下僕の姫と藍色の青年
昔昔、あるところにお姫様がいました。
お姫様は母親を亡くし、父親と家臣と慎ましいながらも幸せな日々を送っていました。
しかし、幸せはいつも突然終わりを迎えるのです。
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――サンドラの年。国は大いに乱れていた。
大国は領土を広げようと近隣の小さな国々に戦争を仕掛け、順調に勢力を延ばしていった。
そんな世界が大きく変わっていく中、青年は馬に乗って優雅に帰宅していた。
夜の海のような深い青の髪を揺らして馬に乗る姿は町娘たちの心を鷲掴み、キャーと黄色い声をあげればにこりと上品な笑顔を残していく。ある意味殺戮兵器だった。
街を抜けると森に入った。森の中が鬱蒼と木々が多い茂っており、どこか暗い雰囲気を漂わせあまり入ろうとは思わないものだったが、青年は躊躇いもなく馬に乗ったまま入っていった。
青年はサクサクと森の中を進む。
しばらくして視界が開け、城が見えた。
古びた城の周りに薔薇が守るようにして生えており、普通に入れば傷だらけになるに違いなかった。それを見た青年は上品な顔に似合わず荒々しい舌打ちをして馬から下りた。腰に差してあった上等そうな剣を抜き、城の大きな扉の前に立って剣を構える。そして動いたかと思うとすぐに鞘に収めた。片手で扉を軽く押してやるとギィイイといかにも古そうな音を立てて開き、何食わぬ顔してそのまま入っていった。
「やっぱり駄目だったか」
上から少女の落胆した声が振ってきた。見上げると少女が二階から飛び降りるのが目に入って――青年の意識はここで消えた。
目が覚めると玄関に転がされていた。
城の玄関は天井が高く、豪華なシャンデリアもあったが、灯りが灯っていないせいで薄暗かった。床もとても冷たい。
青年は起き上がって目的地に向かう。ゆっくりとできる限り気配を消して歩みを進める。
目的地には灯りがこぼれていた。どうやら彼女がいるらしい。そのまま音を立てないようにドアを開け、彼女の背後に立って耳元で甘く囁いた。
「こんにちはお姫様」
びくっと目に見えて肩が震える。見ていて面白かったので思わずくっくっと笑うと少女はすくっと立ってこちらを見上げた。
「私に下敷きにされて気絶するのはどんな気分かしら」
少女が皮肉っぽく問いかける。
青年は少女からの予想通りの返答にさらに笑いを深くする。
「想像通り、重くて苦しかった」
それにカチンときたのか少女は青年の襟を下から引っ張る。ギリギリと引っ張り、青年のそれでも変わらない笑みに諦めて手を離した。
「で、何しに来たの」
「仕事だ。ついてこい」
「はあ?一昨日終わったばっかりじゃない。何引き受けてんのよこの腹黒男」
「心外だな。お前以外にこんな姿見せちゃいねえよ下僕のお姫様?」
そう言われて少女はうっと詰まる。そしてまた肩を震わせ――今度は怒りにだが――可愛らしくもどこか気品に溢れた笑顔で答えた。
「お引き受けいたしますわ」
「『ありがとうございます、ご主人様』だろ?」
意地悪く笑う青年に向かって少女は思いっきり嫌悪感をのせて睨んだ。
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少女、コーラルは一国の姫だった。
しかし父である王が借金を膨らませ、夜逃げしたのだ。
王が夜逃げ。そんなチャンスに周りの国は意気揚々とこの国を落とそうとした。
中でも右隣の大国・ジョージアはやる気だった。
一番初めに王不在のこの国に大軍を送り込んで民衆を人質に脅してきた。
『王女であるコーラルを嫁に寄越せ。そうすれば民衆の安全を保証してやる』
そのような要求を突きつけられ、大臣らに人身御供として相手の国に引き渡される日、一人部屋にいた少女の前にこの青年が現れた。
深い青の髪は相手を飲み込むほどの存在感があり――要するに見とれていたらこの古びた城に連れてこられたというわけだ。
そして彼は開口一番こう言った。
――国を救いたきゃ俺の奴隷になって働け。
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仕事、と言っても色々ある。
この前は怪しい店で店員になって働けだったし、その前はとある貴族の屋敷でメイドとして働いた。
「今回は何するの」
連れられてやってきた街で前を歩く青年に聞く。
「着いてから言う」
一カ月。この青年と会ってからの日数。
わかっていることは自分より年上なことと無職ではないことだった。
(ぜんっぜんどこの誰かわからないし……)
何より目的も不明だった。
この青年がしたことは国を救う唯一の手段である王女の誘拐。
それのせいで国にどれほどの迷惑をかけているか、考えるだけで胸が痛かった。
「着いたぞ」
青年の声に考え込んで俯いていた顔を上げればそこはグレイスの城の前だった。
グレイスと言う国はこの世界で最も法に基づく国。
この国の出した判決は大国であろうと覆すことはできない、世界の法とも言われる特殊な国だった。
「ちょっと何でこんなところに来てんのよ! 私、一応身を隠さなきゃいけないのに!」
「いいから、行くぞ」
「嫌よ」
「つべこべ言うな。もう終わってるんだよ」
――もう終わっている?
