恋のトラウマ
怒り狂いそうな気持ちを堪えながら、四時間目が過ぎて、いつもの僕の特等席である校舎裏の石段に座って、悶々としていた。
「何だよ。坂下の奴、結局あいつのせいで、すべて僕が悪いみたいじゃないか」
その鬱憤を石段の下の雑草を思い切り引きちぎって晴らしていた。
「くそ。くそ」
そうしているうちに、少しだけ気分が晴れて、僕は気を取り直してスマホを取り出して、僕がネットに掲載した小説のアクセス数を見てみると、すごい数に増えていた。
「嘘だろ」
驚きと喜びが同時にわき起こり、気持ちがあたふたとした。
「ねえ、梶原君」
背後から女性の声が聞こえて、僕はびっくりして、思わず「ひゃっ」と素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
振り向いて見ると、僕にとっての忌まわしき存在の坂下だった。
しかも僕が驚いて素っ頓狂な声を出して、ケラケラと笑って、「梶原君のリアクション面白いね」と小馬鹿にするように言う。
そこで僕は彼女に対しての怒りの堰が切れ、「何なんだよ。お前さっきから僕の事を睨みつけて、僕に何か文句あるのかよ」
すると坂下は腹を抱えてケラケラと笑い出して、「別に文句はないけれども・・・」
「ないけど何だよ」
「梶原君が怒っている姿ってかわいいなあって」
「バカにするな」
「あーおかしい」と坂下の笑いはおさまり、僕の目を改めて見て「無名のアーティストでネットに小説を掲載しているのって、梶原君でしょ」
違うと嘘をつこうとしたが、もはやそれは彼女には通じそうもないし、そんな僕の正体を知る彼女に対して、僕は恐れてしまう。
すると再び彼女は笑い出して、「梶原君のリアクションって面白いね。そんなに怖がることはないと思うよ」
僕はもう呆れて「そうだよ。僕が無名のアーティストでネットに掲載している梶原だよ。それで僕に何か用件でもあるの?」
「用件って言うか一ユーザーとして、あなたの私小説の『私だけのアーティスト』を読ませて貰って、正直感動したよ」
僕は耳を疑い、彼女の瞳を見た。彼女も笑顔で僕を見つめていた。
その笑顔は昨日から感じていた侮蔑を含む目と同じだったが、こうして改めて見ると何か違う気がした。
その目は僕に関心がある熱視線と言ったところのようだった。
僕の小説が面白い?
ネットで連載して、たまにユーザーからメールで感想が来て、何度か面白いと記された事があった。それはそれで嬉しくて空も飛べる程だった。
でもこうしてネットを介してメールではなく、直接面と向かって面白いと言われて、正直空を飛び雲を越え、大気圏を突破して宇宙の果てまで飛んでしまうほどの気分だ。
彼女は僕の目を笑顔でじっと見つめている。僕もそんな彼女の目を黙って見つめている。互いに見つめ合ったまま、僕は彼女の感想を聞いて何を言えば良いか言葉に迷っていると彼女は、
「嬉しいなら素直に嬉しいって言えば良いじゃない。内気なんだから」
「まあ確かに嬉しいけれども、坂下さんは僕を詮索して、どういうつもりなの?」
「まあ人間観察かな。私、とりあえずクラスメイト一人一人全員をネットで調べたけれども、面白いことをしているのは梶原君だけだって分かった」
「どうして僕が無名のアーティストって分かったの?」
「梶原君のネットで検索したら出たの」
「ネット?」
「ネットに梶原君の名前を検索したら、梶原君がネット小説を掲載している所に行って、それで梶原君の掲載している小説をすべて読ませて貰ったよ」
「それはプライバシーの侵害じゃないの?」
「プライバシーねえ。でも梶原君は世界のユーザーに向けてネット小説を投稿したのでしょう」
「僕はともかくクラスのみんなの事を調べるのって、ヤバいんじゃないの?」
「大丈夫よ。ここは東京と違って自分の事を調べられて、逆探知して来る程の技術を持った人間はいないし、そこまで構えている人間はここにはいないよ」
