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次の日の朝、わたしは、とある胡同に出向いた。壁の陰に身を隠しているわけだが、表通りに顔を出せば、老舗であるらしい木造の『ダン出版社』の社屋が見渡せる。そのうち、眼鏡を掛けたひょろ長い男性が出勤してくるのを見付けた。多分、目当ての人物だろうと目星をつけた。
その様子を確認してから、わたしは午前中の日課である外回りに出た。あちこちの商店に「お変わりないですかあ?」と訊いて回る。昼食は屋台の粥で済ませ、その後、ジムに行った。散々、サンドバッグを殴って蹴った。
十七時半頃。
改めて『ダン出版社』を訪れると、三十分ほどが経ってから、帰路に着くのであろうひょろ長い男性が建物から一人で出てきた。そこを捕まえた。男性はわたしの顔を見てギョッとする。左の頬に大きな縫い傷があるからだろう。そういったリアクションにはもう慣れている。気にせず用件を告げることにする。
「レンジィさんですね? 間違いありませんか?」
「は、はい」
「わたしは探偵です。奥様からご依頼をいただき、話を伺いにまいりました」
「つ、妻からの依頼ですか?」
「はい」
「何を調べるように言われたんですか?」
「貴方が家に入れるお金は、最近になって減ってしまったそうですね? そのことについて、奥様は疑問に感じていらっしゃいます」
「なるほど。そういうことですか……」
「ご都合が悪くなければ、お話を聞かせていただけませんか?」
「やぶさかではありません。ですけど、ここではなんなので……」
「『飲み屋』にでも入りましょうか」
「そうしていただけると助かります」
『ダン出版社』から少々離れたところにある『飲み屋』に入った。丸いテーブルがランダムに置かれていて、そのうちの一つに、わたし達はついた。レンジィ氏はビールを、わたしは焼酎のお湯割りをオーダーした。やがてそれらが運ばれてきたところで、彼はジョッキを申し訳程度に傾けた。
「やはり妻は金銭のことを気にしているんですね……」
「貴方の前で申し上げるのもなんですけれど、わたしは正直、お金のことで頭が一杯である奥様のこと軽蔑しています。でも、どうあれ請け負ってしまったことなので」
「あらかじめ言っておきます。私は妻に稼ぎのほとんどを渡しています。手元に残しておくのは、食事代くらいのものです」
「やはり、お給料自体が減ってしまったと?」
「以前は雑誌の副編集長を勤めていたんですけれど、売れ行きが不調だったこともあり、平社員に格下げになってしまったんです。それで、以前に比べて、賃金は著しく落ち込んでしまいました」
「多少、突っ込んだ話をしますけれど、お金のせいで見限られるようであれば、それはそれで良いのでは?」
「かもしれません。ですけど、私はどうしても妻のことが好きなんです」
「お金を捧げても惜しくないほどにですか?」
「はい」
「だとしたら、わたしが申し上げられることは何もありませんね」
「でも、探偵さんが訪ねてきてくださったことは、いいきっかけになりました。今晩、家に帰ったら、正直に打ち明けます」
「打ち明けた上で、どうするおつもりなんですか?」
「夜間も働きに出ようと思います。職種を選ばなければ、なんらかの働き口は見つかるはずですから」
「ですけど、そんな真似をしたら、いつか体を壊してしまいますよ?」
「背に腹は変えられません」
「そもそも、どうしてそこまで奥様のことを愛していらっしゃるんですか?」
「わかりません。わかりませんけれど、私には彼女が必要なんです」
「となると、やはりわたしは、何も進言すべきではありませんね」
「依頼料は妻から受け取ったのですか?」
「前金で支払っていただきました。それだけで充分だと、奥様にはお伝えください。わたしは大したことはしていませんから」
「わかりました」
名刺を渡したこともあって、翌日の夕方、レンジィ氏から電話があった。やはり夜も仕事をすることに決めたらしい。これから職探しをするとのことだった。
彼が横柄な妻を愛している理由は相変わらずわからない。彼女に際立った魅力があるともやはり思えない。単なる好みの問題なのだろうか。きっとそういうことなのだろう。
レンジィ氏に「探偵さんにはお世話になりました」と、ありがたがられたが、本当にわたしは何もしていない。いつか二人が互いのことを認め合い、愛し合うようになればいいとは思うのだけれど、多分それは、無理だろう。




