3.『同じ名前』 3-1
夜、銭湯に行った。客らは頬の傷はおろか、わたしの背に幾つも縫い傷があることを気にも留めない。見慣れているからだ。
わたしの頬や背中を傷付けたのは同一人物である。男だ。彼に恨みがないと言えば嘘になる。だけど、仕方のないことだとも思っている。傷を負わされたのは、ある意味、自業自得なのだから。
湯船にはゆずが浮いていた。年に一度のことである。そういえば、マオさんが男性風呂にいた折には、なんだか楽しくなってしまって、壁の向こうに投げ入れてやったっけ。
湯船から上がり、風呂場から出て、脱衣所で体を拭いた。下着姿で髪をドライヤーで乾かし、服を身につけボルサリーノをかぶり、番台に座っている女性に「いいお湯でした」と挨拶をしてから、玄関でブーツをはき、表に出た。
すると、ミン刑事が銭湯の建屋に背を預け、煙草を吸っていた。
ミン刑事。
以前から懇意にさせてもらっている人物である。ヤクザからの賄賂まみれの警察にあって、信頼できる数少ないニンゲンだとわたしは考えている。
「あとをつけてらしたんですか?」
「ああ。すまんな」
「まるで気配に気づきませんでした。さすがですね」
「だいぶん離れて追っていたんだよ。にしても」
「はい?」
「いや、湯上りの女ってのは色っぽいもんだと思ってな」
「らしくない、俗な台詞ですね」
「まったくだ」
ミン刑事はわたしの頬の傷のことについて絶対に触れたりはしない。だけど、時折、悲しげな顔を見せる。彼が常に身と心を案じてくれていることは良く知っている。
「ところで、なんの用ですか?」
「今更言うまでもないが、俺はおまえの探偵としての腕を買っている」
「ありがとうございます」
「礼には及ばん」
「それで、ご依頼ですか?」
「そういうことだ」
「どういう案件なんですか?」
「現場は保存してある。悪いんだが、今から少し、顔を貸してもらえるか?」
「ええ。かまいません」
「案内する。ついてきてくれ」