何て余裕ぶって言っているけれども、『いつか痛い目にあうよ』と忠告した方が良いと思ったが、人の事を断りもせずにネットで調べて、面白がっている人間に関わりたくもないし、どうでも良いと思って、「そう」と適当に相づちを打ってい置いた。
「ねえ、梶原君っていじめられていた経験があるでしょう」
その質問に僕は本当に不快に思って、「そろそろ教室に戻らなきゃ」と立ち上がり、坂下の質問をスルーして、教室の方に向かっていった。
「ちょっと待ってよ。私梶原君に失礼な事を言ったかしら」
僕は彼女方を振り向いて、
「それもネットで調べた事なのかよ」
「いや。ネットにそこまで書かれていないよ」
「じゃあ、どうして」
「梶原君の小説と、普段の梶原君を見て私が勝手にそう感じただけだよ」
「とにかく僕の小説を読んで賞賛してくれた事は正直嬉しかったけれども、そうやって人の気持ちも知らないで、ベラベラと失礼な事を言うなよ。それと僕に二度と関わらないでよ」
きっぱりと彼女に伝えて、これで良いのだと僕はすっきりした。
彼女は廊下で僕の後ろ姿を見つめて「・・・梶原君」と小さな声で呟いていたが、そんなのはシカト僕は教室に戻っていった。
教室に戻ると、今朝一悶着あった大河原さんとクラスの女リーダー的の稲垣さんにちらりと一瞥されたが、別に問題はないと思って、黙って席について、五時間目の授業に備えて歴史の教科書を出して、黙って机に伏していた。
五時間目の授業が始まり、もう坂下の妙な視線を感じる事はなかった。
どうやらこれで僕の平穏な日常を取り戻せることを思うと人知れず、安堵した。
そして授業が終わり、ホームルームが終わって、掃除をして、僕は校舎を出て下駄箱から上履きから靴に履き替え、校舎裏の駐輪場に向かうと、坂下がいた。
何だ?と思って近づいて見ると、坂下が僕に気がつくと、笑顔で手を振って「梶原君」と僕を呼ぶ。
ため息がこぼれた。
そんな彼女に僕は「何?」と言って自転車を取り出して跨がると、坂下は「一緒に帰ろうよ。梶原君ちは私の家の近所だからさ」
「それもネットで調べたの?」
「そんなのクラス名簿を見れば一目瞭然じゃない」
「悪いけど、僕は帰りに寄らなくてはいけないところがあるから無理だね」
「じゃあ、私もついて行って良い?」
「ええっ?」
彼女の目を見る。
彼女の目は何か好奇心に満ちた輝きを瞳に宿した感じで僕の事を見つめる。
思えば女の子にこんな風に『一緒に帰ろう』何て、そんなシチュエーションはこれまで十五年間生きてきた中で一度もなかった。
そんな事はリア充に任せて置けば良いと思って諦めていた。
しかも坂下さんをよく見ると、チャーミングな顔をしている。
そんな彼女を見つめていると、いつの間にか僕の鼓動が激しく高鳴っていた。
いや騙されてはいけない。
僕は彼女をシカトして、自転車にまたがり、母親が入院している病院に向かう。
「ちょっとシカトしないでよ」
と彼女はついてくる。
彼女は僕と並んで自転車を漕いで、横から僕の顔をのぞき込んできて「ねえさっきはゴメンね」と彼女は横を向いたまま器用にハンドルを放して両手をあわせて謝っている。
すると前から対向車が来て、僕は坂下さんの事が心配になり「分かったから、ちゃんと前向いて」
「キャ」
と僕の方に倒れ込み、そのまま坂下さんを抱きしめる体制になり、すごく胸がドキドキした。
女の子って柔らかくって良いにおいがする。
「ゴメンね梶原君」
坂下さんは立ち上がり、僕を見下ろして手を差し伸べてくれた。
「ほ、本当に気をつけてよ」
坂下さんを肌で感じて僕は胸の鼓動が激しく高鳴っていた。
とりあえず坂下さんが差し伸べたその手を取り立ち上がり、制服に付いた砂埃を払った。
倒れた自転車を起こして、再び走り、坂下さんも懲りずに僕の横を並走しながら自転車を漕ぐ。
このままついて来られると、嫌な所を見られることに僕は困惑していた。
「梶原君、さっきから謝っているけれども、シカトは堪えるから、せめて返事くらいはしてよ」
「分かったよ。許すからもう付いてこないでよ」
「そう言われても、私の家もこっちなんだけれどもね」
そういえばさっきそう言っていたっけ。
