9.『女達のヒエラルキー』 9-1
ある日の夕方。
ミン刑事から電話があった。「仕事でもしないか?」とのことだった。マオさんに何かを依頼する折には、「仕事をくれてやる」と当たりの強い言い方をしていた。だけど、わたしに対する接し方は柔らかい。彼にとってのメイヤ・ガブリエルソンは、自らの娘のような存在だからだろう。素直に嬉しい話である。
現場は、とあるアパートの三階の角部屋。その玄関口に、ミン刑事が立っていた。
こちらから「こんにちは」と挨拶をすると、ミン刑事は「おう」と返してきた。クローザーが働いて勝手に閉まってしまわないよう、ドアを押さえるためのコンクリートブロックが置かれている。警察はなんでも用意しているんだなあと少し感心させられた。
ミン刑事に「まあ、入ってみろ」と言われ、部屋に足を踏み入れた。短い廊下の中ほどに女性の死体があった。玄関のほうに足を向けた状態で、うつぶせに倒れている。黄色いブラウス姿だ。背中に包丁が突き立てられていて、傷の周辺の布には血がにじんでいる。
特ににそうする必要はないのだけれど、死体の脇をすり抜けて向こう側に回り込み、しゃがんで横を向いている顔を確認させてもらった。目を閉じ、思いのほか安らかな死に顔だった。
「メイヤ。何かわかるか?」
「それは言うまでもないでしょう。ミン刑事にだって、犯人がどういった人物であるかくらいは見当がついているのではありませんか?」
「顔見知りの犯行である可能性が高いな」
「ですよね」
「ああ。知り合いだからこそ玄関の戸を開け、リビングに通そうとした。被害者が犯人に背を向け、前を行く格好でな。その無防備な背中を刺されちまったっていう寸法だろう。時系列で言うと、そういうこった」
「鑑識の仕事は済んだんですよね?」
「無論だ。所見だと、死亡推定時刻は四時間から五時間ほど前ってことらしい」
「指紋は?」
「包丁の柄の部分に拭き取られたあとがある」
「どうして凶器を持ち去らなかったんでしょうか」
「拭いさえすれば問題ない。そう考えたんじゃないかね」
「第一発見者は?」
「ヤクザの下っ端だ」
「ヤクザの下っ端? ちょっと話が見えません」
「下っ端いわく、この仏さんは、そのヤクザの親分殿に囲われていたそうなんだよ」
「報酬を得るかわりに、体を明け渡していたということですか?」
「ソフトな言い方をするとそうなる」
「詳しいところをお伺いしたいです」
「今日も親分殿は真昼間から被害者を抱きたいと考えた。だが、どれだけ電話で連絡を入れようが応答はなかった」
「そこで下っ端の出番というわけですか」
「ああ。様子を見てこいって言われたそうだ。で、訪れてみたら玄関の鍵はあいていて、死体とご対面することになった」
「それ以外に、何かわかっていることは?」
「このフロア自体、親分殿の持ち物らしい」
「ということは」
「ああ。三階に住んでいるのは独り身の女ばかりで、そいつらは全員、親分に飼われているってことだ」
「なるほど」
「これで全部だ。今、俺が持っている情報はすべて展開した」
「ミン刑事には、もう犯人が見えているんじゃありませんか?」
「どうだかな。とりあえず、おまえに裏を取ってもらいたいと考えている。だから依頼した」
「確かに、わたしにも描いているヴィジョンくらいはありますけれど」
「だったら、そのヴィジョンとやらにそって行動してみろ」
「そうさせていただきます」
「労働ってのは、尊いもんだよ。それにしても」
「なんですか?」
「いや。親分殿の趣味はわからんもんだなと思ってな。この仏さん、太っちょの上に不細工だ」
「そういう言い方はやめてください」
「事実だろうが」
「怒りますよ?」
「なんでおまえが怒るんだよ」
「男性が女性のことを悪く言うのはゆるせません。腹が立ちます」
「わかった。わかったよ。そう怖い顔をするな。俺が悪かった」
「以後、気を付けてください」
「そうするよ。で、これは確認なんだが、どこから調べてみるつもりだ?」
「お隣さんから当たってみようと思います」
「それが定石だわな」
「もう引き揚げられるんですね?」
「ああ。署で吉報だけを待つことにするよ」
「了解しました」