青年の言葉が頭に引っかかる。
しかし強引にコーラルは城の中へ連れて行かれた。
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「お目にかかれて光栄ですわ、フリージアの姫君」
壇上に座る女性の言葉に思わず顔を上げた。
(何で、バレているの?)
目の前の女性は皺を深くして笑っている。
「えっと、ど、どういうことですか……?」
「あなたが言っていた通り面白いお姫様ねえ、セイ」
「そうですね」
青年――先ほど名前がセイとわかった――がいつものように作り笑いではなく、自然な優しい微笑みを浮かべた。
「あなたの国、助かるわよ」
女性、この国の王――法帝は全てを慈しむような微笑みでそう言った。
事の顛末はこうだった。
父の借金はとある商人に唆され買わされてできたもので、その商人はあのジョージアの宰相が雇った者だった。
つまりジョージアは初めからフリージアを狙って仕掛けたということだ。
「あなたが自らこの捜査に協力したんですって?勇気がおありなのね」
法帝の言葉に思い当たるものがある。
……まさか。
セイの指示で入った怪しい店や貴族の屋敷ってもしやこれのためだった?
怪しい店っていうのは商人の店、そして貴族というのはジョージアの宰相。
そういえばセイから言われたことは一つだけ。
『月が見えない夜に裏口を開けておけ』
コーラルを引き込み役で潜入させ、自分があとで証拠を掴む。そういうことだ。となれば彼の職業もわかる。
「……セイはグレイスの覆面捜査官、ですか」
グレイスの覆面捜査官。それは最上級の捜査権を持つ。
その一つに家宅捜索が礼状なしでもできる権限がある。
本来ならば法帝の礼状を取らなくてはいけないが、覆面捜査官はその過程を飛び越えて捜査ができる。
ただし、確固たる確信がなければそんなマネはできない。間違えれば名誉毀損で訴えられるというハイリスクも持つ。
――両刃の剣。
「私がここにいるということは我がフリージアの国は侵略されずにすんだようですね?」
「ええ。もうすぐしたらお父様、国王直々にお迎えに来るわ」
「感謝いたします、法帝様。国を助けていただいて」
「いえいえ。私は何もしていないわ。……ほら下の扉で待っていたらいかが?」
「……はあ」
コーラルは半ば追い出される形で城の前で待つことになった。当然のようにセイがついてくる。
「ちょっと、何でついて来るのよ」
「別に。見送りぐらいしたっていいだろ」
ぶっきらぼうに言うセイになぜかコーラルは妙なことを言ってしまった。
「ねえ私がいなくなったら、寂しい?」
「せいぜいからかう相手が一人、いなくなるぐらいだな」
いつもならば言い返す言葉もこんな時には出ないようだ。コーラルは言葉を続ける。
「……たまにならあんたの仕事、手伝ってあげる。あとあの城の家事も手伝ってあげるわ」
「言ったな?」
コーラルは恥ずかしくては横を向いていた顔を両手に挟まれ、無理やり反対に向かされる。
そこにはいつものセイの黒い笑みがあった。
これを見た瞬間、自分がどれほど馬鹿なことを口走ったのかコーラルは悟った。
「今日からお前は俺の正式な奴隷だ」
「ちょっそういう意味で言ったんじゃなくて!」
「ほう。それならいったいどう意味で?」
「~~っ馬鹿ー!!!」
コーラルの精一杯の怒りの叫びは晴れ渡る青空に吸い込まれていった。