「そう」
そろそろ病院にたどり着く、あまり人には見られたくないが仕方がない。
病院の前にたどり着き、僕が自転車を止めると、どういうつもりか坂下さんも自転車を止める。
「病院に何か用なの?」
「うん」
「ふーん」
僕は自転車を病院の駐輪場に止めに行くと、さすがに坂下さんは付いてくる気はなく、「じゃあ梶原君、また明日学校で」僕に大きく手を振って去っていった。
去った後に、僕も何か挨拶をしておけば良かったとちょっとだけ、その事が気になってもやもやとした。
でもそんな事を気にしている余裕もなく、今日も渋々ながら病院に向かう。
看護婦さん達は僕を見る度に、「あら梶原さん。今日もお母さんのお見舞い?」ような事を言われる。
とっとと顔を見合わせて、帰ろうと思って部屋に行く。
母親はベットの上で、生きているのか死んでいるのか分からないと言った感じで口をポカンと空けたまま、目をつむっている。
じっと見つめてどうやら息は合るみたいだ。
それを確認して、先生に容態を聞いて、すぐに帰宅する。
先生の話によると、容態は特に変わりはないみたいだ。
用事を済ませて、僕は自転車に乗り、頭の中は坂下さんの事でいっぱいだった。
先ほど倒れたと同時に抱きしめたあの感触がまだ手に残っている。
わき腹の辺りだったっがすごく柔らかい感触だ。
買い物をする時も彼女の事で頭がいっぱいだった。
彼女は言っていた僕の小説を読んで心を打たれたと。
もしかしたら僕に気があるんじゃないか?
いやそんな事はない。
でも僕の小説を面と向かって言われたことは彼女が初めてで、それはそれで嬉しく、頭から焼き付いて離れなかった。
彼女の笑う顔を思う出すとすごく胸がドキドキする。
いややめよう。
そういった恋愛感情を抱くとろくな事がなかった。
でも・・・。
自宅に到着して、なぜか小説を書く意欲が燃えるようにわき起こっていた。
新作の小説を書き始めると、アイディアが次から次へとわき起こり、キーボードを叩く手が止まらない。
すごい。僕は天才なんじゃないかと大言壮語を思ってしまうほどのアイディアが次から次へとわき起こる。
とにかく書いて書いて・・・どうしたいんだろう?
自問自答していると、坂下さんの笑顔が僕の頭に飛び込んで来て、再び小説を描く意欲が燃えるようにアイディアも次から次へとわき起こる。
とまらない。
僕は小説を書くことが好きだ。生き甲斐だと思っている。
でもこれほど燃えるような意欲と、次から次へとアイディアがわき起こるような事は今までなかった。
これは中学の時に恋をしてひどい目にあったが、あの時と同じ気持ちだった。
そういえば中学の事を思い出す度に、心引きちぎれるような気持ちになったけれども、今はそうはならない。
それは自分の気持ちに聞いてみても分からなかった。
とにかく僕は恋をしてしまったんだ。
でもやめよう。彼女が僕に気があるわけある訳ない。
鏡を見て見ろよ、お前はどう見ても格好の良い男には見えない。
分かった。彼女僕の事をおちょくっているんだ。
そう思うと、気持ちが萎えて、先ほどの燃えるような意欲と次から次へとわき起こるアイディアがなくなっていた。
人知れずため息がこぼれ落ち、時計を見ると、小説を書くことに没頭しすぎて、夜の十一時半を示していた。
恋愛で妙な期待を膨らませると、また痛い目を見るからやめよう。
明日になれば、彼女も僕に見向きもしなくなるよ。
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「うわあああ」
と僕は叫びながら目覚めた。
僕は悪夢を見た。
思いを寄せた坂下さんに侮蔑の目で見られたあげくに周りからいじめの的にされて、中学時代と同じ目にあう夢を・・・。
自転車を漕いで職場に向かいながら思う。
神様、僕に恋をする資格がないと言って欲しい。
いや神様、僕に運命の人など、この世の中にはいないと言って欲しい。
そもそも愛なんて幻想だと思ってしまえばいいのだ。
そう幻想。
いわゆる心の病。
・・・でも。