
「一刑事には知らせて、私どもには連絡をいただけないと?」
「会ってから間もない貴女の何を信用しろと?」
「メイヤさんとはこれからより良い信頼関係を構築する必要があるようですね」
「わたしは貴女のことが嫌いになりました。ですから、わたしにあまり期待なさらないでください」
「公安にマークされている以上、貴女に逃げ場はありませんよ」
「そっちこそ、あまりナメないで欲しいわね」
わたしはシーアン氏とジッと視線をかわし合う。
「わかりました。今日のところは引き揚げます」
「狼を追ったマオは無実です。狼だけが犯罪者であるはずです」
「それは重々承知しています」
「お見送りは必要かしら?」
「いえ。結構です」
シーアンが玄関の外へと出てゆく。まったく、気分が悪い。公安というのは、ヒトの怒りを買う天才なのだろうか。




